最強便利屋魔法少女は最後の希望にはなれません   作:一般匿名魔法少女

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第一話: きらめき満開!ラブリー・フローラ

夕暮れの市街地に、巨大な花が咲いていた。

もちろん、本物の花ではない。

交差点を丸ごと覆ってなお余るほど巨大な、五枚花弁の魔法陣。幾重にも重なった光の環がゆっくりと回転し、その中心に膨大な魔力が収束していく。

 

アスファルトの上を桃色の光が走った。

砕けたガラスが震え、風もないのに、無数の花弁が舞い上がる。

 

その中心に、一人の少女が立っていた。

白とピンクを基調とした、花弁を重ねたような衣装。腰には大きなリボン。長い桃色の髪が、溢れ出す魔力に煽られて大きく広がっている。

その両手には、一輪の花を思わせる長杖。

 

ラブリー・フローラ。

 

北多摩地区に所属する魔法少女であり、その名を知らない者はまずいない。実力、知名度、人気。そのどれを取っても、北多摩を代表する魔法少女の一人だった。

 

そんなフローラの正面では、三階建ての建物ほどもある怪異が咆哮していた。

黒い外殻からは何本もの腕。胸部には赤黒く明滅する魔力核が鎮座している。街の平穏を脅かす巨大な怪異が腕を振り上げる。

 

だが、フローラは動かなかった。杖の先端を真っ直ぐに怪異へ向け、静かに目を閉じる。

 

「一片の願いを、一輪の希望へ。一輪の希望を、満ちる花園へ」

 

魔法陣に膨大な魔力が流し込まれ、光の花弁が宙を埋め尽くす。

 

「夜を裂き、絶望を穿ち、明日へ至る道を切り拓け」

 

怪異が迫る中、フローラは静かに目を開いた。先ほどまでの落ち着いた表情は消え、真剣な眼差しで正面の怪異を見据える。そのまま杖を突き出すと、先端に展開されていた花型の魔法陣が一際強く輝いた。

 

「咲き誇れ――《フローラル・ノヴァ》!」

 

次の瞬間、世界が桃色に染まった。花を模した魔法陣の中心から、極限まで圧縮された魔力が一気に解き放たれる。それは花でも、炎でも、雷でもない。ただ純粋な魔力そのものを束ねた、眩い奔流だった。

 

巨大な光線は真正面から怪異の胴体を呑み込み、その巨体を一瞬のうちに光の中へ消し去った。吹き飛ばしたのでも、粉々に砕いたのでもない。そこにあったはずの怪異そのものが、跡形もなく消滅したのである。

 

わずかに遅れて轟音が街へ響き渡る。だが、あれほど凄まじい一撃でありながら、光線は怪異を貫いた直後に急速に収束し、その背後に並ぶビルへは一切届いていなかった。

 

やがて余波に舞い上げられた無数の花弁が、夕暮れの街へゆっくりと降り始める。その中心へ、フローラは長い髪とリボンを揺らしながら、ふわりと降り立った。

 

フローラは表情を崩さない。

けれど内心では、かなり満足していた。

 

……決まった!!!

 

久しぶりの上級クラスの怪異だったこともあって、《フローラル・ノヴァ》を最初から最後まできっちりフル詠唱で撃つことができた。最近は小型や中級相手に短縮詠唱で済ませることも多かったので、こうして長い詠唱を最後まで通せる機会は意外と少ない。

 

しかも、今日は状況までよかった。

 

周囲では他の魔法少女たちが避難誘導や残存反応の警戒にあたっており、その多くが戦闘を終えたフローラへ視線を向けている。露骨に歓声を上げるような者はいなかったが、助かった、さすがだ、と言わんばかりの表情は隠せていない。

さらに言えば、怪異の攻撃を受け止めながら時間を稼いでいた魔法少女たちが押し切られかけた、まさにその瞬間に現場へ到着できたというのも大きい。

 

絶体絶命の状況に颯爽と現れ、敵の前へ立ち、長い詠唱とともに一撃で決める。

フローラの中では、かなり理想に近い。

 

