ハリー・ポッターと墓場に還りし者 作:ムササビ
その私信が届いたのは、雪の降り始めた朝のことだった。
ホグワーツの校長室。執務机に積まれた書類の山の中から、アルバス・ダンブルドアは一通の封筒を抜き出した。差出人の名に見覚えがある。魔法省で長く勤めている、古い知人だった。
封を切り、中身に目を通す。
そして――半月形の眼鏡の奥で、その目がわずかに細められた。
内容は、短いものだった。
先月末、魔法界の裏側にある施設で、三十数名が一度に死亡した。建物は焼け落ち、遺体の大半は炭化して身元の確認すら困難。死者はいずれも密猟者、闇商人、始末屋の類。表沙汰にできない稼業の者ばかりである。
そして、末尾にこう添えられていた。
――魔法省は、この件を深く追及しない方針である、と。
「……ふむ」
ダンブルドアは、羊皮紙を机に置いた。
理屈は分からなくもない。死んだのは、いずれ捕らえねばならなかった者たちだ。手間が省けたと考える役人がいても、不思議はない。掃除が済んだ、程度の認識なのだろう。
だが。
三十数名が、一度に。
彼の長い生涯においても、これほどの規模の死は、そう何度も見てきたものではない。あの戦いの最中ですら、一夜で三十人が死ぬような事態は、決して日常ではなかった。
それが起きた。そして、誰も追及しない。
「――厄介ですのう」
彼は立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。
降りしきる雪の向こうに、湖が凍りついているのが見える。
自分には、捜査の権限などない。校長という立場は、魔法省の判断に口を挟めるものではない。まして、既に閉じられようとしている案件だ。
それでも。
彼は振り返ると、一枚の羊皮紙を取り出し、羽根ペンを走らせ始めた。
権限がなければ、別の手段を使えばいい。この歳になるまで、彼が築いてきたものは、肩書きだけではなかった。
◇
最初に会ったのは、闇祓い局に勤める旧知の男だった。
ホグズミードの店の奥、人目につかない席で、二人は向かい合っていた。
「……先生、あんまり大きな声じゃ言えませんがね」
男は、周囲を気にするように声を潜めた。
「あの現場、正直、俺らも気味が悪かったんです」
「ほう。と申しますと」
「逃げた奴が、一人もいないんですよ」
ダンブルドアの眉が、わずかに動いた。
「三十数人ですよ。全員が一箇所で死んでる。散らばってすらいない。普通なら、何人かは扉まで走るでしょう。這ってでも出ようとするはずだ」
「その形跡がなかった、と」
「ええ。まるで――逃げる暇もなかったみたいに」
男は、手元のグラスを一口あおった。
「それともう一つ。あの施設、外からじゃなく**内側から**封鎖されてたんです。姿くらまし封じも、対侵入の術式も、全部内側から張られてた」
「……つまり」
「閉じ込めたのは、死んだ連中の方だってことです」
ダンブルドアは、しばらく黙っていた。
三十数名が、誰かを閉じ込めるために場を作った。そして、そのすべてが死んだ。
自分たちで用意した逃げ場のない部屋で、自分たちだけが死んだ。
「……なるほど。それは、確かに気味が悪い」
◇
次に会ったのは、現場を検分した記録係の魔女だった。
こちらは、もっと具体的な話をしてくれた。
「遺体の状態が、揃っていないんです」
「揃っていない、とは」
「大半は焼死体です。建物ごと燃えましたから、当然といえば当然なんですけど」彼女は、手にした羊皮紙をめくった。「ただ、その中に、明らかに違う損壊をしているものが混じっていまして」
「たとえば?」
「砕けているんです」
ダンブルドアは、眉をひそめた。
「焼けた後で崩れたのとは、違います。断面が――なんと言いますか、一度完全に凍りついてから、外力で粉砕されたような。そういう痕跡が残っている遺体が、複数ありました」
「凍結」
「ええ。それに、感電の痕を持つものも。あと、これは推測ですが、同士討ちと思われる呪文痕も確認されています」
彼女は、そこで一度言葉を切った。
「先生。あの現場、少なくとも三種類以上の異なる殺され方が混在しているんです。しかも、そのどれもが――」
「既知の呪文と、一致しない」
