ロスサントスに来たばかりの頃。
捻葉マキは、後藤れむを見てこう言った。
「……あの子、何?」
意味が分からなかった。
ヘリに乗れば空から犯人を追い続ける。
車に乗れば逃走車両へ食らいつく。
銃撃戦になれば真っ先に現場へ飛び込んでいく。
何をしているのかは分かる。
警察官なのだから。
犯人を追って。
捕まえて。
必要なら戦っている。
でも。
どうして、それができるのか分からなかった。
あまりにも速かったから。
判断も。
操作も。
行動も。
何も知らなかった頃のマキには、その凄さを理解するための物差しすらなかった。
それから、しばらく経った。
「――右」
マキがハンドルを切る。
サイレンを鳴らしたパトカーが交差点へ飛び込む。
助手席のクワさんが窓の外を見る。
「一本先じゃねぇか?」
「いや、こっち」
「根拠は?」
「さっきからあの車、広い道嫌ってる」
前方。
逃走中の車両が左折する。
マキは一瞬遅れて同じ角へ入った。
距離は離れない。
『こちらマキ。現在宝石店強盗の逃走車両を追跡中。黒色車両、南方向』
無線へ位置を流す。
『了解』
返事が入る。
マキはミラーを見る。
後続の警察車両。
前方の犯人。
交差点。
一般車。
歩行者。
「次左だな」
クワさん。
「うん」
犯人が左折する。
「ほら」
「当たったくらいで喜ぶな」
「最近結構当たるよ?」
「調子乗んなよ」
「乗ってない」
「乗ってる乗ってる」
「乗ってないって」
その時だった。
『ヘリから視認してる』
無線。
聞き慣れた声だった。
マキが少しだけ上を見る。
「れむか」
クワさんも空を見る。
警察ヘリがいた。
『その先、右に入ると思う』
「え?」
マキが前を見る。
逃走車両は、まだ直進している。
右折するようには見えない。
むしろ少し左へ寄っている。
「……左じゃない?」
クワさんが言った。
「私もそう思う」
だが。
次の瞬間。
逃走車両が急激に右へ切った。
「うわっ」
マキもハンドルを切る。
一瞬遅れた。
その一瞬で距離が開く。
『その先細いから、出口で待つ』
ヘリが旋回する。
「出口?」
マキは地図を見る。
「あ」
逃走車両が路地へ入る。
マキはその後ろを追う。
だが。
出口へ出た瞬間。
すでにそこには別の警察車両がいた。
「早っ」
犯人が急ハンドルを切る。
警察車両をかわす。
しかし速度が落ちた。
マキが一気に距離を詰める。
「いける!」
だが犯人は車を捨てた。
ドアが開く。
「降りた!」
マキもブレーキを踏む。
「クワさん!」
「おう」
二人が車を降りる。
マキが銃を抜く。
建物の裏へ回った犯人を追う。
「止まりなさい! 警察です!」
角を曲がる。
その瞬間。
銃声。
マキは反射的に壁へ戻った。
「発砲あり!」
無線へ飛ばす。
『了解』
また、あの声。
直後。
別方向から銃声が返った。
マキが角から覗く。
「……え」
犯人が倒れていた。
その向こう。
れむが銃を構えている。
「…………」
マキはしばらく黙った。
クワさんが後ろからやってくる。
「終わったか?」
「……終わった」
「早かったな」
「…………」
「どうした?」
マキは倒れた犯人を見る。
それから、れむを見る。
「……やっぱあの子おかしいよ」
クワさんが笑った。
「今更かよ」
「前より分かるようになったから余計おかしい」
「なるほどなぁ」
れむがこちらへ歩いてくる。
「マキ、大丈夫?」
「大丈夫」
「撃たれてない?」
「撃たれてないよ」
「ならよかった」
それだけ言って、れむは犯人の処理へ向かう。
マキはその背中を見る。
降りる位置。
銃を構えるまでの速さ。
遮蔽物。
射線。
相手との距離。
「…………」
クワさんが横目で見る。
「何見てんだ?」
「別に」
「ふーん」
「……何」
「いや?」
クワさんは笑っていた。
◇
それから。
マキは少し変わった。
「マキちゃん、最近車降りるの早くない?」
二十日ネルに言われた。
「そう?」
「早いよ」
「この方がすぐ動けるから」
「前はちゃんと周り見てから降りてたじゃん」
「見てるよ」
「ほんと?」
「見てる見てる」
犯罪通知。
マキがパトカーを止める。
ドアが開く。
降りる。
銃を構える。
位置を取る。
「……ほら」
ネルが言った。
「何?」
「早い」
