俺の名はマカロン、しがない天才プードルである。日本語を大体理解した。
「よし、これで完璧ね」
鏡の前でパッパッと音を立てて唇を開閉しているのは俺の飼い主だ。長い黒髪で、人間特有の凹凸の少ない鼻と口をしており、毛の生えていない耳が顔の横についている。そして、緑のひらひらした服を纏っている。態々服を着るなど、人間とはその顔と相まって実に奇妙である。
「今日こそは……今日こそは……!」
香水の匂いを纏っている彼女だが、よく嗅いでみるとその中に緊張の香りを漂わせていることが分かる。
「今日こそはチャンスをモノにするのよ! 真美!」
バチンと、2本の前足で頬を叩く音が響いた。真美27歳。婚活中である。
通算11連敗。
「ふふ、彼はこれでイチコロね……。行ってきますマカロンちゃん!」
そう言うと真美は、年代もののワインボトルを首に吊り下げて部屋を出ようとした。
「ワン!(待てや!)」
「あら?」
"あら?"じゃないよ! 何だそのワインは! というかなんで紐が付いてるんだ!
「どうしたの? もしかしてこのワインが気になるの? ごめんね。これは彼の心を射止める為に必要だから……」
お前は何を言ってるんだ。
確かに気にはなるけど。相手がワイン好きだとして、何故吊り下げる必要が?
「ワインをファッションに取り入れる事でワイン好きのハートを撃ち抜く、我ながら完璧ね」
真美のその呟きには、歴史を変える大発明をしたと確信した者が、その革新性を誰も彼もに吹聴したくなるのと同じような心理が働いているように見えた。
そんなわけないだろ。
あんたがよく見ている恋リアやドラマで、そんなことするシーンがあったか? ケンタとマヤが、そんなエキセントリックな恋愛をしてたか? ないだろう。夜中のお散歩で見るカップルにもそんな個体はいなかったし。
「それじゃ!」
「ワン!(ちょ、待てよ!)」
バタン
……いつもこうだ。謎の自論を信じ込み、思い立ったら即行動。だから11連敗なんだぞ。このままだと絶対に結婚できないぞ。はぁ。
◆
秋に鳴くセミの声が住宅街に響いている。全く風流と言う他ない。
と、いうわけで、外に出て真美の後をこっそりとつけることにした。コンクリートや排気ガスの匂いが鼻に入ってくるのが堪らない。しかしいつもは俺が真美を導いてあげているのに、今日は俺が追う側に回るとはな。なんだか奇妙だ。
なんとも言えない感慨に浸りながら彼女を見れば、肩に乗せたセミに優しげに話しかけていた。
「セミ助、あなたが私の愛のキューピッドになるのよ」
一介のセミには荷が重すぎる!?
いや違う、いつの間にセミを!?
くっ不味いな。酒瓶だけじゃなく道中でアップデートを重ねてくるとは。俺はお前の頭を過大評価していたようだ。そして同時に過小評価していたようだ。多分今回のデート相手は虫が好きなんだろう。だが、このままだと確実に今回のデートも終わり……。
なんとかあの酒瓶を取る予定だったが、セミも追い払わないと……ッ!?
不味い!
コンクリートや排気ガスに加えて紫煙の匂いまでしてきた! 鼻を抉るようだ!とても毒々しい! ああ……!
なんて素晴らしい匂いなんだ!
これこそが、積み上げられてきた知恵の香り。道の舗装、効率的で大規模なエネルギーの生成、寿命を縮める嗜好品を楽しむ余裕の構築! 感動すら覚えるぞ。やはり外は最高だ……!
