ハリー・ポッターと墓場に還りし者 作:ムササビ
その依頼が持ち込まれたのは、冬の入り口の頃だった。
「――護衛だ。それも、たった一晩の」
仲介人の男が、机の上に羊皮紙を滑らせた。魔法界の裏で仕事を回している、鬼太郎とも何度か取引のある相手だった。
「依頼人は、さる高貴なお方の使いでね。主人が、ある見世物小屋に足を運ぶ。その間の身辺警護を頼みたい、という話だ」
「見世物小屋、ですか」
「まあ、上品な催しじゃないさ。表には出せない類のものを見せる場所だ」仲介人は肩をすくめた。「だが、あんたには関係のない話だろう。仕事は護衛だ。何を見ようが客の勝手さ」
鬼太郎は羊皮紙に目を落とした。記された報酬額を見て、わずかに視線を止める。
――多い。
単純な護衛業務としては、破格の額だった。これだけの金を出すなら、もっと名の通った腕利きを何人も雇えるはずだ。
「報酬が、相場と乖離しております」
「そりゃあ、相手が金持ちだからな」仲介人は事もなげに言った。「それに、あんたを指名してきたんだ。噂を聞いて、ぜひにとね」
指名。
それ自体は珍しいことではなかった。この一年で、彼の名はこの界隈に十分すぎるほど広まっている。高い金を払ってでも確実な護衛を、と考える人間がいても不思議はない。
「三日、お時間をいただけますか」
「ああ、いつものやつか」仲介人は苦笑した。「好きにしてくれ。ただ、催しは五日後だ。あまり悠長にはしていられんぞ」
◇
三日間、鬼太郎は徹底的に裏を取った。
まず依頼人の身元。使いの男が名乗った家名は、魔法界に実在する古い一族のものだった。血統書の類を扱う闇商人に当たり、確認を取る。実在する。当主の名も、屋敷の所在も、記録と一致した。
次に、その当主本人。魔法界の名士録に名前がある。金回りも良い。素行については――芳しくない噂がいくつか出てきたが、それは「見世物小屋に通う」という行動と何ら矛盾しない。むしろ整合的だった。
見世物小屋についても調べた。実在する。場所も、運営者も、開催の周期も判明した。過去に何度か魔法省の査察が入りかけたが、そのたびに握り潰されてきたという記録まで出てきた。裏で手を回せるだけの後ろ盾があるということだ。
最後に、護衛の前例。この当主は過去にも複数回、外出時に護衛を雇っていた。仲介人も、依頼の経路も、すべて前例と同じ形式を踏んでいる。
鬼太郎は、集めた情報を並べ、一つずつ突き合わせた。
――矛盾が、ない。
三日かけて、どこにも綻びが見つからなかった。依頼人は実在し、目的は明確で、経路は前例に沿っている。これまで彼が引き受けてきたどの依頼より、むしろ裏付けは強固だった。
引っかかるのは、報酬の額だけ。だがそれも、「指名で高額」という説明で一応の筋は通る。金を持て余した人間が、噂の使い手を高値で買うというのは、この界隈では珍しくもない話だった。
(――筋は、通っている)
彼は、そう結論した。
完全に腑に落ちたわけではない。だが、彼の精査とは、疑念を完全に消し去るための儀式ではない。「引き受けて損はないか」を判断するための手続きだ。その基準で言えば、この依頼は合格だった。
「お引き受けいたします」
四日目、彼は仲介人にそう伝えた。
仲介人は満足げに頷き、詳細を告げた。当日の集合場所、時刻、そして――
「ああ、そうそう。護衛はあんた一人じゃない。もう一人、雇われてる奴がいる」
「どういった方でしょうか」
「さあな。俺が仲介したわけじゃない」仲介人は首を振った。「まあ、現場で顔を合わせりゃ分かるだろうよ」
◇
当日の夜。
指定された場所は、魔法界の裏通りの外れにある、古びた広場だった。鬼太郎が到着した時、そこには既に二つの人影があった。
