幼女な合理主義令嬢は適材適所を愛してる~前世人事部が埋もれたSSR人材で最強組織をつくります 作:ユズナミキ
秋の終わり。
書斎の窓から見える庭の木は、すっかり葉を落としていた。
夏の終わりにあの白い板が固まってから、季節が一つ過ぎたことになる。
「お嬢様。三ヶ月分の集計、出ました」
帳簿係の少年が、計算用紙を差し出してくる。
その顔が少し得意げだった。
わたしは数字に目を通した。
――悪くない。
いや、想像よりずっと良かった。
この三ヶ月で起きたことを、順に思い返す。
まずヴィエラが、新しい窯を三基設計した。
彼女の改良案は本物で、燃料は従来の半分以下、しかも一度に焼ける量は三倍になった。図面を見せられた時、わたしは思わず「あなた前世で技師でもやってました?」と聞きそうになった。
鉱山では、屑石の山を崩す作業が新たな仕事になった。
採掘量が落ちて手の空いていた鉱夫たちに、仕事が生まれた。掘らなくても金になる、というのは彼らにとって初めての経験だったらしい。最初は半信半疑だった連中も、最初の給金が出た日には手のひらを返したように働き始めた。
そして、交渉係の男。
彼は街道沿いの町を片端から回り、石灰を売り込んだ。
最初はどこも相手にしなかったという。無名の男爵領から来た、聞いたこともない建材だ。当然だろう。
だが彼は、その場で実演してみせた。
持参した粉を水と泥で練り、割れた壁に塗る。翌日また訪ねて、固まったそれを叩いてみせる。
「言葉で説明するより、見せた方が早いものですから」
照れくさそうにそう言っていたが、これは相当な度胸だ。
五年間、帳簿の前に座らされていた人が、である。
「合計で、これだけ入りました」
少年が指した数字を、わたしはもう一度確かめた。
三ヶ月で、この額。悪くない。屋敷の年間経費の何割かに相当する。
――だが。
「返済額と並べて」
「……はい」
少年が、もう一枚の紙を隣に置く。
途端に、さっきまで大きく見えていた数字が、ひどく小さくなった。
「今のペースだと届きません。期限までの返済には、あと二倍から三倍は必要です」
「冬が来るしね」
「はい。雪で街道が塞がると、輸送が止まります。窯も、薪の確保が難しくなります」
冬の三ヶ月は、ほぼ収入が止まる。
つまり実質的に使える時間は、一年半のうち一年ほどしかない。
「……悪くない。でも、まだ足りない」
わたしは椅子の背にもたれた。
焦ってはいけない。ここまで来ただけでも、三ヶ月前には想像もできなかったことだ。
だが、余裕もない。
「次の手を考えます。とりあえず今日は――」
わたしは立ち上がって、外套を手に取った。
「北の村に行ってくる。畑に石灰を撒くから」
◇◆◇◆
馬車には四人が乗った。
わたしと、マーサと、ヴィエラと、テオ。
「うわあ、久しぶりです、この揺れ」
マーサが早速げんなりした顔をしている。相変わらず馬車に弱い。
「マーサ、石は?」
「持ってきました! 十個です!」
「増えてない?」
「気合いです!」
その隣で、ヴィエラが窓の外を眺めていた。
煤の落ちた顔は、鉱山で会った時よりずっと若く見える。栗色の癖毛を今日はきちんと結い上げていて、屋敷の女中が仕立てた新しい服を着ていた。
「畑に撒くところ、見たかったんです」
わたしの視線に気づいて、彼女が言った。
「自分が焼いたものが、どうなるのか知りたくて。……壁に塗るのは見ましたけど、土に撒くのは初めてなので」
「効果が出るのは来年だよ」
「それでも見たいんです。始まりは知っておきたいので」
こういうことを平然と言う。
この人は本当に、自分の焼いたモノがどうなったのか気になるのだろう。
自分の仕事に愛着がある証だ。
その向かいの席には、テオが座っていた。
膝の上に、分厚い紙束を抱えている。
村の記録の写しだ。彼が自分で、何日もかけて清書したもの。
「テオ、緊張してる?」
わたしが聞くと、彼は少し間を置いてから答えた。
