ハリー・ポッターと墓場に還りし者 作:ムササビ
その報せが届いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
「西の境界に、侵入者が一名」
人員の一人が、地下の実験室まで降りてきて報告した。
「一名?」
「はい。老人です。杖を所持しております」
鬼太郎は、記録の手を止めた。
「装備は、それだけですか」
「見た限りでは。他に武器らしきものは確認できておりません」
「同行者は」
「おりません。単独です」
彼は、しばらく黙って考えた。
単独。老人。杖一本。
密猟者ではない。彼らは必ず徒党を組む。獲物を運ぶ人手が要るからだ。
報復に来た者でもない。あの手の連中は、必ず数を揃えてくる。
では、何か。
「その方は、どのように境界を?」
「……それが」
人員の声が、わずかに硬くなった。
「マグル避けを、まったく意に介さず通過しております。足も止めず、迷いもせず、真っ直ぐに」
鬼太郎の眉が、動いた。
あの術式は、この森に何十年も張られている古いものだ。それなりに強固で、並の魔法使いでも多少は影響を受ける。
それを、意に介さない。
「……なるほど」
彼は、記録を閉じた。
「玄関でお迎えいたしましょう」
◇
屋敷の前庭に出ると、キーノとサーシェスが既に外にいた。
「おい坊主。客だってな」
サーシェスの目が、久しぶりに鋭くなっていた。腰のホルスターに、片手がかかっている。
「ちょっと、大丈夫なの?」
キーノの顔には、隠しようのない不安があった。
「分かりません」
鬼太郎は、率直に答えた。
「ですが、争うつもりで来た方ではないでしょう。一人で、正面から歩いて来られる方は」
「そりゃそうかもしれねえけどよ」
「お二人は、屋敷の中でお待ちください」
「……は?」
サーシェスが、眉をひそめた。
「俺に下がってろってのか」
「ええ」
「なんでだ」
「必要がないからです」
鬼太郎は、森の方へ目を向けたまま続けた。
「あの方が敵であれば、お二人がいても状況は変わりません。味方であれば、なおさら不要です」
「……お前なあ」
「それに」
彼は、静かに付け加えた。
「今、私は少しばかり興味がございます。あの術式を素通りしてくる方に」
サーシェスは、その横顔を見て舌打ちした。
この顔だ。この子供が、何か面白いものを見つけた時の顔。
「……好きにしろ」
彼は、屋敷の中へ引き上げていった。
キーノも、何か言いたげにしながら、結局は後に続いた。
◇
やがて――木立の向こうから、人影が現れた。
鬼太郎は、その姿を静かに観察した。
背の高い老人だった。長い銀髪と、腰まで届く髭。半月形の眼鏡。旅装のローブは飾り気がないが、仕立ては良い。
歩き方に、無駄がなかった。
そして――何よりも。
(――重い)
鬼太郎は、内心でそう表現した。
この老人の周囲には、目に見えない密度のようなものがあった。空気が違う、とでも言えばいいのか。前世で、名のある悪魔と対峙した時に感じたものに近い。
強い。
この世界に来てから会った、どの相手よりも。
老人は、前庭の手前で足を止めた。
そして、こちらをじっと見つめた。
◇
アルバス・ダンブルドアは、その光景を前にして、僅かに動きを止めていた。
森を抜けた先にあったのは、彼の想定とはまるで違うものだった。
まず、屋敷である。
小ぶりだが、整った石造りの建物だった。南向きの壁には大きな窓が並び、玄関には庇があり、その下に石畳の小道が伸びている。外壁には、細やかな装飾まで施されていた。
周囲は手入れが行き届いている。荒れた様子はどこにもない。
(――住んでおる。しっかりと)
彼が想定していたのは、廃屋か、洞穴か、そういった類のものだった。身を隠して生きる子供が、まともな家に住んでいるはずがない。
そう、思い込んでいた。
そして、その前に立つ少年。
背丈は、十一歳相応。黒い髪。整った顔立ち。着ているのは、飾り気のない黒の衣服。
だが、その佇まいが、年齢に合っていなかった。