「いいじゃん、早い方が」
「れむちゃんみたい」
「…………」
マキの動きが止まる。
「そう?」
「最近ちょっと似てる」
「そうかな」
「似てる似てる」
少しだけ嬉しかった。
だから。
さらに見た。
れむがどこで車を降りるのか。
どの位置を取るのか。
どこから撃つのか。
いつ詰めるのか。
いつ引くのか。
無線で何を言うのか。
一度見たものを覚える。
次の現場で試す。
失敗すれば修正する。
そしてまた試す。
吸収する。
覚える。
自分のものにする。
それは、マキが昔から得意としていたことだった。
数日後。
銃撃事件。
「マキ、右!」
「分かってる!」
遮蔽物から出る。
撃つ。
相手が引く。
追う。
もう一度撃つ。
「いける!」
さらに前へ出る。
その瞬間。
別方向から銃声。
「――っ!」
マキが慌てて引いた。
弾丸が壁を叩く。
「危なっ」
『マキ、そっち二人いるよ』
無線から、れむ。
「……二人?」
『うん。一人奥』
見えていなかった。
「了解」
マキは遮蔽物へ戻る。
別方向。
れむが動く。
数秒後。
銃声。
『一人ダウン』
「…………」
早い。
もう一人。
マキも位置を変える。
撃つ。
当てる。
だが相手も撃ち返す。
マキが下がる。
その横を、れむが抜けていく。
「え、待っ――」
銃声。
『終わり』
「…………」
静かになった。
マキは銃を下ろす。
「マキ?」
れむが振り返る。
「大丈夫?」
「……うん」
「怪我した?」
「してない」
「ならいいや」
れむはいつも通りだった。
マキは少しだけ口を尖らせる。
クワさんが遅れてやってきた。
「終わったか?」
「終わった」
「またれむか?」
「……またれむ」
「強ぇなぁ」
「強い」
マキは素直に答えた。
「全然強い」
「誰と比べて?」
「私」
「ああ」
「何その反応」
「いや」
クワさんは煙草でも探すように胸元へ手をやって、やめた。
「お前、れむになろうとしてんのか?」
「は?」
マキが振り返る。
「なってないけど」
「なってるなってる」
「なってない」
「最近、車降りんの早ぇもん」
「ネルさんにも言われた」
「ほら」
「でも、良いところ真似するのは普通でしょ」
「悪いとは言ってねぇよ」
「じゃあ何」
クワさんは少し考える。
「別に、れむになる必要ねぇだろ」
「…………」
「れむはもういるんだから」
マキは黙った。
「……別になろうとしてないけど」
「はいはい」
「ほんとに」
「分かった分かった」
「絶対分かってない」
クワさんは歩き出す。
マキもその後ろを追う。
少し歩いて。
マキはもう一度、れむを見る。
強い。
間違いなく、自分より強い。
少なくとも今は。
だったら。
自分は何をすればいいんだろう。
◇
その答えは。
思っていたより早くやってきた。
『複数犯! 車両二台!』
無線が一気に騒がしくなる。
『一台北!』
『もう一台西方向!』
『発砲あり!』
『そっち何人!?』
『分からない!』
『応援ください!』
マキはハンドルを握っていた。
助手席はクワさん。
前方には逃走車両。
「見えた」
黒い車。
速度を上げる。
『こちらマキ、一台視認。追います』
アクセルを踏む。
犯人が曲がる。
マキも曲がる。
「速いな」
クワさんが言う。
「でも追える」
「そうだな」
距離は離れない。
むしろ縮んでいる。
マキは前を見る。
犯人。
道路。
交差点。
その時。
『一台見失った!』
別の無線。
『どこ!?』
『北側! 最後に見たのが――』
『こっち銃撃されてる!』
『応援行く!』
『俺も向かう!』
『位置どこ!?』
声が重なる。
マキは前の犯人を見る。
追える。
このまま行けば捕まえられる。
多分。
「…………」
違和感。
何かがおかしい。
『そっち何台いる!?』
『二台!』
『俺もそっち行く!』
『了解!』
マキがミラーを見る。
後ろに警察車両。
無線を聞く。
別地点にも警察。
さらに別の警官が応援へ向かっている。
「…………」
全員。
犯人を追っている。
「クワさん」
「ん?」
「今、北側誰いる?」
「北?」
「警察」
クワさんが無線を聞く。
「……いねぇんじゃねぇか?」
マキが地図を見る。
一瞬だけ。
前の逃走車両から目を離す。
警察車両の位置。
最後に犯人を見失った場所。
