ハリー・ポッターと墓場に還りし者 作:ムササビ
地下の実験室は、屋敷の中で最も広い区画だった。
石の民が丁寧に組み上げた壁は、音も光も通さない。天井には、彼らが埋め込んだ発光石が等間隔に並び、昼間のような明るさを保っている。
その中央に据えた長机の上に、鬼太郎は八本の杖を並べていた。
どれも、これまでの仕事で持ち主から奪ったものである。魔法界のアンダーグラウンドで活動していた一年あまりの間に、自然と溜まっていた。
「では、始めましょうか」
彼は、一本目を手に取った。
◇
最初にしたのは、計測だった。
長さを測り、重さを量り、太さと硬さを記録する。木目の走り方、握りの形状、装飾の有無。すべてを紙に書き留めていく。
次に、反応を見た。
一本ずつ握り、精神力ではなく、体の奥にあるもう一つの力を意識して流し込む。この世界の魔力と呼ばれるものだ。
――ぱち。
一本目。小さな火花が散り、すぐに消えた。
――ぱち、ぱち。
二本目。先ほどより、わずかに強い。
三本目は、何も起きなかった。
四本目は、握った瞬間に手のひらがぴりりと痺れた。拒絶されている、という感覚があった。
鬼太郎は、それらをすべて数値化して記録した。
反応の強さを五段階に分け、持続時間を数え、手応えの質を言葉で記述する。同じ杖を、日を変えて三度試した。体調や時間帯で結果が変わらないかを確かめるためだった。
三日をかけて、一巡目の記録が終わった。
◇
次に、彼は分解に取りかかった。
最も反応の弱かった一本を選び、慎重に削っていく。
やがて、木材の中心から、細い一本の繊維が現れた。
「……なるほど」
銀色の、光沢のある毛髪だった。
書物の記述と照合する。ユニコーンの毛髪。杖の芯材として広く用いられるもので、安定した魔法を生むが、強力な闇の魔術には向かないとされる。
彼は、それを丁寧に取り出し、記録した。
二本目を分解する。中から出てきたのは、暗い赤色をした細い糸状のものだった。
ドラゴンの心臓の琴線。強力な魔法に適するが、扱いが難しく、使い手を選ぶ傾向が強い。
三本目、四本目と、彼は淡々と作業を続けた。
八本のうち、五本がユニコーン、二本がドラゴン、残る一本は――判別がつかなかった。細い羽根のようだが、書物のどの記述とも一致しない。
「……これは、後回しにいたしましょう」
彼は、その一本を別に分けた。
◇
記録が揃ったところで、鬼太郎は比較を始めた。
芯材の種類。木材の種類。それぞれの組み合わせと、自分の反応の強さ。
紙の上に、表を作っていく。
そして――傾向が、見えてきた。
(――ドラゴンの方が、反応が強い)
ユニコーンの芯材を持つ杖は、いずれも反応が鈍かった。対してドラゴンのものは、二本とも明確な手応えがあった。
木材にも差があった。どうやら、硬く重い木の方が相性が良いらしい。柔らかい木では、力が散ってしまう感触があった。
「興味深いですね」
彼は、満足げに頷いた。
これは、大きな収穫だった。自分に合う杖の条件が、ある程度絞り込めたことになる。
だが、同時に――問題も見つかった。
二本のドラゴン芯材の杖。木材も似ている。長さもほぼ同じ。
にもかかわらず、反応に明確な差があった。片方は強く、もう片方は中程度。
(――組成だけでは、説明がつきません)
彼は、しばらくその二本を見比べていた。
同じ材料を使い、同じ寸法で作られていても、結果が違う。ならば、材料以外の何かが介在しているということになる。
製作者の技術か。製作時の条件か。あるいは――もっと別の、書物には書かれていない何かか。
「……ふむ」
答えは、出なかった。
◇
それでも、彼は次の段階へ進むことにした。
条件が分かったなら、作ればいい。
鬼太郎は、森へ出た。
この一帯には、良質な木材が豊富にある。木を扱う一族に頼めば、最適なものを選んでもらえるはずだった。
「硬くて、重い木が欲しいのですが」
