崩壊したこの世界に取り残されて、それでも君と共に永えるためにできることを 作:霧島 高
そこに存在するはずでないもの。
そこに存在すべきでないもの。
しかしそれが確かに存在するのだと主張するかのように、目の前の
「どうして……、どうして、残っているんだ……」
稼働しているということは、目の前のポッドは空ではないということ。
AIであるソーマは嘘を吐かない。
だから間違いなく、そこに眠るのは、俺の幼馴染で、そして恋人
けれど、どうしてだ?
俺は、確かに、彼女のポッドが運び出されたのを見送って……。
「いや、そうだ。見ていないんだ」
ああ、見ていない。直接は見ていないんだ。
俺は、どこまでを見た?
記憶を辿る。俺は、ポッドが運び出される様子を確認したはずだ。
その進捗率を、数値で確認した。
数値で、だ。
だから、実際には見ていない。
そうだ、見たくなかったんだ。
彼女が、ポッドに収まるところなんて、見るべきではなかったから。
……引き留めてはいけなかったから。
「なあ、ソーマ……、どうして、彼女は残っているんだ?」
けれど、その問いへの答えは、容易に想像できた。
『彼女の意志です』
―― 記憶の整理、進捗度70% ――
そんなことは、わかっていたことじゃないか。
また、俺はやってしまったのだ。あの時と同じように過ちを犯したのだ。
俺はどうして、彼女を最後まで突き放すことができないのか。
理由は、単純だ。
彼女を好きだからだ。愛しているからだ。
そんな大切な彼女に、冷たい言葉を浴びせたくないからだ。
彼女を悲しませたくないからだ。
でも、それは、本当に愛か?
俺の、ただの、自己本位ではないのか。
愛しているならば、突き放すことができたはずなのだから。
そうやって、彼女の幸福を望めたはずなのだから。
……矛盾している?
どうして彼女を突き放し、そして悲しませれば、彼女の幸せを望むことになるのだ?
なぜ、俺はそんなことを考えたのだ?
だめだ、まだ記憶が断片化して……。
―― 記憶の整理、進捗度80% ――
――そうだ。あのとき、彼女は俺の言葉を素直に受け入れたのだ。
俺がここに残ると告げたとき、どうして彼女は反対しなかった?
――ああ、そうだ、最初からだ。彼女はここに残ると、最初から決めていたんだ。
「ユウくん、いつか、迎えにきます。……おやすみなさい」
彼女から最後に聞いた言葉。
別れの言葉。そうなるはずだった言葉。
彼女は自身の冷凍睡眠を受け入れて、宇宙へ旅立つことを決断したはずだった。俺がここで眠りにつき、それでも生き残ることを条件にして。
そして俺は大馬鹿者だった。
彼女は俺に嘘をついた。
嘘を見抜けなかった阿呆が、ここにいただけだ。
あるいは。
いつか迎えにくる、というその言葉は。
彼女にとって、嘘ではなかった、ということか。
『マスター、現在発生中の問題について話しても良いでしょうか』
気分は荒れ果てていた。あまりの自分の情けなさに沈んでいた。
けれど、思考はそれとは別物だ。
思考は、感情に左右されることなく、止まることはない。
「問題だって? 彼女がここにいること自体が、問題ではないのか? ……いや、待て。そうか、当然おまえは知っていたんだな。彼女がここにいることを。だから問題はそれじゃないんだな」
彼女がここに残るためには、ソーマの協力が欠かせなかったはずだ。ソーマはこの施設を運用するためのAIだ。
すべてのポッドを運び出すという俺の指示が、書き換えられたのだから。
だが、どうしてだ?
―― 記憶の整理、進捗度85% ――
至極単純な話だ。
久瀬ユウキ三等陸尉、この施設における階級第一位。
七海ココロ准陸尉、この施設における階級第二位。
ゆえに、俺がマスターであり。
彼女は、サブマスターとなったのだから。
俺をマスターと呼ぶソーマは、AIだ。
AIは自身で判断をする。誰に従うべきかを。
もし俺の指示が間違っていたならば、彼女に従うだろう。
俺が間違った、だって?
そうだ、彼女が間違ったなんて、俺は思ったりしない。
ただ、俺が正常な――。
『エネルギーの問題です』
「エネルギーだって? 足りないのか?」
『いいえ。現状を維持するだけならば、千年を遥かに超える余裕があります』
施設はほぼ休眠状態だ。明かりはなく、周囲はほぼ暗闇に閉ざされている。
ここには、俺しか残っていないはずだったのだ。電力消費は最低限でよかったはずなのだ。
それでも、俺以外に残ったのは彼女一人だけだ。
誤差の範囲だ。そう冷凍睡眠ポッドの中で彼女が――。
「現状を維持、だと?」
『はい。現在、地上部にある太陽光発電設備は完全に機能停止しており、それ以外の外部からの供給電力もすべて途切れています。そのため核融合
―― 記憶の整理、進捗度90% ――
「そうか、現状を維持。俺が活動していることも含めて、現状を維持。つまり問題は……、彼女を目覚めさせることは不可能、ということだな」
『はい。現在、睡眠領域のみにエネルギーを割り振っています。そしてマスターが覚醒されたため、この部屋のみに、です』
当然、食料や飲料水の生産施設がある。
ならば排泄物を含む各種有機物を、再利用するための処理施設もある。
しかし、ここには俺しかいない。
ならば、それらの施設を稼働する必要はない。
それが、俺がここに残ることができた理由だ。
だから、彼女を目覚めさせることはできない。
―― 記憶の整理、進捗度95% ――
そうだった。
いまではもう、この
以前の身体の感触は、もはや遠い過去のことに思える。
「俺が眠ってから何年経った?」
『お答えします。238年です。正確には238年と41日です』
「……つまり、もう外に出られるんだな? だから、俺を起こしたんだな?」
『はい。各種センサーの計測値によれば、マスターの身体ならば、何の不自由もなく活動できます』
俺は自身の右手を見た。
微かな作動音が発生した。俺は右手をばらばらに分解
無数のパーツに分かれたそれは、硬質のワイヤーで繋がれている。
――
次は左手を見る。
指先が分かれ、そこから突起物を出現させる。
――ミクロン単位の精密な作業が可能な、各種工具を内蔵した左手。
同じように続けていく。
右肘からは、穿孔用のドリル。
左肘からは、切断用の
明暗センサーに不具合はない。この薄暗い施設内を、迷いなくやってきたのだ。すでにわかっていた。
部屋の端に視点を固定し、拡大表示する。
この狭い部屋では、ズーム機能を充分試すことはできない。
冷凍睡眠ポッドの僅かな機械音を、残さず拾っているのだから、聴覚に問題はないだろう。
嗅覚については、無臭のこの部屋ではわからない。
俺は彼女の眠るポッドに背を向け、歩き出した。
「準備は?」
『メンテナンスルームの電源投入は開始済みです』
俺自身の
―― 記憶の整理、進捗度100%、完了 ――
そう、俺は生身じゃない。
機械化率、百パーセント。
だから、彼女とは、違うのだ。
あの事故で、ほぼすべてを失って、生きるためにそう望んだ。
それは、自分が生きるためじゃない。
――彼女に生きてもらうためだ。
だから俺は。
もう一度、彼女の望みを叶えるために、為すべきことを為す――。