魔法を持たない幼なじみがいた   作:曇り時々曇り

55 / 57
第10話 保護者の欄

 朝、玄関に靴が二足並んでいた。

 

 道場で使うものではない。ヌメロンの普段履きと、その隣に置かれたアインハルトの靴だ。

 

 昨日まではなかった光景だった。

 

 ヌメロンは台所へ向かう途中で一度足を止め、それから何も触れずに通り過ぎた。

 

 昨夜、アインハルトが自分で揃えたものだ。向きも、間隔も、彼女が置いた時のままにしておきたかった。

 

 台所では、買い物の日に渡されたエプロンを着ける。

 

 パンを四枚出し、卵を三つ用意したところで、背後から声がした。

 

「多すぎます」

 

 振り返ると、アインハルトが立っていた。既に身支度を整え、ティオを腕へ抱いている。

 

「おはよう、アインハルト」

 

「おはようございます。二人分ですよね」

 

「うん。足りないと困るから」

 

「パンは一人一枚で足ります。卵も一つずつです」

 

「朝稽古もあるよ」

 

「足りなければ追加します」

 

 アインハルトはパンを二枚戻し、卵を一つ冷蔵庫へ入れた。

 

「食材を多く買うだけでなく、作る量まで多いのですね」

 

「ノーヴェ達が来る時は、これでも足りないよ」

 

「今日は来る予定があるのですか」

 

「ないけど、来るかもしれない」

 

「来てから追加してください」

 

 買い物の日と同じ答えだった。

 

 ヌメロンは笑い、二人分の朝食を作る。

 

 食卓へ運ぶと、アインハルトは自分の席へ座った。ティオは隣の椅子に飛び乗る。

 

 三日間だけ泊まった時と、座る位置は変わっていない。

 

 けれど今日は、食事が終わっても彼女の荷物をまとめる必要がない。

 

「今日は、帰りが少し遅くなります」

 

 アインハルトがパンを口へ運ぶ前に言った。

 

「学校の後、競技登録の確認があります」

 

「何時頃?」

 

「遅くても夕方には戻ります」

 

「分かった。連絡ありがとう」

 

「決めたことですから」

 

「うん。ボクも遅くなる時は連絡するよ」

 

 昨日、全員で決めたばかりの約束だった。

 

 ヌメロンは、自分の皿からパンを一枚取ろうとして手を止める。一枚しかない。アインハルトが初めから一人分ずつ分けていた。

 

「減らせませんよ」

 

「何もしてないよ」

 

「今、私の皿を見ました」

 

「見ただけだよ」

 

「自分の分を食べてください」

 

 ヌメロンは言われたとおり、パンをかじった。

 

 一緒に暮らし始めて一日も経たないうちに、食事を減らすことも、買いすぎることも止められている。

 

 兄としてナンバーズの世話をしてきた時とは、少し違うらしい。

 

「何か?」

 

「何でもないよ」

 

 ヌメロンは笑う。

 

「ただ、一緒に暮らすってこういうことなんだなって思って」

 

「まだ朝食を一度食べただけです」

 

「一度目だから」

 

 アインハルトは答えず、卵料理を一口食べた。

 

 けれど、わずかに表情が和らいだことを、ヌメロンは見逃さなかった。

 

     ◇

 

 朝稽古が終わる頃、ノーヴェが道場へ来た。

 

 手には端末と、いくつかの書類を抱えている。

 

「兄貴。昨日言ってた手続き、一通り確認したぞ」

 

「早いね。ありがとう」

 

「あたしが調べたわけじゃねえ。必要なもんを聞いただけだ」

 

「誰に?」

 

「オーダー」

 

 その名前を聞き、ヌメロンは少しだけ眉を上げた。

 

「大げさになってない?」

 

「必要な書類を聞いただけだって言ったろ。向こうも一覧を寄越しただけだ」

 

 ノーヴェは卓上へ書類を広げた。

 

