最強便利屋魔法少女は最後の希望にはなれません 作:一般匿名魔法少女
休日の昼下がり、本来なら買い物客や家族連れで埋まっているはずの駅前商業地区は、避難誘導の声と断続的に鳴り続ける警報音に包まれていた。
駅前広場から北へ伸びる商店街では、店員たちが客を奥へ誘導しながら次々とシャッターを下ろしている。バスロータリーには運行を途中で止められた車両が取り残され、開いたままの乗降口から最後の乗客を降ろす運転手の姿もあった。交差点では警察官と地区本部から派遣された職員が一般車両を止め、その間を縫うように、色とりどりの衣装をまとった魔法少女たちが駆け回っている。
平時なら人の多さそのものが活気として感じられる場所だった。
今は、その人の多さがそのまま現場の難しさになっていた。
そして、そのさらに向こうを、黒い影が恐ろしい速さで横切っていく。
一体ではない。
フローラが《フラワーゲート》を抜け、空中で体勢を整えながら目視できただけでも四体。いずれも黒い甲殻に細長い四肢を持ち、大型犬ほどの胴体を低く沈めて走る、同系統の怪異だった。
体格だけを見れば、上級怪異のような圧迫感はない。巨大な牙を備えているわけでも、建物を一撃で粉砕するような巨体を持つわけでもなかった。ただし、一体一体が弱いわけでもなく、大半の魔法少女にとっては一撃で仕留められるような相手ではない。
そして、一度地面を蹴れば、その姿はほとんど線になる。
数十メートルを一息に駆け抜け、歩道から車道へ、車道から停車中のバスの屋根へ、そこから街路樹を踏み台にして反対側の建物の庇へと、ほとんど速度を落とさずに移動する。柵も植え込みも意味をなさず、道路を封鎖したところで、怪異にとっては進路の候補が一つ減る程度でしかない。
「こちらフローラ、現着しました。状況をください」
『現着確認。現在確認できている対象は七体。全部同系統の高速型。単体の反応は中級相当だけど、とにかく移動速度が高い。駅前広場から北側へ散開中で、このまま外へ抜けられると避難範囲が一気に広がる』
耳元の通信機から聞こえてくる佐伯の声も、普段よりわずかに速い。
フローラは高度を取り、街全体を見下ろした。
上から見れば、状況はさらに分かりやすかった。
怪異を追いかけている魔法少女は、ほとんどいない。
追いつけないからだ。
いくら脚力を強化しても、直線で競えば逃げ切られる。それを無理に追えば、一体に注意を奪われている間に、別の個体が反対方向へ数百メートル移動する。
代わりに彼女たちは、怪異と民間人の間へ割り込み、障壁を張り、魔力弾で進路を逸らし、とにかく数秒でも足を止めることに徹している。
商店街の入口では、一人の魔法少女が両手を突き出して青白い障壁を展開していた。
怪異が正面から突っ込む。
轟音とともに障壁が大きくたわみ、少女の靴底が舗装の上を何メートルも滑った。それでも彼女は腕を下ろさず、その背後では別の魔法少女が転んだ子供を抱き上げ、母親と一緒に店舗の奥へ押し込んでいる。
別の一体が横へ逸れる。すぐさま三人目が光弾を放ち、怪異の顔面ではなく横腹へ当てて、その進行方向だけを車道側へずらした。
一体一体を倒す力はない。
それでも、誰かが一秒止めれば、その一秒で誰かが逃げられる。
敵を倒すことだけが、魔法少女の仕事ではない。 今この場にいる魔法少女たちは、そうやって怪異の群れから街を守っていた。
『フローラ、ジャスティアはすでに現場にいる。駅の北東側、高架の近く』
佐伯に言われるまでもなく、フローラにもすぐ分かった。
黒い怪異と対照的な金色の光だけが異様なほど鮮明に浮かんでいる。白を基調とした法衣風のドレスに、金色の縁取り。衣装の各所には天秤や鎖を思わせる意匠が入り、手にした長杖の先端には、大きな秤皿が左右へ伸びていた。
魔法少女ジャスティア。
本名、天秤さいか。
《北多摩の裁定者》の二つ名を持つ、北多摩四強の一角である。
その能力は、単純に自分の魔力を増幅するものではない。
対象がこれまでに生じさせた被害や損害を《罪過》として、ジャスティア自身の基準で計量し、その重さに応じて攻撃の威力を引き上げる。
