幼女な合理主義令嬢は適材適所を愛してる~前世人事部が埋もれたSSR人材で最強組織をつくります 作:ユズナミキ
兄様が去っていった、その夜。
書斎に、全員が集まっていた。
父様と母様。実務頭の女中。帳簿係の少年。交渉係の男。ヴィエラ。テオ。マーサ。
誰も、何も言わなかった。
母様は、まだ目が赤い。
父様は、机の一点を見つめている。
わたしは窓辺に立っていた。
――兄様の言葉が、頭から離れなかった。
『もう、要らないみたいだけどな』
あの声が、耳に残っている。
「……済まなかった、リーゼ」
やがて、父様が言った。
顔を上げると、父様が頭を下げていた。
「あの子を、あんなふうにしたのは、私だ」
その声が震えていた。
「私がしっかりしておれば、あの子は王都で一人苦しむこともなかった。誰かにすがることも……」
母様が、父様の肩に手を置いた。
「あなたのせいじゃありませんわ」
「いや」
「わたくしのせいでもあります。あの子が何を抱えていたか、母親のわたくしが気づかなかった」
二人が、揃って俯いた。
わたしは首を振った。
「……違います、二人のせいじゃない」
わたしは窓の外を見た。
暗い庭。その向こうに、白い道が続いている。
(――わたしが、追い詰めた)
その考えは、馬車が去った瞬間から、ずっと頭の中にあった。
兄様が守ろうとしていた家は、既に守られていた。
兄様が果たそうとしていた役割は、既に果たされていた。
もし、わたしが何もしていなかったら。
兄様は帰ってきて、この家を立て直そうとしただろう。
苦労しただろう。失敗もしただろう。だが、居場所はあった。
やることが、あった。
(――わたしが、奪ったんだ)
兄様の席を。
喉の奥が詰まった。
適材適所。
人を正しい場所に置く。それが、わたしの信条だった。前世からずっと、たった一つ持ってきた芯だった。
実際、そうしてきた。
埋もれていた人を掘り出して、合う場所に置いて、この一年でこれだけの人が変わった。
だけど。
(――場所は、無限じゃない)
誰かが適所を得れば、そこにいた誰かは動かなければならない。
新しい役割が生まれれば、古い役割は要らなくなる。
わたしは、それを考えたことがなかった。
配置を変えることばかり考えて、置かれる場所を失う人のことを、一度も。
(――兄様は、そうなった)
わたしの適材適所が、初めて人を壊した。
「……リーゼお嬢様」
マーサの声がした。
振り返ると、みんながこちらを見ていた。
女中も、少年も、交渉係も、ヴィエラも、テオも。
わたしは、そこで気づいた。
(――この人たちが、いる)
一年前、この家には何もなかった。
不正があって、疲弊があって、諦めがあった。
誰も、明日が今日より良くなるとは思っていなかった。
だけど今は、これだけの人がいる。
全員、埋もれていた人だ。全員、誰にも見られていなかった人だ。
そして、全員が今、わたしを見ている。
(――なら)
わたしは、拳を握った。
(――なら、兄様も同じだ)
あの人も、埋もれていた。
学院で『その他』と呼ばれ、誰にも見られず、家の重さを一人で抱えていた。
そこに、オーレリオが来た。
オーレリオは、兄様に居場所をくれた。
それが偽物でも、罠でも、五年間、確かに兄様はそこにいた。
(――だから、離れられない)
当たり前だ。
他に、行く場所がないから。
わたしは振り返った。全員が、こちらを見ている。
「――兄様を、取り戻します」
わたしは、そう言った。
母様が顔を上げた。父様が息を呑んだ。
「リーゼ」
「敵になると言われました。手加減しないとも。でも。――あの人は最後にこう言いました。『守りたかった』と」
あの声を、思い出す。
振り返らないまま、少しだけ揺れた声。
「あれは、本心です」
わたしは、はっきり言った。
「わたし、人を見るのは少しだけ得意なんです。……あれは、嘘じゃなかった」
母様の目から、涙がこぼれた。
「だから、まだ間に合います」
「でも、お嬢様」
