ハリー・ポッターと墓場に還りし者   作:ムササビ

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狩る者

 燃え上がる社を背に、鬼太郎はひとまず、街へ向かうことにした。

 

 現実的な問題として、路銀が一銭もない。食う、寝る、動く――そのすべてに金が要る。この世界での生存戦略を組み立てる上で、まず解決すべきはそこだった。目的地は決まっていないが、当てもなく彷徨うつもりもない。まずは情報と手段。それが揃わなければ、何も始まらない。

 

 舗装された道を数時間ほど歩くと、次第に建物の密度が増していった。やがて視界に広がったのは、車が行き交い、商店の看板が並び、人々が当たり前のように往来する、ありふれた地方都市の風景だった。

 

 鬼太郎は、その光景をしばらく立ち止まって眺めていた。

 

 六歳までの、記憶を取り戻す前の自分も、この景色を見ていたはずだった。母に手を引かれて商店街を歩き、父に肩車をされて祭りを見た記憶が、確かに残っている。だが、今の彼の中には、それとはまったく異なるもう一つの記憶が同居していた。

 

 崩れ落ちたビルの群れ。空を覆う瘴気。道端に転がる、人だったものの残骸。そして、それらを当たり前の日常として受け入れていた、かつての自分。

 

 ――平和だ。

 

 その事実に、彼は驚きすら覚えた。信号が正しく機能し、人々が武器も持たずに歩き、子供が親と手を繋いで笑っている。前世の記憶に照らせば、これは異常事態と言っていいほどの平穏だった。誰も、次の瞬間に自分が死ぬかもしれないという前提で生きていない。

 

「……なるほど」

 

 この世界の人間は、生き延びることに必死になる必要がない。そういう世界なのだ。ならば、そこに合わせた立ち回りを考えなければならない。

 

 鬼太郎は歩き出すと、前から歩いてきた中年の女性に、静かに声をかけた。

 

「失礼いたします。少しお尋ねしてもよろしいでしょうか」

 

 女性は、突然話しかけてきた小さな子供に目を丸くした。そのあまりに丁寧な物言いに、一瞬言葉を失ったようだった。

 

「あら……どうしたの、ぼく」

 

「金銭が必要になりまして。どこへ行けば手に入るか、ご存知でしたら教えていただきたいのですが」

 

 女性の表情が、困惑から心配へと変わっていく。よく見れば、目の前の子供は服が薄汚れ、頬には打ち身のような跡がある。何より、その目つきが子供のものではなかった。

 

「お金って……ぼく、お家はどこなの? お母さんは?」

 

「おりません」

 

「え……」

 

「家は焼けました。両親も、死にました」

 

 あまりに淡々とした返答に、女性は絶句した。悲しんでいる素振りも、助けを求める気配もない。ただ事実だけを、天気の話でもするように述べている。その温度のなさが、かえって彼女を動揺させた。

 

「それは……大変だったわね。そうだわ、警察に行きましょう。役所でもいいわ、きっと保護してくれるから――」

 

 女性がそこまで言った瞬間、鬼太郎の中で答えが出た。

 

 保護。つまり、施設か、あるいは親戚縁者への引き渡し。管理され、監視され、行動を制限される立場に置かれるということだ。この世界の正体を探り、力を取り戻すという当面の目的に対して、それは明らかに非効率だった。何より――他人に生殺与奪を握られる状況を、彼は本能的に嫌った。

 

「お気遣い、ありがとうございます」

 

 そう言って、鬼太郎は一礼した。

 

「ですが、結構です。失礼いたしました」

 

「え、ちょっと、待って――」

 

 制止の声を背に、彼は迷いなくその場を離れた。女性が追ってくる様子はない。善意ではあった。だが、自分にとって有益かどうかで言えば、答えは否だった。それだけのことだ。

 

 次に声をかけたのは、駅前で煙草を吸っていた、くたびれた顔の中年男だった。

 

「失礼いたします。金銭を得る方法についてお伺いしたいのですが」

 

