朝から蝉がうるさかった。
カーテンを開けると、雲一つない空が窓いっぱいに広がっている。
昨日、花菜と別れる前に、今日も河川敷で会う約束をした。
「逃げよう」と言っただけで、まだ何も決まっていない。
今日はその続きを話すことになっている。
着替えを済ませ、いつもの鞄を肩に掛けた。
♢
河川敷へ向かいながら、昨夜のことを思い出す。
父さんが帰ってきたあと、学校のことも、花菜のことも話した。
母さんから聞いていたのか、父さんは最後まで遮らなかった。
「まず、花菜ちゃんと話してこい」
「……分かった」
許されたわけではない。
それでも、最初から否定されなかっただけで十分だった。
♢
予定より早く着くと、花菜はいつもの場所にいた。
白いワンピース姿で、草の上に腰を下ろしている。
「ハルくん」
「ごめん、待った?」
「うぅん。大丈夫」
隣に座り、鞄から地図と何枚かのメモを取り出した。
「……昨日、調べてきた」
「なに、それ」
「行けそうな場所とか。必要そうなものとか」
地図を広げると、花菜がこちらへ寄った。
「ほんとに遠くまで行くんだね」
「近くじゃ意味ないだろ」
花菜の指が、開いた地図の上をゆっくり辿る。
「……やっぱり、ちょっと怖い」
「家を出るのが?」
「お母さんのこと考えるとね」
「……おばさんもそうだけど、お前自身はどうしたいの?」
「私?」
「まずは、自分のことからじゃない」
「…………私がどうしたいかって、考えたことなかった」
花菜は地図から手を離し、自分の指先をじっと眺めていた。
「お母さんに聞けば、いつも決めてくれたから。言われた通りにしてれば、怒られなかったし」
「……じゃあ、一緒に考えよう」
「一緒に?」
「俺もまだ何も決めきれてないから」
花菜は地図を見たまま言った。
「……昨日、逃げようって言ってくれたの、嬉しかった」
「嬉しかった?」
「逃げてもいいって、初めて言われたから」
「俺も似たようなもんだよ」
「……ハルくんも?」
「学校行きたくないって思っても、結局ずっと通ってたし」
「そっか……」
「だから昨日は、花菜に言ったっていうより、自分にも言ってたのかもな」
土手を下りてきた風に、伸びた草が一斉に傾いた。
しばらくして風が抜けていくと、草はばらばらに元の高さへ戻っていく。
花菜は、広げたままになっていた地図へ話を戻した。
「……これ、どこまで調べたの?」
「行けそうなところを何個か。金のこともあるし」
「私も持っていくよ」
「無理しなくていいぞ」
「ハルくんだけに出してもらう方が嫌」
「じゃあ、そこも考えないとな」
「うん」
そこからは、メモを見ながら計画を詰めていった。
候補を入れ替え、金額を計算し直すうちに、花菜の方からも行きたい場所や持っていくものの話が出るようになった。
「……ハルくん」
「何?」
「私、やっぱり行きたい」
鞄へ地図を戻す頃には、出発までに決めることはほとんど残っていなかった。
あとは、その日を待つだけだ。