一人は、でっぷりと肥えた中年の魔法使い。金糸の刺繍が施された仰々しいローブを纏い、指という指に宝石をはめている。これが依頼人――今夜の護衛対象だろう。
そしてもう一人。
壁にもたれ、煙草を咥えた、背の高い男だった。無精髭に、崩れた笑み。着ているのはローブではなく、動きやすさを優先した実用的な服装。そして――腰には杖ではなく、明らかに銃と分かる形状のものが二挺、ホルスターに収まっていた。
鬼太郎の視線が、そこで止まる。
「お待たせいたしました。墓場と申します」
貴族の男が、値踏みするような目で鬼太郎を見下ろした。
「ほう、これが噂の。……ふん、本当にガキではないか」
「ご不満でしたら、お引き取りいたしますが」
「いや、いい。噂が本当なら、それで結構だ」男は鼻を鳴らすと、興味を失ったように顔を背けた。「今夜は上物が出るというのでな。楽しみにしているのだよ」
その言葉には、隠しようのない下卑た期待が滲んでいた。
鬼太郎は無表情のままそれを聞き流し、もう一人の護衛へと目を向けた。
男の方も、こちらを観察していたらしい。煙草を指で弾き飛ばすと、値踏みするような目で口を開いた。
「……おいおい、マジかよ。子供の護衛だと?」
「墓場と申します」
「そりゃ聞いたよ」男は呆れたように頭を掻いた。「サーシェスだ。傭兵をやってる。……なあ坊主、お守りが必要なのはどっちだ? 俺が二人分守るってことにならねえだろうな」
「ご心配には及びません」
鬼太郎は淡々とそう答えると、広場の四方に目を走らせた。出入り口が三つ。うち一つは細く、複数人では通れない。頭上に張り出した庇の位置。逃走経路と、遮蔽物になり得るもの。
ほんの数秒の動作だった。
だが、サーシェスの目つきが、その瞬間に変わった。
(――なんだ、こいつ)
今の視線の動き。あれは、素人のものではない。地形を把握し、優先度をつけて処理している。しかも、こちらに見られているという意識がまるでない。無意識にやっている。
傭兵として十年以上を生き抜いてきた男の勘が、目の前の子供に対して警報を鳴らしていた。
「……へえ」サーシェスは、口の端を吊り上げた。「訂正するぜ、坊主。お守りは要らねえみたいだな」
「そのようです」
「ちなみに、得物は? まさか素手じゃねえだろう」
「これを」
鬼太郎は、上着の内側から小型のハンドガンをちらりと覗かせた。それを見て、サーシェスが眉を上げる。
「……銃? 魔法使いが?」
「私は魔法使いではありませんので」
「はっ、そりゃいい」男は声を上げて笑った。「奇遇だな、俺もだ。この界隈じゃ珍しいぜ、俺たちみたいなのは」
「と、申しますと」
「スクイブなんだよ、俺は」サーシェスは、あっけらかんとそう言った。「魔法族の生まれだが、魔法がまるで使えねえ。杖を振っても屁も出ねえ。だから鉛玉で食ってる」
鬼太郎の中で、興味が一段跳ね上がった。
スクイブ。その言葉は知っている。父がそうだった、と後になって知った。魔法族の血を引きながら、魔力を持たない者。
だが、彼が興味を抱いたのは血統の話ではなかった。
魔法が使えない人間が、魔法使いだらけのこの社会で、傭兵として生計を立てている。それはつまり――魔法使いを相手取って、生き延び続けてきたということだ。
「失礼ですが、この稼業は長いのですか」
「そこそこはな。十年以上はやってる」
「杖を持つ相手と、どう渡り合っておいでですか」
「そりゃあ、企業秘密だ」サーシェスはにやりと笑った。「ま、一つだけ教えてやるよ。奴らは、魔法が効かない攻撃ってやつを、頭から想定してねえ。盾の呪文ってのは、魔法にはよく効く。だが鉛玉にはな」
「――なるほど」
鬼太郎は、静かに頷いた。
自分が実戦で発見した事実を、この男は十年前から知っていたわけだ。そして、その一点だけを頼りに、この世界で生き抜いてきた。
