ハリー・ポッターと墓場に還りし者   作:ムササビ

35 / 55
ハーマイオニー・グレンジャー

「じゃ、いくよ」

 

 ロンは、杖を構えた。

 

 その切っ先を、眠っているネズミに向ける。

 

「よく見てて。フレッドに教わったんだ」

 

 彼は、大きく息を吸った。

 

 その時、扉が開いた。

 

「――何か魔法をやるの?」

 

 先ほどの少女だった。

 

 茶色い癖毛。大きめの前歯。既にローブを着込んでいる。

 

「それなら、見せてちょうだい」

 

 彼女は、返事も待たずに中へ入ってきた。

 

「え、あ、うん」

 

 ロンは、面食らいながらも頷いた。

 

 注目されるのは、悪い気分ではなかった。

 

「じゃ、いくよ。――日の光、ヒナギク、とろける甘さ、この醜いドブネズミを黄色に染めろ!」

 

 杖を、勢いよく振る。

 

 そして。

 

 ――何も、起きなかった。

 

 スキャバーズは、相変わらず灰色のまま眠っていた。

 

「……あれ?」

 

「本当に、それが呪文なの?」

 

 少女が、遠慮なく言った。

 

「あんまり上手くいってないみたいね」

 

「う、うるさいな。今のは練習だよ」

 

「わたしも試してみたけれど、全部うまくいったわ」

 

 彼女は、胸を張った。

 

「わたしの家には、魔法族なんて一人もいないの。手紙が来た時は、本当にびっくりしたわ。でも、嬉しかった。だって、ホグワーツって最高の学校でしょう?」

 

 彼女は、一息にそう言った。

 

「教科書は全部暗記したわ。それだけで足りるといいのだけれど」

 

「……全部?」

 

 ロンが、呆然と呟いた。

 

「ええ。当然でしょう?」

 

        ◇

 

 少女は、そこでハリーの方を見た。

 

「あなた、眼鏡が壊れているわね」

 

「え?」

 

 ハリーは、自分の眼鏡に触れた。

 

 確かに、片方のつるがテープで留めてある。ダドリーに殴られた時に折れて以来、ずっとそのままだった。

 

「貸してちょうだい」

 

「あ、うん」

 

 彼女は、眼鏡を受け取ると、杖を向けた。

 

「――レパロ」

 

 セロテープが剥がれ落ち、折れていたつるが、音もなく繋がった。

 

 まるで、最初から壊れていなかったかのように。

 

「はい、どうぞ」

 

「……すごい」

 

 ハリーは、掛け直した眼鏡を触りながら言った。

 

 完璧だった。

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 彼女は、満足げに頷いた。

 

 そして、思い出したように付け加えた。

 

「あら、名乗っていなかったわね。ハーマイオニー・グレンジャーよ。あなたたちは?」

 

「ロン・ウィーズリー」

 

「ハリー・ポッター」

 

 その名を聞いた瞬間、ハーマイオニーの目が輝いた。

 

「あなたが? 本当に?」

 

「え、あ、うん」

 

「知っているわ。あなたのこと、何冊も読んだもの」

 

 彼女は、指を折り始めた。

 

「『近代魔法史』『闇の魔術の興亡』『二十世紀の魔法大事件』。全部にあなたのことが載っていたわ」

 

「……そうなんだ」

 

「知らなかったの?」

 

「うん」

 

 ハリーは、曖昧に笑った。

 

 また、これだ。

 

 どこへ行っても、同じ反応をされる。

 

        ◇

 

「――一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」

 

 その時、静かな声がした。

 

 鬼太郎だった。

 

 それまで黙って本を読んでいた彼が、顔を上げている。

 

「あら、あなたも一年生?」

 

「ええ。墓場鬼太郎と申します」

 

「はかば……変わった名前ね。外国の方?」

 

「日本の生まれです」

 

「まあ、遠いのね」

 

 ハーマイオニーは、興味深そうに頷いた。

 

「それで、質問って?」

 

「先ほどの呪文についてです」

 