人を傷つけ、街を壊し、被害を広げれば広げるほど、ジャスティアの前ではその代償がそのまま大きくなって返ってくる。
そして今、彼女の頭上には、その能力を最大限に引き出す巨大な金色の天秤が展開されていた。
怪異の一体が長い直線道路へ入り、ジャスティアの正面を横切ろうとしている。
天秤の一方が、ゆっくりと沈んだ。
倒された街路樹。破損した車。負傷した魔法少女。避難する人々へ向けられた攻撃。それらが一つずつ、目には見えない重さとして秤皿へ積み上がっていく。
今なら撃てる。
フローラにもそう見えた。
だが、ジャスティアが杖を振り下ろしかけた、その瞬間だった。
道路の反対側から、避難中の親子が飛び出してきた。母親に手を引かれていた小さな子供が足をもつれさせて転び、母親もその場で足を止めた。怪異の進路からは外れているが、ジャスティアの攻撃範囲からは外れていない。
ジャスティアの杖が止まった。
わずかに眉が動く。それでも、彼女は即座に攻撃を中断した。金色の天秤から光が消え、怪異はそのまま道路を駆け抜け、次の交差点の向こうへ姿を消した。
フローラは、道路上に立つジャスティアへ目を向けた。
表情はいつも通り静かだったが、普段より杖を握る手に力が入っているように見えた。その間にも怪異は移動を続け、戦場はすでに駅前広場だけでは収まらなくなっている。
フローラは高度を下げ、ジャスティアから少し離れた車道へ着地した。
「ジャスティア」
「来ましたか、フローラ」
挨拶らしい挨拶を交わす余裕はなかった。ジャスティアは視線を怪異から外さず、短く状況を説明する。
「おそらく七体です。個体そのものの強度は高くありませんが、速度が厄介です。このまま外側へ散らされると、商店街だけでは収まりません」
「分かった。私が進路をまとめる。射線が取れたら、そっちで落として」
「お願いします。追い回すより、その方が早いでしょう」
話は早かった。ジャスティアの戦闘能力そのものは疑いようがない。一定範囲をまとめて攻撃できるジャスティアの魔法は、一体ずつ狙おうとすれば逃げられる高速型と相性がいい。
フローラは杖を振り上げた。
「《フラワーゲート》!」
商店街のアーケードへ飛び込もうとした怪異の目前に、巨大な桃色の花が咲いた。怪異は速度を殺しきれず、そのまま花の中心へ突っ込む。次の瞬間、数十メートル離れた車道上に同じ花が開き、怪異が勢いそのまま吐き出された。
突然景色が変わったことに対応できず、四肢がアスファルトを大きく削る。出口の先では、すでにジャスティアが待っていた。
「《罪過計量》」
金色の光が怪異を包み、傾いた天秤の重さがそのまま攻撃へ変わる。
一撃。
怪異の身体が光の中で崩れた。だが、その間にも残りが動く。
一体がバスロータリーへ向かい、別の一体は商店街の外周へ抜けようとする。さらにもう一体が停車中の路線バスへ飛び乗り、その屋根を蹴って建物側へ向きを変えた。
「北側、二体!」
『見えてる! 一体は中央通り、もう一体はロータリー西側!』
フローラは短距離の《フラワーゲート》を連続して開き、怪異の前へ先回りした。
現れた瞬間、黒い影が真正面から飛び込んでくる。
杖を横にして受け止めると、衝撃が腕を伝い足元の舗装がわずかに削れた。怪異の勢いを完全に止めるのではなく、身体を捻りながら横へ流す。そのまま脇腹へ桃色の魔力弾を撃ち込み、進行方向を車道側へ強引に変える。
そこへジャスティアの攻撃が飛んだ。フローラにも命中するが、防御力もあってそちらにはダメージは入らない。その中心にいた怪異だけが、金色の魔力をまともに受けて地面へ叩き落とされた。
さらに、別の魔法少女たちが三人がかりで押さえていた一体へフローラが回る。
青白い障壁はすでに限界に近く、表面には蜘蛛の巣のような亀裂が広がっていた。正面で支えている少女は両腕を震わせながらも踏ん張り、その横では二人が交互に魔力弾を撃ち込んで怪異の動きを鈍らせている。それでも、押し返すまでには至らない。
そこへフローラが降り立った。
「お疲れさま。ここは任せて」
