写真を飾る場所を決めるのに、アインハルトは思ったより時間をかけた。
道場の戸を開けてすぐ見える壁には、稽古の心得が貼ってある。棚の上なら見やすいが、練習中にボールが当たるかもしれない。結局、みんなが写った写真を古い稽古表と新しい稽古表の間に置いた。
「そこなら、帰る時にも見えるね」
ヌメロンが少し離れて確かめる。
「はい。来る時にも」
アインハルトは額を真っすぐに直した。写真の中で、ストライクがノーヴェに肩を抱かれている。ヴィヴィオたちも、ヌメロンもいた。昨日、そこに立っていた人たちが、今日の道場を見ている。
自宅に飾る五人の写真は、ヌメロンが袋に入れて持っていた。アインハルトが一緒に帰れば、玄関を通って、その写真も家に置かれる。
「ヌメロン」
「なに?」
「この間、病院で私が言ったことを、覚えていますか」
ヌメロンはすぐには答えなかった。道場の外ではリオとコロナが帰り支度をしている。彼女たちの声が遠くなってから、アインハルトのほうへ向き直った。
「ボクを返してって、久遠に言ったこと?」
「はい」
帰ってきたヌメロンと写真を撮れた。昨日の自分はそれを喜んだ。けれど、写真が出来上がると、病室のもう一人の顔を思い出した。
ヌメロンと似た顔で、見たことのない大人。目を覚ましたばかりの彼は、自分の名前も今いる場所も確かめ終わっていなかった。それなのにアインハルトは、ヌメロンがいない理由を答えてほしくて、彼に詰め寄った。
「謝りたいんです」
「うん」
「私が自分で、あの人に」
ヌメロンは頷いた。
「久遠に会ってくれるか、聞いてみる。返事を決めるのは彼だから」
「お願いします」
アインハルトは頭を下げた。ヌメロンが戻るまでに何度も口にした願いは、そのまま取り消せない。あの時の自分が彼を求めたのも本当だ。だから、別の意味だったことにして済ませたくなかった。
◇
その朝、久遠は階段の途中で立ち止まった。
手すりに左手を置き、右足を一段下ろす。床はそこにあるのに、足の裏が触れた感覚が遅れて来る。体重を移す前にもう一度確かめ、ゆっくりと踊り場まで下りた。
「今日はここで少し休む」
下で待つクェーサーに声をかけると、彼女は階段を上がりかけて止まった。
「椅子をお持ちします」
「ここで大丈夫。壁にもたれてるから」
「では、こちらにおります」
彼女はすぐに手を貸せる位置で待つ。久遠はその気配を聞きながら、何段下りたかを数えた。きのうは数えなくても居間へ行けた気がする。思い返してみると、きのうも踊り場で止まっていた。
シャマルには変化を伝えてある。ストライクを呼び戻した時に一度に使った力の反動で、脚へ症状が出ている。ストライクが今ここで生きていることが、その後も久遠から力を奪い続けるわけではないと、彼女は説明した。
分かっていても、数段の階段で息を整える自分の身体は、まだ自分のもののように感じにくい。
久遠は手すりを握り直し、残りを下りた。クェーサーは最後の段だけ肘へ手を添えた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
居間に着くと、連絡用の端末が光った。登録したばかりの差出人の名前を見て、久遠は少し驚く。
ヌメロン。
彼と直接話すのは初めてだった。
「電話、出るね」
クェーサーは頷き、湯を沸かしに台所へ行った。久遠は席に座ってから通話をつないだ。
『もしもし。久遠? ボクはヌメロン』
自分に似た声がした。姿は病院で一瞬見ただけだが、写真の中で少女の隣にいた人だと分かる。
「うん。久遠です」
『急に電話してごめんね。アインハルトが、君に会って謝りたいって言ってる』
久遠は膝に置いた手を見た。
病室で言われたことなら覚えている。彼女の声が震えていたことも、誰かを探していたことも。ヌメロンが帰ってきた写真では、安心した顔をしていた。
