「どうして久遠が撮るのよ」
放課後の教室で、アリサが不満そうに言った。
「すずかの携帯だから」
「答えになってないわよ」
「持ち主が写るには、ほかの人が撮らないといけないだろ」
久遠はすずかから借りた携帯電話を横向きに構える。
窓際には、なのは、フェイト、アリサ、すずかの四人が並んでいた。
はやてへの見舞いに持っていく写真だった。
「先生に頼めばいいじゃない」
「もう職員室へ戻ったよ」
「通りかかった人を捕まえるとか」
「そこまでして僕も写らなくていい」
「久遠君も、はやてちゃんの友達なんだよね?」
すずかが尋ねる。
「うん」
「だったら、一緒に写った方が喜ぶと思うな」
「僕は今日、直接会いに行くから」
「写真は後にも残るんだよ」
「次に撮ればいい」
久遠が答えると、なのはが少しだけ眉を寄せた。
「久遠君、前もそう言って写らなかったよね」
「いつ?」
「去年の遠足」
「あれはアリサが目を閉じたから撮り直したんだ」
「なんで私のせいになってるのよ!」
「目を閉じたから」
「二回目は開いてたわよ!」
「でも、そのときはなのはが横を向いた」
「え、わたし?」
「それで三回目はフェイトちゃんがまだいなかったから、今回は全員いるね」
すずかが笑う。
「久遠以外はね」
アリサはまだ納得していなかった。
「次は僕も入るよ」
「本当でしょうね」
「約束するほどのこと?」
「約束しなさい」
「分かった。約束する」
「じゃあ、今度はわたしが撮るね」
なのはが言う。
「それだとなのはが写らないよ」
「交代で二枚撮ればいいの」
「二枚を並べれば、全員いる写真になるね」
フェイトが真面目な顔で提案する。
「そういう問題じゃないと思う」
久遠は携帯電話の画面を確認した。
「撮るよ」
四人が前を向く。
「三、二、一」
小さな電子音が鳴った。
画面の中で、四人が笑っている。
なのはの肩は、もう包帯が見えない。
フェイトは少し緊張していた。
アリサは誰より堂々と立ち。
すずかは穏やかに微笑んでいる。
「きれいに撮れてる」
すずかが画面をのぞき込む。
「久遠君、写真を撮るの上手だね」
「並んでる人が動かなかったからだよ」
「じゃあ、これをはやてちゃんに見せてくるね」
「僕も一緒に行く」
「なのはちゃんたちは?」
「今日は、少し用事があるの」
なのはが答えた。
魔法の用事だろう。
アリサとすずかの前では、久遠もそれ以上聞かなかった。
「今度、みんなでお見舞いに行こうね」
「うん」
すずかの言葉に、なのはとフェイトが頷く。
その約束が果たされるとき。
病室で何が起きるのかを、まだ誰も知らなかった。
◇
病室の扉を開けると、はやては窓の外を見ていた。
「はやてちゃん」
すずかが声をかける。
はやてが振り向いた。
「すずかちゃん。久遠君も」
「入ってもいい?」
「もちろんや。待っとったで」
ベッドの横にはヴィータが座っている。
窓際では、シャマルが花瓶の水を替えていた。
「来たのか」
ヴィータは久遠を見ると、少しだけ顎を上げた。
「来るって言ったから」
「遅えよ」
「約束の時間より五分前だよ」
「あたしは十分前から待ってた」
「待ち合わせに勝ち負けはない」
「ヴィータの勝ちやな」
「はやてまで」
はやてが笑う。
図書館にいたときより顔色は悪かった。
それでも、声はいつもと変わらない。
「これ、お見舞い」
久遠は鞄から一冊の本を取り出した。
外国料理の本。
図書館で読んでいたものとは別の本だが、同じ国の料理が載っている。
「また読めへん本やん」
「写真は分かる」
「進歩しとらんなあ」
「久遠君、ほかの本にした方がいいかなって、二人で悩んだんだよ」
すずかが教える。
「僕は最初からこれがいいって言った」
