体育祭まで、あと二週間。
今回は少しだけ体育祭から離れて、いつもの定食屋で過ごす放課後のお話です。
月奈と星奈が加わり、少しずつ当たり前になってきた四人の時間。
けれど──ずっと信也を見てきた人だからこそ、気づける変化もあるようで。
そして、久しぶりにあの人も登場します。
第5話「月と星と、変わる日常」
何でもない放課後に生まれた、小さな変化を楽しんでいただければ嬉しいです。
体育祭まで、あと二週間。
「ただいまー」
放課後。
いつものように店の引き戸を開ける。
「お邪魔しまーす!」
「お邪魔します」
僕の後ろから月奈さんと星奈さん。
そして──
「…………」
最後に信也。
「信也」
「何だ」
「お邪魔しますは?」
「今さら必要か?」
「月奈さんたちを見習って?」
「ここに来た回数なら俺の方が圧倒的に多い」
「そういう問題?」
いつものやり取りをしながら店内へ入る。
「おかえりー」
厨房から母さんの声。
「月奈ちゃんと星奈ちゃんもいらっしゃい!」
「こんにちは!」
「こんにちは」
「信也君も」
「どうも」
「何で母さんには挨拶するの?」
「人には挨拶する」
「僕の家にもして?」
信也は無視した。
こいつ。
「長尾君」
月奈さんが僕の制服の袖を引く。
「今日もお店手伝うの?」
「そのつもりだけど」
「じゃあ、あれ作ってよ」
「あれ?」
「この前食べた唐揚げ!」
「ああ」
一度食べてから、どうやら気に入ったらしい。
「お客さんとして注文してくれるなら作りますよ」
「友達価格は?」
「ありません」
「ケチ!」
「商売だからね!?」
そんなことを話していると──
カラカラ。
店の引き戸が開いた。
「こんにちは」
聞き覚えのある声。
「──諏訪さん!」
僕は反射的に振り返った。
「和幸君、こんにちは」
そこには。
長い黒髪を低い位置でまとめた、見慣れた女性が立っていた。
今日も相変わらず綺麗だ。
「今日も綺麗ですね!」
「ふふっ。ありがとう」
「毎回言う必要あるか?」
信也が呆れた声を出す。
「綺麗な人に綺麗って言って何が悪いの?」
「相手が俺の母親じゃなければ何も言わん」
「あっ!」
月奈さんが声を上げた。
「長尾君が大好きな人!」
「その紹介やめてもらえる!?」
星奈さんが隣で口元を押さえている。
諏訪さんは一瞬目を丸くしたあと。
「まあ」
楽しそうに笑った。
「まだ言ってくれてるの?」
「もちろんです!」
「何がもちろんだ」
「信也は黙ってて」
「俺の母親だぞ」
「知ってるよ」
「だったら少し遠慮しろ」
何でだ。
「月奈ちゃんと星奈ちゃん、だったかしら?」
諏訪さんが二人を見る。
「はい!」
「はい。先日はちゃんとご挨拶できなかったので……信濃星奈です」
「月奈です!」
「信也の母の諏訪です。いつも息子がお世話になってます」
「母さん」
信也が嫌そうな顔をする。
「その挨拶やめろ」
「どうして?」
「子供じゃないんだから」
「あら。私から見ればまだまだ子供よ?」
「…………」
信也が黙る。
勝った。
母は強い。
「それに」
諏訪さんが僕を見る。
「和幸君にも、ずっと信也と仲良くしてもらってるから」
「いえいえ!こちらこそ!」
「和幸君は昔から優しいものね」
「…………!」
不意打ち。
「母さん」
「何?」
「そいつを褒めるな」
「何で!?」
「面倒くさくなる」
「もうなってるよ!」
月奈さんが笑った。
星奈さんもクスクス笑っている。
いつもなら。
僕と信也。
そして僕たちの家族だけだった場所。
そこに今は、月奈さんと星奈さんがいる。
何となく不思議で。
でも。
少しだけ嬉しい。
「そういえば」
諏訪さんが僕たちの座るテーブルへ視線を向ける。
「体育祭、もうすぐだったわよね?」
「そうです。あと二週間くらいですね」
「もうそんな時期なのね」
諏訪さんは懐かしそうに目を細めると、息子へ顔を向けた。
「信也は何に出るの?」
「玉入れ」
「…………」
「何だよ」
「いえ……」
諏訪さんが口元に手を添える。
「信也らしいなって」
「母さんまで何なんだ」
「だってあなた、昔から運動が苦手だったでしょう?」
