ハリー・ポッターと墓場に還りし者   作:ムササビ

24 / 40
足跡を辿る

 日本から持ち帰ったものは、少なかった。

 

 名前。年齢。そして――生きている、という事実だけ。

 

 ホグワーツの校長室に戻ったダンブルドアは、しばらくの間、何も書かれていない羊皮紙を前に座っていた。

 

 墓場鬼太郎。

 

 五年前、六歳で両親を失い、襲撃者を焼き殺し、そして姿を消した子供。

 

 遺体は見つかっていない。行方も知れない。だが、あの焼け跡に残っていた魔力反応は、その後も二度検出されている。数年前の元闇祓いの死。そして、あの三十数名の惨劇。

 

 つまり、その子は生きている。

 

 どこかで、確かに。

 

「……さて」

 

 彼は、羽根ペンを手に取った。

 

 やるべきことは、はっきりしていた。

 

 あの魔力反応を、時間を遡って追う。日本を離れてから今日までの五年間、その痕跡がどこに残っているかを探す。点が繋がれば、線になる。

 

 線が引ければ、行き先が見える。

 

        ◇

 

 最初に取りかかったのは、記録の照会だった。

 

 魔法省の古い資料。各国の魔法当局に残された報告書。国際魔法戦士連盟が保管している、国境をまたいだ事件の記録。

 

 ダンブルドアは、それらすべてに手紙を書いた。

 

 名目は、学術的な調査である。「未登録の魔力反応に関する研究」という体裁を整えれば、たいていの当局は応じてくれた。彼の名前には、それだけの重みがあった。

 

 返信が届き始めるまでに、ひと月を要した。

 

 そして、そこには何もなかった。

 

「……ふむ」

 

 彼は、届いた資料の山を前に、静かに息を吐いた。

 

 どの記録にも、該当する反応は見当たらない。当然といえば当然だった。表の記録に残るような場所で、その子が活動していたはずがない。

 

 表にいないのなら、裏にいる。

 

 そういうことになる。

 

        ◇

 

 ダンブルドアには、普段は使わない類の伝手がいくつかあった。

 

 長い人生の中で、彼はさまざまな立場の人間と関わってきた。その中には、決して表には出せない稼業の者も含まれている。

 

 かつて助けた者。かつて見逃した者。かつて借りを作った者。

 

 彼は、そのいくつかに手紙を書いた。

 

        ◇

 

 最初に有益な情報をもたらしたのは、イギリス北部に住む老魔女だった。

 

 闇市の仲買人として長く生きてきた女で、今は引退している。ダンブルドアとは、四十年来の奇妙な縁があった。

 

「……ああ、あの反応かい」

 

 薄暗い居間で、彼女は紅茶をすすりながら言った。

 

「聞いたことがあるよ。三年ばかり前だったかね。うちに出入りしてた運び屋が、一人消えたんだ」

 

「消えた、とは」

 

「跡形もなくね。荷も、金も、そのまま残してさ。妙だと思って調べさせたら、現場に変な魔力が残ってたって話さ」

 

 彼女は、皺だらけの指でカップを回した。

 

「あたしの目利きが言うにはね、あれは呪文の痕じゃなかった。似てるが、違う。何十年もこの商売やってるけど、あんなのは初めて見たよ」

 

 ダンブルドアは、身を乗り出した。

 

「場所は、どちらですかな」

 

「大陸さ。フランスの南の方だったかね」

 

 フランス。

 

 日本からは、遠い。だが、行けない距離ではない。

 

「他には、何かありませんかの」

 

「そうだねえ……その後も、似た話をちらほら聞いたよ。似たような消え方をした連中が、何人か」

 

「どちらの方角へ向かっておりましたかな」

 

「東だね。年を追うごとに、東へ寄っていってる」

 

 ダンブルドアは、地図を思い浮かべた。

 

 フランス南部から、東へ。

 

        ◇

 

 その後の数週間で、彼は複数の情報源を辿った。

 

 闇市の元締め。呪われた品を扱う商人。指名手配を逃れ続けている密輸業者。

 

