幼女な合理主義令嬢は適材適所を愛してる~前世人事部が埋もれたSSR人材で最強組織をつくります 作:ユズナミキ
工事が始まって、三日。
ヴェルドの坂は、朝から晩まで人の声で埋まっていた。
「掘った土はこっちに寄せて! あとで使いますから捨てないで!」
ヴィエラの声が、坂の上から響く。
彼女は男物の外套を羽織り、髪を布で縛り、朝から泥まみれになって走り回っていた。
「石灰を入れるのは、溝が全部繋がってからです! 順番を間違えると水が抜けません!」
村の男たちが、その指示にてきぱきと従っている。
最初の日こそ「女の言うことか」という顔をした者もいたが、二日目には誰もそんな顔をしなくなった。
理由は単純だ。彼女の言う通りにやると、うまくいくからである。
「おじょうさま、ひがしのみぞ、ほりおわり」
テオが縄を巻きながら報告に来る。
「深さは?」
「ふかいところで、ひざ。あさいところで、くるぶし」
「浅すぎない?」
「そこは、がんばん。ほれない」
テオは測量用の縄で全区間を測り、どこがどれだけ進んだか、どこの土が硬いか、全部頭に入れていた。
紙に書く前に、彼の中で地図ができている。
「進み具合は、予定より早い?」
「はんにち、はやい」
「上出来」
わたしは手元の工程表に印をつけた。
二キロを一ヶ月。
初日に立てた計画では、五日ごとに三百五十メートルずつ進める予定だった。今のところ、それを上回っている。
(このままなら、間に合う)
そう思っていた。
「――お嬢様! こっち来てくださいっ!」
四日目の昼、坂の中腹から悲鳴のような声が上がった。
駆けつけると、掘削中の道の真ん中で、村人たちが立ち尽くしている。
その足元に、灰色の塊が露出していた。
「なにこれ」
「岩です。……でかいやつが埋まってました」
オーレンが額の汗を拭う。
土を掘り進めた先に、巨大な岩が顔を出していた。
既に露出しているだけで、人が三人寝られるほどの大きさ。しかも掘れば掘るほど、まだ下に続いている。
「掘り出すのは?」
「無理です。どこまで埋まってるか分かりません」
「避けて通せない?」
「片側は崖で、片側は谷です。逃げ場がありません」
わたしは唇を噛んだ。
ここを迂回するには、崖を削るか谷を埋めるしかない。どちらも工期が倍になる。
「砕くしかないよね」
「へえ。ですが、ツルハシがもちません」
村人が、先の潰れたツルハシを見せてくる。
「叩いても跳ね返されて、こっちが先に駄目になっちまうんで。これ、相当固い岩ですよ」
「鉱山から道具を持ってこられる?」
「行って帰って二日。それでも割れるかどうか」
二日。
工程が二日遅れれば、全体が押す。
(――まずいな)
村人たちが、途方に暮れた顔で岩を囲んでいる。
誰も、これをどうにかできると思っていない。
その時。
「あの、わたし、やってみましょうか」
のんびりした声がした。
全員が振り返る。
マーサが、荷物袋を抱えて立っていた。
「……マーサ」
「はい」
「何をやるって?」
「岩を、割ります」
シン、とした。
彼女は細身の若い娘だ。背は高くない。腕も細い。どう見ても力仕事に向いていない。
村人の一人が、気の毒そうに言った。
「姉ちゃん、気持ちはありがてえけどな。この岩は屈強な男が三人がかりでも――」
「はい、たぶん無理だと思います」
「じゃあなんで」
「でも、なんか、できそうな気がして」
マーサは首を傾げた。
「さっきから見てて、なんとなく」
わたしは彼女の顔を見た。
いつもの間の抜けた表情だ。だがその目が、岩をじっと見ている。
鉱山で魔物を見た時と、同じ目だった。
「……やらせてみて」
「お嬢様!?」
「怪我しない範囲でね。マーサ、無理そうならすぐやめること」
「はーい」
マーサは岩に近づくと、まず表面を手で撫でた。
端から端まで、ゆっくりと。時々、指の腹で押す。時々、耳を近づけて拳で叩く。
こつ、こつ、と乾いた音が響く。
「……ここは、詰まってますね」
誰にでもなく呟いて、また移動する。
こつ、こつ。
「ここも駄目。ここも」
村人たちが、呆気にとられて見守っていた。
四半刻ほど、彼女は岩の周りを回り続けた。
そして、崖側の、地面すれすれのある一点で足を止めた。
「あ」
そこを拳で叩く。
――こん。
わずかに、音が違った。
「ここ、空いてます」
「空いてる?」
「中に、隙間があると思います。音が軽いので」
マーサは荷物袋から石を一つ取り出した。
握りこぶし大の、いつもの石だ。
「マーサ、それで割るの?」
「たぶん」
彼女は石を持ち替え、重さを確かめ、それから立ち位置を変えた。
膝を落とし、体をひねり、狙いを定める。
その一連の動きが、あまりに静かだった。
「……いきます」
ごっ。
鈍い音がした。
石が、岩の一点に叩き込まれる。
――ぴき。
乾いた音が、岩の内側から響いた。
「もう一回」
ごっ。
ぴき、ぱき、と音が広がっていく。
「もう一回」
ごっ。
――ばきん!!
