ハリー・ポッターと墓場に還りし者 作:ムササビ
再び、居間のソファに腰を下ろした時、ダンブルドアの中には嫌な予感があった。
目の前の少年は、変わらず穏やかな顔をしている。
だが、この子が「お願い」と口にする時、それは決して単純な頼み事ではない。
先ほどの一件で、彼はそれを学んでいた。
「では、順にお話しいたします」
鬼太郎は、丁寧に一礼してから切り出した。
「まず、一つ目です」
彼は、部屋の隅に立つ少女へ目を向けた。
「キーノも、ホグワーツへ入学させていただきたいのです」
◇
ダンブルドアの視線が、その少女へ移った。
白銀に近い、色素の薄い髪。透けるような肌。人形のように整った顔立ち。
そして――彼が最初から気づいていた、その気配。
「……その方は」
「人間と吸血鬼の混血です」
鬼太郎は、隠す様子もなく答えた。
ダンブルドアは、静かに息を吐いた。
やはり、そうか。
「……難しい話ですな」
「と、申しますと」
「吸血鬼は、魔法省の分類において『闇の生物』とされております」
彼は、慎重に言葉を選んだ。
「混血の場合、扱いは個別に判断されます。じゃが、前例はほとんどございません。学校に受け入れるとなれば、理事会の承認が要る。そして――反対する者は、多いでしょう」
「なぜでしょう」
「偏見です」
ダンブルドアは、率直に言った。
「理屈ではありません。ただ、恐れておるのです。血を吸う者の血を引いておるというだけで」
「なるほど」
「わしとしては、受け入れたい。じゃが、独断で通せる話ではないのです。仮に押し通したとして、あの子がどのような目に遭うか」
彼は、そこで言葉を切った。
入学させることはできるかもしれない。校長権限を使い、理事会をなだめ、書類を整えれば。
だが、その後がある。
偏見に晒され、噂され、避けられる。魔法界の子供たちは、大人の偏見をそのまま受け継いでいる。あの少女が、どれほど傷つくか。
「――行きたいです」
声が、した。
ダンブルドアが顔を上げた。
部屋の隅にいた少女が、一歩前に出ていた。
◇
「キーノ」
鬼太郎が、名を呼んだ。
だが、彼女は止まらなかった。
両手を握りしめ、まっすぐにダンブルドアを見つめている。その手が、小さく震えていた。
「あの……あたし、行きたいんです」
「……」
「学校って、ずっと憧れてました」
彼女は、絞り出すように言った。
「あたし、二年間、檻の中にいたんです。見世物小屋で、毎日切られて、毎日治されて」
ダンブルドアの表情が、硬くなった。
「そこ、お客がたくさん来るんです。いろんな話をしてる。町のこととか、家族のこととか。子供を学校に行かせた、とか」
彼女は、少しだけ俯いた。
「あたし、それを聞きながら、ずっと考えてたんです。学校って、どんなところなんだろうって」
「……」
「友達って、どんなものなんだろうって」
声が、震えていた。
「……ごめんなさい。あたし、迷惑なのは分かってます。血のこととか、お偉い人たちが反対するとか、そういうのも」
彼女は、顔を上げた。
「でも、一度でいいから、行ってみたいんです」
部屋が、静まり返った。
ダンブルドアは、その少女をじっと見つめていた。
先ほどまで、彼の頭の中にあったのは、制度の話だった。前例、理事会、手続き、風評。それらを天秤にかけて、どう処理するかという計算。
その計算が、今、まったく別のものに置き換わっていた。
目の前にいるのは、学校に行きたいと言う子供だった。
ただ、それだけだった。
「……お名前を、伺ってもよろしいかな」
「え、あ……キーノです。キーノ・ファスリス・インベルン」
「キーノさん」
ダンブルドアは、穏やかに微笑んだ。
それは、この日初めて浮かべた、心からの笑みだった。
「――お引き受けいたしましょう」
「え」
「あなたを、ホグワーツにお迎えいたします」
「……ほ、本当に?」
「ええ」