登場、敵の格、決着の仕方。全部及第点は超えている。何より、最後の希望ぽさがあってちょっといい。少なくとも本人はそう思っていた。

 

肩のあたりを漂っていた白ウサギ――もふりんは、そんなフローラの横顔をしばらく眺めたあと、半ば呆れたように耳を揺らした。

 

「……まだその願望、諦めてなかったんだ。普段は滅多に姿を見せないのに、本当にどうしようもない時だけ現れて、みんなの前で強敵を一撃で倒していく秘密兵器にして最後の希望。昔からそういうの好きだったよね」

 

「別に、好きだからやってるわけじゃないよ。今日はたまたま上級クラスの怪異で、周りの避難も終わってたし、出力上げても問題なかっただけ」

 

「その割には、詠唱を最後まで言えたあたりからずっと機嫌よさそうだけど」

 

図星を突かれて、フローラはわずかに視線を逸らした。

 

「ま、まあ……やっぱり私って北多摩の最終兵器って言われてるし。たまにはそれっぽく決めたっていいでしょ」

 

「たぶん、その『最終兵器』って、ひよりが思ってる意味じゃないと思うけどね。なにしろ、毎日何回も出撃してるんだし、第一選択薬とも呼ばれてるよ」

 

 

フローラが思わず問い詰めようと振り返った、そのときだった。胸元の魔力核が小さく明滅し、通信が入っていることを知らせる。

フローラは慌てて咳払いをすると、何事もなかったように表情を整えた。

 

「こちらフローラ。対象の消滅を確認しました」

 

『こっちでも確認した。お疲れさま。周辺の魔力反応も平常値まで低下してる。避難解除はこちらでやるから、フローラはそのままでいいよ』

 

聞き慣れた女性の声だった。北多摩地区司令部のオペレーター、佐伯美月である。

 

「了解しました」

 

それだけ答えると、フローラはようやく小さく息を吐いた。これで今日の仕事は終わりだろう。

 

何気なく時刻を確認してみれば、思っていたよりもまだ早い。この時間なら帰りに駅前へ寄って、切らしていたシャンプーを買ってから夕食を取っても十分に余裕がある。宿題もまだ残っているが、帰宅してすぐに取りかかれば、日付が変わる前には寝られそうだった。

ここ最近としてはかなり理想的な予定である。

 

フローラはほんの少しだけ気分を良くした。

今日は久しぶりに、まともな時間に一日を終えられるかもしれない。

 

『それで、フローラ。悪いんだけど、もう一件だけ頼める?』

 

その言葉に、フローラの表情が固まった。

 

「……もう一件、ですか?」

 

さっきまで頭の中に並んでいたシャンプー、夕食、宿題、睡眠時間が、音を立てて後ろへ押しやられていく。横でもふりんが、何かを察したように耳を立てた。

 

『東南東に七・二キロ。小規模な怪異反応が出てる』

 

普通なら十分近い距離だったし、フローラにとってはなおさらだった。《フラワーゲート》を使えば、北多摩の範囲内で数キロ程度の差などほとんど意味を持たない。そもそも空間を直接つなぐような移動魔法そのものがかなり珍しく、使えたとしても短距離限定だったり、事前に座標を登録しておく必要があったりと、運用に制限を抱えていることが多い。

 

その点、フローラの《フラワーゲート》は、多少の魔力消費こそあるものの、ある程度自由に出入口を設定できる。フローラの魔力量が多いこともあって、北多摩一帯であれば、現場間の移動に時間をほとんど取られないという、極めて便利な能力だった。 

 

そして、それが故にフローラへ負担が集中する元凶でもあった。

 

普通の魔法少女なら「現場が遠い」「移動に時間がかかる」というだけで候補から外れることがある。だがフローラの場合、その理由がほとんど成立しない。強力な戦力を、距離をほとんど無視して何度でも別の現場へ投入できるのだから、司令部からすればこれ以上なく便利な駒だった。