 誰もが、最初は口が重かった。だが、ダンブルドアには相手の警戒を解く術がある。それは魔法ではなく、彼が長年培ってきた、もっと人間的な技術だった。

 

 そして、彼らの証言は、少しずつ一つの像を結び始めた。

 

 ――ある時期から、裏の世界で妙な噂が流れ始めた。

 

 ――仕事を請け負う「子供」がいる。

 

 ――依頼をやたらと選り好みする。筋が通らないと分かると断る。断られた仕事に手を出した連中は、後で必ず痛い目を見た。

 

 ――そして、そいつが受けた仕事は、一度も失敗していない。

 

 ダンブルドアは、その一つ一つを書き留めた。

 

 依頼を精査する。筋が通らなければ断る。

 

 その習性は、彼の予想とは少し違っていた。

 

 無差別に殺して回る獣であれば、話は単純だった。だが、この子は選んでいる。判断している。基準を持っている。

 

(――理性が、あるということじゃな)

 

 それは、救いのようにも思えた。

 

 同時に――より厄介であることの証明でもあった。

 

        ◇

 

 そして、ある夜。

 

 ロンドンの場末の酒場で、ダンブルドアは決定的な言葉を聞いた。

 

 相手は、老いた密輸業者だった。かつて息子の命を救われた恩があると言って、この男は比較的素直に話をしてくれた。

 

「――ああ、あのガキか」

 

 男は、酒をあおってから言った。

 

「あんた、あれを探してんのか。悪いこと言わねえ、やめときな」

 

「ほう。それはまた、なぜですかな」

 

「あれは、まともじゃねえよ」

 

 男は、身震いするような仕草をした。

 

「俺の知り合いが、一度だけ見たって言ってた。もう二年くらい前になるかな。裏の連中の間じゃ、名前が通ってるんだ」

 

「名前、と申されると」

 

「通り名さ」

 

 男は、声を潜めた。

 

 そして、告げた。

 

「――杖なしで殺しをするガキ、ってな」

 

 ダンブルドアの手が、止まった。

 

 カップを持ち上げようとした姿勢のまま、彼は動かなくなった。

 

「……今、何と申されましたかな」

 

「だから、杖なしでだよ」男は、こちらの反応に構わず続けた。「杖も持たずに、手をかざすだけで人を焼き殺すんだと。しかも、あんなの見たこともねえ火だったって」

 

「……」

 

「最初は与太話だと思ったさ。だが、似た話が何度も出てくる。それも別々の筋からな」

 

 男は、空になったグラスを置いた。

 

「そのうち、誰も冗談だと思わなくなった」

 

        ◇

 

 その夜、宿の一室で、ダンブルドアは長いこと窓の外を見ていた。

 

 杖なしで。

 

 その四文字が、頭から離れなかった。

 

 ――彼は、その領域を知っている。

 

 無杖魔法。杖という媒介を用いず、術者の意志のみで魔法を行使する技術。

 

 それは、魔法界において最も高度な技能の一つである。理論上は誰にでも可能とされているが、実際に実用の域で扱える者は、一握りしかいない。

 

 ダンブルドア自身も、その一人だった。

 

 だが――そこに至るまでに、彼は何十年を要したことか。

 

 若い頃から才に恵まれ、寝食を忘れて研鑽を積み、それでもなお、自在に扱えるようになったのは中年に差しかかってからだった。杖を介さずに力を通すという行為は、それほどまでに難しい。

 

 なぜなら、杖とは「補助具」だからだ。

 

 人が持つ魔力は、そのままでは形にならない。杖という道具を通すことで、初めて指向性を持ち、呪文という形式に収まる。杖を使わないということは、その工程をすべて自前でやるということに他ならない。

 

 それを――十一歳の子供が。

 

 しかも、人を焼き殺せるだけの威力で。

 

「……あり得ぬ」

 

 彼は、思わず声に出していた。

 

 教わったのだろうか。誰かが、その技術を教えたのか。

 

 だが、それはそれで異常である。無杖魔法を教えられる者など、この世界に何人いるだろう。そして、そんな人物が、六歳の孤児に手ずから教える理由がどこにある。

 

