ハリー・ポッターと墓場に還りし者   作:ムササビ

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循環

 屋敷が完成して、三週間ほどが過ぎた頃だった。

 

 森の見回りに出ていた人員の一人が、報告に戻ってきた。

 

「西の尾根に、人が入っております。五名ほど」

 

「装備は、いかがですか」

 

「杖と、それから捕獲用の網を。魔法生物を狙っているものかと」

 

 鬼太郎は、記録の手を止めて顔を上げた。

 

「……もう、来ましたか」

 

 少し早い、というのが正直な感想だった。

 

 前の連中を片付けてから、まだ二月と経っていない。

 

        ◇

 

 結果から言えば、それは造作もない仕事だった。

 

 五人組は、森の地形を知らなかった。対してこちらは、この数週間で隅々まで把握している。しかも、見回りの人員が常に目を光らせている。

 

 包囲は、相手が気づく前に完成していた。

 

「な、なんだお前ら――」

 

「ザン」

 

 衝撃が、五人をまとめて薙ぎ倒した。

 

 抵抗する間もなかった。

 

 縛り上げられた男たちは、それでも状況を理解していないようだった。当然だろう。彼らにとって、この森は無人の狩場のはずだったのだから。

 

「一つ、お伺いします」

 

 鬼太郎は、その中の一人にしゃがみ込んで尋ねた。

 

「なぜ、この森へ入られたのですか」

 

「な、なんでって……お前」

 

「素直にお答えいただけると、助かります」

 

「……噂を、聞いたんだよ」

 

 男は、観念したように吐き出した。

 

「この辺りは、最近やたらと獲物が多いって。何年も荒らされてないみたいで、ヴィーラも、ドラゴンの雛も、他じゃ見ねえような連中がうようよいるって」

 

「なるほど」

 

「だから、来た。それだけだ」

 

 鬼太郎は、しばらく黙っていた。

 

 そして――理解した。

 

        ◇

 

(――ああ)

 

 彼は、頭の中で構造を組み立てた。

 

 密猟者を排除する。

 

 森が安全になる。

 

 魔法生物が増える。

 

 「あの森は稼げる」という噂が広まる。

 

 新たな密猟者が、やってくる。

 

 そして、その密猟者もまた――材料になる。

 

 円環である。

 

 一度回り始めれば、外部から何かを足す必要がない。自分が密猟者を排除すればするほど、森は豊かになり、豊かになればなるほど、新たな密猟者が引き寄せられる。

 

 餌場だと思って、自分から罠に入ってくる。

 

(――これは)

 

 鬼太郎の口元が、わずかに緩んだ。

 

 材料の調達は、彼にとって最大の懸案だった。実験には被験者が要る。だが、探して回るのは手間だし、人目にもつく。

 

 その問題が、自動的に解決されていた。

 

 しかも――自分は何一つ意図していない。ただ、目の前の面倒を片付けていただけだ。それが結果として、永続的な供給の仕組みを作り上げていた。

 

「……都合がよろしいですね」

 

 彼は、静かにそう呟いた。

 

 この認識を得た瞬間から、彼の中でこの森の意味が変わった。

 

 単なる拠点ではない。

 

 自ら回り続ける、資源の循環系である。

 

        ◇

 

「おい坊主」

 

 縛り上げられた五人を前に、サーシェスが声をかけた。

 

「そいつら、どうすんだ」

 

「檻へ入れます」

 

「全員か?」

 

「ええ。実験に――」

 

 そこで、鬼太郎は言葉を切った。

 

 彼は、サーシェスの顔を見た。

 

 この一ヶ月ほど、この男は明らかに退屈していた。建築の間は手を出すこともなく、実験には興味を示さない。時折、思い出したように殺し合いを挑んでくるが、それも回数が減っていた。

 

 つまらないのだ。

 

 この男にとっての充足は、戦うことにしかない。

 

(――消耗しますね)

 

 鬼太郎は、そう判断した。

 

 気に入ったものは、良好な状態で保たなければならない。屋敷の設計の時に学んだことだ。安全であることと、良好であることは同じではない。

 