「悩んでたのは私だけやったね」
「すずかちゃん、次からは久遠君の意見、半分くらいに聞いといた方がええで」
「どうして僕の信用が下がるの」
「半分も残しとるんやから、優しい方や」
ベッドの上で、はやてが本を開く。
鮮やかな料理の写真を見て、目を細めた。
「退院したら、一緒に作ろうな」
「読めるようになってからね」
「久遠君が読んでくれるんと違うの?」
「僕は半分くらいしか読めない」
「一頁の半分?」
「一冊の」
「嘘や」
いつものやり取りだった。
図書館の窓際と、病院のベッド。
場所が変わっても、二人で本を開けば同じ時間になる。
◇
「そうだ。はやてちゃんに見せたいものがあるの」
すずかが携帯電話を取り出した。
「学校のお友達と写真を撮ってきたんだ」
はやてへ画面を向ける。
「わあ、みんな可愛いなあ」
「右から、なのはちゃん、フェイトちゃん、アリサちゃん。それから私」
紹介された名前を聞き、はやてが一人ずつ顔を見る。
「なのはちゃんは、久遠君の幼なじみやね」
「うん」
「フェイトちゃんは、この前帰ってきた友達?」
「そう」
「どっちもえらい可愛いなあ」
「アリサちゃんも可愛いよ」
すずかが付け足す。
「もちろんや。すずかちゃんもな」
「はやてちゃんだって」
「私は格好ええ方を目指しとるから」
「初めて聞いた」
久遠が言う。
「今日決めたんや」
はやてが笑う。
「あれ、久遠君は?」
「撮ったのが僕だから、写ってない」
「また外におるん?」
「また?」
「久遠君、いつも私の写真にも写ろうとせえへんやん」
「はやての写真は、僕が撮ることが多いから」
「ほんなら今度は、誰かに頼んで一緒に撮ろうな」
「うん」
「約束やで」
「約束」
久遠は頷き、鞄からノートを取り出した。
「何しとるん?」
「忘れないように書いておく」
新しい頁の一番上へ、少し考えながら題を書く。
――はやてが治ったら、みんなでしたいこと。
「いつの間に、そんなリスト作っとったん?」
「今」
「勝手に作ったん?」
「嫌ならやめるけど」
「やめへんよ。見せて」
はやてが身を乗り出す。
久遠は、思いついた順に書いていった。
図書館のいつもの席へ戻る。
読みかけの本の続きを読む。
外国料理を一緒に作る。
なのはとフェイトとアリサに、はやてを紹介する。
すずかも入れて、今度こそ全員で写真を撮る。
「全員って、久遠君もやで」
「分かってる」
「ほんまに?」
「書いておく?」
「そこまでせんでも覚えといて」
「努力する」
「約束したばっかりやろ」
はやてが笑う。
「ほかには?」
「みんなで、どっか出かけたいな」
「みんなって?」
「久遠君も。すずかちゃんたちも。うちの家族も、みんな」
「人数が多いね」
「せやから、今から考えとかんとな」
久遠は最後に、もう一行を足した。
みんなで出かける。行き先は、あとで決める。
「まだ増やせるよ」
「ほんなら、治るまでにいっぱい考えよか」
「うん」
頁の下には、まだ何行も空白が残っていた。
その会話を、シャマルは窓際で聞いていた。
手にしていた花瓶が、わずかに傾く。
水面が揺れた。
「シャマル?」
ヴィータが呼ぶ。
「あ……ごめんなさい。少し手が滑って」
シャマルは花瓶を置いた。
もう一度、携帯電話の画面を見る。
なのは。
フェイト。
名前を聞くまでもなかった。
赤い宝石の杖を持つ、白い魔導師。
金色の髪と黒い杖を持つ、もう一人の魔導師。
守護騎士たちが戦っている相手が、そこにいた。
はやての新しい友達の、その友達として。
何も知らずに笑っていた。
写真の外には、久遠がいる。
白い魔導師の幼なじみであり。
はやての友達でもある少年が。
◇
見舞いの時間が終わるころ、はやては眠っていた。