巨岩に、稲妻のような亀裂が走った。
端から端まで、一直線に。
次の瞬間、岩は自分の重みで、ごろりと二つに割れた。
シン、と静まり返る。
「……え」
「割れた」
「割れたぞ!?」
わあああ、と歓声が爆発した。
「姉ちゃんすげえ! 何したんだ今の!?」
「なんで石ころ一つで岩が割れるんだよ!?」
「もう一回やってくれ! 見てなかった!」
村人たちが殺到する中、当のマーサは、割れた岩を見下ろして首を傾げていた。
「……あれ?」
「マーサ。今の、どうやったの」
わたしが聞くと、彼女は困った顔をした。
「なんか、ここが弱そうだなって、思ったんです」
「思った?」
「はい。触ってたら、なんとなく分かって。……それで、この向きで、この強さで叩けばいいかな、って」
言いながら、彼女自身が不思議そうにしている。
「なんですかね?」
「こっちが聞きたい」
わたしは割れた岩を見下ろした。
断面を見ると、確かに内部に空洞があった。マーサはその位置を、外から音だけで正確に当てたことになる。
しかも、そこに力を集中させる角度と強さまで。
(――力技じゃない)
これは怪力ではない。
構造を見抜く目だ。ヴィエラが炎の色で温度を当てるのと、同じ種類の何か。
(この子、本当に何者なんだろう)
――と、その時だった。
『ステータスアイ、起動』
頭の中に、無機質な声が響いた。
(またこのタイミング)
いつもながらコントロールの出来ない能力だ。
ある程度意図に沿って発現したのは、屋敷の人材鑑定のときだけだった気がする。
ピコン、と光る枠が、マーサの頭上に浮かび上がる。
そして。
わたしは、目を疑った。
【対象:マーサ】
【潜在限界値:SSR(武力偏重)】
【現在到達度:二割】
【現在ステータス:軽度の疲労・上機嫌】
(……到達度?)
初めて見る項目だった。
これまで表示されていたのは、潜在限界値と現在ステータスだけ。
この目は、時々こうして新しい行を増やしてくる。使っているうちに精度が上がっているのか、それとも見る側の理解が追いついてきたのか。
だが、そんなことより。
(――二割?)
わたしは、割れた岩を見た。
人が三人寝られるほどの大きさ。屈強な男が三人がかりでも無理だと言われたもの。
それを、石ころ一つで割った。
その状態で、二割。
(……本気を出したら、どうなるの)
背筋に、じわりと汗が滲んだ。
考えてみれば、これまでの全部がそうだった。
執事長のナイフを蹴り落とした時も。
魔獣に石を投げた時も。
鉱山で、魔物を煙の中へ追い込んだ時も。
全部、この子にとっては軽い動作だったのだ。
(前世の言葉で言えば……)
わたしは、前世で人事考課をしていた頃を思い出した。
能力があるのに、それを出し切れていない社員。
適所にいないか、機会がないか、あるいは本人が気づいていないか。
だが、二割というのは異常だ。
そこまで能力が眠ったままの人間を、わたしは見たことがない。
(――使い方を、知らないんだ)
そう考えるのが、たぶん一番自然だった。
この子は自分の能力を自覚していない。だから意図的に使えない。
危険が迫った時だけ、体が勝手に動く。それが二割分。
(じゃあ、残りの八割は)
わたしはマーサの顔を見た。
褒めてもらえて、へらへらと笑っている。
その顔は、いつも通りの、少し抜けたメイドの顔だった。
(――誰が、教えたんだろう)
背中を、冷たいものが撫でた。
自覚していないということは、教わった記憶もないということだ。
だが、体は覚えている。
構造を見抜き、狙いを定め、最小の力で最大の効果を出す。
それは訓練された者の動きだ。誰かが、この子に教え込んだ動きだ。
(この子、どこから来たんだっけ)
――知らない。
わたしは、そこで愕然とした。
マーサはわたしが物心つく前から屋敷にいた。
だから、いるのが当たり前だった。一度も、彼女がどこから来たのかを考えたことがない。
「リーゼお嬢様?」
マーサが、きょとんとこちらを見ている。
「また百面相してますよ。だいじょうぶですか?」
「……マーサ」
「はい」
「あなた、うちに来る前はどこにいたの?」
彼女は目をぱちくりさせて、それから首を傾げた。
「えーと……」
しばらく、考えている。
割と長く、考えている。
「……どこでしょう?」
(そこから!?)