「……してる」
「無理しなくていいからね。嫌になったら馬車で待ってて」
「……ううん」
テオは紙束を抱え直した。
「わたす。むらに」
半年前、彼は「いく」の一言しか言えなかった。
今は、ちゃんと自分の意志を文にできる。
北の村は、収穫を終えたところだった。
刈り取られた畑が、茶色く広がっている。空気は冷たく、遠くの山にはもう雪が薄くかかっていた。
「お嬢様! ようこそおいでくださいました!」
村長が駆け寄ってくる。その後ろから、村人たちがぞろぞろと集まってきた。
もう、誰もわたしを子供扱いしない。
「今年の収穫、報告書は届いてます。前より二割増えてますね」
「へえ、そんなに? ……ああ、いや、そうでしょうな。報告書に書いた通りで」
村長が慌てて胸を張る。
控えを残す制度は、思わぬ副産物を生んでいた。数字が見えるようになると、人は自分の仕事を数字で語りたくなるらしい。
「今日は、これを撒きに来ました」
わたしは荷馬車の幌を開けた。
白い粉の入った袋が、いくつも積まれている。
「なんですかこれ」
「消石灰といいます。畑に撒くと、土が良くなります」
村人たちが顔を見合わせた。
「土が……良くなる? この白い粉で?」
「はい」
「どういう理屈で?」
(――来た)
わたしは腹を括った。ここは正直に行くしかない。
「分かりません」
「はい?」
「わたしも理屈は知りません。ただ、そういうものだと聞いたことがあるんです」
村人たちが、完全に困惑した顔になった。
当たり前だ。領主の娘が、よく分からない白い粉を持ってきて「撒け」と言っているのだから。
「怪しいですよね。分かります」
わたしは頷いた。
「なので、全部の畑には撒きません。三枚だけ、貸してもらえませんか。来年の収穫で、撒いた畑と撒かなかった畑を比べます」
「三枚だけ、ですか」
「はい。もし効果がなければ、それで終わり。三枚分の畑を無駄にした責任は、わたしが取ります」
村長がしばらく考え込んだ。
そして、後ろを振り返って言った。
「……オーレン。お前んとこの、東の三枚を貸してやれ」
「え、俺のですか!?」
「一番荒れとるだろうが。どうせ来年もろくに実らん」
「ひでえ言い草だなあ」
村人たちが笑った。
オーレンという中年の男は、頭を掻きながらこちらに来た。
「まあ、いいですよ。お嬢様には、春から色々してもらってますし」
石灰を撒く作業は、ヴィエラが仕切った。
「厚く撒きすぎないでください。薄く、均一に。塊が残ってると、そこだけ効きすぎます」
彼女がてきぱきと指示を出す。
村人たちが、最初は戸惑いながら従い、やがて普通に会話するようになった。
「姉ちゃん、これ焼いたのあんたなのか」
「はい。窯の担当なので」
「女で窯番かい。珍しいな」
「そう言われるのには慣れてます」
ヴィエラが淡々と返す。
その口調に、鉱山にいた頃のうんざりした色はなかった。むしろ、誇らしげな風すらある。
(……いい感じだ)
わたしは畦道からそれを眺めていた。
そして、隣を見る。
テオが、紙束を抱えたまま立ち尽くしていた。
村の風景を、じっと見つめている。
「――テオ?」
村長が、こちらに気づいた。
その声に、集まっていた村人たちが一斉に振り返る。
空気が、変わった。
賑やかだった畑が、ぴたりと静まる。
誰も口を開かない。テオを見て、目を逸らして、また見る。どう反応していいか分からないのだ。
わたしはテオの隣に立った。
「大丈夫?」
小声でそう言うと、彼はこくりと頷いた。
そして、一歩前に出る。
「……これ」
紙束を、両手で差し出した。
「むらの、きろく。はちねんぶん。うつしました」
村長が、恐る恐るそれを受け取る。
束を開いて――そして、絶句した。
年ごとの収穫量。誰が何を納めたか。天候。獣が出た日と場所。人の生まれと死。
全部、紙になっていた。
「これを……お前が、書いたのか」
「……はい」