 この男の場合、それは「暴れられること」を意味する。

 

「――いえ。半分ほど、お渡しいたしましょうか」

 

「……あ?」

 

「五名のうち、二名か三名を。ご自由にお使いください」

 

 サーシェスの動きが、止まった。

 

「……おい。それ、本気で言ってんのか」

 

「ええ」

 

「なんでだ」

 

「退屈しておられるようでしたので」

 

 鬼太郎は、ごく普通の口調で続けた。

 

「発散の機会がないと、状態が悪くなるでしょう。定期的に必要かと思いまして」

 

 サーシェスは、しばらく無言だった。

 

 それから――低く、笑い始めた。

 

「……はっ。はははっ」

 

 彼は、顔を覆って笑った。

 

「なるほどな。犬に骨をやるってわけか」

 

「そのような認識で結構です」

 

「否定しろよ、そこは!」

 

「事実ですので」

 

「……ちっ」

 

 サーシェスは舌打ちしたが、その目には隠しきれない期待が浮かんでいた。

 

 腹立たしい。この上なく腹立たしい。

 

 だが――久しぶりに、思い切りやれる。

 

「……もらっとくぜ」

 

「どうぞ」

 

        ◇

 

 少し離れた場所で、キーノがその会話を聞いていた。

 

 彼女の顔は、完全に引きつっていた。

 

「……ちょっと」

 

 声が出た。

 

 人を、渡す。しかも、ストレス発散のために。

 

 犬に骨をやるように。

 

「ちょっと待ちなさいよ、あんた!」

 

 彼女は、大股で二人の間に割り込んだ。

 

「今、何て言った? 人をあげるって言った?」

 

「ええ」

 

「頭おかしいでしょ!」

 

「何か問題が?」

 

「問題しかないわよ!」

 

 鬼太郎は、心底不思議そうな顔をしていた。それがまた、彼女の癇に障る。

 

「いい? 人間はね、物じゃないの。あげたりもらったりするものじゃないの!」

 

「では、どう扱うべきでしょう」

 

「そ、それは……」

 

 彼女は、一瞬言葉に詰まった。

 

「とにかく、渡すのはおかしいでしょ! 生きてる人なのよ!」

 

「その方々は、ヴィーラを捕らえて切り刻もうとしていた者たちですが」

 

「……それは、そうだけど」

 

「殺してしまえば、そこで終わりです。サーシェスが退屈しているのであれば、有効に使った方が合理的かと」

 

「合理とか言わないでよ!」

 

 キーノは、地団駄を踏みそうになった。

 

 この子供は、こういう時、必ず正しいことを言う。言っていることに穴がない。だから反論できない。

 

 だが、それでも間違っているのだ。彼女には、それが分かる。

 

 ただ――どう間違っているのかを、言葉にできない。

 

「……あのね」

 

 彼女は、深呼吸をした。

 

「あたしだって、あいつらに同情なんかしてないわよ。ラーダたちにしたこと、許す気もない」

 

「では」

 

「でもね、だからって何をしてもいいわけじゃないの! そこには線があるのよ!」

 

「線、ですか」

 

「そう。越えちゃいけない線。誰でも持ってるものよ」

 

 鬼太郎は、少し考えるように首を傾げた。

 

 そして、尋ねた。

 

「それは、どこに引かれているのですか」

 

「……え?」

 

「あなたの言う線です。どの位置に、どういう根拠で引かれているのでしょう。それが分かれば、私も考慮いたしますが」

 

 キーノは、口を開いた。

 

 そして、閉じた。

 

 答えられなかった。

 

 殺すのは駄目で、実験は駄目で、渡すのは駄目。だが、なぜ駄目なのか。捕らえるのは? 閉じ込めるのは? 労働させるのは?