「で、でも、反対する人が」
「おりますとも。山ほどな」
彼は、可笑しそうに肩をすくめた。
「じゃが、それはわしの仕事です。あなたが気に病むことではありません」
キーノは、口を押さえた。
言葉が、出てこないようだった。
「一つだけ、申し上げておきます」
ダンブルドアは、真剣な顔に戻った。
「学校には、心ない者もおります。あなたの血を理由に、傷つけようとする者も出るでしょう。それは、わしにも完全には防げません」
「……はい」
「じゃが、覚えておいてください。あなたには、そこにいる権利があります。誰に何を言われようと、それだけは変わりません」
キーノは、何度も頷いた。
目の縁が、赤くなっていた。
「……ありがとう、ございます」
「礼を言われるようなことではありませんよ」
◇
鬼太郎は、そのやり取りを黙って見ていた。
そして、内心で軽く頷いた。
(――良かった)
彼が条件に出したのは、キーノのためではなかった。
正確に言えば、彼女の望みを叶えてやろうという発想が、そもそも出発点ではない。
置いていくという選択肢が、彼の中になかった。それだけである。
九月から、七年間。その間、彼はホグワーツにいることになる。
では、キーノはどうなるのか。この屋敷に残る? 誰が管理する? 誰が守る?
――目の届かない場所に、自分の所有物を置く。
それは、彼にとって受け入れがたいことだった。
気に入ったものは、壊れないように扱う。そのためには、手元になければならない。見えない場所にあるものは、いつ損なわれるか分からない。
だから、連れて行く。
それだけの話だった。
もっとも――と、彼は思った。
結果として、本人が喜んでいるのなら、それに越したことはない。
(――都合が、よろしいですね)
彼は、満足げにカップへ手を伸ばした。
◇
「では、二つ目です」
鬼太郎が、そう切り出した。
ダンブルドアの表情が、再び引き締まった。
「そちらの方も、連れて参ります」
彼が指したのは、壁際のサーシェスだった。
「は?」
当の本人が、間の抜けた声を上げた。
「おい坊主、何の話だ」
「あなたも一緒に来ていただきます」
「聞いてねえぞ!」
「今、申し上げました」
「そういう問題じゃねえだろうが!」
サーシェスが壁から身を起こした。
「学校だぞ? 俺に何をさせる気だ」
「城周辺の治安維持を」
「……はあ?」
「名目は、それで通るかと」
鬼太郎は、ダンブルドアに向き直った。
「いかがでしょう。ホグワーツの周辺には、禁じられた森がございますね。危険な魔法生物も多いと伺っております。警備の人手が増えて、困ることはないかと思いますが」
ダンブルドアは、その申し出をしばらく検討した。
筋は、通っている。
だが――この男は、明らかに堅気ではない。腰の銃といい、纏う空気といい、荒事で生きてきた人間のそれだ。そんな人物を、生徒の集まる学校の周辺に置くというのは。
「……その方は、何者ですかな」
「傭兵です」
サーシェスが、自分で答えた。
「アリー・アル・サーシェス。スクイブでね、魔法は使えねえ。代わりに、こいつで食ってる」
彼は、腰のホルスターを叩いてみせた。
「……なるほど」
「言っとくが、俺は乗り気じゃねえぞ。学校なんざ、柄じゃねえ」
「ですが、来ていただきます」
「なんでだよ」
鬼太郎は、当然のように答えた。
「必要ですので」
「答えになってねえ!」
サーシェスは吐き捨てたが、それ以上は言わなかった。
この子供が「必要」と言った時、それを覆せた試しがない。理屈で勝てないことは、経験上よく知っていた。
ダンブルドアは、その二人のやり取りを注意深く観察していた。
そして――一つの推測に至った。
(――離したくないのじゃな)
この子は、理由を説明していない。「必要」としか言っていない。
だが、その必要とは何か。
治安維持が本当の目的なら、他に方法はいくらでもある。この屋敷に残しておけばいい。ブルガリアの森の警備を任せておけばいい。