「字を、覚えたのか」
「……はんとし、かかった」
村長の手が、震えていた。
彼だけではない。集まった村人たちが、次々と紙を覗き込み、そして言葉を失っていく。
「これ、俺の親父が死んだ年だ……」
「畑が潰れたの、この年だったっけか」
「なんでこんなことまで覚えてんだ、あいつ」
ざわめきが広がる。
驚きと、戸惑いと、そして少しの、後ろめたさが混じった声。
テオは俯いていた。
指先で石を回している。逃げたがっているのが、傍から見ても分かった。
――だが。
「……あの」
彼が顔を上げた。
「はなしたいこと、あります」
村人たちが静まる。
テオは何度か口を開いて、閉じた。言葉を探している。
わたしは黙っていた。
ここで代わりに喋ってはいけない。それは彼の言葉ではなくなる。
長い沈黙のあと、テオが言った。
「ぼく、みんなのこと、きらいじゃなかった」
空気が揺れた。
「やまが、なるとき。かわが、はやいとき。……いった。でも、つたわらなかった」
たどたどしい。文法もおかしい。
だが、その声は震えていなかった。
「つたえかたが、わからなかった。ぼくが、へただった」
「――違う」
声を上げたのは、村人の一人だった。
「おまえのせいじゃねえ。俺たちが、聞かなかったんだ」
「……ううん」
テオが、ゆっくりと首を振った。
「りょうほう、だとおもう」
その一言に、誰も返せなかった。
「ぼくは、しゃべるのが、へた。みんなは、きくのが、へただった。……だから、とどかなかった」
テオは、手の中の石を握りしめた。
「でも、きらいじゃなかった」
声が少しだけ大きくなる。
「ずっと、いいたかった。しゅうかくが、いくつだったか。あめが、いつふったか。だれが、いつ、なにをしたか。……ぜんぶ、おぼえてた。だれかに、はなしたかった」
村長が、口元を押さえた。
「ぼく、むらのやくにたちたかった。……それだけ、だった」
――誰かが鼻をすする音。
「ぼくは、へんなやつだから、しかたないとおもってた。でも」
テオが、わたしの方をちらりと見た。
それから、また村人たちに向き直る。
「おじょうさまが、きいてくれた。ふくろか、たるか、って。それだけで、ぜんぶ、はなせた」
彼は紙束を指差した。
「これは、みんなの、はちねん。ぼくが、あずかってた。……やっと、かえせる」
しん、と畑が静まり返った。
風が吹いて、刈り取られた麦の切り株を鳴らしていく。
「――すまなかった」
村長が、深く頭を下げた。
三年前の謝罪とは違う。今度は、言葉が届いている場所での謝罪だった。
「聞き方を知らんかった。それだけで、お前を八年も、独りにした」
次々と、村人たちが頭を下げていく。
オーレンが、大きな体を折り曲げて、うめくように言った。
「おまえの言うこと、俺、一回だけ聞こうとしたことがあったんだ。何年前だったか。でも周りに『関わるな』って言われて、やめちまった。……あの時に聞いてりゃ、って、ずっと思ってた」
「……おぼえてる」
テオが言った。
「そのとし、あきのはじめ。あなた、ぼくのほうに、あるいてきた。とちゅうで、とまった」
オーレンが、ぐっと言葉を詰まらせた。
「……覚えてんのかよ」
「ぜんぶ、おぼえてる。うれしかったから」
男が、顔を覆った。
その後は不思議な光景だった。
村人たちが、テオを取り囲んで質問を始めたのだ。
「なあ、うちの倅が生まれた年、収穫どうだった?」
「にじゅうねんまえ。ぼく、うまれてない」
「あ、そうか。すまん」
「じゃあ十年前は? 十年前の冬、雪すごかったよな?」
「ふった。よんじゅうにち。ふつう、にじゅうごにちくらいなのに」
「四十日!? そんなに降ったか!?」
「ふった。ぼく、かぞえてた」
わあ、と声が上がる。
テオは相変わらず抑揚のない声で答えていたが、その耳が、うっすらと赤くなっていた。
(……よかった)
わたしは畦道に腰を下ろして、それを眺めていた。
「リーゼお嬢様、泣いてます?」