 では、独力か。

 

 六歳から十一歳までの五年間で、独学で、誰の助けも借りずに。

 

 それは、もはや才能という言葉では説明がつかない。

 

 どちらであっても、異常だった。

 

 そして――焼け跡で見たものと、繋がった。

 

 暴発ではなく、狙って撃った痕跡。

 

 あれは、六歳の時点で既に、その子が力を制御できていたということだ。無杖で。意図的に。狙った一点へ。

 

 ダンブルドアは、額を押さえた。

 

        ◇

 

 彼の脳裏に、また一人の少年の姿が浮かんだ。

 

 トム・リドル。

 

 孤児院の、あの部屋。ベッドに腰掛けて、警戒するようにこちらを見ていた黒髪の少年。

 

 あの子も、教わらずに力を使っていた。物を動かし、動物を操り、他の子供を怖がらせた。誰にも教わらずに、それができた。

 

 だから、ダンブルドアはあの少年を「異例」だと判断した。長い教職生活の中でも、あれほどの才は他に見たことがなかった。

 

 そして、同時に危険だと判断した。

 

 あの子は、力を他者を害するために使っていた。十一歳にして既に、それを楽しむ素地があった。

 

 だから、警戒した。距離を取った。監視した。

 

 ――あれが、自分の最大の失敗だった。

 

 そう、長い間思ってきた。

 

 だが。

 

「……トムの方が、まだマシじゃった」

 

 口に出してから、彼は自分の言葉に愕然とした。

 

 あの少年を「マシ」と評する日が来るとは、思ってもみなかった。

 

 だが、事実だった。

 

 トム・リドルは、十一歳の時点で人を殺していない。物を隠し、動物を苦しめ、子供たちを脅した。それは確かに歪んでいた。だが、一線は越えていなかった。

 

 杖を手にしたのも、ホグワーツに来てからだ。それまでは、断片的な力を無自覚に振るっていただけだった。

 

 対して、この子は。

 

 六歳で人を焼き殺した。十一歳までに、いくつもの死を積み重ねた。裏の世界で名を通し、恐れられ、そして三十数名を一夜で殺した。

 

 しかも、杖を使わずに。

 

 比較にすら、ならない。

 

「……なんということじゃ」

 

 ダンブルドアは、深く息を吐いた。

 

 自分の生涯最大の悔い。あの少年に手を差し伸べられなかったこと。その痛みを、彼は五十年近く抱えてきた。

 

 あの時、届かなかった。

 

 そして今、あの時よりも遥かに遠い場所にいる子供へ、手を伸ばそうとしている。

 

 これから、会いに行く相手だった。

 

        ◇

 

 所在の特定には、さらに二ヶ月を要した。

 

 手がかりは、ある時期を境に情報が途絶えたことだった。

 

 裏の世界で名を通していた「ガキ」が、ある日を境に、ぱたりと噂に上らなくなった。仕事を請けなくなり、姿を見た者もいなくなった。

 

 時期は――あの三十数名が死んだ夜の、直後。

 

 どこかへ、移ったのだ。

 

 ダンブルドアは、その線を追った。

 

 そして、思いがけないところから、それは出てきた。

 

「――ブルガリアだよ」

 

 情報をもたらしたのは、大陸で古物商を営む男だった。

 

「あんたが探してる子がどうかは知らんがね。妙な話なら、一つある」

 

「ぜひ、お聞かせ願いたいものじゃ」

 

「ブルガリアの、東の方の森だ」

 

 男は、地図を広げて一点を指した。

 

「あそこはな、昔から密猟者の稼ぎ場でね。魔法生物が多いんだ。魔法省も見て見ぬふりだから、連中の天国だったのさ」

 

「だった、と」

 

「ああ。ここ半年ほどで、事情が変わった」

 

 男は、声を落とした。

 

「入った奴が、帰ってこなくなったんだ」

 

「……」

 

「最初は、何人かが行方不明になった程度だった。だが、続いた。五人、十人と。今じゃ、あの森に入ろうって連中はいなくなった」

 

「原因は、分かっておるのですかな」

 

