ハリー・ポッターと墓場に還りし者 作:ムササビ
「……方針を、改めることにいたしましょう」
しばらくの沈黙の後、ダンブルドアはそう切り出した。
「回りくどい話は、やめにいたします。単刀直入にお尋ねしたい」
「どうぞ」
「あなたは、何をなさりたいのですかな」
鬼太郎は、少し考えるように首を傾げた。
そして、答えた。
「知りたいのです」
「知る、とは」
「この世界のことを、すべて」
彼は、窓の外へ目をやった。
「歴史は調べました。社会の仕組みも、おおよそ把握しております。魔法については、まだ半分も分かっておりません。魔法生物についても、記録と実物を突き合わせている最中です」
「……それで、知った後は」
「その時に考えます」
鬼太郎は、あっさりと言った。
「知ること自体が、目的ですので」
ダンブルドアは、その答えを噛み締めた。
純粋な知的欲求。それ自体は、決して珍しいものではない。彼自身、若い頃はそうだった。
だが、この子の場合――その探究のために、人を檻に入れている。
「もう一つ、ございます」
「……何ですかな」
「本気でぶつかれる相手を、探しております」
鬼太郎の声が、わずかに変わった。
「これまで、何人もの方と手合わせいたしました。ですが、どなたも物足りませんでした」
「手合わせ、ですか」
「殺し合い、と申し上げた方が正確かもしれません」
部屋の隅で、サーシェスが鼻を鳴らした。
ダンブルドアは、その音を聞き流しながら、目の前の子供を見つめた。
◇
「……では、こちらからもお尋ねしましょう」
彼は、ゆっくりと言葉を選んだ。
避けては通れない問いだった。
「昨年の冬、ある見世物小屋で、三十数名が亡くなりました」
部屋の空気が、僅かに張り詰めた。
「ご存知ですかな」
「ええ」
即答だった。
「私がやりました」
あまりにも、あっさりとしていた。
ダンブルドアは、思わず目を見開いた。
否定されるものと思っていた。あるいは、言い逃れをするか、沈黙するか。長い問答を覚悟してさえいた。
それが、ただの一言で済んでしまった。
「……理由を、お聞かせ願えますかな」
「向こうから殺しに来られましたので」
「それだけですか」
「それ以外に、何かございますか」
鬼太郎は、本気で分からないという顔をしていた。
「三十数名の方々が、私を殺すために罠を用意されました。逃げ場を断ち、外部との連絡も封じた上で。ですので、対処いたしました」
「……対処」
「ええ」
「一人残らず、ですかな」
「その必要がございましたので」
ダンブルドアは、膝の上で手を組んだ。
指先が、僅かに冷たくなっている。
「もう一つ、伺います」
「どうぞ」
「五年前、日本で。ご両親を殺した者を、あなたは焼き殺されましたな」
鬼太郎の目が、かすかに動いた。
「……そこまでお調べになりましたか」
「焼け跡に、痕跡が残っておりました」
「なるほど。さすがですね」
彼は、素直に感心しているようだった。
「おっしゃる通りです。あの方は、両親を殺した後、私も殺そうとされました。ですので、先に殺しました」
「六歳の時に」
「ええ」
「……罪悪感は、おありでなかったのですかな」
鬼太郎は、そこでようやく、はっきりと困惑の色を見せた。
「……罪悪感、ですか」
「ええ」
「それは、なぜ生じるのでしょう」
ダンブルドアの息が、止まった。
◇
(――違う)
彼は、その瞬間に理解した。
この子は、罪の意識を押し殺しているのではない。麻痺しているのでもない。
そもそも――そういう概念で、物事を捉えていない。
問い返してきた声には、皮肉も挑発もなかった。純粋に、分からないから尋ねている。数式の意味を問う生徒のような顔で。
「……人の命を奪うということは」
ダンブルドアは、慎重に言葉を継いだ。
「取り返しのつかぬことです。その者にも、生きてきた歳月があり、大切に思う者がおり、これから先の年月があった。それを断つということが、何を意味するのか」
「ええ。理解しております」
「……理解しておられるのですか」
「はい」