膝の上には、開いたままの料理の本がある。
ヴィータがそれを閉じ、青い栞を挟んだ。
「その栞、前の本に挟んでたものだよね」
「ああ。はやてが気に入ってる」
「なくさないでね」
「分かってるよ。お前にもらったもんだろ」
ヴィータは栞が落ちないことを確かめてから、本を枕元へ置いた。
乱暴に見えて、指の動きは優しかった。
「久遠君」
病室を出ようとしたところで、シャマルに呼び止められた。
「少しだけ、お話しできますか?」
「僕と?」
「はい」
「シャマル」
ヴィータの声が低くなる。
「大丈夫。少し確認するだけだから」
シャマルはすずかへ向き直った。
「ごめんなさい。久遠君を少しお借りしてもいい?」
「はい。私、入口で待っています」
「一人で帰れるよ」
「一緒に来たんだから、一緒に帰ろう」
すずかはそう言って、先に廊下を歩いていった。
久遠はシャマルに案内され、人気のない階段の踊り場へ向かった。
ヴィータもついてくる。
扉が閉まる。
シャマルの柔らかい表情が消えた。
「久遠君。なのはちゃんとフェイトちゃんが、魔導師だと知っていますね?」
久遠は答えなかった。
知らないふりをするには、シャマルの目が真剣すぎた。
「どうして、そう思うんですか」
「私たちは、あの二人と戦ったことがあります」
隣で、ヴィータが拳を握る。
右手。
あの夜、包帯を巻いていた手だった。
「なのはを傷つけたのは、ヴィータ?」
「……そうだ」
ヴィータは否定しなかった。
「あたしがやった」
「どうして」
「必要だったからだ」
「何に?」
ヴィータが口を閉ざす。
代わりに、シャマルが答えた。
「はやてちゃんを助けるためです」
「なのはを傷つけると、はやてが治るんですか」
「正確には、魔力が必要なの」
「誰の?」
「強い魔力を持つ人や、生き物の」
シャマルの指には、見覚えのない指輪が光っていた。
「私たちは、闇の書という魔導書の頁を完成させなければならないの」
「完成したら?」
「はやてちゃんを蝕んでいる力を止められる。そうすれば、助けられるかもしれない」
「かもしれない?」
久遠が聞き返す。
シャマルは答えなかった。
助かると分かっているわけではない。
けれど、ほかに方法がない。
だから、誰かを傷つけてでも続けている。
「はやては知ってるんですか」
「知らない」
ヴィータが答える。
「絶対に知らせねえ」
「どうして」
「はやてが、こんなことを望むわけねえからだよ!」
声が階段に響いた。
ヴィータは自分で言った言葉に、苦しそうな顔をした。
「望まないことを、どうしてするの」
「死んでほしくねえからだ!」
「ヴィータ」
シャマルが制する。
けれど、ヴィータは止まらなかった。
「はやてがいなくなるくらいなら、何だってする。嫌われたっていい。あたしたちがいなくなったっていい。はやてだけ助かれば、それでいいんだ」
久遠は何も言えなかった。
ヴィータが、はやてを大切にしていることは知っている。
その気持ちは嘘ではなかった。
だからこそ、間違っていると言うだけでは届かない。
「久遠君」
シャマルが静かに呼ぶ。
「お願いがあります」
「秘密にしてほしい?」
「はい」
「なのはたちにも」
「はい」
「はやてにも」
「……はい」
「約束できません」
久遠は答えた。
ヴィータが一歩前へ出る。
「お前!」
「僕は、なのはに怪我を隠さないって約束させた」
足は震えていた。
ヴィータが魔法を使えば、久遠には何もできない。
逃げることさえできないかもしれない。
それでも、目を逸らさなかった。
「はやてにも、痛いことを隠すなって言った。僕だけ秘密にして、二人に約束を守れとは言えない」
「言ったら、はやてが苦しむのよ」
「黙っていても苦しんでる」
「でも、真実を知れば――」