「あ?」

 

 男は胡乱な目で鬼太郎を見下ろすと、わずらわしそうに手を振った。

 

「なんだガキ、物乞いか? 俺だってカツカツなんだよ。あっち行け」

 

「そうですか。お邪魔いたしました」

 

 鬼太郎は一礼して、あっさりと踵を返した。腹も立たなければ、落胆もしない。相手が自分にとって無益であるとわかった、それだけの話だった。

 

 三人目に声をかけたのは、繁華街の入り口に立っていた、細身の若い男だった。派手なシャツに、目立つ金鎖。周囲を油断なく見回すその目つきが、堅気のそれではないことを、鬼太郎はひと目で見抜いていた。

 

「失礼いたします」

 

「……あん?」

 

 男は、足元から声をかけてきた子供を、訝しげに見下ろした。

 

「金銭を得る方法をお探ししております。どちらへ行けばよろしいでしょうか」

 

 その言葉に、男の目つきがわずかに変わった。上から下まで、値踏みするように鬼太郎を眺める。汚れた服。保護者の気配のない身なり。そして、不釣り合いなほど落ち着いた態度。

 

(――こりゃ、ワケありだな)

 

「へえ。ガキが、金がいるのか」男は煙草をくわえ直しながら、口の端を吊り上げた。「どんだけ欲しいんだ」

 

「当面、食い繋げるだけで構いません」

 

「ふーん。まあ、方法がねえわけじゃねえけどよ」男はにやりと笑った。「ちょいと危ねえ橋を渡ることになるぜ。それでもいいのか」

 

 鬼太郎は、その言葉の裏を即座に読み取った。この男が善意で助けようとしているわけがない。子供を使って何かをさせるか、あるいは売り飛ばすか。いずれにせよ、こちらを利用する腹積もりだろう。

 

 もっとも、それは彼にとって問題ではなかった。利用されるつもりはない。だが、この男が「裏社会への入口」として機能するのであれば、使う価値はある。互いに利用し合う関係であることを、最初から理解した上で乗ればいい。

 

「構いません」

 

 即答に、男は少し面食らったようだった。

 

「……肝が据わってんな、お前」

 

「ご案内いただけますか」

 

「ああ、いいぜ。ついてきな」

 

 男は煙草を投げ捨てると、繁華街の奥へと歩き出した。鬼太郎は、その背中を追いながら、周囲の地形と退路を頭に入れていく。前世で染みついた習慣だった。

 

 路地を幾つか曲がり、日の差さない一角へと出る。そこには、既に数人の男たちがたむろしていた。

 

「おい、拾いもんだ」案内役の男が、仲間たちに声をかける。「ガキだが、金が欲しいんだとよ」

 

「はあ? ガキなんか使いようがねえだろ」

 

「まあ聞けよ。こういうのは、売れば結構な値がつくんだ。親も身寄りもいねえらしいぜ」

 

 男たちの下卑た笑い声が、路地に響いた。

 

「なるほど」鬼太郎は静かに呟いた。「やはり、そういうお考えでしたか」

 

「なんだ、気づいてたのか」案内役の男が、悪びれもせずに笑う。「賢いガキだな。だが、遅かったな」

 

「いいえ」

 

 鬼太郎は、静かに右手を持ち上げた。

 

「遅かったのは、そちらです」

 

 男たちが、その仕草の意味を理解するより早く――

 

「アギ」

 

 凝縮された火球が、たむろしていた男の一人へと撃ち出された。着弾の瞬間、それは弾けるように広がり、その体を瞬時に呑み込む。悲鳴が路地に反響し、業火に包まれた人影が、数秒ののたうちの後、動かなくなった。

 

 焼け焦げた臭いが、狭い路地に充満する。

 

「……は?」

 

 誰かの、間の抜けた声が漏れた。

 

 残された男たちは、目の前で起きたことを理解できずにいた。火の気などどこにもなかった。この子供は、ただ手を上げただけだ。それだけで、仲間が一人、炭になった。

 