 

 自分は、どこまでなら許せるのか。

 

 考えたこともなかった。

 

「……そんなの、言葉になんかできないわよ」

 

「では、私には分かりかねます」

 

「分かりなさいよ!」

 

「努力はいたしますが」

 

「してないでしょ、絶対!」

 

 彼女は、両手を振り上げて叫んだ。

 

 サーシェスが、腹を抱えて笑っている。

 

「嬢ちゃん、諦めろって。そいつに常識を求めるだけ無駄だ」

 

「あんたは黙ってなさい! 一番の元凶でしょ!」

 

「俺は貰う側だぜ?」

 

「同罪よ!」

 

 キーノは、しばらく二人を睨みつけていた。

 

 結局、この日も何も変えられなかった。

 

 男たちは連れて行かれ、サーシェスは上機嫌で、鬼太郎は次の実験の準備に戻った。

 

 彼女だけが、中庭に取り残された。

 

「……絶対、諦めないから」

 

 誰にともなく、彼女は呟いた。

 

 言っても無駄だということは、分かっている。何度言っても、この子供は同じ顔で同じ理屈を返してくる。

 

 だが、言うのをやめたら。

 

 その時、自分もこの光景の一部になってしまう気がした。

 

 それに――と、彼女は思う。

 

 あの子供は、言えば聞く。

 

 屋敷の時がそうだった。あれだけ言い合って、最後にはこちらの言い分を全部受け入れた。理屈が通れば、変えるのだ。

 

 ならば、いつか。

 

 伝えられる言葉さえ見つかれば、届くかもしれない。

 

(――ほんと、面倒な奴)

 

 彼女は、溜息をついて屋敷へ戻った。

 

 背後から、サーシェスの愉快そうな笑い声が聞こえてきた。

 

        ◇

 

 地下の檻に入れられた男たちで、実験が始まった。

 

 最初の主題は、耐性である。

 

 この世界の魔法族が、どれほどの負荷に耐えられるのか。それを知らなければ、何を作るにしても基準が定まらない。

 

 鬼太郎は、順序立てて進めた。

 

 まず、魔法生物の毒。

 

 ラーダの伝手で、いくつかの種から少量ずつ分けてもらったものがある。害意はない。ただ「研究に使いたい」と言えば、快く応じてくれる者が多かった。

 

 濃度を変え、投与量を変え、経過を記録する。

 

 どの程度で症状が出るか。どの臓器に作用するか。どれだけの時間で致死に至るか。

 

 紙の上に、数字が積み上がっていった。

 

 次に、呪文による負荷。

 

 攻撃呪文を、威力を段階的に変えながら照射する。どこまでが行動不能で、どこからが再起不能か。魔法による損傷は、通常の外傷とどう違うのか。

 

 これも、記録が増えていった。

 

 被験者の名は、記さなかった。

 

 番号で管理した。その方が、整理しやすい。

 

        ◇

 

 毒を使えば、被験者は死ぬ。

 

 死なせてしまえば、次の実験ができない。

 

 だから、解毒が必要だった。

 

 これが、薬の開発を始めた直接の理由である。

 

「――前世には、ありました」

 

 鬼太郎は、キーノに聞かれたときにそう答えた。

 

「毒を消すもの、麻痺を解くもの、石化を戻すもの。誰もが持ち歩いていたような、ありふれた品です」

 

「そんな便利なものが?」

 

「ええ。あの世界では、必需品でしたので」

 

 毒に侵され、麻痺し、石にされる。そういうことが日常的に起きる土地だった。だから、それを戻す手段も当たり前に流通していた。

 

「……それ、作ってどうするのよ」

 

「実験に必要ですので」

 

「実験って、あの地下の?」

 

「ええ。毒を使えば、被験者は死にます。死なせてしまえば、次が試せません」

 

 キーノの眉が、跳ね上がった。

 

「あんたね……」

 

「何か」

 

「死なせないために解毒薬を作るって、そういう理由なの? 助けるためじゃなくて?」

 

「結果としては、同じかと」

 

「全っ然違うわよ!」

 

 彼女は、実験台を叩いた。

 

「助けるために作るのと、また苦しめるために作るのじゃ、意味が違うでしょ!」

 

「薬の効能は変わりませんが」

 