 居住先の登録、学校の緊急連絡先、医療機関での同意権限。すぐに変更するものと、本人の希望を確認してから決めるものが分けられている。

 

「アインハルトの前の家は、すぐ解約しない。連絡先も全部兄貴だけにせず、あたしを予備へ入れる」

 

「うん。その方がいい」

 

「学校関係は、アインハルト本人の署名も必要だ。夕方、はやてが内容を見てくれる」

 

 ヌメロンは一枚ずつ確認した。

 

 最後の書類で、指が止まった。

 

 保護者登録。

 

 上段にはアインハルトの名があり、その下に空欄がある。

 

 保護者氏名。

 

「パパを名乗った割には、そこで止まるんだな」

 

 ノーヴェが横から言う。

 

「あれは冗談だよ」

 

「同居は冗談じゃねえだろ」

 

「分かってる」

 

 ヌメロンは書類から目を離さなかった。

 

 ナンバーズの兄になった時、許可を取ろうとは思わなかった。

 

 自分が兄だと名乗り、帰りを待った。怪我をすれば手当てをして、腹が減っていれば食事を作った。最初は呆れられていた呼び方が、いつの間にか当たり前になっていた。

 

 けれど、ここへ書く名前は違う。

 

 優しくしたいと名乗るだけでは足りない。

 

 アインハルトに何かが起きた時、代わりに答える者の名前だ。彼女の選択を守り、必要な時には決断を引き受ける者の名前だった。

 

「怖くなったか?」

 

 ノーヴェが尋ねる。

 

「少しだけ」

 

 ヌメロンは正直に答えた。

 

「アインハルトに拳を向けられるより?」

 

「比べるものじゃないよ」

 

「なら、夕方までに考えろ。アインハルトにも考えてもらう」

 

 ノーヴェは書類を閉じた。

 

「名前を書くのは、その後だ」

 

     ◇

 

 夕方、高町家の居間には、以前デバイスの相談をした時と同じように端末が並んでいた。

 

 ただし、今日は術式の図も稽古記録もない。

 

 あるのは、生活と手続きに関する書類だけだった。

 

 アインハルトはヌメロンの隣へ座り、はやての説明を聞いている。なのはとフェイトは向かい側にいた。ヴィヴィオは少し離れた場所でティオとクリスを並べ、二体の様子を見ている。

 

「先に言うとくけど、今日ここで全部決める必要はないで」

 

 はやてが画面を切り替える。

 

「前の住居をいつまで残すかも、学校への届け出も、二人で確認しながら進めたらええ。保護者登録についても同じや」

 

「登録しなければ、一緒に暮らせないのですか」

 

 アインハルトが尋ねる。

 

「すぐに暮らせんようになるわけやない。ただ、学校や病院で何かあった時、誰へ連絡して誰が判断するかは決めといた方がええ」

 

「私が自分で判断することは?」

 

「もちろん、アインハルトの意思が一番や」

 

 はやては答える。

 

「その上で、一人では決められへん時や、本人が答えられへん時に隣へ立つ人を登録するんよ」

 

 ヌメロンは空欄を見た。

 

 ノーヴェから聞いた時より、意味がはっきりした。

 

「ヌメロンくん」

 

 なのはが声をかける。

 

「さっきから、そこばかり見てるね」

 

「うん」

 

「何か気になる?」

 

「兄なら、勝手に名乗れたんだけどなと思って」

 

 なのはが瞬きをし、フェイトが小さく笑った。

 

「ノーヴェさんから聞いたよ。今日からお兄ちゃんだって宣言したんでしょう?」

 

「結果として、ちゃんと兄になれたよ」

 

「うん。ノーヴェさん達を見ていれば分かる」

 

 フェイトはそう言ってから、保護者欄へ視線を落とした。

 

「でも、これは勝手に名乗るものじゃないと思ってるんだね」

 