鬼太郎は、頷いた。
「ですが、それは私が殺されても同じことでしょう」
「……」
「私にも、これまでの歳月がございます。やりたいことも、まだ山ほどある。それを断たれるのは、困ります」
彼は、淡々と続けた。
「ですので、殺しに来られた方は、殺します。そうしなければ、こちらが終わりますので」
筋は、通っていた。
ダンブルドアは、その事実に愕然とした。
「……ですが、あなたは檻に人を入れておられる」
彼は、床を指した。
「この屋敷の下に。違いますかな」
「よくお分かりですね」
鬼太郎は、否定しなかった。
「密猟者です。この森の魔法生物を狙って来た方々を、捕らえております」
「何をなさっているのですかな」
「実験です」
「……実験」
「この世界の魔法が、人体にどこまで作用するのか。毒がどの程度で致死に至るのか。そういったことを調べております」
ダンブルドアの手が、膝の上で握り締められた。
「その方々は、あなたを殺しに来たわけではありますまい」
「ええ、違います」
「では、なぜ」
「必要だからです」
あまりにも簡潔な答えだった。
「私は知りたいのです。そのためには、検体が要ります。彼らは、消えたところで誰も困りません」
「……人を、そのように」
「ええ」
鬼太郎は、少しだけ首を傾げた。
そして、尋ねた。
「なぜ、いけないのでしょう」
その問いに、ダンブルドアはすぐに答えられなかった。
答えなど、いくらでもある。人には尊厳がある。命は等しく重い。誰であろうと、他者を道具として扱ってはならない。
だが、そのどれを口にしても、この子には届かない気がした。
なぜなら――
(――前提を、共有しておらぬ)
議論というものは、共通の土台があって初めて成り立つ。
この子は、反抗しているのではない。挑発しているのでもない。ただ、こちらが当然としている土台の上に、立っていないのだ。
説き伏せることが、できない。
五十年の教職生活で、ダンブルドアはあらゆる生徒を見てきた。荒れた子も、歪んだ子も、心を閉ざした子も。そのすべてに、言葉は届いた。時間はかかっても、届いた。
初めてだった。
言葉が、そもそも入り口に届かないという経験は。
◇
長い沈黙が落ちた。
ダンブルドアは、冷めた茶を一口含んだ。
そして、ゆっくりと切り出した。
「……ホグワーツに、おいでになりませんか」
鬼太郎が、顔を上げた。
「教育を受けていただきたい。それも、魔法だけの話ではありません」
「なるほど」
「あなたには、学ぶべきことが多くございます。そして、学ぶ能力も十分にお持ちだ」
「ありがとうございます」
「……お受けいただけますかな」
鬼太郎は、しばらく黙っていた。
そして――ゆっくりと、カップを机に置いた。
「一つ、条件がございます」
「何なりと」
彼は、真っ直ぐにダンブルドアを見た。
その目には、先ほどまでとは違う熱が宿っていた。
「――一手、ご教授願えませんか」
部屋の空気が、凍りついた。
◇
「……今、何と」
「お手合わせを、お願いしたいのです」
鬼太郎は、丁寧に頭を下げた。
「あなたがどの程度の方なのか、自分の体で確かめたいのです。書物の記述でも、伝聞でもなく」
「……お断りいたします」
ダンブルドアは、静かに言った。
「わしは、子供に杖を向けるために来たのではありません」
「存じております」
「ならば」
「ですが、これが私の条件です」
鬼太郎は、頭を上げた。
「あなたは、私に学べとおっしゃいました。ですが、私が何を求めているかは、まだご存じない。ですので、申し上げます」
彼は、ゆっくりと立ち上がった。
「私が求めているのは、強い方です。この世界に来てから、一度も出会えておりません」
「……」
「あなたは、違うかもしれない。そう思いました。だから、確かめたいのです」
ダンブルドアは、その言葉を聞きながら、頭の中で計算していた。
断れば、話は終わる。この子は入学を拒み、この森に残り、実験を続けるだろう。そして、いずれ取り返しのつかないところまで行く。
受ければ――少なくとも、対話の糸口は残る。