「効能の話じゃないの!」

 

「では、何の話でしょう」

 

「……っ」

 

 また、これだ。

 

 キーノは歯噛みした。この子供は、いつもこうやって根本を問い返してくる。そして、自分はそれに答えられない。

 

「……とにかく」

 

 彼女は、絞り出すように言った。

 

「その薬が完成したら、あたしにも一本ちょうだい」

 

「構いませんが、どうなさるので」

 

「怪我した人がいたら使うのよ。普通の使い方でね」

 

「ああ」

 

 鬼太郎は、少しだけ間を置いてから頷いた。

 

「なるほど。それは、有効な用途ですね」

 

「でしょ」

 

「では、完成次第お渡しいたします」

 

 あっさりと了承されて、キーノは拍子抜けした。

 

 拒まれると思っていた。あるいは、意味がないと言われるかと。

 

 そうではなかった。

 

(……これよ)

 

 彼女は、内心でそう思った。

 

 こういうところなのだ。この子供は、道理さえ通っていれば、素直に受け入れる。悪意で拒むということが、そもそもない。

 

 だから――諦めきれない。

 

 問題は、それをこの世界の材料で再現できるかどうかである。

 

 鬼太郎は、記憶を辿った。

 

 あの薬が、どういう質感で、どんな匂いがして、飲んだ時にどう効いたか。成分そのものは知らない。だが、効き方の特徴は覚えている。

 

 それを手がかりに、彼は試行を重ねた。

 

        ◇

 

 最初に形になったのは、解毒の薬だった。

 

 ディスポイズン。

 

 前世でそう呼ばれていた薬に、効き方が最も近かった。森の植物と、魔法生物から分けてもらった素材を組み合わせて作る。

 

 投与すれば、毒の症状が数十秒で退いていく。

 

「……悪くありません」

 

 完成品を検分しながら、彼は満足げに頷いた。

 

 これで、毒の実験を繰り返せる。被験者を死なせずに済む。

 

 続いて、麻痺を解く薬――ディスパライズ。

 

 これも、比較的早く形になった。

 

 石化を戻す薬――ディストーン。

 

 こちらは、着手すらできなかった。

 

 理由は単純である。

 

 検体が、作れなかった。

 

 毒であれば、素材さえあれば投与できる。麻痺も同様だ。だが、石化はそうはいかない。

 

 この世界で人を石化させる手段は、極めて限られていた。

 

 鬼太郎は、まず魔法生物を当たった。石化の能力を持つ種が存在することは、書物で確認している。

 

 だが、ラーダに尋ねても、森の住人たちに聞き回っても、この一帯にその種は棲息していなかった。生息地は、遥か南だという。

 

 次に、呪文を探した。

 

 十四名の人員に尋ねたが、誰も知らなかった。彼らの知る限り、石化を引き起こす呪文というものは一般的ではない。少なくとも、密猟者が使うような実用的な術の中には存在しなかった。

 

「……手詰まりですね」

 

 鬼太郎は、素材の棚を眺めた。

 

 石化させる方法がなければ、石化した検体は作れない。検体がなければ、薬が効くかどうかを確かめようがない。

 

 理論だけで薬を組むことは、彼には不可能だった。前世のあの薬が何でできていたのかを、彼は知らないのだから。手がかりは「効いた」という記憶だけであり、それを検証する手段がない以上、試行のしようがない。

 

「……保留といたしましょう」

 

 彼は、記録にそう書き込んだ。

 

 できないものは、できない。杖の自作と同じである。条件が揃わないうちに手を出しても、時間を浪費するだけだ。

 

 もっとも――と、彼は思った。

 

 いずれ、機会はあるかもしれない。

 

 南へ行けば、石化の能力を持つ種がいる。あるいは、この世界のどこかに、石化を引き起こす魔法が存在するのかもしれない。

 

 その時になれば、また試せばいい。

 

(――覚えておきましょう)

 

 彼は、その一項目を、未完のまま記録に残した。

 

        ◇

 

 そして――最も重要なものが、最後に残った。

 