「そうなんだ」
『会いたくなければ、そう伝える。ボクが決めることじゃないから』
「会うよ」
返事が早く出たことに、久遠自身は不思議を感じなかった。謝りたいままの彼女に、これ以上待たせる理由はない。
『ありがとう。今日の午後でもいい?』
「うん。山の家にいるよ」
『ボクが連れていく。入口まで案内するね』
「分かった。気をつけて来て」
通話を切ると、久遠は端末の黒い画面をしばらく見つめた。話し方は自分の声と少し違う。知らない年月のあいだ、彼自身が選んできた声だった。
クェーサーが湯飲みを置く。
「ご来客ですか」
「アインハルトさんが、来てくれるって」
クェーサーは久遠の足元を見た。
「居間までお通しします。お立ちにならなくて結構です」
「玄関には迎えに行きたいな」
「では、その時の調子を見ましょう」
久遠が頷くと、彼女は言葉を選んでから尋ねた。
「お話ししたくないことまで、話す必要はありません。私どもも、お加減については」
「言わないでほしい」
久遠は顔を上げた。
「なのはやフェイトやはやてにも。アインハルトさんにも、ヌメロンにも。シャマルさんには、診てもらうからちゃんと話す」
「承りました」
すぐに応じたクェーサーへ、久遠は付け足した。
「隠れて無茶をしたいわけじゃないよ。何かあればシャマルさんを呼んで。オーダーたちにも言っていい。ただ、心配を増やしたくないんだ」
「久遠様のご意向として、みなへ伝えます」
彼女の声はいつも通り柔らかかった。だが湯飲みに添えた指は、持ち上げるまで動かなかった。
◇
山への道は街のものより細く、車窓に家が見えなくなってからも続いた。
アインハルトは膝の上で両手を組んだ。隣で運転するヌメロンは、一度だけ道を確認し、また前を見た。
「ヌメロンは、あの人と話したことがあるんですか」
「さっきが初めて。家へ帰るのが遅くなって、連絡するきっかけも逃してた」
「似ていましたか」
「声はね。でも、話す速さが違う」
アインハルトは窓の外を見る。ヌメロンが取り戻したのは身体ではなく、アインハルトが一緒に暮らしてきた彼自身だった。病室にいた人は、そこへ突然目覚めた別の人だ。
「何を言うかは決めました」
「そう」
「でも、あの人が許してくれなくても、謝ります」
「うん」
ヌメロンはそれ以上助言しなかった。アインハルトがしたことも、その後ずっと悩んでいたことも知っている。どちらも彼が代わりに言うことではない。
屋敷の門へ着くと、ヴェロシティがバイクのそばに立っていた。似た顔でも、ヌメロンより大人びた身振りをしている。
「道、迷わなかったか」
「連絡をもらった通りに来たよ。久遠は?」
「居間で待ってる。足元がちょっと……」
言いかけて、ヴェロシティはアインハルトを見た。それから腕を組み直す。
「クェーサーが案内する。俺は車をこっちへ入れるから、少し待ってな」
ヌメロンは言葉の続きが気になったが、ヴェロシティは門を開ける仕事へ戻った。
玄関ではクェーサーが迎えた。長い髪を背へ流し、シスター服の裾を整えてお辞儀をする。写真を撮った日に会ったストライクとは違うのに、輪郭にはやはり共通するものがあった。
「ご足労ありがとうございます。久遠様がお待ちです」
アインハルトは靴を脱いだ。ヌメロンも戸口まで来たが、彼女の背中を押すことはしない。
「ボクは外にいるよ。終わったら教えて」
「はい」
クェーサーについて廊下を歩きながら、アインハルトは深く息を吸った。
◇
久遠は居間の長椅子に座っていた。
写真で見たヌメロンと同じ顔が、ずっと大人になったように見える。実際は反対なのだと、アインハルトは教わった。生まれた時も、失った時間も、自分には想像しきれない。
「来てくれてありがとう」