今追っている車。
銃撃が起きている地点。
道路。
「…………」
アクセルを緩めた。
「お?」
クワさんが横を見る。
前方の逃走車両が離れていく。
「マキ?」
「追わない」
「ん?」
「この車、任せる」
マキは無線を取った。
『後ろの車両、このまま追跡お願い』
『え? 了解!』
マキがハンドルを切る。
逃走車両とは違う方向。
「どこ行く?」
クワさんが聞く。
「北」
「見失った方?」
「うん」
「位置分かんのか?」
「分かんない」
「おい」
「でも、多分こっち」
「多分かよ」
「多分!」
マキは無線を取る。
『ネルさん、今どこ?』
『今、西側の車追ってる!』
『そのままお願い』
『了解』
次。
『れむ、そっちは?』
『今、中央。どした?』
マキが地図を見る。
中央。
そこなら。
「…………」
頭の中に、街が浮かぶ。
あの時。
クワさんに言われた。
――犯人ばっか見んな。道も見ろ。
あの時は、目の前の交差点の話だった。
右へ行くのか。
左へ行くのか。
でも。
今は。
もっと広く見える。
「クワさん」
「ん?」
「見失った車、最後どっち向き?」
「北東」
「その前は?」
「確か高速嫌って下道入った」
「……じゃあ」
逃げるなら。
警察が少ない方。
今、警察は西と南に集まっている。
北側は空いている。
でも、そのまま北へ行けば行き止まりが多い。
だったら。
一度北へ抜けて。
そこから中央へ戻る。
「れむ」
『ん?』
『そのまま南』
『南?』
『うん。次の大きい交差点まで行って』
『何かいる?』
「…………」
まだ、いない。
でも。
「多分来る」
一瞬。
無線が静かになる。
『了解』
それだけだった。
「クワさん、私たちは一本裏」
「おう」
『ネルさんはそのまま追って』
『了解!』
『れむ、その交差点右』
『右ね』
「クワさん、次――」
「俺に無線はいらねぇぞ」
「え?」
「隣にいる」
「…………」
一瞬。
「……癖で」
「余裕出てきたなぁ」
「うるさい!」
マキはハンドルを切る。
裏道へ入る。
「次左」
クワさんが言う。
「分かってる」
「その先大通り」
「うん」
「出るぞ」
「何が?」
「お前が探してる奴」
「…………」
大通りへ出る。
まだいない。
マキは左右を見る。
「いない」
「待て」
「でも――」
「待て」
数秒。
一秒。
二秒。
三秒。
無線。
『――車両見えた』
れむ。
マキが顔を上げる。
『黒色車両。これじゃない?』
「来た!」
アクセルを踏む。
『それ! れむお願い!』
『了解!』
マキたちが大通りへ飛び出す。
その先。
黒い逃走車両。
そして。
その後ろへ入る警察車両。
れむ。
「いた!」
クワさんが笑う。
「当たったな」
「うん!」
れむが一気に距離を詰める。
逃走車両が曲がる。
追う。
細い道へ入る。
「私たちも――」
マキが追おうとする。
クワさんが言った。
「任せろ」
「え?」
「あいつに」
前を見る。
れむ。
速い。
逃走車両が必死に逃げる。
それでも離れない。
むしろ距離が縮まる。
「…………」
マキはアクセルを少し緩めた。
『前塞ぐ!』
別の警察車両。
逃走犯が方向を変える。
れむが逃さない。
やがて車が止まる。
犯人が降りる。
銃声。
マキが車を止める。
「行く!」
「おう」
二人が降りる。
だが。
マキたちが位置へ着いた頃には。
『確保』
無線。
「…………」
マキが足を止める。
クワさんも止まる。
「終わったな」
「終わったね」
「やっぱ強ぇな」
「うん」
マキは笑った。
今度は。
悔しくなかった。
◇
事件が終わった。
警察署。
「疲れたぁ……」
マキが椅子へ座る。
ネルが端末を操作している。
「マキちゃん」
「ん?」
「さっきの、どうやって分かったの?」
「何が?」
「見失った車」
「ああ」
マキは少し考える。
「警察の位置見たら、北が空いてたから」
「うん」
「そのまま北行っても逃げにくいから、多分中央戻るだろうなって」
「それだけ?」
「あと、それまで使ってた道とか」
「…………」
ネルがマキを見る。
「何?」
「いや」
「何?」
「怖いなって」
「なんで!?」
少し離れたところ。
れむが戻ってくる。
「マキ」
「ん?」
「さっきの良かったね」
「何が?」
「場所」
「ああ」