「それなら、あちらの尾根に良いものが」
木の一族の長老は、快く応じてくれた。彼らは木に触れるだけで、その性質を言い当てる。密度、含水率、癖の方向。鬼太郎が求めたのは、最も硬く、最も詰まった一本だった。
芯材も用意した。
ラーダに頼み、ヴィーラの羽毛を数枚分けてもらった。取引の範囲内である。
そして、地下の実験室に戻り、製作に取りかかった。
寸法は、最も反応の良かった杖に合わせた。削り方も、分解の際に観察した構造を可能な限り再現した。芯材を中心に通し、隙間なく木材で包む。研磨を重ね、形を整える。
三日かけて、一本の杖が完成した。
見た目は、悪くなかった。
鬼太郎は、それを手に取った。
そして、力を流し込んだ。
――何も、起きなかった。
「……ほう」
彼は、もう一度試した。
やはり、何も起きない。火花一つ散らない。手のひらには、ただ木の感触があるだけだった。
どれだけ力を込めても、それはただの棒だった。
「……なるほど」
鬼太郎は、静かにそれを机に置いた。
落胆は、あまりなかった。むしろ、予想の範囲内だったと言っていい。
材料は揃えた。寸法も合わせた。構造も模倣した。それでも、何も起きない。
つまり――足りないのは、材料でも形でもないということだ。
(――工程に、何かがあるのでしょうね)
杖を作る、という行為そのものに、彼の知らない技術が含まれている。それは、書物には書かれていないものだ。おそらく、職人が代々受け継いできた類の。
彼は、その事実を素直に認めた。
できないものは、できない。自分の手に負えない領域があると認めることは、彼にとって恥でも何でもなかった。むしろ、無駄な試行を重ねる方がよほど非効率である。
「専門の職人が、必要ということですか」
彼は、失敗作を棚に仕舞った。
いつか、そういう相手に出会う機会があれば。その時のために、今日得た条件は役に立つはずだった。
ドラゴンの芯材。硬く重い木材。
少なくとも、この二つは分かっている。
◇
自作を諦めた以上、当面は手持ちで凌ぐしかない。
鬼太郎は、八本の中から一本を選んだ。
最も反応の強かった、ドラゴンの心臓の琴線を芯とする杖である。黒みがかった木材で、握りはやや太い。元の持ち主は、確か二ヶ月ほど前に処理した闇商人だった。
完璧ではない。彼自身のために作られたものではないから、力の一部しか通らない。
だが、検証には十分だった。
「では、次の段階に参りましょう」
◇
中庭に、十四人が整列していた。
全員が穏やかな表情で、鬼太郎の言葉を待っている。この数週間、彼らは黙々と建築作業をこなし、今は屋敷の維持と周辺の見回りに従事していた。
「皆様に、お伺いしたいことがございます」
「何なりと」
最前列の男が、恭しく応じた。
「皆様が使える魔法を、すべて教えていただきたいのです」
「かしこまりました」
即答だった。
躊躇いも、疑問も、駆け引きもない。
鬼太郎は、紙束と羽根ペンを構えた。
「では、お一人ずつ。呪文の名称、発音、杖の振り方、効果、必要な条件。ご存じの範囲で結構です」
そして、記録が始まった。
◇
それは、奇妙な光景だった。
男たちは、実に協力的だった。
自分の知る呪文を、丁寧に説明する。発音が難しいものは、鬼太郎が正確に真似できるまで何度も繰り返す。杖の振り方は、実際に手を取って教えた。
「この角度が重要でして。ここで手首を返すと、効果が安定します」
「なるほど。こうですか」
「ええ、お上手です」
まるで、師弟だった。
ある男は、密猟に使っていた拘束系の呪文を解説した。魔法生物を傷つけずに動きを止めるための術で、本人曰く「かなり工夫を重ねた」ものだという。
ある男は、痕跡を消す呪文を教えた。魔法省の追跡を逃れるために覚えたものだ。
ある男は、対人戦闘に特化した術の数々を披露した。急所を狙う撃ち方、複数を同時に相手取る際の立ち回り、盾を張るタイミング。