 チャクラドロップ。

 

 精神力を回復させる薬である。

 

 前世では、命綱だった。術を放ち続ければ、精神力は減る。減りきれば、術は使えなくなる。その状況で敵に囲まれれば、そこで終わりだ。

 

 だから、誰もがそれを持ち歩いていた。

 

 鬼太郎にとって、これの再現は悲願と言ってよかった。

 

 今の彼の精神力は、全盛期に遠く及ばない。連続して術を撃てば、数発で息が上がる。あの見世物小屋のような場面が再び訪れたとき、それは致命的になりうる。

 

 だが、回復手段があれば話は変わる。

 

 試行は、難航した。

 

 毒や麻痺は、身体に作用するものだ。だから、身体に作用する素材で対処できる。

 

 だが、精神力は違う。

 

 そもそも、この世界の人間には「精神力」という概念がない。彼らが消費するのは体力であり、魔力である。似てはいるが、同じではない。

 

 鬼太郎は、その差異を埋める必要があった。

 

 二ヶ月かけて、三十七回の試作を行った。

 

 三十八回目。

 

 小瓶の中で、淡い光を放つ液体が完成した。

 

 彼は、あらかじめ術を撃って精神力を削っておいた状態で、それを一息に飲み干した。

 

 そして――目を閉じ、自分の内側を観察した。

 

 枯れかけていた泉に、水が戻っていく感覚。

 

 術を撃ち続けて薄くなっていた何かが、確かに満たされていく。

 

「……効きますね」

 

 彼は、静かに息を吐いた。

 

 もっとも、成功と呼ぶには程遠い代物だった。

 

 まず、回復量が少ない。前世のものであれば、一本で枯渇寸前から満杯近くまで戻った。これは、削った分の三割ほどしか埋まらない。

 

 次に、効き始めるまでが遅い。あちらは飲んだ瞬間に効いたが、これは十数秒を要する。戦闘の最中であれば、その十数秒が命取りになりうる。

 

 さらに、後味が悪かった。

 

 飲んだ直後、鈍い頭痛が起きる。しばらくすると引くが、続けて二本、三本と飲めば、おそらく副作用は無視できないものになるだろう。連用には向かない。

 

 保存も利かない。作ってから数日で、光が失われ、効力が落ちていく。

 

「……劣化品ですね」

 

 彼は、率直にそう評した。

 

 前世で流通していたものは、もっと安定していて、もっと速く、もっと深く効いた。あれは誰もが持ち歩ける、量産された日用品だった。

 

 自分が作ったこれは、それとは似て非なるものだ。名前を借りただけの、粗悪な模造品と言っていい。

 

 それでも。

 

 彼は、小瓶を灯りにかざした。

 

 淡い光が、液体の中で揺れている。

 

 三割。十数秒。頭痛。数日の保存期限。

 

 欠点だらけだが――確かに、効いた。

 

 この世界には存在しないはずのものが、この世界の材料で形になった。それは、理論として決して小さなことではない。

 

 そして実際問題として、三割でも戻るのと、まったく戻らないのとでは、話がまるで違う。

 

 あの見世物小屋のような状況が再び訪れたとき、この一本があれば、撃てる回数が増える。

 

「……改良の余地は、山ほどありますが」

 

 彼は、小瓶を棚に並べた。

 

 鬼太郎は、久しぶりに、はっきりとした高揚を覚えていた。

 

        ◇

 

 魔石の生成にも、彼は取り組んだ。

 

 前世では、魔力を結晶化させたものが流通していた。通貨としても、素材としても使われる、汎用性の高い品である。

 

 この世界の魔力を同じように結晶化できるか。

 

 結果は、半端なものだった。

 

 小さな石は作れた。だが、脆く、保存が利かない。数日で崩れてしまう。

 

「……保留といたしましょう」

 

 彼は、それを棚に置いた。

 

 いずれ、また試せばいい。

 

        ◇

 

 その頃、ラーダは定期的に屋敷を訪れるようになっていた。

 

