水着カスミの家具モーションに本の山の中で呼んでいるのを見てもしかしてと思って私は文学について語り合うのが好きだからね。そんな話をカスミとしたら面白うそうと思って書いただけのお話

1 / 1
文学と温泉について

夕刻。

 ゲヘナ学園の喧騒から少し離れた、とある部屋にて。

 先生は机の上に一冊の本を開いていた。古びた装丁の文学作品である。ページをめくるたび、紙の擦れる小さな音が静かな室内に響いていた。

 その向かいでは、鬼怒川カスミが腕を組み、難しい顔をしている。

「……先生」

「どうしたの、カスミ?」

「一つ、問いたいことがある」

「珍しく真面目だね」

「珍しくとは何だ、先生。私はいつだって真面目だぞ」

 カスミは不満そうに眉をひそめる。

「まあいい。して、先生。先ほどから何を読んでいる?」

「文学作品だよ」

「文学……」

 その言葉を聞いた瞬間、カスミの表情が変わった。

「ほう……文学か」

「うん」

「ならば一つ、先生に聞こう。――文学とは、何だ?」

「いきなり難しい質問だね」

「難しい? だからこそ問うのだ。簡単な問いに答えるだけならば、それは思考とは呼ばん」

 カスミは椅子へ深く腰掛ける。

「文学とは、文字を並べて物語を作ることか。それとも、人間の感情を記録することか。あるいは、後世の人間へ思想を残すための器か……先生はどう考える?」

 先生はしばらく本を眺め、それから答えた。

「僕は、人間を知るためのものだと思う」

「人間を?」

「うん。文学って、他人の人生や感情を読むことができるでしょう。自分とは違う時代、違う場所、違う考え方を持った人が、何を考えていたのか。それを言葉を通して想像できる」