「ヘッヘッヘッ!(ハァハァハァ!)」
「見て! あの犬二足歩行してる!」
「本当だすごい!」
……ハッ! 俺としたことが人類の叡智の香りに当てられてしまった……。くっ、天才犬故に叡智の香りにあてられるとトリップしてしまことを抜かったか。このせいで何匹もの友犬から見捨てられたというのに。はぁ。
タイミング良く香ってきた、偶にする変な匂いに嗅覚を集中して心を落ち着かせよう。これに人間が反応したことがない為、おそらく我々犬にしか感じられないのだろう。
「ワフ……(ふう……)」
よし落ち着いた。
ちなみにこの匂いがする時、いつも真っ白な何かが大きく口を開いている。これも人間は気付いた様子がないので、我々犬にしか見れないのだろうな
❜Ω❜
❜Ω❜
「ワン(すいませんちょっとそこ通ります)」
❜Ω❜<アッ、スイマセンドウゾ
どうやら真美を見失ってしまったようだ。急いで追わなければ。
◆
なんとか匂いを辿り、真美に追いついた。
「セミ助、寿命が近いんだろうけれど、もう少しの辛抱よ。カブトン、関係ないねって顔しないの。あなたも私の愛のキューピッドになるんだから! あ、コーカサスオオカブトン。あなたも私の愛のキューピッドよ」
うんなんか増えてない???
緑の服と相まって森の精霊みたいになってるんだけど。てか愛のキューピッド多過ぎだろ。もうラブショッターだよ。一名本当に天に召されそうな奴いるし。あの短時間でどうやって集めたんだ? てか海外の種だろコーカサスは。疑問が尽きない。
あとラブショッターって何だよ。いきなり変なこと言うなよ俺。
「えぇん!」
突然、子供の泣き声が響いた。
「どうしたの?」
デートの開始時間が迫っているのに、真美はその子の元へ駆け寄る。
「死が隔離された現代で、どうやって命の尊さを学べば良いのか分からないよぉ!」
悩みが重過ぎるだろ。
いや重たいと言うのかこれ?
「……なら、セミ助をあなたに預けるわ。大切にお世話してあげなさい」
「ありがとうお姉ちゃん! あ……」
真美がセミ助を手渡そうとした瞬間、セミ助は息絶えた。恐らく寿命だった。
せ、セミ助ェ!!
「これが、命の尊さなんだね……」
そうだぞ少年。でもそれでいいのか少年。
「ゴホゴホ!」
!?
突然、おばあさんの咳が響いた。
「どうしたんですか!?」
デートの開始時間が迫っているのに、真美はその人の元へ駆け寄る。
「排ガスとタバコの煙が肺に……! カブトムシ2匹を見ながらワインが飲めれば元気が出るのだけれど」
条件が限定的過ぎる。真美は丁度それを満たせるが……
チラッ
「……」
うわぁめっちゃ嫌そうな顔してる。そりゃそうだよな。ここで助けたら自分が持ってるアドバンテージを全部失うもんな。デートか安息か。カブトムシと酒を両立しなければならない事態が2つあるなんて、世界は広い。
「ッ! お、おばあちゃん! これどうぞ!」
暫くの逡巡の後、意を決した真美は持てる全てをおばあさんにプレゼントした。真美、あんた……!
「まあありがとう! 元気が出てきたわ! しかもこれ、コーカサスオオカブトと1783年もののワインじゃない! これで永遠に生きられるわ!」
おばあさんは若返った。美人だった。俺は感動と衝撃で何も考えられなかった。
まあもう格好的には何も問題はないから大丈夫だな! さあ行くぞ真美!
◆
「私って本当ダメだなぁ……」
最終的に真美は逃げ出した。遅刻した上に香水臭い、服が緑過ぎるとイジられて。表面上は笑っていたが耐えられなかったのだ。
その間ずっと、香水の香りの奥に悲しみの匂いがあった。
「ごめんね、あなたを言い訳にしちゃった」
謝る必要はない。俺が自主的に姿を現して追いかけさせたのだから。いつもと同じさ。
なんて思いながら、彼女の足元にそっと伏せた。
「クゥーン(お前の良さをよく知ってる。見た目に惑わされるような奴には分からないところを)」
俺がトリップしてる姿を可愛がってくれるところとかもそうだ。孤独な俺を受け入れてくれた。
「ふふ、やっぱりマカロンといると元気になれるわ。ありがとう」
どういたしまして。
ところで、どうやって家から出たの?」
「ワン!(天才ですから)」