 取引の履行である。ひと月に一度、羽毛と髪を届ける。一族から少しずつ集めたもので、誰にも負担のかからない量だった。

 

 その見返りに、森の安全が保証されている。

 

 実際、密猟者は現れなくなった。正確には、現れてもすぐにいなくなる。ヴィーラたちは、もう怯えて暮らす必要がなかった。

 

 約束は、完璧に守られていた。

 

 だからこそ――彼女は、どう受け止めていいか分からなかった。

 

「ラーダさん。いつもありがとうございます」

 

 鬼太郎は、いつも丁寧に迎えてくれた。

 

「お茶をご用意しております。少し休んでいかれますか」

 

「あ、はい……ありがとうございます」

 

 その日も、彼女は勧められるまま、居間の椅子に座っていた。

 

 窓から日が差し込む、明るい部屋だった。キーノが選んだという敷物が敷かれ、木の匂いがする。

 

 穏やかな空間だった。

 

 その真下に、地下室があることを、彼女は知っていた。

 

        ◇

 

 一度だけ、階段の下から声が聞こえたことがある。

 

 悲鳴ではなかった。もっと弱々しい、掠れた呻き声だった。

 

 ラーダは、思わず足を止めた。

 

「……あの」

 

「ああ、失礼いたしました」

 

 鬼太郎は、まったく悪びれずに言った。

 

「今、下で実験をしております。お耳障りでしたら、扉を閉めさせましょう」

 

「じ、実験……?」

 

「ええ。この世界の魔法が、どこまで人体に作用するのかを調べております」

 

「……人体」

 

「密猟者です。先日、捕らえた者たちです」

 

 彼は、まるで天気の話でもするように答えた。

 

 ラーダは、言葉を失った。

 

 想像していなかったわけではない。捕らえた者をどうしているのか、考えたことがなかったとは言わない。

 

 だが、これほど当たり前のように言われるとは思っていなかった。

 

「……あの、鬼太郎さん」

 

「はい」

 

「その方たちは、どうなるんですか」

 

「実験が終われば、終わります」

 

「……」

 

「何か、問題がございましたか」

 

 問題。

 

 その言葉に、ラーダは何も返せなかった。

 

 あの男たちは、自分の仲間を捕らえ、切り刻み、閉じ込めていた連中だ。憎んでいないと言えば嘘になる。仲間の中には、死んだ者もいる。

 

 だから、彼らがどうなろうと。

 

 そう思おうとして、うまくいかなかった。

 

        ◇

 

 そして――彼女が最も分からなかったのは、別のことだった。

 

 屋敷を訪れるたび、鬼太郎は森の住人たちと接していた。

 

 石の民が壁の点検に来れば、深々と礼を言う。

 

 木の一族が材木を届ければ、丁寧に労をねぎらう。

 

 名も知らない小さな種が迷い込んでくれば、しゃがみ込んで目線を合わせ、穏やかに話しかける。

 

 怪我をしている者がいれば、必ず治す。対価を求めたことは、一度もない。

 

「あの、お怪我の具合はいかがですか」

 

「もう痛くない! ありがとう!」

 

「それは何よりです。また何かあれば、いつでもおいでください」

 

 その光景だけを見れば、彼は優しい少年だった。

 

 森の誰もが、彼を慕っていた。守護者だと言う者さえいる。

 

 なのに――同じ人物が、地下で人間を番号で管理している。

 

(……分からない)

 

 ラーダは、何度もそう思った。

 

 残虐なだけの人なら、まだ分かる。ならば、魔法生物にも同じことをするはずだ。

 

 優しい人なら、それも分かる。ならば、人間にもそうするはずだ。

 

 だが、彼はどちらでもなかった。

 

 そして、ある日。

 

 彼女は、その理由を知ってしまった。

 

        ◇

 

「素材を、いただけますか」

 

 鬼太郎が、通りかかった石の民にそう頼んでいた。

 

「爪の欠片で結構です。痛みのない範囲で」

 

「ああ、構わんよ。どうせまた生えるからな」

 