「さて」

 

 鬼太郎は、ゆっくりと彼らへ向き直った。その顔に、罪悪感の欠片もない。あるのは、ただ淡々とした確認の色だけだった。

 

「もう一度、お尋ねします。私は、金銭を得る方法を探しております。こういった小競り合いではなく、もっと実入りの良い――『まともな』裏の世界に関われる場所を、ご存知ありませんか」

 

 返事はなかった。男たちは、全員が凍りついたように動けずにいる。

 

「……ひ、ひいっ!」

 

 恐慌が、堰を切ったように広がった。一人が絶叫を上げて逃げ出そうとし、もう一人が腰を抜かしてその場に崩れ落ちる。残りの数名は、震える手で懐から得物を抜いた。恐怖が限界を超えて、破れかぶれの攻撃に転じたのだ。

 

「て、てめえ――化け物が!」

 

 刃物を握った一人が、無我夢中で突っ込んでくる。

 

 鬼太郎は、その軌道を見切ると、最小限の動きで身を躱した。伸ばされた腕の内側に滑り込み、肘の関節を逆方向へ捻り上げる。骨の軋む鈍い音とともに、男が絶叫を上げた。力任せではない。相手の体重と勢いを利用した、最小限の動作による崩し。前世で、何百回と繰り返してきた技術だった。

 

 残る男たちが一斉に動く。だが、鬼太郎はすでに次の相手の間合いへ踏み込んでいた。膝の裏を蹴り抜き、体勢を崩したところへ喉元へ手刀を叩き込む。二人目が沈む。

 

 三人目の拳が、彼の肩を掠めた。今度は完全には躱しきれなかった。衝撃で体が泳ぐ。

 

(――やはり、まだ体が追いつかない)

 

 リーチも、筋力も、大人相手には圧倒的に足りていない。前世の技術が体に染みついていても、それを実行する肉体が未熟では、限界がある。魔法を連発すれば片は付くだろうが、先ほどの一撃だけでも、既に体の芯に鈍い疲労が溜まり始めていた。ここで撃ち尽くして動けなくなるのは、悪手だ。

 

 彼は冷静にその事実を認識し、動きを切り替えた。

 

 真っ向からは戦わない。壁際へ後退し、狭い路地の地形を利用して、相手が一度に一人ずつしか来られない位置を取る。そうして一人ずつ、確実に潰していった。

 

 数分後。

 

 路地に転がっているのは、呻き声を上げる男たちだけだった。

 

 鬼太郎は、最後に残った案内役の男の前に立った。男は壁に背中を押し付け、恐怖に顔を歪めている。

 

「な、なんなんだよ、お前……」

 

「三度目に、なりますね」

 

 鬼太郎は、変わらぬ丁寧な口調でそう言った。血の一滴もついていない手で、乱れた髪を整えながら。

 

「実入りの良い仕事を扱っている場所を、ご存知ありませんか。この程度の小競り合いではなく、もっと『まともな』裏の世界に関われる場所です」

 

「な、なんでそんなこと……」

 

「金銭が必要だと、最初に申し上げました」鬼太郎は、わずかに首を傾げた。「先ほどの方のように処理するのは、正直に申しまして、少々面倒なのです。あなたが有益な情報をくださるのであれば、その手間は省けますが」

 

 その言葉に、感情はこもっていなかった。脅しですらない。ただ、事実としてそういう選択肢があると述べているだけだった。だからこそ、男の背筋は凍りついた。数メートル先で燻り続けている、黒い塊が、その言葉に何よりの説得力を与えていた。

 

「い、言う! 言うから!」

 

 男は震える声で、いくつかの地名と、人物の名前を口にした。この一帯の裏を仕切っている組織、話を通せる人間、直接向かうべき場所――鬼太郎は、それらを黙って頭に刻み込んでいく。

 

「ありがとうございます。助かりました」

 