「知ってるだろ」
「ええ。もちろん」
母親だもの。
そう言いたげな笑顔だった。
「安心してください、諏訪さん!」
そこで月奈さんが元気よく手を挙げる。
「武田君には私が運動を教えます!」
「おい」
「あら」
諏訪さんの目が楽しそうに細められた。
「信也に?」
「はい!」
「それは助かるわ」
「母さん!?」
「昔から本当に運動が苦手だから」
「だから知ってるだろ!」
「月奈さん」
僕は一応、口を挟む。
「信也は玉入れだから、走り方を教える必要はないと思うよ」
「でも体育祭だよ?」
「うん」
「走るかもしれないじゃん」
「いつ?」
「移動するときとか」
「それは普通に歩かせてあげて!?」
どれだけ信也を走らせたいんだ。
「それに私、まだ納得してないんだからね」
月奈さんが信也を見る。
「何がだ」
「この前のテスト!」
「ああ」
「『一教科だけどうにかする段階じゃない』とか、『まず授業を理解しろ』とか、散々言ってくれたよね?」
「事実だろ」
「だから体育祭では私が教える!」
「何を」
「運動!」
「断る」
「何で!?」
「必要ない」
「必要あるよ!五十メートル走、私より──」
「それ以上言うな」
低い。
今までで一番低い声だった。
「……ふふっ」
「母さん」
「ごめんなさい」
絶対ごめんなさいと思ってない。
諏訪さん、ものすごく楽しそうだ。
「でも、良かった」
不意に。
諏訪さんがそんなことを言った。
「え?」
月奈さんが首を傾げる。
「何がですか?」
「信也が学校のお友達と、こんなふうに体育祭の話をしていること」
「母さん」
信也の声が僅かに硬くなる。
けれど諏訪さんは、いつもの柔らかな笑顔のままだった。
「昔から、この子は学校の話をほとんどしてくれないから」
「別に話すことがないだけだ」
「そう?」
「そうだ」
「和幸君の話はしてくれるけど」
「えっ」
思わず声が出た。
「信也、家で僕の話してるの?」
「してない」
「してるわよ?」
「母さん」
「どんな話!?」
「聞くな」
「気になるでしょ!」
「大した話じゃない」
「たとえば──」
「母さん」
今度は本気で止めるような声。
諏訪さんは少しだけ考えてから。
「秘密」
そう言って、人差し指を唇に当てた。
「えー」
「何でお前が残念そうなんだ」
「親友が家で僕をどう評価してるのか気になるじゃん」
「知らなくていい」
「悪口?」
「…………」
「何で黙るの!?」
星奈さんが耐え切れなくなったように笑う。
「武田君、本当に長尾君といるときはよく喋るね」
「そうか?」
「うん」
「普通だろ」
「学校では全然違うよ?」
「……そうか?」
本人に自覚がないらしい。
僕にとっては昔からこれが普通の信也だから、あまり考えたこともなかった。
でも。
確かに信也が他のクラスメイトとここまで長く話しているところは、ほとんど見たことがない。
「私も最初、ちょっと怖い人なのかなって思ってた」
月奈さんが言う。
「おい」
「だって全然喋らないし、ずっと無表情だし」
「月奈」
星奈さんが姉を止めようとする。
「でも今は違うよ?」
「……何が」
「面白い人だって分かった」
「どこをどう見たらそうなる」
「そこ」
月奈さんが即答する。
信也の眉間に皺が寄った。
「あらあら」
諏訪さんは嬉しそうに笑っている。
……何だろう。
その表情が少しだけ気になった。
単純に会話を楽しんでいるというより。
何かを安心したような。
そんな顔に見えた。
「そうだ、諏訪さん」
僕は話題を変えるように声をかける。
「体育祭、見に来ます?」
「え?」
「一般の保護者も見学できますよ」
「そうなの?」
「はい」
「和幸」
信也が僕を見る。
嫌な予感を察知したらしい。
「余計なことを言うな」
「何で?」
「母さんも仕事がある」
「その日は──」
諏訪さんが少し考える。
「あら。ちょうどお休みだわ」
「…………」
「良かったじゃん、信也!」
「何がだ」
「お母さんに勇姿を見てもらえるよ!」
「玉入れに勇姿も何もあるか」
「そんなことないよ」
星奈さんが口を挟む。
「武田君、結構入れてたじゃん」
「あれくらい普通だ」