「ありがとうございます。無理はなさらないでください」

 

 その、最後の一言。

 

 ラーダの中で、何かが繋がった。

 

 ――無理はなさらないでください。

 

 つまり、そういうことなのだ。

 

 石の民は、爪をくれる。また生えるから。

 

 木の一族は、材木をくれる。木は育つから。

 

 ヴィーラは、羽毛と髪をくれる。生えてくるから。

 

 彼らは全員、**繰り返し与えることができる**。

 

 だから、良好な状態に保たれる。だから、丁寧に扱われる。だから、治療される。

 

 では、人間は。

 

(……一度きり、だから)

 

 人間は、繰り返し与えられない。

 

 与えられるのは、労働力か、死体か、実験の記録か。そのいずれも、一度使えば終わる。

 

 しかも――補充が利く。

 

 密猟者は、勝手にやってくる。放っておいても、次が来る。減っても困らない。

 

 だから、消耗品として扱われる。

 

 ラーダは、その場に立ち尽くした。

 

 自分たちが大切にされている理由。

 

 それは、優しさでも、情でもなかった。

 

 ただ、そういう計算だったのだ。

 

 ――丁寧に扱われるたびに、自分が何として数えられているかを、思い出すことになる。

 

 それを理解してしまってから、彼女は鬼太郎の礼儀正しさが、少しだけ怖くなった。

 

        ◇

 

 夜。

 

 実験の記録を整理し終えた鬼太郎は、居間の窓辺に立っていた。

 

 屋敷の中は静かだった。サーシェスは自室で酒を飲んでいる。キーノは、もう寝たらしい。

 

 窓の外には、暗い森が広がっている。

 

 あの十四名が、今も見回りをしているはずだった。

 

 彼らは、この数ヶ月で森の地形をすべて覚えた。屋敷の構造も把握している。誰がどこを担当し、何時にどう動くかも、体に染み込んでいる。

 

 新しく捕らえた者を一から仕込むより、彼らを使い続ける方が効率的だった。

 

 だから、彼らは警備として残す。実験には回さない。

 

 それが、鬼太郎の出した結論だった。

 

 窓ガラスに、自分の顔が薄く映っている。

 

 彼は、しばらくそれを眺めていた。

 

(――ふむ)

 

 妙な感覚があった。

 

 最近、気づいたことがある。

 

 朝、目が覚めると、同じ天井がある。台所からは、キーノが何か言い合っている声が聞こえてくる。地下には、途中まで進めた実験がある。

 

 明日も、同じ日が来る。

 

 そのことを、彼は当たり前だと思っていた。

 

 だが――前世では、一度もそうではなかった。

 

 拠点は常に仮のものだった。明日には失うかもしれない。誰かと過ごす時間は、次の戦いまでの繋ぎでしかなかった。同じ天井の下で三度目の朝を迎えたことなど、数えるほどしかない。

 

 それが、今は違う。

 

 鬼太郎は、その事実を静かに観察した。

 

 自分の内側に、以前はなかった何かが生じている。

 

 名前が、分からなかった。

 

 喜びとも違う。安堵とも違う。もっと薄く、もっと持続的な、何か。

 

(――満足、でしょうか)

 

 その言葉が、比較的近い気がした。

 

 彼は、自分がこの生活に満足していることに、この時初めて気づいた。

 

 妙な話だ、と思う。

 

 目的は変わっていない。強者を求める気持ちも、研究への興味も、以前のままだ。フリンとの約束も忘れていない。

 

 なのに、この場所を、悪くないと感じている。

 

(――こういう状態に、なるものですか)

 

 彼は、自分自身を、まるで観察対象のように眺めた。

 

 興味深い。

 

 結論は、それだけだった。

 

 悪いものではないらしい。ならば、当面はこのまま続ければいい。

 

 鬼太郎は、窓から離れ、灯りを落とした。

 

 屋敷が、静かな闇に沈む。

 

 森の夜は、穏やかだった。

 

 ――その穏やかさに向かって、一人の老人が近づいていることを、まだ誰も知らない。

 

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