「……ご存知でしたか」
「いいえ」ダンブルドアは静かに首を振った。「今、そう思っただけです」
記録係の魔女は、居心地悪そうに身じろぎした。
「魔力の残滓は、検出されています。焼けても、そればかりは消えませんから。ですが、照合しても該当するものが出てこない。魔法省の登録にも、既知の呪文の痕跡データにも、一致するものがないんです」
「該当者不明、ということですかな」
「そうです。だから、報告書には『調査継続』と書いて提出しました」彼女は苦笑した。「でも、上は取り合いませんでした。死んだのは悪党ばかりだから、と」
◇
三人目、四人目と会ううちに、断片が繋がり始めた。
そして、五人目――裏の事情に通じた情報屋から、決定的な一言が出た。
「ああ、あの反応ですか。実は、前にも一度ありましたよ」
「……何ですと?」
「数年前です。職を追われた元闇祓いが、妙な死に方をした件がありましてね。あの時の現場にも、正体不明の魔力反応が残ってたんです」情報屋は、事もなげに言った。「当時は誰も気に留めませんでした。はぐれ者が一人死んだだけですから」
「その反応と、今回のものが」
「同一です。俺が確認しました」
ダンブルドアは、テーブルの上で指を組んだ。
同じ存在が、数年前にも人を殺している。そして今回、三十数名を一度に。
「その、元闇祓いという方は」
「腕は良かったそうですよ。上とうまくやれずに辞めさせられたって話ですがね」情報屋は肩をすくめた。「まあ、はぐれた後は、ろくなことをしてなかったようですが」
腕の良い元闇祓いが、一人。
そして、三十数名の悪党が、一夜で。
「……ありがとうございました」
ダンブルドアは、静かに礼を述べて席を立った。
◇
その夜、校長室に戻った彼は、しばらく暖炉の前から動かなかった。
パチパチと爆ぜる炎を眺めながら、頭の中で情報を並べ直していく。
三十数名が、一人を殺すために罠を張った。逃げ場のない場所を用意し、自ら閉じ込めた。
そして、全滅した。
殺し方は複数種類に及び、そのすべてが既知の体系に属さない。同じ反応が、数年前にも一度だけ検出されている。
これは、何か。
脳裏に、忘れようもない声が蘇った。
あの日。職員室で、紅茶を片手にした他愛のない会話の最中、突如としてシビル・トレローニーの口から溢れ出した、あの低く平坦な声。
――邪魔する者は、容赦なく消される。
ダンブルドアの指先が、わずかに冷たくなった。
――彼は白にもなり、黒にもなる。
三十数名。それが、邪魔をした者たちの数だとしたら。
――たとえ血を継いでいようと、それは善人であることを意味しない。血は、ただの血でしかない。
「……いや」
彼は、頭を振った。
早計に過ぎる。予言というものは、常に曖昧で、多義的だ。後から出来事に当てはめれば、いくらでも符合しているように見える。それは、トレローニーの日頃の与太話と、本質的に何が違うのか。
そう自分に言い聞かせながら――それでも、彼は否定しきれずにいた。
あまりにも、重なりすぎている。
そして、もしこれが本当に、あの予言の者であるならば。
「――わしの血を引く者が」
呟いた声は、自分でも驚くほど掠れていた。
三十数名を一夜で殺し、焼き払い、痕跡も残さず消える。そんな存在が、自分と同じ血を持っている。
あの予言は、警告だった。決して仲間と思うな、と。
ならば、それは自分に向けられた言葉だ。いずれ出会うことになるという前提でなければ、そんな忠告に意味はない。
彼は、机の引き出しから、埃をかぶった巻物を取り出した。
数年前、答えを見つけられないまま閉じた、ダンブルドア家の血統記録。
◇
羊皮紙を広げ、彼は一晩をかけてそれを検めた。
結果は、以前と変わらなかった。
父パーシバル、母ケンドラ。弟アバーフォース、妹アリアナ。そこから遡る数代。記されている名は、すべて彼の知るものだった。予言に当てはまるような人物は、どこにもいない。
夜が白み始める頃、彼はようやく羽根ペンを置いた。
そして、ふと考えた。
(――記録に、載っておらぬのではないか)
血統記録とは、家に属する者を記すものだ。
ならば――家を出た者は? 除籍された者は? 自ら記録から消えた者は?
