ハリー・ポッターと墓場に還りし者   作:ムササビ

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労働力の確保

 密猟者たちの拠点は、森の奥にあった。

 

 かつて砦だったのだろう。石造りの壁が、蔦に覆われながらも堅牢に立っている。屋根の一部は崩れ落ち、そこを木材と帆布で雑に塞いであった。周囲には粗末な柵が巡らされ、番小屋らしきものが二つ。

 

 鬼太郎たちは、そこから百歩ほど離れた木立の陰に身を潜めていた。

 

「見張りは二人。正面と、裏手に一人ずつ」

 

 サーシェスが、目を細めながら言った。

 

「壁の上にも術式が張ってあるな。侵入者を知らせる類のもんだ。粗いが、無いよりはマシって程度か」

 

「詳しいのですね」

 

「この稼業が長えからな」

 

 鬼太郎は、砦の全体を観察していた。

 

 構造。出入り口の数。人の動線。そして――

 

「あちらに、檻がありますね」

 

 中庭の一角。鉄格子で囲まれた区画が、いくつか並んでいる。

 

 その中に、白銀の髪がいくつも見えた。

 

「――!」

 

 隣で、ラーダが息を呑んだ。

 

 彼女の顔から、血の気が引いていく。

 

「みんな……」

 

 十人以上いた。皆、衣服は裂け、髪は乱れ、傷だらけだった。座り込んだまま動かない者、格子に寄りかかって虚ろに空を見ている者。誰一人、声を上げていなかった。

 

 声を上げても無駄だと、知っているのだろう。

 

 ラーダの目に、涙が滲んだ。

 

「あの子……まだ、あんなに小さいのに……」

 

 彼女が指した檻の隅に、ひときわ小柄な影がうずくまっていた。膝を抱え、顔を伏せたまま、身じろぎ一つしない。

 

「ラーダさん」

 

 鬼太郎の声に、彼女は我に返った。

 

「は、はい」

 

「檻の鍵は、誰が管理していますか」

 

「え……え、と、たぶん、あの……頭目の男が」

 

「どの方でしょう」

 

「あの、大きな……髭の」

 

 ラーダが震える指で示した先に、体格の良い男が立っていた。腰に鍵束を下げ、部下らしき数人に何か指示を出している。

 

「ありがとうございます。十分です」

 

 鬼太郎は、静かに立ち上がった。

 

「では、始めましょうか」

 

        ◇

 

「おい、一つ確認だ」

 

 歩き出そうとした鬼太郎に、サーシェスが声をかけた。

 

「殺すのか、殺さねえのか。どっちだ」

 

「殺しません」

 

「あ?」

 

「殺さないでください」鬼太郎は振り返らずに答えた。「全員、生かしたまま無力化します」

 

「……なんでだ」

 

「材料ですので」

 

 サーシェスの動きが、止まった。

 

「……材料?」

 

「拠点を作るのに、人手が要ると申し上げたはずですが」

 

「いや、聞いたが、お前――」

 

 そこまで言って、彼は理解した。

 

 そうか。この子供は、最初からそのつもりだったのだ。

 

 密猟者を、殺すのではなく、使う。

 

「……お前なあ」

 

「何か問題が?」

 

「いや、別に」サーシェスは、諦めたように首を振った。「ただ、俺の楽しみが減るってだけの話だ」

 

「申し訳ありません。ですが、これは効率の問題ですので」

 

「へいへい」

 

        ◇

 

 制圧は、あっけないほど早く終わった。

 

 まず、見張りの二人が同時に崩れ落ちた。何が起きたのか分からないまま、ただ意識を刈り取られた。

 

「――ザン」

 

 次の瞬間、正面の門扉が内側へ吹き飛んだ。

 

 不可視の衝撃が、木材を砕き、蝶番をねじ切る。轟音とともに、砦の中へ土煙が流れ込んだ。

 

「なんだ!? 敵襲か!」

 

 男たちが、慌てて飛び出してくる。杖を構え、呪文を放つ者。ナイフを抜く者。だが、彼らの反応はどれも遅すぎた。

 

 鬼太郎は、その中へ真っ直ぐに踏み込んでいった。

 

 殺さない、というのは、彼にとって**制約**である。

 

 殺すのは簡単だ。アギを一発放てば済む。だが、それをしない以上、一人ずつ確実に意識を奪い、かつ再起不能な損傷を与えない加減で処理しなければならない。

 

 面倒ではあった。

 