荒事に慣れた連中である。実戦的な知識は、驚くほど豊富だった。
彼らは、それらをすべて差し出した。
惜しむことなく、隠すことなく。自分たちが長年かけて身につけてきたものを、笑顔で。
「他にございますか」
「そうですね……ああ、そういえば」
男が、思い出したように言った。
「あまり褒められた術ではないのですが、人を苦しめるためだけの呪文も、いくつか」
「ぜひ、お聞かせください」
「かしこまりました」
◇
その様子を、キーノは階段の踊り場から眺めていた。
誰も傷ついていない。誰も泣いていない。誰も抵抗していない。
和やかですらある。
だからこそ、見ていられなかった。
「……うわ」
彼女は、思わず声を漏らした。
あの男たちは、自分が何を奪われているのかすら理解していない。いや、奪われているという認識自体がないのだろう。喜んで差し出しているのだから。
十数年かけて身につけたもの。生きるために覚えたもの。それを、笑顔で。
「……気持ち悪」
言いかけて、彼女は口をつぐんだ。
言ったところで、あの子供は「何か問題が?」と返してくるだけだ。そして、その問いに答えられる言葉を、彼女は持っていない。
道理は、向こうにある。
あの男たちは、密猟者だ。ヴィーラを捕らえ、切り刻み、閉じ込めていた連中である。同情する余地などない。
殺されなかっただけ、まだましだとも言える。
それでも。
「……もういいわ」
彼女は、踵を返して階段を上がっていった。
見ていて気分の良いものではない。それだけは、確かだった。
◇
五日をかけて、記録は完成した。
紙束にして、二冊分。呪文の数にして、百を超えていた。
鬼太郎は、それを地下の実験室に持ち込み、検証に入った。
一つずつ、順に試していく。
「――ルーモス」
杖の先端に、小さな光が灯った。
成功である。
彼は、それを記録した。難易度、消費、持続時間、自分の手応え。
「――ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
机の上の羽根が、ふわりと浮き上がった。
これも成功。
「――エクスペリアームス」
壁に立てかけておいた木の棒が、勢いよく弾け飛んだ。
威力は、記録にあるものより明らかに弱い。だが、発動はした。
彼は、次々と試していった。
そして――三十を超えたあたりから、失敗が混ざり始めた。
「――プロテゴ」
何も起きない。
もう一度。発音を確認し、杖の角度を修正し、集中する。
「――プロテゴ」
やはり、何も起きなかった。
鬼太郎は、杖を見下ろした。
(――出力が、足りませんか)
彼は、その原因を正確に把握していた。
この杖は、彼のものではない。
元の持ち主のために作られ、その男の性質に合わせて調整されたものだ。鬼太郎が使えば、通る力は本来の何割かに減じる。
単純な呪文であれば、その何割かで足りる。だが、高度な術になるほど、必要な出力が跳ね上がる。
そこで、届かなくなる。
「……なるほど」
彼は、失敗した呪文の一覧を別の紙に書き出した。
全体の、およそ三割。
その三割が、この世界の魔法の中でも上位に位置するものたちだった。防御、変身、高度な変成、記憶操作。
つまり、今の自分は――七割しか使えていない。
「……足りませんね」
彼は、静かに呟いた。
前世の術は、精神力さえあれば杖を必要としない。だが、この世界の魔法は違う。道具が、性能を規定する。
道具に依存するというのは、彼にとって好ましい状態ではなかった。
だが、だからこそ。
――良い杖が、要る。
その渇望が、この日、彼の中で明確な形を取った。
ドラゴンの芯材。硬く重い木材。そして、自分のために作られた一本。
どこかに、それを作れる職人がいるはずだった。
「……いずれ、探すといたしましょう」
彼は、記録を閉じた。
地下室の発光石が、静かに光を放っていた。