久遠が立ち上がろうとする。椅子の端へ手をつき、少し間を置いてから腰を上げた。
「座っていてください」
アインハルトは思わず言った。久遠は困ったように笑い、また腰を下ろす。
「ごめん。じゃあ、座ったままで」
謝るために来たのはこちらなのに、先に謝らせてしまった。アインハルトは向かいの椅子へ座る。近くで見ると、顔色が悪い。頬の色だけでなく、視線が足元へ何度も落ちるのが気になった。
「体調が、悪いんですか」
「大丈夫だよ。今日は来てくれて嬉しい」
返事は穏やかだった。久遠は膝を見ないように、アインハルトへ視線を戻す。
「あの」
「うん」
「病院で、あなたに『ヌメロンを、返してください!』と言いました」
言った瞬間、部屋の静けさが変わった気がした。
久遠は目をそらさずに聞いている。アインハルトは握った手をほどいた。
「あなたは、目が覚めたばかりで、何も分からなかったのに。私もヌメロンのことしか考えられなくて、答えを出せないあなたを責めました」
「……ヌメロンがいなくて、怖かったんだよね」
「はい。怖かったです。でも、それであなたを責めていいことにはなりません」
アインハルトは頭を下げた。
「ごめんなさい」
久遠は膝の上の手を見た。あの時、痛むはずのない小さな身体に痛みを感じながら、泣かずに彼女の声を聞いた。今、目の前にいる少女も、泣きそうな声をこらえている。
「うん。謝ってくれて、ありがとう」
久遠の返事は短かった。
アインハルトが顔を上げる。怒っていてもいいと思ったし、許せないと言われても聞くつもりだった。そのどちらも口にされない。
「私、ヌメロンが帰ってきて、嬉しくて。ちゃんと帰ってきたのを見て安心したら、病院で言ったことを思い出したんです」
「帰ってきてよかったね」
「はい」
久遠は微笑んだ。心からそう思った。あの写真の中の少女が、もうヌメロンを捜さずに済むならよかった。
それなのに病室で耳にした言葉は、意味を変えずに残っている。アインハルトの謝罪と、あの日に自分が返せなかったものは、同じ場所に置けなかった。
「あの時は、あなたは怖くなかったんですか」
問いに、久遠は瞬きをした。
知らない天井。大人になったなのはたちの顔が分からず、誰かを返してほしいと問われた瞬間。説明しようとすると、あの夜の図書館の床まで話さなければならない気がした。
「……急なことで、びっくりはしたよ」
「そう、ですよね」
「ヌメロンと、また一緒にいられるんでしょう」
「はい」
「なら、今度は帰り道で困らないといいね」
話を逸らされた、とアインハルトは思った。けれど、今すぐ答えを求めて追い詰めることはしたくない。謝ることで自分の胸だけを軽くしに来たわけではなかった。
「あなたに謝るのが、遅くなりました」
「自分で来てくれたよ」
久遠はそう言い、テーブルの湯飲みを彼女のほうへ寄せた。クェーサーが用意した茶は、まだ温かい。
二人は少しずつ飲んだ。久遠は名前を聞いた。
「アインハルトさんは、道場に通ってるの?」
「はい。ヴィヴィオと、リオとコロナも一緒です」
「ストライクから写真を見せてもらったよ。みんな楽しそうだった」
「写真を、見てくださったんですね」
「うん。ストライクも写ってた」
アインハルトは写真の日にストライクが戸口で待っていた話をした。久遠が笑う。知らなかった道場の昨日が、テーブルを挟んで少しだけ言葉になる。
ただ久遠は、そこで自分が何を失ったかを話さなかった。アインハルトはそれを聞かなかった。
◇
帰り際、久遠はまた立ち上がった。
アインハルトが椅子から腰を浮かすと、彼は手で制した。
「ここからでいいよ。外、道が狭いから、気をつけて帰ってね」
「……はい。会ってくださって、ありがとうございました」
「こちらこそ」