「なるほどな」

 カスミは顎に手を当てる。

「つまり、本を読むということは、他人の人生を少しだけ覗き見ることでもあるわけか」

「そうだね」

「では、文学とは他人の人生を盗み見る行為……」

「言い方がちょっと悪いな」

「ふふ、冗談だ」

 カスミは愉快そうに笑った。

「しかし、興味深い。自分ではない誰かの苦悩や喜びを、紙の上から追体験する。しかも、その人物はとうに死んでいるかもしれん」

「そう考えると、すごいよね」

「まったくだ」

 カスミは本棚に並んだ書物を眺める。

「人間は肉体を失っても、言葉を残せる。百年、二百年……あるいは千年経とうとも、その言葉を誰かが読めば、そこに記された感情は蘇る」

「うん」

「そう考えれば、文学とは人間が時間に抗うための手段なのかもしれんな」

「時間に抗う?」

「ああ」

 カスミは一冊の本を手に取った。

「人間は老いる。国も滅びる。街も変わる。どれほど偉大な人物であろうとも、いつかは忘れられる。しかし、言葉だけは残ることがある」

 本を軽く掲げる。

「ならば文学とは、人間が『私はここにいた』と後世へ叫び続けるためのものではないかね?」

 先生は少し驚いた。

「……カスミ、今日はずいぶん深いね」

「当然だろう」

 得意げに胸を張る。

「私を誰だと思っている? 温泉開発部の部長だぞ」

「そこは文学とは関係ないんじゃ……」

「何を言う」

 カスミは即座に言い返した。

「文学と温泉は、極めて密接な関係にある!」

「……そうなの?」

「そうだとも!」

 カスミは立ち上がった。

「考えてみたまえ。古来より人は湯に浸かり、疲れを癒やし、思索に耽ってきた。静かな湯煙の中で己を見つめ直す。それは文学を生み出す精神と同じではないか!」

「まあ……確かに温泉でゆっくり考えるのは気持ちよさそうだけど」

「そうだろう!」

 カスミは満足げに頷く。

「文学とは、自分自身との対話でもある。そして温泉もまた、自分自身との対話なのだ!」

「同じなのかな……?」

「同じだ!」

「即答なんだ」

「むしろ温泉のほうが優れている!」

「文学から離れてない?」

「離れてなどいない!」

 カスミは机を叩いた。

「文学作品を読むことで、人間の心を知ることができる。だが温泉ならば、その心を落ち着かせた上で考えることができる!」

「なるほど……?」

「つまり文学には温泉が必要なのだ!」

「結論がすごいところに行ったね」

 先生は苦笑する。

 しかしカスミはいたって真剣だった。

「先生。想像してみたまえ」

「うん」

「雪の降る夜。静かな山奥。誰もいない露天風呂。白い湯気が夜空へ昇り、周囲には一切の騒音がない」

「うん」

「そこで一冊の文学作品を読む」

「うん」

「これほど完璧な読書環境が、他にあるかね?」

「……ないかもしれない」

「そうだろう!」

 カスミの目が輝く。

「そこに温泉があるから我々がいる!」

「急にいつものカスミになったね」

「文学も温泉も、人間の心を豊かにする。ならば二つを組み合わせれば、より素晴らしいものが生まれるに決まっている!」

「じゃあ、温泉で文学を読むのが一番ってこと?」

「そういうことだ」

「でも本、濡れない?」

「…………」

 カスミが止まった。

「先生」

「うん?」

「文学について語る際に、細かい現実問題を持ち出すのは野暮というものだぞ」

「ごめん」

「分かればよい」

 カスミは再び座った。

「しかし、先生。私は思うのだ」

「何を?」

「文学には、明確な答えがない」

「うん」

「だからこそ面白いのだろうな」

 先ほどまでの勢いとは違い、今度の声には静かなものがあった。

「同じ一冊を読んでも、ある者は希望を見つけ、ある者は絶望を見る。ある者は主人公に共感し、別の者はその主人公を嫌う」

「そうだね」

「そして、どちらが正しいとも限らん」

 カスミは窓の外を見る。

「人間そのものがそうだからだ」

「人間が?」

「ああ。人間の心には、一つの答えなど存在しない」

 夕焼けが窓から差し込み、カスミの横顔を赤く染めていた。

「昨日まで好きだったものを、今日は嫌いになることもある。正しいと思っていたことが、別の視点から見れば間違いになることもある。誰かを理解したと思った瞬間、その人間の別の一面に気づくこともある」

「だから文学は、人間を一つの答えに決めつけないのかもしれないね」

「……うむ」

 カスミは静かに頷いた。

「文学とは、人間を理解するためのものではなく、人間を簡単には理解できないと知るためのもの……なのかもしれんな」

「それ、すごくいいと思う」

「そうかね?」

「うん」

「ならば覚えておきたまえ。今の言葉は、私の名言だ」

「自分で言うんだ」

「当然だ」

 カスミは胸を張った。

「だが、先生」

「何?」

「まだ一つ足りない」

「何が?」

「文学について語るのに、温泉が足りない」

「やっぱりそこに戻るんだ」

「当然だろう!」

 カスミは勢いよく立ち上がった。

「先生、我々は今すぐ温泉へ向かうぞ!」

「え、今から?」

「文学を語るには実践が必要だ!」

「何の実践なの?」

「湯に浸かりながら文学について考えるのだ!」

「本は?」

「持っていけばいい」

「濡れるよ」

「防水加工すればいい!」

「そんな簡単にできる?」

「できなければ開発する!」

「……温泉のためなら?」

「どんな障害も爆破する!」

「いや、そこまでしなくていいから」

 カスミは拳を握りしめ、堂々と言い放った。

「文学とは、人間の心を知るための道だ。そして温泉とは、その道を歩み続けるための力を与える!」

「……最後まで温泉なんだね」

「当然だ」

 カスミは満足げに笑う。

「さあ先生。行こうではないか」

「どこへ?」

「決まっているだろう」

 彼女は扉を開け放つ。

「――温泉だ!」

 夕暮れの廊下へ、カスミの声が響き渡った。

 先生は苦笑しながら、その後を追う。

 文学について語り合ったはずなのに、最後には温泉へ向かっている。

 しかし、それもまた一つの答えなのかもしれない。

 人間は、どれほど難しいことを考えても、最後には自分の好きなものへ戻っていく。

 そしてカスミにとって、その「好きなもの」とは――どうやら、文学よりも遥かに温泉だったらしい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。