 

『それに、現場にいるのは新人の三人チームだけ。まだ実戦経験も浅い子たちで、今のところはなんとか距離を取れてるけど、このまま任せきりにするにはちょっと不安がある』

 

その一言で、フローラの意識は完全に仕事へ切り替わった。帰宅時間への未練はもちろん残っている。それでも、新人が正体のはっきりしない怪異と向かい合う可能性を考えれば、自分の予定だけを気にしてはいられない。その程度にフローラはまじめだった。

 

「もう交戦には入ってるんですか? 三人とも怪我はないんですよね。あと、民間人の避難はどこまで進んでます?」

 

『現場に着いたばかりで、まだ実体化はしてない。三人には民間人の避難を優先させて、距離を取るよう指示してる。今のところ負傷報告もなし。出現しても無理に倒そうとせず、遠巻きにして時間を稼ぐように言っている』

 

「怪異の等級は、まだ出てないんですか? 反応値だけでも目安くらいはありますよね」

 

『それが、まだ断定できない。観測データが少なすぎるし、現場の三人も経験が浅いから、報告だけじゃ判断材料として弱い。反応だけなら初級から中級くらいに見えるんだけど、数値の上下が妙に大きくて安定してない』

 

フローラは眉を寄せた。

厄介なのは、相手が強いことではない。強さが分からないことだった。

 

上級だとはっきりしているなら、最初からそれに見合った戦力を送り込めばいい。逆に初級だと確定しているなら、新人たちに無理をさせない範囲で実戦経験を積ませるという判断もできる。

 

だが、今はそのどちらとも言えない。

見た目も反応も大したことがないように見えて、実際には突然変異個体だったり、観測を乱す能力を持っていたりする可能性もある。しかも現場にいるのは、まだ怪異の癖や危険な兆候を見抜くことに慣れていない新人三人だ。

 

「近くに他の魔法少女は?」

 

フローラがそう尋ねたのは、単に自分が帰りたいからではなかった。現場への到着が早く、なおかつ怪異の強さが想定より上だった場合にも対処できる魔法少女が近くにいるなら、その方が合理的だ。

もっとも、心の片隅では、できればそうであってほしいとも思っていた。

 

『今、候補を洗ってる。ただ、近場の通常戦力は別件でかなり動いてるんだよね。上級まで見られる子となると、だいぶ絞られる』

 

その言い方で、フローラは何となく嫌な予感がした。

 

「……モルフェは…………どうせダメか」

 

名前を出したところで、フローラは自分から続きを諦めた。

 

『うん。さっきから何度か呼んでるんだけど、端末はオンラインのまま、通知も届いてるし位置情報も取れてる。それでも応答なし』

 

佐伯の説明を聞きながら、フローラは露骨に嫌そうな顔をした。

 

「それ、端末を失くしたとか電池が切れたとかじゃなくて、普通に無視してる可能性が高いですよね。しかもこの時間なら、寝てるって言い訳もかなり怪しいし」

 

『私もそう思う。たぶん起きてる』

 

ドリーミィ・モルフェは、北多摩でも有数の実力を持つ魔法少女だった。広範囲を眠りと幻惑で制圧する能力は強力で、戦場にさえ来てくれれば頼りになる。

問題は、その「戦場に来てくれれば」という条件が、やたらと重いことだった。

 

「じゃあ、リリアは?」

 

『リリアなら近んだけど…………』

 

その言葉に、フローラの表情が少し明るくなった。

ブレイブ・リリア。こちらも北多摩でも上位の魔法少女であり、特に一対一の正面戦闘ではフローラでも決して油断できない相手だ。相手が中級どころか上級だったとしても、戦力そのものに不安はない。

 

『ただ、現場が住宅街なんだ』

 

その一言で、フローラの表情が元に戻った。

 

「ああ……それはちょっと厳しいですね」

 