「それを決めるのは、はやてです」
シャマルが息を止める。
「はやては、何もできない子じゃない。自分のことを自分で決められる」
図書館で最初に教えられた。
できることを、先に奪わないでほしいと。
助けることと、勝手に決めることは違う。
「あなたは、なのはちゃんたちへ話すの?」
「先に、はやてと話します」
「我々を止めたいなら、管理局へ知らせるべきだ」
階段の上から、別の声がした。
シグナムが立っている。
いつから聞いていたのか分からない。
その隣には、青い獣の姿をしたザフィーラがいた。
「それが正しい判断だ。闇の書の蒐集は犯罪として扱われる」
「シグナム……」
「だが、我々は止めない」
シグナムは久遠をまっすぐに見る。
「主はやての命を守る。そのためならば、我々は騎士の誇りも捨てる」
「はやてに嫌われても?」
「覚悟している」
「はやてが助かって、家族が全員いなくなっても?」
シグナムの表情が、わずかに揺れた。
久遠は、初めて八神家で夕食を囲んだ日のことを思い出していた。
一緒に食事をして。
出かけるときには、いってきますと言い。
帰ってきたら、ただいまと言う。
おかえりと返してくれる人がいれば、家族になれる。
はやてが望んだのは、自分だけが残ることではない。
「はやては、そんな助かり方を喜ばないと思います」
「それでも、生きていれば未来がある」
「その未来を、はやてに選ばせないんですか」
シグナムは答えなかった。
ヴィータも。
シャマルも。
誰も答えられない。
ザフィーラだけが、階段の下から久遠を見つめていた。
◇
病院を出ると、すずかが入口の椅子で待っていた。
「長かったね」
「ごめん」
「大丈夫。はやてちゃんの家族とお話ししてたの?」
「うん」
「何かあった?」
「まだ、言えない」
口にしてから、久遠は自分も同じことを言っていると気づいた。
なのはが隠し。
ヴィータたちが隠し。
今度は久遠が、すずかへ隠している。
秘密を持つ人は、嘘をつきたいわけではない。
話せば誰かを傷つけると思っている。
そうして黙るうちに、秘密は少しずつ大きくなる。
「でも、明日には話す」
「私に?」
「最初に話さないといけない人に」
「そっか」
すずかは、それ以上聞かなかった。
二人で病院を出る。
空はもう暗くなり始めていた。
携帯電話の中には、四人の少女が笑う写真が残っている。
その写真に、久遠はいない。
撮る側にいたから。
みんなが一緒に写るためには、誰かが外に立たなければならないと思っていたから。
けれど、本当は違う。
誰か一人が外へ出なくても、全員で写る方法はあった。
別の人に頼ればよかった。
写真を二枚撮ってもよかった。
自分も中へ入りたいと、言えばよかった。
久遠はまだ、それを知らなかった。
◇
その夜。
はやての病室で、警報音が鳴った。
シャマルがベッドへ駆け寄る。
「はやてちゃん!」
眠っていたはやてが、苦しそうに胸を押さえている。
モニターの数字が大きく揺れた。
ヴィータが廊下へ飛び出し、医師を呼ぶ。
シグナムは動けなかった。
枕元には、外国料理の本が置かれている。
頁の間から、青い栞が半分だけ見えていた。
「まだ、足りない」
シャマルが震える声で言う。
「闇の書を、早く完成させないと」
誰も反対しなかった。
今日、久遠に問われたばかりだった。
はやての未来を、はやてに選ばせないのかと。
それでも四人は、同じ答えを選んだ。
主へ何も知らせないまま。
主を救うための戦いを、続けることを。
そして久遠は、明日になればはやてへ話すつもりでいた。
明日なら、まだ間に合うと思っていた。
けれど。
秘密を終わらせるための朝が来るより早く。
長い夜は、すべてを壊すために動き始めていた。