「アインハルトが一緒に暮らしたいって言ってくれた。それに応えたいと思った。でも、ボクがここへ名前を書いていいかは、別の話に見える」

 

「どうして?」

 

 なのはの問いに、ヌメロンは少し考えた。

 

「保護者って、間違えた時もアインハルトに影響するでしょ」

 

「すると思う」

 

「ボクは、自分が間違えないとは言えない」

 

「それは私も言えないよ」

 

 なのはは迷わず答えた。

 

 ヌメロンが顔を上げる。

 

「私も、最初から何でも分かるママだったわけじゃない。今でも間違えるし、ヴィヴィオに教えてもらうこともあるよ」

 

「私も同じ」

 

 フェイトが続ける。

 

「呼ばれた日から、急に完成するものじゃない。毎日一緒に暮らして、話して、間違えたら謝って、少しずつ家族になるんだと思う」

 

「でも二人は、ヴィヴィオのママでしょ」

 

「今はね」

 

 なのはは笑う。

 

「それでも、最初の一日があったんだよ」

 

 はやてが端末をヌメロンの方へ向ける。

 

「この欄は、二人の関係に名前をつけるためのもんやない」

 

 空白の保護者欄が、画面の中央にある。

 

「何かあった時、誰が責任を持って隣に立つかを書く場所や」

 

「責任を持って、隣に立つ」

 

「せや。それをしたいかどうかは、ヌメロンが決めることや」

 

 ヌメロンは、隣に座るアインハルトを見る。

 

 彼女は答えを急かさない。

 

「アインハルトは、ボクでいい?」

 

「昨日、お答えしました」

 

「暮らすことと、保護者になることは違うよ」

 

「はい。ですから、今もう一度答えます」

 

 アインハルトはヌメロンの目を見た。

 

「あなたに、お願いしたいです」

 

 迷いのない声だった。

 

「分かった」

 

 ヌメロンは入力欄へ手を置く。

 

 一文字ずつ、自分の名前を記した。

 

 クオン・ヌメロン。

 

 誰かの代わりでも、道場の師範としてでもない。

 

 アインハルトが選び、ヌメロン自身が引き受ける名だった。

 

「書けたね」

 

 なのはが言う。

 

「うん」

 

 アインハルトも、本人同意の欄へ自分の名を記した。

 

 二つの名前が並ぶ。

 

「これで提出できる。正式な確認には何日かかかるけど、結果が来たら連絡するな」

 

 はやてが書類を受け取り、その場で送信する。

 

 端末に、申請受付の表示が出た。

 

「終わりですか」

 

 アインハルトが尋ねる。

 

「今日はここまでや」

 

「意外と短いのですね」

 

「書類を書く時間はな。そこへ名前を書くまでに、二人とも時間かかったやろ」

 

 はやてが笑った。

 

     ◇

 

 翌朝、ヌメロンはアインハルトの皿へ卵料理を置いた。

 

「今日は一つずつです」

 

「分かってるよ」

 

 自分の皿にも同じ量を置く。

 

 アインハルトは二つの皿を見比べ、何も言わずに頷いた。

 

 ティオが隣の椅子へ飛び乗ったところで、卓上の端末が鳴る。

 

「誰ですか」

 

「連絡じゃなくて、通知みたい」

 

 ヌメロンは画面を開いた。

 

 昨日提出した申請の番号が表示されている。

 

 保護者登録――承認済み。

 

 居住先変更――承認済み。

 

 緊急連絡先変更――反映済み。

 

「……通った」

 

「何がですか」

 

「昨日の書類。全部、承認されたみたい」

 

「もうですか?」

 

「うん」

 

 ヌメロンは処理時刻を見る。

 

 最終確認は、日付が変わる前に終わっていた。

 

「早すぎる気がする」

 

「問題があるのですか」

 

「確認してみるよ」

 

 昨日の相談に使った通話先を開く。最初にはやてを呼び出すと、少しして画面がつながった。

 