リリアは強い。とても強い。だが、その強さは狭い住宅地で周辺被害を抑えながら新人を守る、という仕事にはあまり向いていない。正面から敵を倒すだけなら何の問題もないが、斬撃や雷撃の余波まで考えると、怪異を倒したあとに住宅街まで壊れていた、では意味がない。

 

『だから今は待機してもらってる。怪異が明確に上級以上だって分かれば出すけど、強さもまだ読めない段階で投入するには少し怖いんだよね』

 

「……それはそうですね。勝てるかどうかより、どう勝つかの方が問題になりますし」

 

フローラは小さく息を吐いた。リリアが使えないとなると、いよいよ自分に話が戻ってきそうだった。

 

『ほかの子も一応見てるんだけど、万が一上級以上になると単独では厳しい子か、今いる場所からだと到着まで時間がかかる子ばかりでね。三人組の新人を守りながら、相手が予想より強くてもそのまま処理できる人ってなると、どうしても候補がかなり絞られる』

 

そこまで聞けば、フローラにも次に何を言われるのかは分かった。

というより、最初から薄々分かっていた。

 

佐伯は少し申し訳なさそうに声を落とす。

 

『今すぐ動けて、相手が初級でも上級でも対応できて、しかも住宅街で周りを壊さずに新人を連れて帰れるの、今はあなたしかいないの』

 

フローラは黙ったまま、ほんの少しだけ視線を逸らした。

 

『お願い、フローラ。今はあなたにしか頼めない。……あなたが最後の希望なの』

 

その一言で、フローラの耳がぴくりと動いた。

本人としては、ほんのわずかな反応のつもりだった。けれど、長い付き合いのあるもふりんには十分だった。

さっきまで少し疲れたように落ちていた肩が、ほんの少しだけ上がる。視線も戻る。表情そのものはほとんど変わっていないのに、どう見ても先ほどより機嫌がいい。

 

「……座標を送ってください。すぐ向かいます」

 

返事まで早かった。

 

『ありがとう。今転送したわ。新人三人の識別情報も一緒に入れてあるから』

 

「分かりました」

 

その隣では、もふりんが何も言わずにこちらを見ている。

さっきまで帰宅時間を気にしていた時とは明らかに違う。ほんの少しだけ背筋が伸び、杖を握る手にも妙に力が入っていた。

フローラはその視線に気づいて、怪訝そうに眉を寄せる。

 

「……なに?」

 

「いや、なにも」

 

そう答えながら、もふりんは「ああ、やっぱり」とでも言いたげな顔をしていた。

フローラはしばらく睨んでいたが、これ以上相手にすると何か余計なことを言われる気がして、先に杖を正面へ向けた。

 

杖の石突きがアスファルトに触れる。

その瞬間、足元に細い桃色の光が走った。

光は円を描くように広がり、その周囲から無数の花弁が現れる。風もないのに、花弁はひとりでに浮かび上がり、フローラの周囲をゆっくりと巡り始めた。

空間がわずかに歪む。

 

「《フラワーゲート》!」

 

短い詠唱とともに、目の前に巨大な蕾が現れた。

最初は光の塊にしか見えなかったそれが、ゆっくりと形を持ち始める。巨大な花が空間に咲き、ゆっくりと花弁を開く。その向こうには、数キロ離れた住宅街の景色がすでに映し出されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怖い。

 

そう思った瞬間、新人魔法少女シャイニング・ステラこと水瀬あかりは、訓練で教わったことを必死に頭の中へ並べ直した。

怪異との距離を保つこと、退路を確保すること、民間人を優先して避難させること、勝てないと判断したら迷わず救援を要請すること。

どれも何度も聞かされ、試験でも答えられたはずなのに、実際に目の前へ怪異が現れると、それらは急に頼りない知識に思えてくる。

 

道路の中央では、先ほどまで魔力の蠢きにすぎなかったものが完全に実体化していた。全長は三メートルほどで、訓練映像で見た上級や特級と比べれば決して巨大ではない。

それでも、黒い甲殻に覆われた四肢と、地面を削るほど長い前脚を目の前にすると十分すぎるほど大きく、何より、こちらを獲物として見ていることだけは嫌でも分かった。

 