 だが、不可能ではない。

 

「――ブフ」

 

 三人の足元が、瞬時に凍りついた。膝から下を氷に固められ、彼らは悲鳴を上げながらその場に釘付けになる。

 

「な、なんだこりゃ! 動けねえ!」

 

 鬼太郎は、そのうちの一人に歩み寄り、顎に掌底を打ち込んだ。首から上が跳ね上がり、白目を剥いて崩れ落ちる。骨は折っていない。脳を揺らしただけだ。

 

 二人目、三人目も、同じ手順で沈めた。

 

「て、てめえ! ガキが――」

 

 背後から飛びかかってきた男の腕を掴み、体重を利用して投げ倒す。着地点を選んで放ったので、頭は打たない。そのまま喉元へ手刀を一閃。

 

 男が沈黙した。

 

 その間、サーシェスは銃床で殴り倒す作業に専念していた。

 

「ちっ、面倒くせえ。撃った方が早えってのに」

 

「我慢してください」

 

「分かってるよ!」

 

 そして――十数分の後。

 

 砦の中庭には、意識を失った男たちが並べられていた。

 

 死者は、一人も出ていない。

 

        ◇

 

「さて」

 

 鬼太郎は、倒れた男たちを見渡した。

 

 十四人。全員が成人男性で、体格も悪くない。荒事に慣れた連中だ。労働力としては申し分ない。

 

「では、始めましょうか」

 

 彼は、その中央に歩み出た。

 

「おい、何する気だ」

 

 サーシェスが尋ねる。

 

「少々、手を加えます」

 

 鬼太郎は、両手を軽く広げた。

 

 そして――彼らの意識が戻り始めるのを、静かに待った。

 

 やがて、一人が呻きながら身を起こした。頭を押さえ、状況を把握しようと周囲を見回す。

 

 その視線が、目の前に立つ子供を捉えた。

 

「……てめえ、何なんだ」

 

 男が、憎悪のこもった目で睨みつけた。

 

 鬼太郎は、それに答えなかった。

 

 代わりに、右手を男へと向けた。

 

「マリンカリン」

 

 その瞬間。

 

 男の顔から、憎悪が消えた。

 

 まるで、水に落とした墨が広がって消えるように。ほんの数秒で、その表情からすべての敵意が抜け落ちていく。

 

 そして――男は、穏やかに微笑んだ。

 

「……ああ」

 

 彼は、ゆっくりと立ち上がった。

 

 その動きに、警戒はない。敵意もない。ただ、目の前の存在に対する、絶対的な信頼だけがそこにあった。

 

「申し訳ありません。お待たせしてしまいましたか」

 

 その口調は、まるで長年仕えてきた従者のようだった。

 

「いいえ。お気になさらず」

 

「何をすればよろしいでしょう」

 

「後ほどご説明いたします。他の方が起きるまで、お待ちいただけますか」

 

「かしこまりました」

 

 男は、深々と頭を下げると、指示された通りその場に控えた。

 

 直前まで、殺意を向けていた相手に。

 

        ◇

 

「……なによ、これ」

 

 中庭の入り口で、キーノが呆然と立ち尽くしていた。

 

 鬼太郎は、次々と目を覚ます男たちに、同じことを繰り返していた。

 

 右手をかざす。一言唱える。それだけで、男たちの目から敵意が消え、穏やかな表情が浮かぶ。そして、恭しく頭を下げる。

 

 悲鳴も、抵抗も、何一つなかった。

 

 むしろ――彼らは、嬉しそうにすら見えた。

 

「……気持ち悪い」

 

 キーノは、思わず呟いた。

 

 人が殺されるところなら、もう何度も見た。慣れたとは言わないが、少なくとも理解はできる。暴力は分かりやすい。誰かが誰かを害している。それだけだ。

 

 だが、これは違う。

 

 誰も傷ついていない。血も流れていない。悲鳴も上がらない。

 

 なのに、こちらの方がはるかに恐ろしかった。

 

 あの男たちは、もう自分が誰だったのかも分からなくなっているのではないか。そんな気がした。

 

「なあ、坊主」

 

 サーシェスの声にも、いつもの余裕がなかった。

 

「そいつは、いつまで続くんだ」

 

「解けば戻ります」

 

「解かなかったら?」

 

「そのままでしょうね」

 

「……そりゃ、死ぬまでってことか」

 

「ええ」

 

 鬼太郎は、事もなげに答えた。

 