交渉係の男が、遠慮がちに口を開いた。
「ユリウス様は、ご自分で選ばれたように見えました。……色々と理解した上で、それに目を閉じることを」
「はい」
「それを、どうやって」
――それだ。
わたしも、そこを考えていた。
説得は、できない。証拠を積んでも、論理を組んでも届かない。
実際、今日それをやって、失敗した。
あの人が拒否しているのは、真実ではなく、真実を認めた後の自分だ。
オーレリオを疑えば、五年間が無駄になる。
自分を認めてくれた唯一の人を失えば、また『その他』に戻る。
だから、認められない。
(――なら)
わたしは顔を上げた。
「別の場所を、作ります」
この場に居た全員が、きょとんとした。
「……場所?」
「はい」
わたしは机の上の書類を見た。
この一年で作ったもの。帳簿、契約、記録、計画。
そして、この部屋にいる人たち。
「兄様がオーレリオから離れられないのは、他に行く場所がないからです」
わたしは、言った。
「学院で誰にも見られなかった。家では父様が当主で、自分の役目がなかった。……今は、それに加えて、わたしが全部やってしまった」
わたしは、拳を握った。
「あの人には、居場所がないんです。オーレリオの隣以外に――それなら」
はっきりと意志を持って言葉にする。
「作ればいい。この家に、兄様の場所を」
誰も、なにも言わなかった。
やがてヴィエラが口を開いた。
「……お嬢様。それ、簡単じゃないですよ」
「わかってます」
「ユリウス様は当主になりたいんでしょう。でも、その席は一つしかない」
実はその点は大きな問題じゃない。
なぜなら、わたしは別に当主になりたいわけじゃないし、父様も、時がくれば兄様に当主の座を譲り渡すつもりだったはず。
だけどそれは、今じゃない。
今の兄様は、オーレリオの傀儡みたいなものだから。
「この家に、席を増やします」
わたしの言葉に、目を丸くするヴィエラ。
「増やす?」
「当主が全部やる必要はありません。父様は名前と責任を持つ。わたしは数字と人を見る。……なら、兄様にしかできない役割も、必ずある」
続けて話す。
「兄様は学院で法制と税制を学んでいます。うちには、それが分かる人が一人もいません」
――皆が、はっとした顔をした。
「他家との契約も、王都との折衝も、これから増えます。ロンバルト様と組んで、リーヴェン様とも組んで、街道を広げていく。……そうなれば、法律を知っている人が絶対に要る」
わたしは、みんなを見回した。
「わたしには、それができません。だけど兄様になら、できる」
――そう。
これが答えだった。
わたしは、ずっと引っかかっていたことを思い出していた。
オーレリオの言葉。兄様が手紙に書いてきた言葉。
『――能力のある者が、能力を発揮できる場所に立つべきだ』
わたしの信条と、同じ言葉。
なのに、オーレリオは他家を食い物にしている。
どこが違うのか、ずっと分からなかった。
でも今、分かった。
(――あの人は、取って代わらせる)
オーレリオのやり方は、こうだ。
無能な者を退けて、有能な者が代わりに立つ。
席は一つしかない。だから、誰かが降りなければならない。
クレン子爵家の当主は死んで、跡取りが養子に出された。
ヴェルグ男爵家は断絶した。
そして兄様は、父様を退けようとした。
(――でも、わたしは)
わたしは、この一年でやったことを思い返した。
執事長を切った。あれは不正をしたからだ。無能だったからじゃない。
帳簿係を外した。だが交渉係にした。
女中を引き上げた。だが誰も追い出していない。
庭師を厨房に回した。鉱夫に新しい仕事を作った。テオを村から連れてきた。
不正をした者のほかは、誰もいなくならなかった。
(――わたしは、外さない)
配置を変えただけだ。
その人ができる場所を探して、そこに置いただけだ。
父様にもそうした。
数字が読めないなら読める人間を隣に置けばいい。人望があるなら、それを使えばいい。
(――それが、違いだ)
同じ言葉を使っていても、向いている方向が正反対なのだ。