「レパロのこと?」

 

「ええ。よく制御されておりました」

 

 彼は、彼女の手元の杖を見ていた。

 

「一つだけ、確認させてください。あなたは、以前から魔法を使っておられたのですか」

 

「以前?」

 

「はい。何年ほど前から」

 

「まさか」

 

 ハーマイオニーは、首を振った。

 

「わたし、マグル生まれよ。家族に魔法族なんて一人もいないの」

 

「では、いつから」

 

「手紙が来たのが七月の終わり。杖を買ったのが、その少し後だから――」

 

 彼女は、指を折って数えた。

 

「一ヶ月くらいかしら」

 

 鬼太郎の動きが、止まった。

 

「……一ヶ月」

 

「ええ」

 

「その間、どなたかに教わりましたか」

 

「教わる? 誰に?」

 

 彼女は、心外そうに言った。

 

「本を読んだのよ。教科書と、参考書を何冊か。それで、家で練習したの」

 

「独学で」

 

「当たり前でしょう?」

 

 鬼太郎は、しばらく黙っていた。

 

 そして――ゆっくりと、言った。

 

「……素晴らしい」

 

        ◇

 

 個室が、静まり返った。

 

「え?」

 

 ハーマイオニーが、瞬きをした。

 

「素晴らしい、と申し上げました」

 

 鬼太郎は、繰り返した。

 

「一ヶ月です。しかも独学で、教師もなく。それで、あれだけの精度を出される」

 

 彼は、本を閉じた。

 

「私も杖を使いますが、ここまで来るのに半年以上を要しました。それも、まともな杖ではありませんでしたが」

 

「……半年?」

 

「ええ」

 

「あなた、いつから練習していたの?」

 

「昨年の春頃からです」

 

「……それ、学校に入る前でしょう?」

 

「ええ」

 

「未成年の魔法は――」

 

「規則については、存じております」

 

 鬼太郎は、あっさりと言った。

 

「ですが、それはさておき」

 

「さておき!?」

 

「あなたの話です」

 

 彼は、身を乗り出した。

 

「一ヶ月で、書物だけを頼りに。誰にも確認できず、間違いを指摘してくれる者もなく、それでも正しい形に辿り着いた」

 

 彼の目が、静かに輝いていた。

 

「それが、どれほど難しいことか。私は知っております」

 

「……」

 

「本当に、素晴らしい」

 

 ハーマイオニーの顔が、みるみる赤くなっていった。

 

「そ、そんな……当たり前のことをしただけよ」

 

「当たり前ではありません」

 

「……」

 

「多くの方は、そこまでやりません。教わるのを待ちます」

 

 鬼太郎は、静かにそう言った。

 

 ハーマイオニーは、俯いた。

 

 褒められることは、これまでにもあった。

 

 でも、それはいつも「よくできました」という類のものだった。優等生だと。真面目だと。

 

 ――努力の中身を、正確に見られたのは初めてだった。

 

 一ヶ月。独学。誰にも確認できないという不安。何度も失敗して、何が間違っているのかも分からなくて、それでも繰り返した夜のこと。

 

 誰も、そこは見ていなかった。

 

「……ありがとう」

 

 彼女は、小さな声でそう言った。

 

        ◇

 

 ハリーとロンは、その様子を呆然と見ていた。

 

(……この子、こんな喋り方するんだ)

 

 ハリーは、内心でそう思った。

 

 さっきまで、ほとんど口を開かなかった。話しても、妙に淡々としていた。

 

 なのに今は、明らかに熱がこもっている。

 

 ロンは、別のことを考えていた。

 

(……なんか、悔しいな)

 

 自分の呪文は失敗した。この女の子のは成功した。

 

 それは仕方がない。でも――褒められているのを見ると、なんとなく面白くなかった。

 

        ◇

 

 そして、もう一人。

 

 キーノだけが、別のものを見ていた。

 

 彼女は、鬼太郎の顔を見ていた。

 

 あの目。

 

 目を細めて、口元をわずかに緩めて、相手を見つめるあの顔。

 