「ステラ、右!」

 

仲間の声に反応して、あかりはとっさに半歩位置をずらした。その直後、後方にいたムーンライト・ルナの障壁が横から重なり、さらにトゥインクル・アストラの放った光弾が怪異の顔面へ飛び込む。威力そのものは大したものではなかったが、怪異の注意が一瞬だけ散った。

 

三人とも新人だった。それでも、訓練で叩き込まれた連携だけは崩さないようにしていた。

ステラが正面で足を止め、ルナが防御を補い、アストラが怪異の動きを見ながら牽制する。誰か一人で倒そうとはしない。民間人の避難が終わるまで、とにかく怪異をこの場に留める。

それが今の三人に与えられた役目だった。

 

怪異が再び踏み込んだ瞬間、あかりは反射的に障壁を張った。直後、巨大なものを正面から叩きつけられたような衝撃が全身を貫き、靴底がアスファルトを擦りながら数メートルも後ろへ滑る。

 

「ステラ!」

 

ルナの障壁がすぐに背後へ回り込み、あかりが転倒するのを受け止める。同時にアストラが怪異の前脚へ光弾を撃ち込み、追撃しようとした動きを止めた。

なんとか態勢を立て直したものの、あかりの両腕には痺れが残っていた。

それでも、まだ崩れてはいない。

 

『無理に前へ出ないで。その位置を維持して。救援はもう向かってる』

 

耳元の通信に、あかりは荒くなった息を整えながら答えた。

 

「分かってます。ルナもアストラもまだ動けますし、避難もほぼ終わってます。このまま三人で距離を保って、救援が来るまでここに留めます」

 

自分でも少し無理をしている声だとは分かったが、少なくとも言っていることは間違っていない。怪異を倒す必要はないし、ここで勇敢さを証明する必要もない。救援が来るまで三人で生き残り、怪異を住宅側へ流さなければ、それで十分なのだ。

 

それでも、怪異がもう一度こちらへ向き直ったとき、杖を握る手が震えるのは止められなかった。

次も受ける。受けて、下がる。無理ならさらに距離を取る。

そう自分に言い聞かせた、そのときだった。

 

背後の空気が、突然変わった。

振り返るより先に、怪異のものとはまるで違う大きな魔力が現れたことが分かり、遅れて桃色の光が道路を染めていく。

 

何もなかった空間に巨大な蕾が浮かび、それが一枚ずつ花弁を開いていく光景を見た瞬間、あかりはそれが何なのか理解した。

 

訓練教材で見た。避難啓発動画でも見た。そんなもの以前に小学生の頃に持っていた変身玩具にも描かれていた。

 

《フラワーゲート》。

 

完全に開いた花の中心から、白いブーツが一歩踏み出す。続いて現れた白とピンクの衣装、大きなリボン、長い桃色の髪、そして花を模した長杖を見て、あかりの口からほとんど無意識に名前が漏れた。

 

「……ラブリー・フローラ」

 

魔法少女なら、知らない者はいない。

ニュースの中にいて、訓練映像にいて、公式アプリを開けば最初に表示されるような人が、そして何より自分が憧れた人が、今は自分たちのすぐ目の前に立っている。

 

フローラはゲートを抜けると、すぐに怪異へ杖を向けることはせず、まずあかりたち三人の位置を確かめ、それから周囲の避難状況へ目を走らせた。最後に怪異を見て、ようやく状況を把握したらしい。

 

「三人とも、ここまでよく持たせたね。もう無理に前へ出なくていいよ。ここからは私が引き取るから、まず互いの位置を確認して後ろへ下がって」

 

その言葉を聞いた瞬間、あかりは自分でも驚くほど大きく息を吐いていた。

 

「《フラワー・シェルター》」

 

フローラが杖を軽く振ると、三人の周囲へ光の花弁が次々と現れた。半透明の花弁は互いに重なり合い、やがて三人を包み込むような大きな防壁へ変わっていく。

 