 映ったのは八神家の居間だった。

 

 はやてはまだ普段着で、片手に朝の飲み物を持っている。背後ではリインフォースとアギトが朝食の片づけをしていた。

 

『おはよう、ヌメロン。どないしたん、こんな朝から』

 

「おはよう、はやて。昨日の保護者登録、もう承認されてるんだけど」

 

『……は?』

 

 はやてが持っていた杯を卓上へ置く。

 

『昨日の夕方に出したやつやろ?』

 

「うん」

 

『そんな早く通るわけない!』

 

「やっぱり?」

 

『やっぱりやない。居住確認、学校との連携、緊急連絡先、後見資格の確認。どれだけ急いでも、もうちょいかかる』

 

 はやてが画面を操作する。

 

『なのはちゃんとフェイトちゃんも呼ぶで。昨日、一緒に確認してもろたからな』

 

 通話先が追加される。

 

 次に映ったのは、高町家の食卓だった。なのはとフェイトの間から、ヴィヴィオも画面を覗き込む。

 

『おはよう、ヌメロンくん。アインハルトさん』

 

「おはようございます」

 

 アインハルトが頭を下げる。

 

『何かあったの?』

 

「ボクの保護者登録が、もう承認されたんだ」

 

『昨日、名前を書いたものだよね?』

 

「うん」

 

 なのはが時計を見る。

 

『こういう手続きって、一晩で終わるの?』

 

『終わらへんよ!』

 

 はやてが即答した。

 

『こんなに早くないよね?』

 

 なのはがフェイトを見る。

 

『うん。絶対に早くないと思う』

 

 フェイトも承認時刻を見て、困った顔をした。

 

『でも、処理そのものに不備はなさそうだね』

 

「誰かが早くしたんだと思う」

 

 ヌメロンは承認経路を開いた。

 

 通常より少ない待ち時間で複数の確認が終わっている。処理した者の名前は表示されていない。けれど、ノーヴェが必要書類を尋ねた相手は一人だけだった。

 

「ちょっと電話してみる」

 

『誰に?』

 

「たぶん、この人」

 

 ヌメロンは通話へ新しい相手を追加した。

 

 呼び出し音が一度鳴る。

 

『承認通知を見たか』

 

 オーダーの声がした。

 

「まだ何も言ってないよ」

 

『この時間にお前から連絡が来る理由は、それしかない』

 

「やっぱり、オーダーがやったんだね」

 

『必要な処理を行っただけだ』

 

「ボク、頼んでないよ」

 

『ノーヴェから必要書類について問い合わせがあった。準備するには十分だった』

 

「ボク達が一緒に暮らすと決める前から?」

 

『準備しただけだ。承認はしていない』

 

 オーダーはいつもと変わらない口調で答える。

 

『お前が名前を書かなければ、何も起きなかった。お前がクオン・ヌメロンと署名したから、私はその申請を通した』

 

「ボクが自分でやるべきことまで、取らないでね」

 

 ヌメロンは画面を見たまま言った。

 

 昨日、空欄を前に迷ったことも、アインハルトへもう一度意思を尋ねたことも、自分達に必要な時間だった。

 

 早く通ることと、誰かに決められることは違う。

 

『取ってはいない』

 

 オーダーが答える。

 

『保護者として責任を負うのはお前だ。私は、制度上の遅延を取り除いたにすぎない』

 

「それが一晩で終わるのは普通じゃないって、はやてが言ってるよ」

 

『八神はやての普通は、仕事を机の上で一晩寝かせることか?』

 

『聞こえとるからな、オーダー!』

 

 はやてが声を上げた。

 

 なのはが笑いを堪え、フェイトは承認記録をもう一度確認している。

 

『本当に、提出した日のうちに最終確認まで終わってる……』

 

『だから早すぎるって言うとるんや』

 

「ありがとう、オーダー」

 

 ヌメロンは言った。

 

『礼は必要ない』

 