 ――知っている。

 

 その顔を、彼女は知っていた。

 

 サーシェスに向けた顔だった。

 

 そして、あの見世物小屋で、自分に向けられた顔でもあった。

 

(……ちょっと)

 

 彼女の背筋が、冷たくなった。

 

(……まさか)

 

        ◇

 

「では、もう一つお伺いしても」

 

 鬼太郎が、続けた。

 

「え、ええ。何かしら」

 

「レパロについてです。あれは、破損したものを元の形に戻す呪文ですね」

 

「そうよ」

 

「では、その『元の形』とは、どこに記録されているのでしょう」

 

「……え?」

 

 ハーマイオニーが、瞬きをした。

 

「どこに、って」

 

「壊れた物体には、既に元の形がございません。断片があるだけです」

 

 鬼太郎は、淡々と続けた。

 

「にもかかわらず、呪文は正確に復元する。ということは、どこかに元の形の情報が保持されているはずです。物体そのものにか、あるいは別の場所にか」

 

「……」

 

「それは、どちらでしょう」

 

 ハーマイオニーは、口を開いた。

 

 そして――閉じた。

 

 答えられなかった。

 

 教科書には、書いてなかった。

 

 レパロの使い方は載っている。杖の振り方も、発音も、注意点も。

 

 だが――**なぜそれが可能なのか**は、書いていなかった。

 

 考えたこともなかった。

 

「……分からないわ」

 

 彼女は、悔しそうに言った。

 

「そう答えられるのも、立派なことです」

 

「立派じゃないわよ!」

 

 彼女は、思わず声を上げた。

 

「分からないなら、調べればいいだけでしょう!」

 

「その通りですね」

 

「……調べておくわ」

 

 彼女は、きっぱりとそう言った。

 

「絶対に」

 

「では、後ほど伺います」

 

「ええ、待ってなさい」

 

 二人は、しばらく見つめ合っていた。

 

 ハリーとロンは、その間まったく口を挟めなかった。

 

        ◇

 

「……あの」

 

 しばらくして、ハーマイオニーがキーノの方を見た。

 

「あなたも、一年生よね」

 

「え、あ、うん」

 

 キーノの肩が、跳ねた。

 

「キーノよ。キーノ・ファスリス・インベルン」

 

「素敵な名前ね」

 

「そ、そう?」

 

「ええ。長いけれど、響きがいいわ」

 

 ハーマイオニーは、あっさりとそう言った。

 

 そして、次の話題に移った。

 

「あなた、どの寮に入りたい?」

 

「……え」

 

「わたしはグリフィンドールがいいと思っているの。ダンブルドア先生もそこだったって聞いたわ。でも、レイブンクローも悪くないかしら」

 

「……あたし」

 

「どうかした?」

 

「……考えたこと、なかった」

 

 キーノは、正直にそう答えた。

 

 寮のことは、本で読んだ。だが、どれになりたいかなんて、考える余裕がなかった。

 

 それより――**受け入れてもらえるかどうか**の方が、ずっと大きかった。

 

「そう? じゃあ、着いてからのお楽しみね」

 

 ハーマイオニーは、簡単にそう言った。

 

 それだけだった。

 

 キーノは、拍子抜けした。

 

 髪のことも、肌のことも、何も言われなかった。

 

 この子は、自分を普通の子として扱っている。

 

(……あ)

 

 彼女の胸に、小さな温かさが広がった。

 

 これが、そうなのかもしれない。

 

 檻の中で、ずっと想像していたもの。

 

 同じ年の子と、何でもない話をするということ。

 

「……あたし、グリフィンドールがいいかも」

 

 彼女は、そう言ってみた。

 

「あら、どうして?」

 

「……なんとなく」

 

「ふふ、いい加減ね」

 

 ハーマイオニーが笑った。

 

 キーノも、つられて笑った。

 

        ◇

 

「あ、そうだわ」

 

 ハーマイオニーが、立ち上がった。

 

「もう着くわよ。早く着替えた方がいいわ」

 