「ここから出ないでね。怪異が動いても追わなくていいし、何かあったらすぐ通信して。あとは私がやるから」

 

そう言い残して、フローラは一人で怪異の方へ歩いていった。

あかりは、その背中から目を離せなかった。

 

ついさっきまで三人がかりでどうにか押し留めていた怪異が、今はたった一人の魔法少女を前にしている。それなのに、不思議なくらい危なっかしさがなく、むしろ怪異の方がどう攻めるかを探っているようにさえ見えた。

 

怪異が低く身を沈め、長い前脚でアスファルトを削る。その巨体が一瞬だけ沈み込んだかと思うと、次の瞬間には地面を蹴り、一直線にフローラへ飛びかかった。

 

フローラは退かなかった。

杖を横に構え、そのまま怪異の前脚を正面から受け止める。鈍い衝撃音が道路に響き、靴底がアスファルトをわずかに滑ったものの、姿勢はほとんど崩れない。あかりが障壁越しに受けても数メートル押し戻された一撃を、フローラは杖一本で止めていた。

 

怪異は間を置かず、もう一方の前脚を横薙ぎに振るう。

今度はフローラが身体を沈めてそれをかわし、その勢いのまま一歩踏み込んだ。怪異の懐へ入り込み、杖の石突きを脇腹へ叩き込むと、重い音とともに黒い巨体がわずかに傾く。

 

それでも怪異は倒れなかった。

すぐに身体を立て直し、今度は体重ごと押し潰すようにフローラへ突っ込んでくる。その動きを見たフローラは、真正面から受けるのではなく、わずかに身体を引きながら杖先を怪異の胸元へ向けた。

桃色の光が一瞬だけ集まる。

 

「――そこ、《ブルーム・バレット》!」

 

短い声と同時に、小さな魔力弾が放たれた。

光弾は怪異の胸元へ直撃したが、派手に爆発することはなかった。代わりに、押し返すことだけに力を集中させたような衝撃が怪異の身体を正面から叩き、巨体を数メートル後方へ滑らせる。

 

それで十分だった。

 

フローラは追撃せず、その場で杖を構え直した。怪異との間には、さっきまでなかっただけの距離が生まれている。あかりには、その短いやり取りだけでも分かった。

 

力任せに押しているわけではない。相手の攻撃を受け止め、かわし、必要なら懐へ入り、距離を取りたい時だけ魔力を使う。その一連の動きの中で、フローラは怪異だけではなく、周囲の住宅や道路の位置まで見ていた。

自分たちが必死になって相手の動きについていくだけだったのに対し、フローラは最初から戦場そのものを見ながら戦っているようだった。

 

怪異が再び身を起こす。

黒い甲殻の隙間から魔力が漏れ、長い前脚がもう一度地面を削った。だが今度は、フローラは迎え撃つために構えを低くしなかった。

 

代わりに、フローラは杖をゆっくりと正面へ持ち上げた。あかりは、その動きを知っていた。何度も映像で見たことがある。

フローラが杖を胸元へ引き寄せるように構え、そこから先端を怪異へ向ける。その一連の動作に合わせるように、杖の花飾りがわずかに開き、中心の魔力結晶へ桃色の光が集まり始めた。

 

同時に、足元から細い光の筋が走る。

最初は小さな円だったそれが幾重にも重なりながら一気に広がり、やがて道路いっぱいを覆う巨大な花型の魔法陣へと変わっていく。五枚の花弁を象った光が順番に灯り、その外側では細かな術式の環がゆっくりと回転し始めた。

 

そこから無数の光の花弁が巻き上がる。住宅の壁も、電柱も、道路標識も、怪異の黒い甲殻さえも、柔らかな桃色に染まっていく。その光景を見た瞬間、あかりの中を、さっきまでの恐怖とはまるで別の緊張が走った。

 

来る。そう思った。

 