オーレリオは、人を減らす方向を見ている。
わたしは、人を活用する方向を見ている。活躍できる場所に据えることを考えている。
(――なら、兄様にも)
わたしは、目を閉じた。
(あの人にも、場所を作れるはずだ。この家の中に、居場所を)
当主がどうとかは、そのあとの話だ。
今の兄様では、当主足りえないかもしれない。でも、適正な居場所で経験を積めば、きっとその才能が華開く。人は、成長できる。
「……お嬢様」
女中が静かに言った。
「一つ、よろしいでしょうか」
「はい」
「それは、ずいぶん時間がかかりますよね」
わたしは、頷いた。
「かかります」
「何年も」
「たぶん」
「その間に、ユリウス様は本当に敵として来られるかもしれません」
「来ると思います」
わたしは、正直に言った。
「返済が終われば、向こうは別の手を打ちます。その時、兄様が使われるかもしれない」
――それは、覚悟している。
「でもその時も……わたしは兄様を外しません」
女中が、深く頭を下げて。
「……承知いたしました」
そして顔を上げて微笑んだ。
「では、お手伝いいたします。お嬢様がそうお考えなさるなら、私たちはその意志のままに」
その後は、いつも通りの夜になった。
母様が泣き止み、父様が酒を出し、今日はみんなで一つのテーブルを囲み、遅い食事をした。
「そういえばリーゼお嬢様」
マーサが、パンを頬張りながら言った。
「ユリウス様と一緒に来た人たち、最後まで変でした」
「うん?」
「なんか、屋敷の中をやたら歩いてたんですよ。掃除でも手伝ってるのかと思って」
――わたしは、手を止めた。
「……どこを?」
「厨房と、書斎の前と、あと裏庭です。裏庭からは鉱山の方が見えるんですよねぇ」
背筋が冷たくなった。
「マーサ。それ、先に言って」
「あ、すみません」
「……いや、いい」
わたしは息を吐いた。
どうせ、隠せるものではなかった。
窯も、街道も、鉱山も、全部見えるところにある。
(――隠せないものは、隠そうとしても仕方ない)
冬の終わりに、そう考えた。
今も、同じだ。
(見せた上で、こっちの手札にする)
「また難しい顔。リーゼお嬢様、特製お茶飲んで気持ちをほぐしますか?」
「飲まない」
わたしは丁重に断った。
◇◆◇◆
夜が更けてから、一人で窓辺に立つ。
南の空に、月が出ていた。
その下に、白い道が続いているはずだった。
馬車は、もうずいぶん遠くまで行っただろう。
(――兄様)
わたしは、目を閉じた。
あの人は、わたしを敵だと言った。
次に会う時は手加減しないと。
たぶん、本当にそうなる。
あの人は優秀だ。法律を知っていて、頭が回って、そして今、居場所を守るために必死だ。
本気で来られたら、厄介なことになる。
(――でも)
わたしは、目を開けた。
適材適所。
わたしが前世から持ってきた、たった一つの信条。
それが人を壊すこともあると、今日、初めて知った。
だけど。
(――だからといって、やめる理由にはならない)
壊したなら、直せばいい。
場所を奪ったなら、新しく作ればいい。
それができるかどうかは、分からない。何年かかるかも分からない。
でも、やる。
この一年で、わたしはそれだけをやってきたのだから。
(――待っててください、兄様)
わたしは、窓の外の空を見上げた。
(必ず、迎えに行きます)
春の終わりの風が、窓から吹き込んでくる。
もうすぐ、夏が来る。
完済は、もう目の前だ。
――そして、戦いは、ここから始まる。
一旦ここでオシマイです。17万字ほどのお付き合いありがとうございます。
この先も一応まだあるのですけど、当面改稿作業に入ります。再開は、出来ましたらする感じに。まーでも、ここもそれなりキリよい場面ではないかと。当初の予定までは掲載することができました。よかったw
更新するにしても当分先になってしまうと思いますので、とりあえずここでいったんの幕、とさせて頂きます。
最後までお読みくださった皆さんに、感謝を!