立ち方に隙がない。重心の置き方が、自然に整っている。両手は体の横に垂らされているが、いつでも動ける位置にある。
長い年月を戦いの中で過ごした者の立ち方だった。
そして――何より。
(――警戒しておらぬ)
ダンブルドアは、その事実に気づいた。
少年は、自分を見ている。真っ直ぐに、隠すこともなく。
だが、そこに恐れがない。敵意もない。
あるのは――純粋な、興味だった。
◇
「ようこそ、おいでくださいました」
少年が、先に口を開いた。
その声は、思いのほか落ち着いていた。そして、驚くほど丁寧だった。
「遠方から、お疲れでしょう。中で少しお休みになりますか」
ダンブルドアは、一瞬、言葉に詰まった。
招かれている。
この状況で。素性も知れない老人が、無断で森に入り込んできたというのに。
「……よいのかね?」
「ええ。立ち話も何ですので」
少年は、丁寧に一礼した。
「申し遅れました。墓場鬼太郎と申します」
その名を、本人の口から聞いた。
ダンブルドアは、内心で深く息を吸った。
「――わしは、アルバス・ダンブルドアという者じゃ」
少年の目が、わずかに動いた。
「ホグワーツの、校長先生でいらっしゃいますか」
「おや、知っておったのかね」
「書物で何度か。国際魔法戦士連盟の主席魔法戦士であられ、メルリン勲章勲一等を受けておられる。グリンデルバルドを破った方だと」
鬼太郎は、記憶を辿るように続けた。
「錬金術の分野でも、業績をお持ちですね。竜の血液の用途を十二通り発見されたとか」
ダンブルドアは、目を瞬かせた。
「……よく調べておるのう」
「この世界のことを知りたかったもので。手当たり次第に読みました」
少年は、玄関へと手を向けた。
「どうぞ、こちらへ」
◇
居間に通されたダンブルドアは、改めて内心で驚いていた。
明るい部屋だった。
大きな窓から日が差し込み、木の梁が渡された天井は高い。床には、色合いの良い敷物が敷かれている。壁際の棚には食器が並び、暖炉の脇には薪が積んであった。
生活の匂いがした。
誰かが、ここで暮らしている。それも、一人ではない。
そして――部屋の隅に、二人いた。
一人は、壁に背中を預けて腕を組んでいる長身の男。無精髭に、崩れた笑み。腰には明らかに銃と分かる形状のものが二挺。
もう一人は、少し離れた場所に立っている少女。白銀に近い髪と、透けるような肌。人間ではない――ダンブルドアの目は、即座にそう判断した。
二人とも、こちらを見ている。
(――同居者か)
これも、想定外だった。
「お気になさらず。同居している者たちです」
鬼太郎が、ごく自然にそう言った。
「どうぞ、お掛けください」
勧められたソファに、ダンブルドアは腰を下ろした。
向かいに、少年が座る。
二人の間に、低い机が置かれていた。
◇
「お茶をご用意いたします。少々お待ちを」
「いや、お構いなく。どうぞ気を遣わんでくれ」
「そうもまいりません」
鬼太郎は、慣れた手つきで湯を沸かし、茶を淹れた。
その所作にも、無駄がなかった。
やがて、湯気の立つカップが机に置かれた。
「粗茶ですが」
「……ありがたく頂こう」
ダンブルドアは、一口含んだ。
悪くない味だった。
そして――彼は、この一連の流れが、すべて少年の主導で進んでいることに気づいた。
招き、名乗り、通し、座らせ、茶を出す。
その間、自分は一度も会話の主導権を握っていない。
(――ふむ)
彼は、カップを置いた。
「さて。まずは、勝手に入り込んだことを詫びねばならんのう」
「お気になさらず。この森は、私の所有物ではありませんので」
「そうは言っても、実質的には君のものじゃろう」
「……ほう」
鬼太郎の目が、わずかに細められた。
「なぜ、そうお思いに?」
「森に入ってから、幾度か視線を感じてのう」ダンブルドアは、穏やかに答えた。「それに、あのマグル避けの術式。あれは古いものじゃが、よく手入れされておる。定期的に補強しておる者がおるということじゃ」