 サーシェスは、無言でその横顔を見つめた。

 

 ――こいつだけは、絶対に敵に回すな。

 

 十数年の傭兵経験が培った本能が、いつになく強く警鐘を鳴らしていた。撃たれるのも、斬られるのも怖くはない。だが、これは違う。

 

 殺されるより先に、自分でなくなる。

 

「……ちっ」

 

 彼は、忌々しげに舌打ちした。

 

 その恐怖を、どこかで愉快に感じている自分がいた。だから余計に、腹が立った。

 

        ◇

 

「ねえ」

 

 キーノの声が、いつになく硬かった。

 

 鬼太郎が振り返る。

 

「はい」

 

「あんた、いくつ魔法持ってんの」

 

 その問いに、サーシェスの視線も動いた。

 

 彼もまた、聞きたくて聞けずにいたことだった。

 

「といいますと」

 

「とぼけないで」キーノは、一歩詰め寄った。「火、雷、氷、衝撃、傷を治すやつ、頭を掻き回すやつ。それで全部だと思ってたわよ。なのに今度は何? 人を丸ごと作り変えるようなのまで出てくるじゃない」

 

「……ああ」

 

「まだあるの?」

 

「いくつか」

 

「いくつかって何よ!」

 

 彼女の声が、中庭に響いた。

 

 整列した男たちが、一斉にこちらを見る。その穏やかな視線が、かえって不気味だった。キーノは身震いして、声を落とした。

 

「……前から、おかしいと思ってたのよ」

 

 彼女は、拳を握った。

 

「杖も使わない。呪文も全然違う。誰も知らないような術を、平気な顔で使う。あの見世物小屋の時だって、あんた、あんな数を一人で……」

 

 そこで言葉が途切れた。

 

 あの夜のことは、まだうまく言葉にできない。

 

「そんなの、どこで覚えたのよ」

 

 鬼太郎は、しばらく黙っていた。

 

 それから、静かに答えた。

 

「以前、別の場所に住んでおりました」

 

「……別の場所?」

 

「ええ。あまり、住み心地の良い土地ではありませんでしたが」

 

「どこよ」

 

「遠い場所です」

 

「答えになってないでしょ」

 

「そうですね」

 

 鬼太郎は、あっさりと認めた。

 

 嘘は言っていない。だが、本当のことも言っていない。

 

「そこでは、術を扱えることが生き延びる条件でしたので。皆、覚えるものでした」

 

「皆って……その土地の人は、みんなあんたみたいなのが使えるの?」

 

「使えない者は、死にました」

 

 その一言に、キーノが息を呑んだ。

 

 言い方が、あまりに平坦だった。悲しんでいるわけでも、誇っているわけでもない。ただ、そういう決まりだったと述べているだけの声。

 

「……それで、あんたは生き残ったってこと」

 

「結果として」

 

「……」

 

 キーノは、何か言おうとして、口をつぐんだ。

 

 そして、ふと気づいた。

 

 この話には、致命的な矛盾がある。

 

「ちょっと待ちなさいよ」

 

「はい」

 

「あんた、今いくつよ」

 

 鬼太郎の動きが、わずかに止まった。

 

「十歳ですが」

 

「そうよね。十歳よね」キーノは、額を押さえた。「六つで親を亡くして、そこから一人でやってきたって、前に言ってたわよね」

 

「ええ」

 

「じゃあ、いつ習ったのよ」

 

 沈黙が落ちた。

 

「四年よ。たった四年。その間ずっと、裏社会で仕事してたんでしょ。どこに、そんなものを何十も覚える時間があったっていうの」

 

 彼女は、真っ直ぐに鬼太郎を見た。

 

「それに、あんた一度も言ってないじゃない。誰に習ったとか、どこで暮らしてたとか。『遠い場所』って、それどこよ。日本でしょ、あんたが生まれたのって」

 

 サーシェスが、口笛を吹いた。

 

「言うねえ、嬢ちゃん」

 

「あんたも気になってたんでしょ」

 

「まあな」

 

 彼は、壁にもたれたまま肩をすくめた。

 

「正直、俺も何度か聞こうとした。だが、こいつの場合、聞いたところで――」

 

「……はぐらかされるだけ、でしょ」

 

「そういうこった」

 

 二人の視線が、鬼太郎に集まった。

 

 彼は、その二つの視線を静かに受け止めていた。

 

 そして――ごくわずかに、口の端を上げた。

 

「よく見ておられますね」

 