そして、もう一つ。
(――測れるのじゃな。こちらも)
この子の実力を、自分の目で確かめられる。
噂でしか知らない「杖なしで殺しをするガキ」が、実際にどれほどのものなのか。
「……分かりました」
彼は、ゆっくりと立ち上がった。
「ただし、条件がございます」
「何でしょう」
「殺し合いではありません。あくまで、手合わせです」
「結構です」
「それと」ダンブルドアは、部屋の隅の二人に目を向けた。「あちらのお二人は、手出しをなさらぬように」
「もとより、そのつもりです」
「へっ」
サーシェスが、壁から背を離した。
「俺は見物させてもらうぜ。面白そうだからな」
キーノは、何も言わなかった。
ただ、不安げに鬼太郎を見つめていた。
◇
屋敷の前庭に、二人は立った。
距離は、二十歩ほど。
春先の風が、下草を揺らしている。
窓辺には、キーノとサーシェスの姿があった。
ダンブルドアは、懐から杖を抜いた。
ニワトコの杖。
節くれだった、独特の形状をしている。その姿を見た瞬間、鬼太郎の目がわずかに輝いた。
「……美しいですね」
「そう見えますかな」
「ええ。他のどれとも違います」
鬼太郎は、上着の内側から、二つのものを取り出した。
右手に、小型のハンドガン。
左手に、黒みがかった杖。
ダンブルドアの眉が、僅かに動いた。
(――銃、か)
噂には聞いていた。この子が、マグルの武器を使うと。
だが、実際に見るとやはり異様だった。杖と銃を同時に構える魔法使いなど、彼は見たことがない。
「では」
鬼太郎が、一礼した。
「参ります」
◇
最初の一手は、銃だった。
三発。時間差をつけて、頭、胴、脚。
ダンブルドアは、動かなかった。
ただ、杖を軽く振っただけである。
空中で、三発の弾丸が停止した。
そのまま力を失い、地面に落ちる。
――速い。
鬼太郎は、内心でそう評価した。
止める動作が、あまりにも早かった。こちらが引き金を引いてから着弾までの時間は、一秒に満たない。その間に、飛来物を認識し、術式を構成し、発動させた。
「――ステューピファイ」
彼は、続けて杖を振った。
赤い光が走る。
ダンブルドアは、これも杖の一振りで弾いた。光は明後日の方向へ逸れ、木の幹に着弾して爆ぜる。
「――インカーセラス」
縄が生成され、老人へと巻きつこうとする。
だが、それは触れる前に解けて霧散した。
「――ボンバーダ」
地面が爆ぜ、土煙が上がる。
その煙に紛れて、鬼太郎は地を蹴った。
真横へ回り込み、視界の外から間合いを詰める。銃でも魔法でも駄目なら、距離を潰すしかない。前世で幾度となく使ってきた手だった。
残り五歩。
三歩。
一歩――
その瞬間、彼の体は宙に浮いていた。
「……!」
衝撃はなかった。痛みもない。ただ、足が地面から離れていた。
そして、ゆっくりと後方へ押し戻される。
抵抗しようとしたが、掴めるものが何もない。水中でもがくような感覚だった。
二十歩の距離まで戻されて、静かに地面に降ろされる。
ダンブルドアは、その間、一歩も動いていなかった。
◇
鬼太郎は、着地しながら思考を巡らせていた。
銃、防がれた。呪文、すべて弾かれた。接近、届く前に無効化。
三つの手段が、いずれも機能していない。
(――なるほど)
彼は、口元を緩めた。
久しぶりだった。この感覚は。
手が届かない。何をしても、埋まらない差がある。
前世で、名のある悪魔と対峙した時。あの男と最後に殺し合った時。あの時に感じたものと、同じ種類の壁がそこにあった。
彼は、続けた。
撃ち、唱え、走り、跳んだ。持てるすべてを使った。この世界で覚えた呪文を、片端から試した。
結果は、変わらなかった。
三十を数えたあたりで、彼の杖が弾き飛ばされた。
続けて、銃が。
そして――足元の地面が、彼の靴を包み込むように隆起し、動きを封じた。
そこで、終わった。
「……お見事です」
鬼太郎は、静かにそう言った。
息は上がっていた。額に汗が滲んでいる。
だが、傷は一つもなかった。
ダンブルドアは、一度も彼を傷つけなかった。制圧するのに、その必要がなかったのだ。