クェーサーが廊下へ案内する。アインハルトは戸口で一度振り返った。久遠は長椅子の横に立ち、背に手をかけている。
深くお辞儀をして出た。
車のそばにはヌメロンがいた。アインハルトが戻ってくるのを見て、何も聞かずにドアを開ける。
「お話しできました」
「そう」
車が門を抜けると、アインハルトは山の家を見た。窓に人影はない。
「謝罪を受け取ってくれました。でも……ヌメロン、久遠さんは大丈夫なんでしょうか」
「何かあった?」
「顔色が悪かったんです。立つ時も、すぐには立てなくて。私が聞いたら、大丈夫だと」
ヌメロンは門でヴェロシティが言いかけた言葉を思い出した。家の者たちは久遠のそばにいる。それでも、誰かの大丈夫だけをそのまま受け取ってよいのか分からない。
「ボクからも、本人に聞いてみる」
「お願いします」
アインハルトは肩の力を抜いた。謝罪ができたからといって、今の心配まで消えるわけではない。
◇
久遠はクェーサーに支えられ、長椅子へ座り直した。
「痛みは」
「いまは平気。立つ前にもう少し待てばよかった」
「シャマル様に、今朝からの変化をお伝えします」
「うん。お願い」
クェーサーはしゃがんで彼の脚を見た。久遠は彼女の髪が床につきそうなのに気づき、そっと先を持ち上げる。
「汚れちゃう」
「お気遣いありがとうございます」
「こっちこそ。迎えてくれて、ありがとう」
クェーサーは微笑んだが、まだ脚から目を離せなかった。
机の端にある端末が鳴る。ヌメロンだった。久遠はクェーサーへ「座ってるから」と伝え、通話を取る。
『アインハルトが話せてよかったって。会ってくれてありがとう』
「ううん。律儀で優しい子だね」
『ずっと気にしてたんだ。自分で行きたいって言って』
「そうだと思った」
久遠は湯飲みを見た。アインハルトは茶を少し残している。謝りに来た子に、自分の痛みまで持ち帰らせたくなかった。
『アインハルトが、君の顔色を心配してる。大丈夫?』
「大丈夫だよ。家のみんなもいるし」
『そう。でも、あの子が見間違えたとも思わない』
久遠は少しの間、答えを探した。
「シャマルさんには相談してる。だから、なのはたちには言わないでほしい。アインハルトさんにも。家の人にも、お願いしたんだ」
『……分かった。シャマルには話しているんだね』
「うん」
ヌメロンの返事まで、間があった。自分の娘が見たことと、久遠が隠したいことの両方を受け取った間だった。
『もし必要になったら、ボクにも直接言って。君の代わりに、何か決めることはしないから』
「ありがとう。帰り、アインハルトさんをよろしくね」
『もちろん。家に帰るよ』
通話が終わる。久遠は端末を伏せた。
ヌメロンは自分の娘を乗せて帰る。久遠にも、今、帰った客を見送った家がある。どちらも本当だ。重ねて一枚の写真にすることはできない。
◇
道場へ寄ると、リオが忘れていったタオルが棚にあった。
「明日、渡そう」
ヌメロンがそれを畳む。アインハルトは壁の写真を見上げた。朝、自分で額を直した位置に、写真はある。
「久遠さん、ストライク師範からこの写真を見せてもらったそうです」
「そうなんだ」
「みんな楽しそうだった、って」
ヌメロンはタオルを置いた。久遠も喜んだのだろう。その写真に本人がいないことも、ヌメロンには見えていた。
「私、謝ったら久遠さんに怒られるかもしれないと思っていました」
「怒ってほしかった?」
「そうすれば、私が言ったことを、もっと分かれた気がします。でも、あの人は私のことを心配してくれました」
ヌメロンは、今朝の電話を思い出した。会うかどうかを尋ねた時、久遠は迷わず受け入れた。
「久遠が何を感じたか、ボクにもまだ分からない。アインハルトがしたことを忘れる必要もないし、久遠に答えを急いでもらう必要もないよ」
「はい」
「今、会えてよかったことも本当だと思う」