「答えになってない!」

 

「ええ、承知しております」

 

 鬼太郎は、悪びれもせずに頷いた。

 

「申し上げられないこともある、とご理解いただければ」

 

「……それ、答える気ないってことじゃない」

 

「はい」

 

 あまりに率直な肯定に、キーノは絶句した。

 

 誤魔化そうともしない。嘘で塗り固めようともしない。ただ、話さないと宣言しただけ。

 

「……あんたねえ」

 

「不満でしたら、お詫びいたします」

 

「不満とかじゃなくて!」

 

 彼女は、髪をかき混ぜた。

 

 そして、大きく息を吐いた。

 

「……もういいわよ。どうせ聞いても無駄なんでしょ」

 

「恐れ入ります」

 

「褒めてないわよ!」

 

 キーノは、足音荒く中庭を出ていった。

 

 その背中を見送ってから、サーシェスが小さく笑った。

 

「怒らせたな」

 

「そのようです」

 

「悪かったと思ってんのか?」

 

「いいえ」

 

「だろうな」

 

 彼は、煙草に火をつけた。

 

「まあ、俺は別に構わねえよ。お前が何者だろうとな」

 

 紫煙を吐き出しながら、続ける。

 

「ただ一つだけ言っとく。お前が何を隠してようが、俺はいつかお前を殺す。それだけは変わらねえ」

 

「ええ、存じております」

 

「ならいい」

 

 サーシェスは、それ以上は何も聞かなかった。

 

 鬼太郎は、彼のそういうところを気に入っていた。

 

        ◇

 

 檻の鍵は、頭目だった男が自ら差し出した。

 

 もっとも、その男はもう頭目ではない。ただ、指示を待つだけの存在になっていた。

 

「開けてください」

 

「かしこまりました」

 

 男が、鉄格子の錠を外していく。

 

 中にいたヴィーラたちは、最初、何が起きているのか理解できずにいた。自分たちを閉じ込めていた男が、扉を開けている。しかも、穏やかな笑みを浮かべながら。

 

「……ラーダ?」

 

 誰かが、その名を呼んだ。

 

「みんな!」

 

 ラーダが、檻へと駆け寄った。

 

 そこからは、混乱と再会が入り混じった時間だった。泣き崩れる者、呆然と立ち尽くす者、ラーダに縋りつく者。十数人のヴィーラたちが、五日ぶりに、あるいは数ヶ月ぶりに、檻の外へと出た。

 

 ラーダは、一人一人の無事を確かめて回った。

 

 そして、あの小柄な影のところで、膝をついた。

 

「もう大丈夫よ。終わったの」

 

 少女は、顔を上げた。

 

 そして、ラーダの肩越しに、中庭に並ぶ男たちを見た。

 

 自分たちを傷つけてきた男たちが、整列して、一人の子供の言葉を待っている。

 

 その光景に、少女は小さく身を震わせた。

 

「……あの人たち、どうしたの?」

 

「……それは」

 

 ラーダは、答えられなかった。

 

 助けられた。それは間違いない。仲間は解放され、誰も死ななかった。

 

 なのに、なぜだろう。

 

 胸の奥が、ひどく冷たかった。

 

「言ったでしょ」

 

 いつの間にか近くに来ていたキーノが、腕を組んで言った。

 

「ろくなこと考えてないって」

 

        ◇

 

「ラーダさん」

 

 鬼太郎が、彼女を呼んだ。

 

「先ほど申し上げた、ご相談の件です」

 

「あ……はい」

 

 ラーダは、慌てて立ち上がった。

 

 ようやく来た、と思った。この子供が何を求めているのか。仲間を助けた見返りに、何を要求するつもりなのか。

 

 覚悟はしていた。

 

 助けてもらった以上、何を言われても断れる立場ではない。相手が望むなら、自分の羽毛でも髪でも、差し出すつもりだった。

 

「定期的に、羽毛と髪を分けていただきたいのです」

 

「……はい」

 

 やはり、と彼女は思った。目的は、あの男たちと同じだった。

 

「その対価として、この一帯の安全を保証いたします」

 

「……え?」

 

 ラーダは、顔を上げた。

 

「対価、ですか」

 

「ええ。私どもはこの森に拠点を構えます。であれば、周辺から不審な人間を排除することになるでしょう。結果として、あなた方の安全も確保されます」

 

 鬼太郎は、淡々と続けた。

 