「誰も知らん。知ってる奴は、帰ってこないからな」

 

 男は、乾いた笑い方をした。

 

「ただ、噂じゃな。あの森には、何かが『住んでる』らしい」

 

 ダンブルドアは、地図の一点を見つめた。

 

「それと、もう一つ妙な話がある」

 

「ほう、何ですかな」

 

「あの森の魔法生物が、異様に増えてるんだと」

 

 男は、首を傾げた。

 

「密猟者がいなくなったからだ、と言われりゃそれまでだがね。それにしても増えすぎだって話だ。一年やそこらで、あんなに繁殖するもんかね」

 

「……なるほど。よう分かりました」

 

「まあ、そんなわけだ。今じゃあの一帯は、裏の連中の間じゃ『近寄るな』って場所になってる」

 

        ◇

 

 宿に戻ったダンブルドアは、地図の上にその森の位置を書き込んだ。

 

 そして、これまでに得た情報を、すべて並べ直した。

 

 日本の焼け跡から、フランス南部へ。そこから年を追うごとに東へ。魔法界のアンダーグラウンドで名を成し、三十数名を殺し、そして姿を消した。

 

 その直後から、ブルガリアの森で人が消え始めた。

 

 線が、繋がった。

 

「……そこに、おられるのじゃな」

 

 彼は、静かに呟いた。

 

 確証はない。だが、これ以上の候補はなかった。

 

 ダンブルドアは、地図を畳むと、ホグワーツへの帰路についた。

 

        ◇

 

 準備には、数日を要した。

 

 学期中の用務を副校長に託し、当面の不在について了解を得る。急ぎの案件を片付け、生徒たちの様子を確認し、必要な手配を済ませる。

 

 そして、最後に一つ。

 

 彼は、事務室から一枚の羊皮紙を持ち出した。

 

 ホグワーツ魔法魔術学校 入学許可証。

 

 本来、これが発行されるのは十一歳の誕生日の直前である。今年度の入学者への通知は、まだ数ヶ月先だった。

 

 だが、彼は校長である。規則を曲げる権限は、持っている。

 

 羽根ペンを取り、宛名を書き込んだ。

 

 ――墓場 鬼太郎 殿。

 

 インクが乾くのを待ちながら、ダンブルドアはその紙を見下ろしていた。

 

 これは、餌である。

 

 その自覚は、彼にもあった。

 

 居場所を与える。教育を施す。導き手になる。それらはすべて、この子を手の届く場所に置くための手段だ。

 

 トムの時は、それをしなかった。最初から警戒し、監視し、距離を取った。あの聡い少年は、それを敏感に察していただろう。

 

 だから、届かなかった。

 

 今度は違う。

 

 最初から迎え入れる。差し出す。受け入れる。そうすれば――

 

(――いや)

 

 彼は、そこで思考を止めた。

 

 同じことをすれば、同じ結果になるとは限らない。だが、違うことをすれば違う結果になるとも限らない。

 

 保証などない。

 

 それでも、行かねばならなかった。

 

 この子を放置すれば、何が起きるか分からない。そして、もしこの子があの予言の通りの存在ならば――白にも、黒にもなるのなら。

 

 誰かが、選ばせなければならない。

 

 ダンブルドアは、許可証を封筒に収めた。

 

        ◇

 

 出立の朝は、よく晴れていた。

 

 彼は、いつものローブの上に旅装を重ね、懐に杖を差した。

 

 ニワトコの杖。

 

 この世界で最も強力とされる杖である。彼がそれを手にして、既に長い年月が経つ。

 

 使うつもりは、なかった。

 

 だが――万一の場合を考えれば、これがあるという事実は、心強かった。

 

 どれほど規格外の子供であろうと、相手は十一歳だ。こちらには五十年を超える経験と、この杖がある。

 

 制御できないはずがない。

 

 そう、彼は考えていた。

 

「さて」

 

 窓の外を見やる。

 

 遠く、東の空が明るんでいる。その先に、ブルガリアの森がある。

 

「――どのような子でしょうかな」

 

 アルバス・ダンブルドアは、静かに校長室を後にした。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。