「覚えてないの?」
「うーん。気がついたら、屋敷にいました。奥様が拾ってくださったって聞いてます」
「拾った?」
「はい。門の前で倒れてたそうです」
あっけらかんと言った。
「なんで倒れてたの」
「わかりません!」
「元気に答えることじゃないでしょ、それ」
わたしは頭を抱えた。
(――記憶がない)
いや、正確には、ある年齢より前の記憶がない、ということだろうか。
母様なら知っているかもしれない。
だが、それを今、この場で追及する時間はない。
(……工事が終わったら、聞こう)
わたしはそう決めて、光る枠を頭の隅に追いやった。
目の前には、割れた岩と、それを囲んで騒いでいる村人たちがいる。
道は、まだ半分も出来ていない。
「リーゼお嬢様、褒めてください」
「えらい」
「もっと」
「すごくえらい」
「もっとです」
「調子に乗らない」
だが、その顔を見ながら、わたしは思っていた。
(――あなたは、誰なんだろうね)
それから十日あまり、工事は順調に進んだ。
ヴィエラの配合が固まり、作業の手順が全員に浸透してきた。
朝から夕方まで、掘り、運び、混ぜ、突き固める。同じ作業の繰り返しだが、日ごとに白い道が伸びていく。
昼になると、坂の下から良い匂いが漂ってきた。
「はーい、休憩ですよー! 温かいうちに食べてくださいねー!」
母様の声だった。
道の脇に大鍋がいくつも据えられ、湯気が立ち上っている。
母様は袖をまくり、髪を布で覆い、大きな杓子を手にして立っていた。
その隣では、屋敷の庭師の老人が黙々と野菜を刻んでいる。厨房を任されてから、彼の料理はますます腕を上げていた。
「奥様、こんなことまでしていただいて」
「わたくしも何かしたかったの」
母様は嬉しそうに笑った。
「屋敷でじっとしているより、ずっと楽しいわ。ほら、たくさん食べて」
村人たちが器を持って並ぶ。
中身は麦と豆と、少しの塩漬け肉。贅沢ではないが、冷えた体には何よりのご馳走だった。
「うめえ……」
「奥様、おかわりいいですか」
「もちろんよ。まだあるから」
そこへ、泥だらけの父様がやってきた。
「レイア。私にもくれ」
「あら、あなた。……まあ、その格好」
母様が目を丸くする。
父様は頭から足まで泥まみれで、外套は原型を留めていない。
朝から村人たちに混じって、土を運んでいたらしい。
「言っておくが、私はこれでも男爵だぞ」
「男爵の泥まみれは初めて見ましたわ」
母様がころころと笑って、それから杓子を置いた。
「ちょっと屈んでくださいな」
「うん?」
父様が屈むと、母様は懐から布を出して、その顔を拭き始めた。
「まあ、耳の裏まで。子供じゃないんですから」
「いや、しかしな。皆が働いておるのに、私だけ見ておるわけには」
「そうですわね。あなたはそういう人ですものね」
母様は父様の頬を拭きながら、少しだけ目を細めた。
「……わたくし、あなたのそういうところが好きで嫁いだんですのよ」
「な、なにを急に」
「あら、今更照れることかしら」
周りで見ていた村人たちが、どっと囃し立てた。
「旦那様、顔が真っ赤ですよ!」
「奥様、もっと言ってやってください!」
「うるさい! 仕事に戻れ!」
父様が真っ赤な顔で怒鳴り、笑い声が坂に響き渡る。
わたしはその光景を、少し離れたところから見ていた。
「リーゼお嬢様、お二人は仲良しですね」
「……そうだね」
マーサが横で、にこにこしている。
「旦那様と奥様、ずっとああなんですよ。わたしが屋敷に来た頃から」
「知ってる」
わたしは器のスープを啜った。
ウチを傾けたのも、今日ここに百二十人を集めたのも、同じこの二人の善意だ。
温かいスープが、腹の底に落ちていった。
異変は、二十日目の夜に来た。