「来た」
「来たね」
「ほんとに来ると思ってた?」
「七割くらい」
「結構思ってんじゃん」
れむが笑う。
「マキ、来たばっかなのに結構やるじゃん」
マキは即答した。
「いや、れむの方が全然強いよ」
「…………」
れむが止まる。
「いや、そういう話じゃなくて」
「?」
「なんていうか……」
れむが少し考える。
「人使うの上手い」
「それ褒めてる?」
「褒めてる褒めてる」
「ほんと?」
「うん」
クワさんが横から口を挟む。
「刑事っぽくなってきたなぁ」
マキが振り返る。
「元から刑事なんだけど」
「そうだったそうだった」
「忘れないでよ」
「最近運転手の印象が強くてな」
「誰のせいだと思ってるの」
「お前が運転したいって言ったんだろ」
「そうだけど!」
れむが笑う。
ネルも笑っている。
マキは頬を膨らませる。
そのまま。
ふと考えた。
自分が一番強くなくてもいい。
れむみたいに撃てなくても。
れむみたいに飛べなくても。
れむみたいに、一人で現場をひっくり返せなくても。
警察には、れむがいる。
ネルがいる。
クワさんがいる。
他にも、たくさんいる。
だったら。
自分が全部やる必要はない。
強い人がいるなら。
その人が、一番強くいられる場所を作ればいい。
それも。
警察官の仕事なのかもしれない。
「…………」
「マキ?」
ネルが呼ぶ。
「ん?」
「何ぼーっとしてんの?」
「いや」
マキは立ち上がった。
「なんでもない」
まだ。
それを言葉にはできなかった。
◇
夜。
大きな事件が終わったあとの街は静かだった。
パトカーがゆっくり道路を走る。
運転席。
マキ。
助手席。
クワさん。
いつもの形。
「ねぇ」
マキが言う。
「んー?」
「クワさん」
「何だ」
「れむってさ」
「うん」
「やっぱ強いね」
「強ぇな」
「私、あそこまでいけるかな」
クワさんは少し考える。
「知らん」
「そこは行けるって言ってよ」
「行けるかもしれねぇし、行けねぇかもしれねぇ」
「適当だなぁ」
「ただ」
「ん?」
クワさんが窓の外を見る。
「お前、最近前見なくなったな」
マキが目を見開く。
「え!?」
慌てて前を見る。
「危ない!?」
「運転の話じゃねぇよ」
「じゃあ何!?」
「さあな」
「何それ!」
クワさんは答えない。
「ちょっと!」
「前見ろ前」
「見てるよ!」
信号が青になる。
マキがアクセルを踏む。
クワさんは窓の外を見る。
少し前まで。
この若い刑事は、目の前のものばかり見ていた。
犯人。
証拠。
道路。
自分の仕事。
それでよかった。
最初は、それだけで精一杯だった。
だからクワさんが隣にいた。
マキが犯人を見るなら。
自分は、その周りを見る。
そう思っていた。
けれど。
今日。
マキは初めて。
自分の前を走る犯人から目を離した。
そして。
街を見た。
仲間を見た。
警察全体を見た。
クワさんが、ほんの少し笑う。
「……早ぇなぁ」
「何が?」
「なんでもねぇよ」
「今日それ多くない?」
「年寄りは独り言が増えるんだよ」
「まだそんな歳じゃないでしょ」
「腰はもう爺さんだぞ」
「それは知ってる」
「ひでぇな」
二人を乗せたパトカーが、夜の街を走っていく。
マキはまだ知らない。
今日、自分がやったことに。
いつか名前が付くことを。
状況を把握し。
仲間の位置を知り。
敵の行動を予測し。
誰を、どこへ動かすのかを決める。
それが。
後に捻葉マキという警察官を象徴する能力の一つになることを。
今の彼女は、まだ知らない。
ただ。
一つだけ分かった。
後藤れむは強い。
自分より、ずっと強い。
だからこそ。
同じになる必要はない。
「クワさん」
「ん?」
「次、右だよね」
「ああ」
「了解」
ウインカーを出す。
ハンドルを切る。
パトカーが右へ曲がる。
少し前まで。
捻葉マキは、後藤れむを見上げていた。
今も。
その強さには届かない。
けれど。
追いかけるだけではなくなった。
後藤れむが、一人で現場を制圧する警察官なら。
捻葉マキは。
警察という組織そのものを、一つの戦力として見る。
まだ。
ほんの小さな芽に過ぎない。
それでも確かに。
この日。
後の敏腕刑事・捻葉マキへ繋がるものが。
ロスサントスの街で、芽を出していた。
ストグラ編、一旦残すところ一話