アインハルトは頷いた。ヌメロンと二人で帰ってきた場所の壁には、昨日の彼女たちがいる。久遠はここには住んでいない。彼に会ったからといって、自分たちの家を譲ることもできない。
それが彼を傷つけるかもしれないと思いながら、アインハルトは写真を外さなかった。
◇
夜、ヴィヴィオが帰宅すると、なのはは食器を片づけていた。
「アインハルトさん、今日、久遠に会いに行ったんだって」
ヴィヴィオは驚いた顔をした。
「ヌメロンさんと一緒に?」
「送り迎えをしてもらったそうだよ。話す時は二人だったって」
「そっか」
娘が知っているのは、一緒に道場へ通うアインハルトと、ヌメロンという師範だ。久遠が戻ったと聞いても、会ったことのない人の恐怖まで同じ形で思い描くことはできない。なのははそれを責めたくなかった。
ヴィヴィオが宿題をしに部屋へ行ってから、なのはの端末にヌメロンから連絡が入った。
『相談していい? アインハルトは久遠に謝れた。でも、帰ってからずっと、あの時のことを考えてる』
「今日、本人と話したの?」
『電話で。久遠がアインハルトのことを、律儀で優しい子だって言ってた。ボクは二人が何を話したか知らないけど、あの子は久遠のことをまだ気にしてる』
ヌメロンは、久遠が話さないでほしいと言ったことに触れなかった。病室でアインハルトが言ったことと、今日彼女が自分で謝りに行ったことは、なのはも知っている。相談できるのはそこまでだった。
「教えてくれてありがとう」
『ボクが勝手に君に聞いたの、嫌だったかな』
「アインハルトさんも、あの時のことをずっと考えてたんだね。話してくれてよかった。ただ、久遠の代わりに何を感じたか決めつけたくはない」
なのはは流しの水を止めた。
幼い日の久遠は、シャマルのことを心配して、はやてに言ったほうがいいと促したことがある。そう言っていた人が自分のことをどこまで話したいのか、今のなのはにはまだ分からない。
『どうする?』
「まず、久遠に会いたいって、本人へ伝えてみる。断られたら、その時に考える」
『うん。ボクからも、返事を急がせない』
なのはは礼を言って通話を終えた。すぐに端末を置けず、久遠の連絡先を開く。
話したいことはたくさんある。あの時何を言えなかったかを、何から渡せばよいのかも分からない。今夜会う約束を求めるだけなら、短く書けるはずだった。
なのはは一度文字を打ち、消した。
久遠が望むなら会いに行きたい。病室で言いそびれたこともある。でも、自分の言葉を届けるために、彼が今すぐ話せることまで求めてはいけない。
『今日はアインハルトさんと話してくれてありがとう。落ち着いた時でいいから、私も会って話したいな』
送信して、なのはは端末を食卓へ置いた。
◇
山の家では、久遠の端末が光った。
なのはの名前を見て、指が止まる。知らない大人のなのはが、何を話したいと思ったのだろう。知っていた九歳のなのはの顔を思い浮かべると、今日の写真の中のヌメロンと今の彼女が知り合いだということまで、遅れて思い出した。
窓の外でバイクが止まった。ヴェロシティが帰ったらしい。台所からクェーサーが「おかえりなさい」と声をかける。久遠はまだ返信せず、端末を手にしたままその声を聞いた。
謝りに来た少女は、もう父と家に帰った。よかったと思う。その父へ電話して、彼女を律儀で優しい子だと伝えられたのも本当だ。
病室で自分が何を感じたかは、まだ誰にも渡していない。
なのはの文をもう一度読む。返事を急がなくていい、と書いてある。
久遠は画面を消さず、そばに置いた。隣の部屋からオーダーがヴェロシティへ仕事の話をしている。家の中には、帰ってきた人の声が増えた。
彼はそれを聞きながら、足を床へ下ろす。右足の裏から返ってくるはずの床の感触を待ち、立つのはやめて、長椅子に座り直した。