「……お見事です」
鬼太郎は、素直に頷いた。
「おっしゃる通り、見張りを立てております。術式の補強も、月に一度」
あっさりと認めた。
隠す様子も、ごまかす様子もない。
ダンブルドアは、その率直さに、かえって足元が揺らぐような感覚を覚えた。
◇
「では、本題に入らせていただきましょう」
彼は、懐から一通の封筒を取り出した。
そして、机の上に置いた。
「これを、届けに来たのじゃ」
鬼太郎は、それを手に取った。
封蝋には、四つの獣が刻まれた紋章。
中を検める。厚手の羊皮紙に、緑のインクで文字が並んでいた。
――ホグワーツ魔法魔術学校 入学許可証。
宛名には、彼の名がある。
鬼太郎は、しばらくそれを眺めていた。
そして、顔を上げた。
「私は、入学の対象になっておりましたか」
「魔力を持つ子は、皆そうじゃよ」
「登録もされていないはずですが」
「本来であれば、十一になる年に、ひとりでに通知が届く仕組みになっておってな」ダンブルドアは、穏やかに答えた。「じゃが、君の場合は記録が残っておらなんだ。じゃから、わしが直接持ってきたというわけじゃ」
「わざわざ、ブルガリアまで」
「うむ」
「校長先生が、お一人で」
「……うむ」
鬼太郎は、許可証を机に戻した。
「不自然ですね」
ダンブルドアの動きが、止まった。
「入学通知が届くのは、十一歳の誕生日の直前と伺っております。私の誕生日は元日ですので、本来であれば、昨年末に届いていたはず」
彼は、静かに続けた。
「そして今は、三月です。時期が合いません」
「……」
「それに、通知はふくろう便で届くものでしょう。校長先生自らが、国境を越えて手渡しに来られるというのは、通例なのですか」
沈黙が落ちた。
部屋の隅で、サーシェスが小さく口笛を吹いた。
ダンブルドアは、半月形の眼鏡の奥で、目を細めた。
(――聡い)
想定していた以上に。
この子は、差し出されたものの中身ではなく、差し出され方を見ている。
そして、それを指摘する際に、少しも遠慮をしなかった。相手が誰であろうと関係ない、という態度だった。
――子供扱いは、通用せんか。
彼は、内心でそう認めた。
「……いかにも、通例ではありませんな」
言葉が、自然に改まっていた。
「わしは、あなたに会いに来ました。許可証は、そのための口実です」
「なるほど」
鬼太郎は、頷いた。
怒りもしなければ、警戒も強めなかった。ただ、事実を確認できて満足したという顔だった。
「では、ご用件を伺いましょう」
◇
ダンブルドアは、一度呼吸を整えた。
ここからが、本題である。
彼が長い旅の間に組み立ててきた言葉は、いくつかあった。
この子は、六歳で両親を失った。以来、誰の助けも借りずに生きてきた。教育も受けず、居場所も持たず、裏の世界で身を削ってきたはずだ。
ならば、差し出すべきものは決まっている。
居場所を。学ぶ場を。導いてくれる大人を。
「――あなたは、六歳の時にご両親を亡くされたと伺っております」
「ええ」
「それから五年、お一人で生きてこられた」
「途中まではそうですね」
「さぞ、大変であられたでしょう」
そう言った瞬間、ダンブルドアは、少年の目にごく微かな変化が生じたのを見た。
それは――困惑だった。
「……といいますと?」
「え」
「大変、というのは、どのあたりのことでしょうか」
ダンブルドアは、言葉に詰まった。
「……その、身寄りもなく、行き場もなく」
「行き場は、その都度見つけました」
「ですが、学ぶ機会も」
「本は手に入りましたので」
「教えてくださる方も、おられなかったでしょう」
「必要とあらば、聞きました」
鬼太郎は、淡々と答えていく。
嘘ではなかった。実際、彼はそうやって生きてきた。日本の図書館で、欧州の闇市で、そしてこの屋敷で。
どれも、彼にとっては単なる手順の話だった。
「……失礼」
ダンブルドアは、額に手を当てた。
噛み合っていない。