「私に投げ方も教えてくれたし」
「おお!」
月奈さんが身を乗り出す。
「武田君、ちゃんとやってるじゃん!」
「何で上からなんだ」
「成長したね!」
「同い年だろ」
「ふふっ」
諏訪さんが笑う。
「じゃあ、見に行こうかしら」
「ぜひ!」
「和幸」
「何?」
「お前に決定権はない」
「いいじゃん。諏訪さんが来てくれたら僕も頑張れるし」
「何故お前が頑張る」
「綺麗な人に見られてたら格好いいところ見せたいでしょ?」
「俺の母親だぞ」
「知ってるよ」
「本当に腹立つな、お前」
「和幸君」
「はい!」
諏訪さんに呼ばれ、背筋を伸ばす。
「二人三脚にも出るんでしょう?」
「そうです」
「月奈ちゃんと?」
「はい!」
今度は月奈さんが答えた。
「私たち、一位狙ってます!」
「そうなの?」
「任せてください!」
「まだ一回しか練習してないけどね」
「長尾君!」
「事実でしょ!?」
「でも最後は走れたじゃん!」
「最初に転んだけど」
「あれは……!」
月奈さんが言葉に詰まる。
「転んだの?」
諏訪さんが心配そうに聞いてきた。
「怪我はありませんでしたよ」
「なら良かった」
「…………」
何故か月奈さんが静かになった。
見ると。
「……月奈?」
星奈さんが姉を見る。
「何?」
「顔、赤くない?」
「赤くない!」
「でも──」
「走ったから!」
「今日の話なの?」
「…………」
墓穴掘ってる。
「何かあったの?」
諏訪さんまで興味を持ってしまった。
「何もないです!」
「転んだだけですよ」
僕が答える。
本当にそれだけだ。
ただ。
転んだ拍子に、顔がかなり近くなっただけで──
「…………」
思い出した。
琥珀色の瞳。
すぐ目の前にあった月奈さんの顔。
『……長尾君』
『はい』
『近いね』
「長尾君?」
「はい!?」
月奈さんに呼ばれ、変な声が出る。
「今、何考えてた?」
「何も!」
「怪しい」
「何も考えてません!」
「何で敬語なの?」
僕が聞きたい。
「青春ねぇ」
諏訪さんが楽しそうに呟いた。
「違いますからね!?」
「私は何も言ってないわよ?」
「その顔で分かります!」
「和幸君も高校生なのね」
「どういう意味ですか!?」
「小さい頃は私の後ろをずっとついてきてくれたのに」
「今でもついて行きますよ!」
「やめろ」
信也から即座に制止された。
「和幸君は本当に変わらないわね」
諏訪さんがクスクス笑う。
「でも」
「はい?」
「高校生なんだから、同い年の女の子ともたくさん遊ばないとね」
「それと諏訪さんが好きなのは別問題です!」
「和幸」
「何?」
「もう黙れ」
酷い。
それからしばらく。
僕は店の手伝いに戻り、信也たちはいつもの席でそれぞれ過ごしていた。
月奈さんは途中から学校の課題を始め。
星奈さんもその隣でノートを開き。
信也は本を読みながら、時々二人から飛んでくる質問に答えている。
「武田君、これ」
「教科書の三十七ページ」
「答えじゃなくて教えてよ!」
「そこに全部書いてある」
「分かんないから聞いてるの!」
「……どこが」
「全部!」
「帰れ」
「何で!?」
厨房まで聞こえてくる。
僕は唐揚げを揚げながら、思わず笑った。
「楽しそうね」
「うわっ!?」
いつの間にかカウンターの向こうに諏訪さんがいた。
「びっくりした……」
「ごめんなさい」
「信也たちのところにいなくていいんですか?」
「そろそろ帰ろうと思って」
「そうなんですね」
諏訪さんは財布を取り出す。
「お会計お願いできる?」
「はい」
伝票を確認してレジを操作する。
その間。
諏訪さんは僕の後ろ──
正確には、僕の向こうにあるテーブル席を見ていた。
「……最近ね」
「はい?」
「信也、少し変わった気がするの」
手を止める。
「変わった?」
「ええ」
もう一度、テーブル席を見る。
月奈さんが何かを言い。
信也が呆れた顔をする。
その横で星奈さんが笑っている。
「前より、楽しそう」
「…………」
「本人に言ったら否定するでしょうけど」
「しますね」
間違いなく。
「俺は別に変わってない、とか」
「言いそうです」
二人で小さく笑う。
「和幸君」
「はい」