「加えて、負傷された際は治療いたします。先ほどご覧いただいた通り、私の術はそれなりに効きますので」

 

「そんな……いえ、でも」

 

 彼女は混乱していた。

 

 この子供は、力ずくで奪うことができる。実際、そうしようと思えば一瞬だ。あの男たちにしたことを、自分たちにすればいい。それだけで、抵抗する者は誰もいなくなる。

 

 なのに、なぜ。

 

「あの、どうして……取引などと」

 

「殺して奪えば、一度きりで終わりますので」

 

 鬼太郎は、ごく当然のように答えた。

 

「羽毛も髪も、生きていれば再び生えてくるものでしょう。であれば、良好な関係を維持した方が、長期的にははるかに効率的です。逃げられる心配も、反抗される手間もありません」

 

「……効率」

 

「ええ」

 

 ラーダは、しばらく言葉を失っていた。

 

 悪くない話だ。それは間違いない。むしろ、こちらにとって破格の条件と言っていい。羽毛と髪を渡すだけで、安全と治療が保証される。密猟者に怯えて暮らす日々が終わる。

 

 だが。

 

 彼女は、理解してしまった。

 

 この子供は、自分たちを助けたいわけではない。

 

 同情したわけでも、義憤に駆られたわけでもない。ただ、資源として価値があるから、大切に扱う。それだけなのだ。

 

 あの密猟者たちと、根本の発想は同じだった。

 

 違うのは、扱い方が「賢い」ということだけ。

 

「……分かりました」

 

 それでも、彼女は頷いた。

 

 断る理由がない。こちらに損はない。仲間も救われる。

 

 それに――と、彼女は思った。

 

 少なくともこの子供は、自分たちを騙そうとはしなかった。理由を隠さず、正直に「効率」だと言った。

 

 善意ではない。だが、嘘でもない。

 

「一族の者と、話してみます。おそらく、反対する者はいないと思いますが」

 

「結構です。では、また改めて」

 

 鬼太郎は、丁寧に一礼した。

 

 その所作は、どこまでも礼儀正しかった。

 

        ◇

 

 その後、鬼太郎は砦の中を一通り歩いて回った。

 

 石造りの壁。中庭。倉庫。水場。地下には、素材の保管庫らしき部屋まであった。

 

「……なるほど」

 

 彼は、満足げに頷いた。

 

「上等ですね」

 

「何がだよ」

 

「この建物です。壊して建て直す必要がありません」

 

 鬼太郎は、壁を軽く叩いた。

 

「基礎は堅牢です。囲いもある。水場も確保されている。手を加えれば、十分に使えるでしょう」

 

「……お前、ここに住む気か?」

 

「ええ。ちょうど拠点を探しておりましたので」

 

 サーシェスは、呆れたように周囲を見回した。

 

 直前まで密猟者の根城だった場所である。血の匂いも、獣の臭いも、まだ濃く残っている。

 

「悪趣味だな」

 

「使えるものを使うだけです」

 

 鬼太郎は、中庭の檻へと目を向けた。

 

「あれも、そのまま残しましょう」

 

「……檻をか?」

 

「ええ。壊すのはもったいない」

 

「何に使うんだよ」

 

「用途は、その時に考えます」

 

 その言葉を、少し離れた場所で聞いていたラーダの背筋が、ぞわりと粟立った。

 

 たった今、自分たちが出てきたばかりの檻だった。

 

 それが、当たり前のように残されようとしている。

 

 彼女は、何か言おうとして――結局、何も言えなかった。

 

        ◇

 

 日が暮れる頃。

 

 鬼太郎は、整列した十四人の男たちの前に立っていた。

 

「では、皆様にお願いがございます」

 

 男たちが、一斉に姿勢を正した。

 

「この建物を、改装していただきます」

 

「かしこまりました」

 

「具体的な図面は、後日お示しいたします。それまでは、瓦礫の撤去と、崩れた箇所の補修をお願いいたします」

 

「承知いたしました」

 

 誰一人、疑問を挟まなかった。

 

 自分たちが建てた砦を、自分たちの手で作り変える。その異様さに、気づく者は一人もいなかった。

 

「――さて」

 

 鬼太郎は、暮れゆく空を見上げた。

 

 拠点が手に入った。労働力も確保した。素材の供給源も押さえた。

 

 あとは、中身を整えるだけだ。

 

「ここからですね」

 

 彼の口元に、静かな笑みが浮かんだ。

 

 それは、この森における長い日々の、始まりの合図だった。

 

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