彼が語ろうとしていたのは、孤独な子供に差し伸べる手の話だった。だが、目の前の子供は、自分が孤独だとも、助けが必要だとも思っていない。
同情が、機能しない。
彼は、方針を変えることにした。
「ホグワーツでは、七年間にわたり、体系だった魔法教育を受けることができます」
「ええ」
「独学では届かぬ領域も、多くございましょう。歴史も、理論も、実践も」
「それは、確かに」
「ご興味は、おありでしょうか」
「ございます」
あっさりとした肯定だった。
ダンブルドアは、僅かに身を乗り出した。
――手応えが、あった。
「では」
「ですが」
鬼太郎は、そこで言葉を挟んだ。
「一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「なんなりと」
少年は、カップを机に戻した。
そして、真っ直ぐにこちらを見た。
「あなたは、お強いのですか」
部屋の空気が、変わった。
◇
ダンブルドアは、その問いの意味を測りかねた。
「……と、申されますと」
「言葉の通りです」
鬼太郎は、身を乗り出していた。
その目に、初めて明確な熱が宿っていた。
「先ほど、森でお姿を拝見した時から気になっておりました。あなたの周囲には、他の方とは違う密度がございます。それは、力の強さと関係がありますか」
「……」
「それと、そちらの杖です」
彼は、ダンブルドアの懐を指した。
「他のものとは、違いますね。私はこれまで、いくつもの杖を分解して調べました。ですが、そちらから感じられるものは、そのどれとも異質です」
ダンブルドアの背筋を、冷たいものが走った。
ニワトコの杖。
その存在に、この子は気づいている。触れてもいないのに。見ただけで。
「なぜ、それが分かるのですかな」
「感じるからです」
「感じる」
「ええ。前に住んでいた場所では、必要な技術でしたので」
――前に住んでいた場所。
その言葉に、ダンブルドアは引っかかりを覚えた。日本のことだろうか。いや、この言い方は、そういう意味ではない気がする。
だが、問い返す前に、少年は続けた。
「私は、強い方に興味がございます」
「……ほう」
「これまで、この世界で会った方々は、皆物足りませんでした。魔法使いの方も、そうでない方も」
鬼太郎は、ごく普通の口調でそう言った。
部屋の隅で、サーシェスの眉がぴくりと動いた。
「ですが、あなたは違うようです」
少年の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「ですので、お伺いしたいのです。あなたは、お強いのですか」
ダンブルドアは、答えられなかった。
彼は、この会話をどう運ぶかを、長い時間をかけて考えてきた。
同情を示し、居場所を提示し、学びの機会を与え、そして導く。トムの時にできなかったことを、今度こそ。
だが――今、目の前の子供が求めているのは、そのどれでもない。
この子は、自分を「導き手」として見ていない。
「保護者」としても、「校長」としても、「大人」としてすら見ていない。
ただ――**強いかどうか**。
それだけを、測ろうとしている。
(――これは)
ダンブルドアの中で、五十年分の経験が、初めて頼りなく感じられた。
彼は、カップを持ち上げ、一口含んだ。
時間を稼ぐための動作だった。そして、自分がそんなことをしていると気づいて、内心で苦笑した。
「……難しい問いですな」
彼は、慎重に答えた。
「強さというものは、比べるものでもありますまい」
「はぐらかされますか」
「いいえ」ダンブルドアは、静かに首を振った。「ただ、わしは自分を強いと思ったことが、あまりないもので」
それは、嘘ではなかった。
少年は、しばらくその答えを吟味しているようだった。
そして、小さく頷いた。
「……なるほど。そういうお答えもございますか」
彼は、カップを持ち上げた。
「面白い方ですね」
その言葉に、ダンブルドアは背筋の寒くなる思いがした。
会話は、まだ始まったばかりだった。
そして既に――主導権は、完全に相手にあった。