フローラは杖先を怪異へ真っ直ぐ向けたまま、ほんの少しだけ腰を落とし、片足を後ろへ引いて反動を受け止めるように重心を整える。

 

《フローラル・ノヴァ》

 

言わずと知れた、ラブリー・フローラの必殺技である。

超級の怪異を一撃で消し飛ばした映像も、特級との戦闘で使われた記録も残っている。訓練教材では高出力魔法の代表例として扱われ、魔法少女であれば、その技名を知らない方が珍しい。

 

花や炎、雷といった属性に頼る魔法ではない。

ただ純粋に、膨大な魔力を極限まで圧縮し、それを正面から叩き込む。

相性も属性も関係なく、圧倒的な魔力量そのものですべてを押し潰す。

それが《フローラル・ノヴァ》だった。

 

けれど、目の前で見るのはまるで違った。

魔法陣の大きさも、集まっていく魔力の圧も、映像越しでは分からない。安全な《フラワー・シェルター》の中にいるはずなのに、空気そのものが震えているように感じる。

 

フローラは怪異の動きを見極めるように杖先をわずかに動かし、そのまま短く息を吸った。

 

「願いを花に、希望を光に――《フローラル・ノヴァ》」

 

怪異が踏み込むより早く、花型の魔法陣が一際強く輝いた。次の瞬間、鋭く絞られた桃色の光が一直線に走った。

空を塗り潰すような巨大な光線ではなく、道路一本を覆い尽くすほどの派手さもない。むしろ驚くほど細く、正確だった。

 

それでも、その威力まで小さいわけではなかった。

光は怪異の胸部を寸分違わず貫き、そのまま体内の魔力核を押し潰すように破壊する。怪異は一歩も踏み出し切れないまま輪郭を崩し、黒い甲殻ごと桃色の光へ溶けるように消えていった。

 

轟音も、衝撃波も、ほとんどなかった。

道路も、家々も、電柱も無傷のまま。ただ怪異がいた場所にだけ、淡い桃色の残光と数枚の花弁が残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三人の前で怪異が完全に消滅したのを確認してから、フローラはようやく杖を下ろした。

《フラワー・シェルター》もゆっくりとほどけ、三人を囲んでいた光の花弁が一枚ずつ消えていく。周囲に残存反応がないことを確かめ、住宅や道路にも被害が出ていないのを見届けてから、フローラは小さく肩の力を抜いた。

 

今度こそ終わりだ。

新人三人は無事で、怪異も処理した。周辺被害もなく、出力を抑えたぶん魔力消費も大したことはない。

 

これなら、まだ帰れる。

駅前に寄ってシャンプーを買い、夕食を取って、帰ったら宿題を片づける。それでも日付が変わる前には寝られるだろう。

一度崩れた予定を、フローラは頭の中でもう一度組み直した。

 

そのとき、胸元の魔力核がまた小さく明滅した。さっきまで少し緩んでいた表情が、わずかに固まる。

 

「こちらフローラ。現場処理、完了しました。新人三人も全員無事です」

 

『確認したよ。お疲れさま。周辺の反応も消えてるし、こっちはもう大丈夫』

 

その言葉に、フローラは少しだけ安心した。だが、通信は切れなかった。

 

『それで、フローラ』

 

フローラはしばらく黙った。

 

「……またですか」

 

『まだ何も言ってないんだけど』

 

「その前置きで、いい話だったことないじゃないですか」

 

通信の向こうで、佐伯がわずかに言葉を濁した。

 

『帰り道に、もう一件だけ確認してほしい反応があるの。かなり小さいし、まだ実体化するかどうかも分からないから、本当に確認だけで終わる可能性も高い』

 

フローラは無言で空を見上げた。

夕暮れはもうかなり薄くなっている。

 

少し離れたところでは、助けたばかりの新人三人がこちらを見ている。さっきまでなら、その視線に少しくらい格好をつけたくなったかもしれない。

けれど今は、そんな余裕もなかった。

 

フローラはしばらく黙ったまま杖を見下ろし、それから深く、長いため息をついた。

 





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