「え、もう?」

 

「あと少しよ。わたし、前の方でネビルを手伝ってくるから」

 

 彼女は、扉に手をかけた。

 

 そして、振り返った。

 

「――墓場くん」

 

「はい」

 

「さっきの質問。次に会うまでに、答えを見つけておくから」

 

「お待ちしております」

 

「それと」

 

 彼女は、少しだけ言い淀んだ。

 

 そして、早口で言った。

 

「……さっきは、ありがとう」

 

 返事を待たずに、彼女は出ていった。

 

 扉が、閉まる。

 

        ◇

 

「……なんか、嵐みたいな子だったね」

 

 ハリーが、呟いた。

 

「うん。ちょっと苦手かも」

 

 ロンが、肩をすくめた。

 

「あんなの、一緒の寮になったら大変だよ」

 

「そうかな」

 

「絶対そうだって」

 

 二人が、そんな話をしている横で。

 

 キーノが、鬼太郎の袖を引いた。

 

「……ちょっと」

 

「はい」

 

「あっち来なさい」

 

「どちらへ」

 

「いいから!」

 

 彼女は、鬼太郎を引っ張って通路へ出た。

 

        ◇

 

 扉を閉めると、彼女は腕を組んだ。

 

「あんた」

 

「はい」

 

「さっきの、何?」

 

「何、と申されますと」

 

「あの子のこと、褒めてたでしょ」

 

「ええ。事実ですので」

 

「そうじゃなくて」

 

 キーノは、彼を睨みつけた。

 

「あの顔よ」

 

「顔?」

 

「あんた、笑ってたでしょ。あの顔で」

 

 鬼太郎は、少し首を傾げた。

 

「そうでしたか」

 

「気づいてないの?」

 

「自覚はございませんでした」

 

「……嘘でしょ」

 

 彼女は、額を押さえた。

 

 そして、はっきりと言った。

 

「あんた、あの子を気に入ったんでしょ」

 

 鬼太郎は、しばらく黙っていた。

 

 そして、答えた。

 

「……ええ。興味深い方だと思います」

 

「やっぱり!」

 

「何か問題が」

 

「大ありよ!」

 

 キーノは、声を潜めて詰め寄った。

 

「言っとくけど、あの子に変なことしたら、あたし絶対怒るからね」

 

「変なこと、といいますと」

 

「所有するとか言い出さないでよ!」

 

「……ああ」

 

 鬼太郎は、納得したように頷いた。

 

「ご心配なく。あの方は、所有できるものではありません」

 

「……え?」

 

「自分の足で歩いておられる方です。誰かに囲われる必要がない」

 

 彼は、淡々とそう言った。

 

「私が手元に置くのは、そうしなければ損なわれるものだけです」

 

 キーノの動きが、止まった。

 

 ――そうしなければ、損なわれるもの。

 

 つまり。

 

「……あたしは、そうだったってこと?」

 

「ええ」

 

 あっさりとした肯定だった。

 

「あの場所に置いておけば、遠からず壊れていたでしょう」

 

「……」

 

「ですので、持って帰りました」

 

 キーノは、何も言えなかった。

 

 失礼なことを言われている。それは分かる。

 

 人としてではなく、壊れそうな物として扱われた。そういう話だ。

 

 なのに――

 

(……なんで)

 

 なぜか、嫌な気分にならなかった。

 

 むしろ、少しだけ。

 

「……ふん」

 

 彼女は、顔を背けた。

 

「まあ、いいわ。とにかく、変なことしないでよ」

 

「善処いたします」

 

「善処じゃなくて、約束しなさい」

 

「……承知いたしました」

 

 キーノは、それでようやく満足した。

 

 そして、扉を開けて中へ戻っていった。

 

 鬼太郎は、しばらく通路に立っていた。

 

 窓の外では、風景が流れていく。

 

 牧草地。森。遠くの山。

 

 もうすぐ、着くらしい。

 

(――思ったより)

 

 彼は、そんなことを考えていた。

 

(――面白い場所かもしれませんね)

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。