わたしは現場近くの村に宿を取っていた。寝床に入ろうとした時、窓の隙間から入り込む風が、明らかに違うことに気づいた。
冷たい、なんてものじゃない。
――刺さる。
「お嬢様、これ、まずいかもしれません」
部屋に飛び込んできたのは、ヴィエラだった。
外套の肩に、細かい氷の粒がついている。
「外の水桶、もう凍ってます。夕方までは張ってなかったのに」
「今夜だけ?」
「分かりません。でも、こういう冷え方をする時は、大抵続きます」
わたしは寝間着の上に外套を羽織って、外に出た。
息を吸うと、鼻の奥が痛んだ。
空には雲一つない。星が異様に鮮明で、月が青白く冷え切っている。
――これは、来る。
「テオを起こして」
――――。
「……ごねんまえ」
叩き起こされたテオは、寝ぼけ眼のまま、しかし即座に答えた。
「おなじ、そらだった。ふゆの、なかごろ。きゅうに、ひえた」
「その時、何日続いた?」
「むいか」
「六日」
「ぜんぶで、さんかい、あった。むいか、よっか、ここのか」
テオが指を折る。
「いちばんながいのが、ここのか。じゅうねんで、いちど」
「平均すると?」
「……ごにち、か、ろくにち」
わたしは頭の中で計算した。
残りの工期は十日。
六日止まれば、四日しか残らない。残っている区間は五百メートル。
(間に合わない)
「――お嬢様!」
外から、村人が駆け込んできた。
「昨日固めたところが、割れてます!」
松明を掲げて現場に立った時、わたしは言葉を失った。
昨日、確かに固まっていたはずの路面。
そこに、蜘蛛の巣のような亀裂が走っていた。
ヴィエラがしゃがみ込んで、指で触れる。
「……凍りました」
彼女の声は、冷静だった。だが握った拳が震えている。
「中の水分が凍って、膨らんで、割れたんです。まだ完全に固まってなかったところが」
「どのくらいの範囲?」
「昨日と一昨日の分。……二百メートル近く」
村人たちが、集まってきていた。
誰も、何も言わない。
二十日かけて積み上げてきたものの、一割が、一晩で駄目になった。
「わたしのせいです」
ヴィエラが、絞り出すように言った。
「冬向きだと言いました。石灰は熱を持つから、凍った土でも固まると。……でも、限度がありました。ここまで冷えると、発熱が追いつかない」
「あなたのせいじゃない」
わたしは即座に言った。
「例年のこの時期なら、あなたの判断で正しかった。想定外の寒波が来ただけ」
「でも」
「判断が正しくても失敗することはあるの。それは能力の問題じゃない」
前世で繰り返し使ったセリフだった。
慰めのためだ。そして正しいことでもある。だが、今は慰めるだけでは意味がなかった。やるべきことを見い出さねば。
「お嬢様。……どうしますか」
帳簿係の少年が、震える声で聞いてきた。
「割れた分は、やり直しですよね」
「うん」
「工期は、十日しかありません。しかも寒波が六日続いたら」
「……分かってる」
わたしは白い息を吐いた。
選択肢は三つ。
一つ。作業を続ける。だが今の気温では、やった分がまた凍る。無駄になる。
二つ。寒波が抜けるまで止める。だが工期に間に合わない。
三つ。範囲を縮小する。だが半端に固めれば、ぬかるみが残って意味がない。
どれも駄目だ。
村人たちが、黙ってこちらを見ている。
百二十人が、わたしの言葉を待っている。
(――考えろ)
わたしは目を閉じた。
問題は何だ。
石灰が固まる前に、水分が凍ること。
なら。
(凍らせなければいい)
「ヴィエラ」
「はい」
「固まるまでに、どのくらいかかるの」
「一昼夜あれば、凍っても割れない程度には」
「その一昼夜だけ、温度を保てればいい?」
「……理屈では、そうですけど。どうやって」
わたしは村人たちを振り返って訊ねた。
「誰か。畑や作物を、寒さから守る方法を知ってる人はいますか」