「それでも、ありがとう。でも次は、先に一言言って」

 

『善処しよう』

 

「それ、しない時の言い方だよね」

 

『では、用件は以上だ』

 

 通話からオーダーの表示が消えた。

 

「切られた」

 

『相変わらずやな、あいつ』

 

 はやてが額へ手を当てる。

 

『でも、ヌメロンくん』

 

 なのはが呼びかける。

 

『名前を書いたのも、アインハルトさんにもう一度聞いたのも、ヌメロンくんだよ。そこは誰にも取られてないと思う』

 

「うん」

 

 ヌメロンは隣を見る。

 

 アインハルトは、承認通知を静かに見ていた。

 

『それで、朝食はもう食べたん?』

 

 はやてが尋ねる。

 

「今から」

 

『ほんなら冷める前に食べ。続きは後でええ』

 

「分かった」

 

 通話を終える。

 

 食卓へ静けさが戻った。

 

     ◇

 

 アインハルトは、承認通知に並んだ名前を見ていた。

 

 本人――アインハルト・ストラトス。

 

 保護者――クオン・ヌメロン。

 

「これで、正式に保護者だね」

 

 ヌメロンが言う。

 

「昨日から、一緒に暮らしています」

 

「書類の方が一日遅れたんだよ」

 

「普通は、書類の方が先なのでは?」

 

「ボク達は逆だったね」

 

「それで問題がないのなら、構いません」

 

 アインハルトは一度画面から目を離し、ヌメロンを見る。

 

「私の保護者で、本当によいのですか」

 

「うん」

 

 昨日よりも、短く答えられた。

 

「間違えることはあると思う。でも、間違えた時にいなくなるつもりはないよ」

 

「では、その時は私が指摘します」

 

「もうしてくれてるね」

 

 ヌメロンは二人の皿を指した。

 

「朝食の量も、買い物も」

 

「あなたの場合は、指摘することが多すぎます」

 

「保護者になった最初の日から厳しくない?」

 

「これまで守れていなかった数です」

 

 昨日と同じ言葉を返される。

 

 ヌメロンは笑った。

 

「これで正式にパパだね」

 

「保護者です」

 

「まだ何も決めてないよ」

 

「今、パパと言いました」

 

「聞こえてたんだ」

 

「聞こえるように言ったでしょう」

 

 ティオが二人の間で鳴く。

 

 アインハルトが卵料理を一口食べる。

 

「冷めます。食べてください」

 

「はい」

 

 ヌメロンも食事へ戻った。

 

 端末には、学校から新しい通知が届いている。

 

 保護者登録が反映されたため、今日から学校関係の連絡がヌメロンにも届くらしい。

 

「今日は、予定より早く終わるんだね」

 

「競技登録の確認が変更になりました。授業の後は、そのまま帰ります」

 

「迎えに行くよ」

 

「一人で帰れます」

 

「知ってる」

 

 いつもの答えを返す。

 

「でも、ボクが迎えに行きたいんだ」

 

 アインハルトは少し考えた。

 

「道場の稽古は?」

 

「ノーヴェが早めに来てくれるって」

 

「既に連絡したのですか」

 

「迎えに行けると思ったから」

 

「まだ、私が頼む前です」

 

「嫌だった?」

 

「……いいえ」

 

 アインハルトは視線を皿へ戻す。

 

「では、お願いします。ヌメロン」

 

「うん。行ってらっしゃい、アインハルト」

 

「まだ朝食の途中です」

 

「先に言っておこうと思って」

 

「玄関でもう一度言ってください」

 

「分かった」

 

     ◇

 

 午後、ヌメロンは学校の門から少し離れた場所で待っていた。

 

 保護者登録をしたからといって、校内へ入る必要はない。アインハルトは一人で出てこられる。

 

 それでも、迎えに来た者がいると分かる位置に立った。

 