「ありがとうね」
「……何がです?」
「ずっと、信也の友達でいてくれて」
「…………」
予想していなかった言葉だった。
「僕は別に……」
信也と一緒にいるのは。
誰かに頼まれたからじゃない。
昔から一緒にいて。
気づけば親友になっていて。
それだけだ。
「僕が信也と一緒にいたいからいるだけですよ」
「……そう」
諏訪さんが目を細める。
「それでも、ありがとう」
「…………」
何だか照れ臭い。
「それに」
諏訪さんは再び三人を見る。
「今は、和幸君だけじゃないみたいね」
月奈さん。
星奈さん。
二人が転校してきてから、まだそんなに時間は経っていない。
それなのに。
昼休みは四人で食べるようになって。
放課後も一緒にいることが増えて。
勉強をしたり。
体育祭の練習をしたり。
「そうですね」
僕は笑う。
「二人が来てから、騒がしくなりました」
「あら。嫌?」
「まさか」
即答だった。
「楽しいですよ」
「そう」
諏訪さんが微笑む。
「じゃあ、安心した」
「?」
「和幸君も」
「僕?」
「ええ」
それだけ言うと、諏訪さんは会計を済ませる。
「体育祭、楽しみにしてるわね」
「はい!」
「怪我だけはしないように」
「分かりました」
「それと──」
諏訪さんが僕の制服の襟元へ手を伸ばす。
「相変わらず、ここ」
「え?」
少し曲がっていた襟を直される。
「はい」
「……ありがとうございます」
「ふふっ」
諏訪さんが僕の頭を軽く撫でた。
「じゃあね、和幸君」
「…………」
「和幸君?」
「やっぱり好きです」
「おい!!」
店の奥から信也の声が飛んできた。
聞こえてたの!?
「ふふっ。またね」
諏訪さんは楽しそうに笑いながら店を出ていった。
カラカラ。
引き戸が閉まる。
「……綺麗だった」
「長尾君」
振り返る。
月奈さんが呆れた顔でこちらを見ていた。
「本当にブレないね」
「何が?」
「武田君のお母さん大好きなの」
「もちろん」
「そこ即答するんだ……」
星奈さんが苦笑する。
信也は額を押さえていた。
「俺はいつまでこれに耐えればいいんだ」
「一生じゃない?」
「殺すぞ」
「怖い怖い」
僕は笑いながら厨房へ戻る。
月奈さんの声。
星奈さんの笑い声。
信也の呆れた声。
親父と母さんの声。
いつもの店。
いつもの放課後。
だけど。
少し前までとは、確実に違う。
二人だけだった放課後は。
いつの間にか、四人の放課後になり始めている。
体育祭まで、あと二週間。
その日が来るまで。
もう少しだけ。
こんな何でもない時間を過ごすのも──
悪くないと思った。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回は体育祭前の、少しゆったりとした日常回でした。
月奈と星奈が転校してきてから、それほど長い時間が経ったわけではありません。
それでも、昼休みを一緒に過ごして。
放課後には定食屋へ集まって。
勉強したり、くだらないことで言い合ったり。
気づけば「和幸と信也の二人」だった時間が、「四人」で過ごす時間へ少しずつ変わり始めています。
そして今回は、そんな変化を諏訪にも見てもらいました。
本人は「変わっていない」と言いそうな信也ですが、母親の目にはどうやら違って見えているようです。
……ちなみに和幸の諏訪への態度は、まったく変わっていません。
たぶん、こちらは当分変わりません(笑)。
派手な出来事がなくても、こうした何気ない時間の積み重ねで四人の距離が少しずつ近づいていく──そんな放課後も楽しんでいただけたなら嬉しいです。
そして、「この四人の続きをもう少し見てみたい」と思っていただけましたら、お気に入りや評価で応援していただけると、今後の執筆の大きな励みになります。
月奈、星奈、和幸、信也。
今のところ誰が気になっているか、好きな掛け合いや組み合わせなども、感想で聞かせていただけると嬉しいです。
次回から、体育祭に向けて時間がもう少し動き始めます。
月と星がやってきて初めて迎える、大きな学校行事。
果たして四人に、どんな一日が待っているのか。
それでは──
また、次の放課後で。