「泣いてない」
「目、赤いですよ」
「風のせい」
「そうですかー」
マーサが隣にしゃがみ込んで、にこにこと笑っている。
この子は、こういう時に余計なことを言わない。
「……ちょっとだけね」
「はい」
やがて村長が、テオの前に改まって立った。
「テオ。お前、屋敷で働いとるんだったな」
「……はい」
「どうだ。……向こうは、いいところか」
テオは少し考えて、答えた。
「いい、ところ」
迷いのない返事だった。
「かみが、ある。ぺんが、ある。かいても、だれも、おこらない」
村長が、くしゃりと笑った。
「そうか」
「あと、まいにち、ごはんが、でる。おかしも、でる」
「そりゃあいい」
「マーサが、うるさい」
「わたし!?」
村人たちが、どっと笑った。
マーサが「ひどい!」と抗議し、テオがほんのわずかに口の端を上げる。
村長は目尻を拭って、それから真面目な顔になった。
「テオ。村を出て正解だった、とわしは思う」
その声には、五年前に厄介払いをしようとした時の安堵とは、まるで違うものが宿っていた。
「ここにおったら、お前はずっと窯の隅で、石を回しとっただけだ。誰も気づかんかった。……わしらじゃ、お前を活かせんかった」
村長は深く息を吸った。
「だから。行ってこい」
その言葉に、村人たちが次々と頷いた。
「たまには帰ってこいよ!」
「いつでも来い。今度はちゃんと聞くからな」
「屋敷でいじめられたら言え。俺らが行く」
「相手はお嬢様だぞ、勝てるわけないだろ」
笑い声が上がる。
テオは、その真ん中に立っていた。
石を回す手が、止まっていた。
「……ありがとう」
小さな声だった。
だが、その場の全員に、確かに届いた。
帰りの馬車の中は、賑やかだった。
「テオさん、モテモテでしたね!」
「……モテてない」
「モテてましたよ! おじさんたちに囲まれてました!」
「それは、モテるとは、いわない」
マーサとテオが、なんだかんだと言い合っている。
半年前には想像もできなかった光景だ。
ヴィエラは窓の外を眺めながら、独り言のように呟いた。
「……いいところですね、あの村」
「そう?」
「はい。ちゃんと謝れる人たちだ」
彼女は少しだけ笑った。
「わたしのいた鉱山じゃ、誰も謝ってくれませんでしたから」
わたしは何も言わず、その横顔を見ていた。
――今日は、良い日だった。
石灰の効果が出るのは来年だ。返済のめどは立っていない。冬が来れば、収入も止まる。
問題は山積みで、何一つ解決していない。
それでも。
あの畑で笑っていた人たちのことを思い出すと、悪くない気分だった。
(適材適所ってのは、こういうことだよね)
人を正しい場所に置くと、その人だけじゃなく、周りまで変わっていく。
前世では、最後まで見届けられなかった景色だ。
わたしは目を閉じて、馬車の揺れに身を任せた。
屋敷に着いたのは、日が暮れる少し前だった。
門をくぐると、実務責任者の女中が足早に近づいてきた。
その表情が、いつになく硬い。
「お嬢様。お帰りをお待ちしておりました」
「どうかした?」
「お客様がお見えです。……もう二時間ほど、応接間で」
わたしは眉をひそめた。
約束のある来客はなかったはずだ。
「どちら様?」
「王都の商会の方だそうで。エルベン商会と名乗っておられます」
聞いたことのない名前だった。
ウチの借金元の代理人だった『ザッハ商会』ではない。でも、王都……?
「ご用件は?」
「それが」
女中が、声をひそめた。
「お嬢様の焼いていらっしゃる石を、買いたいと」
――ぞわり。
背中に、冷たいものが走った。
石灰を売り始めて、まだ三ヶ月。取引しているのは、街道沿いの町の商人ばかりだ。
王都に、噂が届くような規模ではない。
(誰が、どこで聞いた?)
「お嬢様?」
「……分かった。すぐ行く」
わたしは外套を脱ぎながら、応接間へ向かった。
廊下の窓の外では、秋の最後の陽が、赤く沈もうとしていた。