 下校する子供達が次々に門を出る。家族と合流する者もいれば、友人と並んで帰る者もいる。

 

 ヌメロンは道場で待つことには慣れていた。

 

 ナンバーズが帰るのを待ったことも、門下生がまた来る日を待ったこともある。

 

 けれど今日は、アインハルトが帰ってくる先へ自分から迎えに来ている。

 

 しばらくして、金色の髪が見えた。

 

 アインハルトは友人と別れ、門を出る。ヌメロンを見つけると、一瞬だけ足を止めた。

 

 それから、真っすぐこちらへ歩いてくる。

 

「お待たせしました、ヌメロン」

 

「ううん。今来たところ」

 

「先ほどから立っていたように見えました」

 

「見えてた?」

 

「門を出る前から」

 

「じゃあ、少し待った」

 

 アインハルトの鞄にはティオが乗っている。ヌメロンが手を伸ばすと、彼女は鞄を少し引いた。

 

「自分で持てます」

 

「知ってるよ」

 

「それでも持ちたいのですか」

 

「うん」

 

 アインハルトは考え、鞄ではなく、持っていた資料の束だけを渡した。

 

「では、こちらをお願いします」

 

「ありがとう」

 

「なぜ、あなたが礼を言うのですか」

 

「任せてもらえたから」

 

 二人で歩き出す。

 

 ヌメロンは歩幅を合わせた。アインハルトは、前より少しだけ近い場所を歩いている。

 

「保護者になった最初の日は、どうでしたか」

 

 アインハルトが尋ねる。

 

「まだ半日しか経ってないよ」

 

「それでも、何か変わりましたか」

 

 ヌメロンは少し考えた。

 

 書類が通る前から、朝食を作った。学校へ出る彼女を見送り、帰る時間を気にした。

 

 承認されたから、急に始めたことは一つもない。

 

「学校からの連絡が届くようになった」

 

「それだけですか」

 

「今のところは」

 

 ヌメロンは笑う。

 

「でも、迎えに来ていい理由が一つ増えたよ」

 

「理由がなければ、来なかったのですか」

 

「来てほしいって言われたら、来てたよ」

 

「今日は、私が言う前に来ました」

 

「保護者だからね」

 

「便利に使っていますね、その言葉を」

 

「だめ?」

 

「毎日は困ります」

 

「じゃあ、迎えが必要な日は教えて」

 

「はい」

 

 断るのではなく、必要な日を伝える。

 

 それが一緒に暮らす者への答えなのだろう。

 

     ◇

 

 道場へ着くと、ヌメロンが先に戸を開けた。

 

「おかえり、アインハルト」

 

「一緒に帰ってきたのに言うのですか」

 

「帰ってきたから」

 

 アインハルトは道場の奥を見る。

 

 廊下の先に、自分の部屋がある。

 

 棚には学校の資料が入り、窓際にはティオの整備台が置かれている。今朝脱いだ室内着も、帰れば自分で片づけなければならない。

 

 書類がなくても、既にそこは彼女の部屋だった。

 

「ただいま、ヌメロン」

 

 ティオが鞄から降り、先に居住区へ走っていく。

 

 ヌメロンは、その背を追うアインハルトを見送った。

 

 保護者欄へ名前を書いたから、家族になったわけではない。

 

 名前を書くより前に始まっていた毎日を、これからも引き受けると決めたのだ。

 

 明日も朝食を作り、出かける背を見送る。

 

 帰りが遅ければ心配し、必要だと言われた日には迎えに行く。

 

 そして、彼女が自分の足で帰ってきた時には、ここで待っている。

 

「ヌメロン」

 

 廊下の奥から、アインハルトが顔を出した。

 

「夕食は、何にしますか」

 

「何が食べたい?」

 

「昨日の煮込みを。それから、卵料理もお願いします」

 

「分かった。二人分だね」

 

「はい。二人分です」

 

 ヌメロンは新しいエプロンを取り、台所へ向かった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。