彼は、別の資料を求めて立ち上がった。
魔法界において、記録から消える理由はいくつかある。勘当。失踪。そして――スクイブの誕生。
魔法を使えぬ子は、家の恥として扱われることがある。表向きは事故死として処理し、マグルの世界へ送り出す。そんな例は、由緒ある家ほど珍しくない。ダンブルドア家とて、例外ではあるまい。
彼は、傍系の記録を丹念に辿り始めた。
そして、三日後。
一つの名に、行き当たった。
ダンブルドア家の遠縁。細く薄い血を引く傍流の一族に生まれ、魔力を持たずに育った男。二十代でイギリスを離れ、以後の消息が途絶えている。
出国の時期は――ヴォルデモートが最も勢いを増していた頃だった。
「……逃げたのですな」
ダンブルドアは、静かに呟いた。
純血主義が吹き荒れた時代。スクイブという立場が、どれほど危ういものだったか。彼にはよく理解できた。責める気にはなれない。
問題は、この男が「どこへ」逃げたのか、そして「何を残した」のかだった。
彼はさらに記録を追った。
出国記録。当時の目撃証言。断片的な噂話。
そして、ようやく掴んだ。
この男は、一人で発ったのではなかった。連れがいた。イギリスに留学していた、一人の日本人女性。マグルの生まれで、実家は代々続く神職の家系だという。
二人は共に日本へ渡り、そこで籍を入れた。
男は、自らの姓を捨てた。追手の目を避けるため、妻の家の名を名乗ることを選んだのだ。
その、姓は。
ダンブルドアの手が、止まった。
羊皮紙に記された、その三文字を見つめる。
――墓場。
息を、呑んだ。
「……墓から、生まれる」
あの予言の一節が、まったく別の意味を持って、彼の中で像を結んだ。
比喩ではなかった。象徴でもなかった。
文字通りの、名前だったのだ。
ダンブルドアは、しばらくその場から動けなかった。
やがて、彼はゆっくりと椅子から立ち上がり、窓の外を見た。
夜が明けようとしていた。
その男が、日本で子をなしていたなら。そして、その子が今も生きているなら。
それは確かに――「墓場」から生まれた、自分の血を引く者ということになる。
「……会わねばなりませんな」
彼は、静かにそう呟いた。
まだ、確証は何一つない。すべては推測の上に積み上げられた仮説に過ぎず、その子が実在するかどうかすら分かっていない。
だが、確かめずにはいられなかった。
もしその子が、あの惨劇の主であるならば。
そして――予言が告げた通りの存在であるならば。
放置しておくわけには、いかない。
彼は机に戻ると、羽根ペンを取り、短い手紙を書き始めた。
宛先は、日本唯一の魔法魔術学校――マホウトコロ。
あちらの学校長とは、国際魔法戦士連盟の会合で何度か顔を合わせたことがある。込み入った事情を打ち明けるわけにはいかないが、「ある家名について心当たりがないか」と尋ねる程度であれば、不自然ではないだろう。
◇
返信は、十日ほどで届いた。
異国の紙に、丁寧な筆致で綴られたその手紙を、ダンブルドアは窓辺で読んだ。
内容は、簡潔だった。
まず、丁重な時候の挨拶。次に、こちらの問い合わせへの謝意。そして――
当校の記録に、その家名を持つ魔法使いは存在しない。
墓場という姓の一族について、魔法界における記録は一切確認できなかった。過去数十年に遡っても、入学者、教職員、関係者のいずれにも該当がない。おそらくは、魔法界とは無縁のマグルの家系であろうと思われる――
「……なるほど」
ダンブルドアは、手紙を下ろした。
嘘をついている様子はなかった。文面は誠実で、こちらの問いに対して真摯に調べた形跡がある。わざわざ隠す理由も、彼らにはない。
つまり、本当に知られていないのだ。
スクイブの男と、マグルの女。二人の間に生まれた子は、あちらの魔法界の記録にも、名を残していない。学校からの通知すら、届いていないということになる。
考えてみれば、当然かもしれなかった。
あの男は、追手から逃れるために名を捨てた。魔法界との縁を、すべて断ち切った。子が生まれても、それを届け出るはずがない。むしろ、あらゆる記録から遠ざけようとしただろう。
そして、その徹底ぶりは――成功していた。
十年以上にわたって、誰にも気づかれることなく。
「……ふむ」
彼は、手紙を机に置いた。
これで、書面での追跡は行き止まりだ。日本の魔法界にも記録がない以上、遠方から問い合わせを重ねたところで、得られるものは何もない。
残された手段は、一つだけだった。
「――行くしかありませんな」
窓の外では、雪がすっかり解けていた。
冬が終わろうとしている。