◇
ダンブルドアは、杖を下ろした。
そして、その場に立ち尽くしていた。
圧倒した。それは間違いない。
この子の攻撃は、ただの一度も自分に届かなかった。杖を本気で振ることすらなかった。
だが。
(――なんじゃ、これは)
彼の背筋には、冷たいものが伝っていた。
今のは、十一歳の戦い方ではない。
銃と魔法を組み合わせ、視界外から回り込み、煙を目眩ましに使う。呪文の選択に無駄がなく、失敗すれば即座に次へ切り替える。判断が、あまりにも速い。
そして、その精度。
率直に評価するならば――闇祓いの、上位に届く。
魔法省で長年訓練を積み、実戦を潜り抜けてきた者たち。その中でも上の方に位置する水準を、この子は既に持っている。
十一歳で。
学校にも通わず、師もなく、借り物の杖で。
ダンブルドアは、その事実の重さに眩暈を覚えた。
――そして、もう一つ。
彼は、地面に転がった杖を見た。
「……その杖は、あなたのものではありませんな」
「ええ。奪ったものです」
鬼太郎は、隠しもせずに答えた。
「私に合う杖は、まだ持っておりません。手元にあるものの中で、最も反応が良かったものを使っております」
「……なるほど」
ダンブルドアの中で、計算が音を立てた。
借り物の杖で、この水準。
自分に合う杖を得れば、どうなるのか。
そして。
(――あれを、使わなんだ)
最も重い事実が、そこにあった。
彼がこの子について知っている、最も特徴的なこと。
――杖なしで、殺しをする。
その異名の根拠となる能力を、この子は一度も見せなかった。
銃を使い、借り物の杖を使い、体術を使った。だが、無杖の魔法は最後まで一度も使わなかった。
使えなかったのか。
それとも――使う必要がないと、判断されたのか。
ダンブルドアには、後者としか思えなかった。
◇
「素晴らしい」
その声に、彼は我に返った。
足を地面に埋められたまま、鬼太郎が笑っていた。
心の底から嬉しそうな、満ち足りた笑みだった。
「本当に、素晴らしい」
彼は、ダンブルドアを見上げた。
「何をしても、届きませんでした。あれほど何もできなかったのは、久しぶりです」
「……」
「ありがとうございました」
少年は、拘束されたまま、深々と頭を下げた。
ダンブルドアは、言葉を失っていた。
負けたのだ、この子は。手も足も出ずに、完全に。
なのに、喜んでいる。
悔しがるでも、怯えるでも、憎むでもなく。ただ、純粋に嬉しそうにしている。
「……なぜ、そのように喜ばれるのですかな」
「強い方に会えたからです」
鬼太郎は、当たり前のように答えた。
「申し上げたはずです。私は、それを探しております」
ダンブルドアは、杖を振って拘束を解いた。
少年は、足を抜いて、軽く土を払った。
そして、改めて向き直った。
「ホグワーツへ、参ります」
「……よろしいのですかな」
「ええ」
鬼太郎は、頷いた。
「あなたがおられるのでしょう。あの学校に」
その一言に、ダンブルドアは寒気を覚えた。
この子が入学を決めた理由は、教育でも、居場所でも、未来でもない。
自分がそこにいるから。
それだけだった。
「……さようですか」
彼は、かろうじてそう答えた。
それでも――目的は、達した。
この子は、ホグワーツに来る。目の届く場所に置ける。そこから先は、時間をかけて向き合っていけばいい。
長い旅路の、ひとまずの区切りだった。
ダンブルドアは、ようやく肩の力を抜いた。
「では、九月一日に。詳しいことは、追って書面で――」
「ああ、それと」
鬼太郎が、言葉を遮った。
ダンブルドアの動きが、止まった。
少年は、土のついた袖を軽く払いながら、ごく自然な口調で続けた。
「いくつか、お願いしたいことがございます」
「……お願い」
「ええ。三つほど」
鬼太郎は、丁寧に頭を下げた。
「屋敷の中で、伺ってもよろしいでしょうか。少々、長くなりますので」
ダンブルドアは、その場に立ち尽くしていた。
――終わっていなかった。
春先の風が、二人の間を吹き抜けていった。