(――面白い)
魔法という圧倒的な優位を持つ社会の中で、それを持たぬまま食い込んでいる異物。慢心した魔法使いたちは、この男を「使い勝手のいいスクイブ」程度にしか見ていないのだろう。だが、鬼太郎の目には違って映った。
この男は、生き延びるための最適解を、自力で見つけ出した人間だ。
「何だよ、じろじろ見て」
「いえ。興味深い方だと思いまして」
「そりゃどうも。……妙なガキだな、お前」
「よく言われます」
「おい、無駄口はそのくらいにせんか」
貴族の男が、苛立たしげに割り込んできた。
「そろそろ時間だ。行くぞ」
◇
見世物小屋は、裏通りのさらに奥、幾重にも認識阻害の術が重ねられた一角にあった。
外観は、大きな天幕。だが中に入れば、想像よりはるかに広い。空間そのものが拡張されているらしい。
客席は、すでに半分ほどが埋まっていた。
鬼太郎は、貴族の斜め後ろに位置取りながら、周囲を観察した。
客層は、一目で分かるほどに偏っていた。恰幅の良い富裕層、下卑た笑みを浮かべた商人風の男、フードを目深に被って顔を隠した者。共通しているのは、誰もが「表沙汰にできない娯楽」を求めてここに来ているという点だった。
そして、演目。
檻の中で、羽をもがれた魔法生物が苦しげに鳴いていた。客はそれを指差して笑っている。
次の檻には、人の形をした何かが入っていた。腕が四本ある。おそらく、実験か呪いの産物だろう。
その次には、獣人。首輪を嵌められ、鞭で打たれるたびに客席から歓声が上がる。
鬼太郎は、そのすべてを、無表情のまま眺めていた。
嫌悪感は、なかった。義憤も、憐憫もない。前世では、これよりはるかに凄惨な光景を日常として見てきた。人が家畜のように扱われる世界を、彼は知っている。
だから、彼はただ観察していた。
どういう生物が存在するのか。どのような術式でそれが可能になるのか。客たちは何を喜ぶのか。この社会の下層が、どんな構造で回っているのか。
すべてが、彼にとっては情報だった。
(――ずいぶんと、下品な趣味ですね)
とはいえ、感想を抱かないわけでもなかった。この程度の見世物で興奮できる人間の底の浅さには、少しばかり呆れていた。
「おい、次だ。次が本命だぞ」
貴族の男が、身を乗り出して声を弾ませた。
場内の灯りが落ち、中央の舞台に光が集まる。
「さあ、皆様、本日の目玉でございます!」
司会役の男が、芝居がかった声を張り上げた。
「何度斬っても、何度砕いても、決して死なぬ――不死の少女! 人と吸血鬼の血を引く、世にも珍しき混血でございます!」
歓声と、下卑た笑いが場内に満ちた。
舞台の中央、鎖に繋がれた小さな影が、光の中に引き出される。
鬼太郎の視線が、そこで止まった。
自分と、同じくらいの背丈の少女だった。
光の下に引き出されたその姿に、場内が一瞬どよめいた。
透けるように白い肌。色素の薄い、銀に近い髪。精巧に作られた人形めいた、整いすぎた顔立ちをしていた。この陰惨な場所には、およそ似つかわしくない。だからこそ、客たちは沸いた。美しいものが損なわれる様を見たがる――そういう類の欲望が、この場には満ちていた。
薄汚れた衣服の下から覗く手足には、無数の傷跡が残っている。いや――傷跡というには、それらは新しすぎた。まだ塞がりきっていないものさえある。
そして、その目。
俯いた顔の奥から覗くその瞳は、諦めていなかった。
恐怖も、痛みも、絶望も、確かにそこにはある。だが、その底に、まだ何かが残っていた。消えかけた燠火のような、しかし確かに燃え続けている、何かが。
鬼太郎の目が、わずかに細められた。
「さあ、ご覧あれ!」
司会の男が、手にした刃を高々と掲げた。