フィリアは、目の前に浮かぶ水球をじっと見つめていた。
「形を丸くして、空中に浮かせる。うん、ここまでは完璧だね」
差し出した手の先で、拳ほどの水球が揺れている。
少しいびつな気もするけれど、ちゃんと浮いているのだから問題ない。フィリアは一つ頷き、少し離れた場所に置いた的へ視線を向けた。
「あとは、これを飛ばすだけ。力をためて……」
水球がぐにゃりと歪んだ。
「あっ、待って」
引き留める声もむなしく、水は足元へ落ちた。ばしゃりと音を立て、靴の先を濡らす。
「……今のは練習だからね」
誰に聞かれたわけでもないのに、フィリアはそう言った。
靴を片方ずつ持ち上げて眺め、それから、足元にできた水たまりを避けてしゃがみ込む。傍らの魔法書は、何度も読んだページを開いたままにしてあった。
「水球の形を維持し、浮かせたまま……うん。それは分かってるんだけどなぁ」
指で文字をたどりながら、先ほどの感覚を思い返す。
水を浮かせるだけなら、もうできる。形を丸く保つことも、少しずつできるようになってきた。けれど、的に向かって飛ばそうとすると、どちらも途端に怪しくなる。
「飛ばす方ばっかり考えちゃうんだよね」
フィリアは手のひらを上に向けた。
まずは浮かべる。次に飛ばす。頭の中で順番に並べてみて、首を傾げる。
「……次に、じゃなくて。浮かせながら、飛ばす」
言葉にすれば、ほんの少しの違いだった。
立ち上がり、もう一度、手の先に水球を作る。
今度はすぐに飛ばそうとせず、しばらくその場に浮かべておいた。表面の揺れが落ち着くのを待ってから、ゆっくりと的へ目を向ける。
「形はこのまま。浮かせるのも、そのまま……」
水球を支えている感覚を手放さないように、少しずつ力を加えていく。
「よし……押し出す!」
水球が、まっすぐに飛んだ。
狙っていた的の真ん中に当たり、水しぶきを散らして弾ける。
フィリアは手を突き出したまま、目を丸くした。
今までにない、確かな手応えが残っている。
「今の、もしかして……」
すぐに自身のステータスを確認する。
見慣れたステータス。そのアクティブスキルの末尾に、新しい文字が並んでいた。
名前:フィリア
種族:人族
状態:異常なし
最大刻印域:389633
使用刻印域:790
アクティブスキル:「掃除」「洗濯」「料理」「写本+」「水属性魔法」
パッシブスキル:「不老」
「やったー! ついに、ついに習得できた! 初めての魔法スキルだぁぁぁぁ!」
フィリアは両手を上げ、その場でぴょんと跳ねた。銀白色の短い髪がふわりと浮く。
着地した拍子に足元の水が跳ねたが、今度は気にも留めない。はちみつ色の瞳は、何度も同じ一行を追っていた。
「水属性魔法……えへへ、ちゃんと書いてある」
声に出すと、また笑みがこぼれた。
もう一度その文字を確かめてから、フィリアはこほんと咳払いをした。
「まあ、女神の僕にかかれば、魔法スキルの習得くらい簡単にできるんだよ」
誰にともなく胸を張る。
けれど、緩んだ口元はなかなか戻らなかった。
魔法書を拾い上げ、大事そうに胸に抱える。
今日は帰ったら、宿屋のおばさんに話そう。きっと褒めてくれる。そう思うと、早く顔が見たくなった。
そんな自称女神の始まりは、まだ本の一行さえ読めなかった頃にさかのぼる。