 深々と一礼すると、鬼太郎は踵を返した。背後で、男が腰を抜かしたまま動けずにいる気配がしたが、振り返ることはしなかった。彼らはもう、自分の生存にとって無関係な存在だった。

 

        ◇

 

 こうして得た情報を元に、鬼太郎は本格的に裏社会へと足を踏み入れることになった。

 

 最初のうちは、ただの使い走りだった。それが、いくつかの厄介事を難なく片付けるうちに、次第に扱いが変わっていく。六歳の子供が、大の大人を無傷で沈める――その異常さは、この世界では十分すぎるほどの価値を持っていた。

 

 仕事をこなし、金を得る。その合間に、彼は着々と調べを進めていた。

 

 図書館に潜り込み、この国の歴史を辿る。古い新聞の縮刷版を読み漁り、過去数十年の出来事を確認する。裏社会の人間から、世間には出回らない噂話を集める。

 

 目的は、ただ一つ。この世界が何なのかを、正確に把握することだった。

 

 前世の記憶にある東京の惨状。あの世界に至るまでの経緯。それらしい出来事が、この世界の歴史のどこにも見当たらない。悪魔の出現も、大規模な異変も、記録には一切残っていなかった。

 

(――過去でも、未来でもない、か)

 

 少なくとも、この世界の歴史の延長線上に、あの荒廃した東京は存在しない。そう判断するに足る材料が、徐々に揃いつつあった。

 

 ならば、残る可能性は一つ。まったくの、別の世界。

 

 その結論を、彼はまだ保留していた。断定するには、まだ調べ足りない。特に確認すべきは――悪魔、そして魔法が、この世界に存在するかどうかだった。前世においては、それらは当たり前に存在する現実だった。この世界ではどうなのか。

 

 現状、その痕跡はどこにも見つかっていない。だが、彼自身が「アギ」を使えたという事実がある。ならば、この世界にも何かしらの超常が存在する余地はあるはずだった。

 

 調査と並行して、彼は自らの体を鍛え上げることにも余念がなかった。

 

 走り込み、反復動作、実戦の中での技術の再構築。未熟な肉体を、少しでも前世の水準へ近づけるために。裏社会での仕事は、その意味で格好の実践の場でもあった。相手は掃いて捨てるほどいて、そのほとんどが「潰しても問題にならない」種類の人間だったからだ。

 

 そして、数ヶ月が過ぎたある日のこと。

 

 複数人に囲まれ、いつになく追い詰められた状況で、彼は咄嗟にある感覚を掴んだ。アギを放つ時とは異なる、精神力の流し方。もっと繊細で、もっと搦め手じみた力の形。

 

「――プリンパ」

 

 口をついて出たその言葉と共に、精神力が周囲へと拡散する。次の瞬間、囲んでいた男たちの目から、正気の色が抜け落ちた。とろりと蕩けた表情で、互いに顔を見合わせ、へらへらと笑い始める。敵意も、戦意も、すべて溶けて消えていた。

 

 鬼太郎は、その光景をじっと観察していた。

 

「なるほど。これも、思い出しましたか」

 

 直接的な破壊ではなく、相手の精神に干渉する類の術。使い方次第では、アギよりもはるかに応用が利く。戦闘に限らず、交渉や情報収集の場面でも――そこまで考えて、彼は口元をわずかに緩めた。

 

 記憶は、まだ断片的にしか戻っていない。だが、こうして追い込まれるたび、鍛え上げるたびに、失われた力が一つずつ手元に戻ってくる。それは彼にとって、純粋に興味深い現象だった。

 

 この調子なら、いずれ全盛期の水準まで戻せるだろう。そうなった時、この世界で自分に何ができるのか――そして、この世界には、本気でぶつかれるだけの相手が、果たして存在するのか。

 

「……もう少し、調べてみましょうか」

 

 正気を失って笑い続ける男たちを尻目に、鬼太郎は静かに路地を後にした。

 

 この世界の正体を突き止める旅は、まだ道半ばだった。

 

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