そうしないのは、つまり。
手元に置いておきたいから。
ダンブルドアは、先ほどの少女の件を思い返した。
あれも、同じだったのではないか。
この子が二人を連れて行きたがるのは、情からではない。守りたいからでもない。
――自分の持ち物を、目の届く場所に置いておきたい。
それだけのことなのだ。
(……なんという)
彼は、内心で深く息を吐いた。
結果として、あの少女の望みは叶う。この男も、退屈はしないだろう。
誰も不幸にはならない。
だが、その動機は、どこまでも自分本位だった。
「……分かりました」
彼は、ゆっくりと頷いた。
「一つ、条件がございます」
「なんでしょう」
「その方には、校内に立ち入らぬようにしていただきたい。あくまで、森の周辺の警備という扱いで」
「結構です」
「それと、生徒に危害を加えぬこと。これは絶対です」
「おい、俺をなんだと思ってやがる」
サーシェスが不服そうに言った。
「ガキ相手に銃を抜くほど落ちぶれちゃいねえよ」
「……失礼いたしました」
ダンブルドアは、素直に頭を下げた。
◇
「では、三つ目です」
鬼太郎が、そう言った。
ダンブルドアは身構えた。ここまでの二つは、まだ飲める範囲だった。
だが、この子が最後に残したということは。
「ポートキーを、ご用意いただきたいのです」
「……ポートキー」
「ええ。この屋敷と、ホグワーツの間を行き来できるものを。私とキーノ、そしてサーシェスの三人分」
ダンブルドアの眉が、はっきりと動いた。
「……よくご存知ですな」
「書物で調べました」
鬼太郎は、淡々と答えた。
「移動手段について、ひと通り当たってみたのです。この屋敷と城を往復する必要がございましたので」
彼は、指を折りながら続けた。
「まず、姿くらまし。これは呪文ではなく技能だと分かりました。習得には相応の訓練が要り、失敗すれば体の一部を置き去りにするとも書かれておりました」
「……左様です」
「私は、それを習得しておりません。捕らえた者たちにも尋ねましたが、教えられる者はおりませんでした。彼らの多くは、そもそも使えないのです」
ダンブルドアは、内心で頷いた。
姿くらましは、魔法使いなら誰でも使えるものではない。十七歳以上で試験に合格した者のみが免許を得られ、それでも習得を諦める者は少なくない。
「それに、仮に習得できたとしても、免許がなければ違法でしょう。試験を受けられるのは十七歳からだと」
「その通りです」
「ですので、当面は選択肢から外しました」
鬼太郎は、二本目の指を折った。
「次に、ホグワーツそのものについて。あの城には、姿くらましと姿現しを防ぐ術式がかけられている。『ホグワーツの歴史』に、そう記載がございました」
「……お読みになったのですか」
「一通りは」
少年は、事もなげに言った。
「入学する可能性がある以上、下調べは必要かと思いまして。もっとも、読んだのはあなたがいらっしゃる前ですが」
ダンブルドアは、僅かに目を見開いた。
この子は、入学の話が来る前から、既にホグワーツについて調べていた。
「三つ目に、箒。これは時間がかかりすぎます。ブルガリアからスコットランドまで、何日を要するか分かりません」
「……左様ですな」
「そして、暖炉飛行。こちらは魔法省の管理下にあり、接続には登録が必要だと。私のような立場では、まず通りません」
鬼太郎は、最後の指を折った。
「残ったのが、ポートキーです」
彼は、静かに続けた。
「物に仕掛けられた魔法ですので、使用者の技量を問いません。免許も不要。そして、ホグワーツの防止術式にも影響を受けない」
「……」
「ただし、魔法省の認可が必要ですね。無認可のポートキーの作成は、違法だと記載されておりました」
鬼太郎は、そこで一度言葉を切った。
そして、ごく自然に言った。
「校長先生であれば、なんとかなるのではないでしょうか」
ダンブルドアは、沈黙した。
この子は、制度を正確に把握している。その上で、こちらに違法行為を要求している。
いや――要求とすら思っていないのかもしれない。ただ、必要なものを挙げただけという顔をしている。
「……何のために、必要なのですかな」
彼は、慎重に尋ねた。
これが、最も重要な問いだった。
「サーシェスのためです」
「……その方の?」
「ええ」
鬼太郎は、壁際の男を指した。
「この方には、定期的な発散が必要です。戦うことでしか満たされない性質ですので、それを与えないと、状態が悪くなります」
「……状態」
「ええ。機嫌が悪くなり、消耗します」
彼は、当然のことを説明するような口調で続けた。
「ですが、城の周辺では、その機会がございません。禁じられた森の魔法生物を狩らせるわけにもいかないでしょう」
「……それは、困りますな」
「ですので、こちらの森へ戻れるようにしていただきたいのです」
鬼太郎は、窓の外へ目をやった。
「この一帯には、定期的に密猟者が流れ込んできます。魔法生物が多いので、一攫千金を狙う者が絶えません」
ダンブルドアの背筋に、冷たいものが走った。
まさか。
「その方々を」
「ええ」
少年は、こちらへ向き直った。
そして、何ら悪びれる様子もなく、言った。
「サーシェスに、狩らせます」
◇
部屋が、静まり返った。
ダンブルドアは、しばらく声を出せなかった。
今、この子は何と言ったのか。
ポートキーを用意しろと言った。そして、その用途は――同行者に人を狩らせるためだと。
包み隠さず。言い換えもせず。
「……あなたは」
彼は、かすれた声で言った。
「それを、わしに言うのですかな」
「はい」
「嘘を、つこうとは思われなかったのですかな」
鬼太郎は、不思議そうな顔をした。
「なぜでしょう」
「……なぜ?」
「嘘をつけば、あなたはいずれ気づかれます」
少年は、淡々と答えた。
「その時、私の言葉はすべて信用を失う。それは、長期的に不利益です。ですので、申し上げられることは正直に申し上げます」
「……申し上げられること、ですか」
「ええ。申し上げられないことは、黙っております」
ダンブルドアは、額に手を当てた。
合理的だった。どこまでも。
この子は、誠実だから正直なのではない。嘘が非効率だから正直なのだ。
「……お断りする、と申し上げたら?」
「困りますね」
鬼太郎は、首を傾げた。
「その場合、サーシェスをここに残すことになります。ですが、それは私が避けたいことですので」
「……なぜ」
「手元にいないと、管理できませんので」
あまりにも率直な答えだった。
やはり、そういうことか。
ダンブルドアは、深く息を吐いた。
◇
彼は、しばらく考え込んでいた。
飲めるはずのない要求だった。
無認可のポートキーを用意する。それだけでも十分に問題だが、その用途を知った上で手配するとなれば、彼自身が加担することになる。
殺人の便宜を図る。校長が。
だが――断れば。
この子は来ない。あるいは、来たとしても、別の手段で同じことをするだろう。この子は、方法がなければ作り出す。そういう子だ。
そして、目の届かない場所で続く。
(――どちらが、悪いか)
彼は、自らに問うた。
答えは、出なかった。どちらも悪い。ただ、片方は見えていて、片方は見えない。それだけの違いだった。
ならば、見える方を選ぶべきなのか。
「……一つ、お願いがございます」
ダンブルドアは、顔を上げた。
「今度は、わしからです」
「どうぞ」
「地下の実験を、おやめいただきたい」
鬼太郎の目が、わずかに細められた。
「……理由を、お伺いしても?」
「人を、そのように扱ってはならんからです」
「それは、先ほども伺いました」
少年は、静かに言った。
「そして、私は納得しておりません」
ダンブルドアは、その言葉を予想していた。
道理では、届かない。それは既に思い知らされている。
ならば――別の話をするしかない。
「では、こう申し上げましょう」
彼は、姿勢を正した。
「非効率です」
鬼太郎の眉が、動いた。
「……と、申しますと」
「あなたは、独学でここまで来られた。それは称賛に値します。じゃが、限界にも突き当たっておられるのではありませんかな」
少年は、答えなかった。
だが、その沈黙が答えだった。
「杖の自作は、うまくいきましたかな」
「……いいえ」
「薬の開発は、すべて成功しましたかな」
「……いくつかは、未達です」
「でしょうな」
ダンブルドアは、静かに頷いた。
「独学には、限界がございます。試行錯誤には時間がかかる。そして、最も大きな問題は――どこで間違えているのかが、自分では分からんことです」
「……」
「ホグワーツには、各分野の専門家がおります。魔法薬学。変身術。魔法生物飼育学。いずれも、その道で長年研究を重ねてきた者たちです」
彼は、指を折った。
「そして、図書館がございます。禁書庫を含めれば、蔵書は数十万冊。その中には、闇市には決して流れぬ書物も多くございます」
鬼太郎の目に、明らかな変化が生じた。
「……数十万」
「ええ」
「禁書庫、と申されましたか」
「ええ。校長の許可があれば、閲覧できます」
ダンブルドアは、そこで一度言葉を切った。
「あなたが檻の中で試しておられることは、おそらくその大半が、既に誰かが調べ、記録に残しております」
「……」
「同じことを、五年かけて自力で確かめますか。それとも、書架から一冊取り出して、一時間で読みますかな」
沈黙が落ちた。
鬼太郎は、しばらく動かなかった。
そして――ゆっくりと、口を開いた。
「……確かに、非効率ですね」
「でしょう」
「検体を維持するにも、手間がかかります。食事を与え、状態を管理し、逃走を防ぐ。それらに費やしている時間を、書物に充てられるのであれば」
彼は、そこまで言って、頷いた。
「分かりました。実験は、やめましょう」
ダンブルドアは、深く息を吐いた。
届いた。
ようやく、一つだけ。
だが、同時に彼は理解していた。
この子が実験をやめるのは、それが間違っているからではない。もっと良い手段があるからだ。
つまり――ホグワーツで得られるものが尽きた時。あるいは、他に手段がなくなった時。
この子は、また同じことをする。
その事実から、目を逸らすことはできなかった。
「では、ポートキーの件は」
「……手配いたしましょう」
ダンブルドアは、絞り出すようにそう答えた。
◇
すべての話が終わり、彼が屋敷を出た時、日は傾き始めていた。
見送りに出た三人が、玄関先に並んでいる。
礼儀正しい少年。目を赤くした少女。そして、面倒くさそうな顔の傭兵。
奇妙な取り合わせだった。
「それでは、九月一日に」
「お待ちしております」
鬼太郎が、深々と頭を下げた。
ダンブルドアは、一礼を返して歩き出した。
森の道を進みながら、彼は今日一日を反芻していた。
目的は、達した。あの子は来る。目の届く場所に置ける。実験もやめさせた。
だが。
差し出した三つのものは、一つも受け取られなかった。居場所も、教育も、導きも。
代わりに受け取ったのは、自分という強い相手だけ。
そして――こちらは、三つ飲まされた。
混血の少女の入学。堅気でない男の帯同。そして、無認可のポートキー。
どれも、規則を曲げなければ通らないものばかりだった。
ダンブルドアは、足を止めた。
そして、来た道を振り返った。
木立の向こうに、屋敷の屋根が小さく見えている。
「……やれやれ」
彼は、苦笑した。
自分は、交渉に来たはずだった。
それが気づけば、最初から最後まで、相手の土俵の上に立たされていた。
「……ずいぶんと、高い買い物になりましたな」
誰にともなく呟いて、彼はまた歩き出した。
春の日が、森の梢を茜色に染めていた。