三人がほっとしたように頷く。
三人が一斉に後退した瞬間、支えを失った障壁が砕け、怪異が弾かれたように飛び出した。速度を取り戻すまで、ほんの一瞬しかない。
その一瞬を、フローラは逃さなかった。
目の前に《フラワーゲート》を開き、数十メートル先の人気のない交差点へ送り返す。出口では、またジャスティアが待っている。
少しずつ数は減っていく。それでも、戦場は落ち着かなかった。
あまりにも速く、一体を倒している数十秒の間に、別の一体はすでに次の交差点まで移動している。道路を封鎖しても歩道へ飛び、歩道を塞げば車の屋根へ跳び上がり、魔法少女が前へ出ればその横を抜けようとする。
『残り二体! 一体が北西方向、幹線道路へ入る! もう一体も後ろから続いてる!』
佐伯の声に、フローラとジャスティアがほぼ同時に振り向いた。
怪異二体が、長い大通りへ出る。そこはすでに一般車両が止められており、見通しもいい。
そして何より、二体がほぼ一直線に並んでいた。ジャスティアの表情が変わった。
「ここなら、二体まとめて落とせます」
フローラも異論はなかった。ここで逃せば、その先はさらに人の多い駅周辺へ戻ってしまう。しかも、二体を一度に落とせる機会など、さっきからほとんどなかった。
「お願い。私は横へ抜ける個体が出たら止める」
ジャスティアは杖を掲げた。フローラも撃ち漏らしに備えて、杖を握る。
巨大な天秤が空中へ現れ、先ほどよりも大きく、そして深く傾いた。
怪異たちはここまで逃げ回る中で、さらに被害を重ねている。道路設備の破壊。店舗の損傷。魔法少女への攻撃。何より、逃げる人々へ何度も危険を及ぼした。
それらのすべてが、ジャスティアの魔法にとっては攻撃力になる。
金色の術式が道路の上へ幾重にも展開されていく。今度こそ射線は空いている。フローラもそう思った。
その時だった。
道路のずっと先に、人影が現れた。
三人。
男性が三人、歩道側へ向かっている。いや、二人が一人を引きずるようにしていた。中央の一人はまともに歩けていない。足元がおぼつかず、両側の二人に肩を預けながら、それでも何とか避難区域の外へ向かおうとしている。
「待って!まだ人がいる!」
フローラはすぐに気づいた。
『確認した! 北西側の飲食店にいた三名! 避難開始時点でかなり飲酒してたらしい。避難そのものは始めてるけど、一人がまともに歩けなくて遅れてる!』
その報告を聞くより早く、フローラはジャスティアへ視線を向けた。 彼女も当然、三人の存在には気づいているはずだった。
だが、杖は下がらない。頭上の巨大な天秤も消えない。
むしろ怪異二体が狙った範囲へまとまったことで、金色の光はさらに強くなっていく。
《パーフェクト・バランス》は、計量した罪過を最大出力で一帯へ叩き返す必殺技だ。狙った範囲そのものを、莫大な金色の魔力で制圧する。
もちろん一般人を狙って攻撃する技ではない。しかし、その中へ生身の人間が残っていれば、安全である保証もない。
フローラの胸の奥に、嫌な予感が走った。
「ジャスティア?」
返事はなかった。次の瞬間、天秤が完全に傾く。
「《パーフェクト・バランス》」
金色の光が一帯を呑み込んだ。フローラは考えるより先に飛び出していた。怪異へではない。逃げ遅れた三人へ向かって。桃色の光をまとって道路を一気に飛び、三人の前へ降り立つ。
「《フラワー・シェルター》!」
桃色の花弁が一気に重なり、三人とフローラを包み込む。
直後、金色の奔流が襲いかかった。轟音とともに道路が震え、街路樹が大きくしなり、怪異たちの黒い身体が光の中で次々と崩れていく。
その余波が《フラワー・シェルター》へ叩きつけられた。
一枚。また一枚。外側の花弁が砕け、光の破片になって散る。フローラは杖を両手で支え、歯を食いしばりながら出力を上げた。背後では、三人が身を寄せ合うようにしてしゃがみ込んでいる。
ここだけは通さない。やがて金色の光が収まり、周囲に静けさが戻った。
怪異の姿はすべて消えていた。道路には深い亀裂が走り、近くの看板や街路樹にも攻撃の余波が残っている。
けれど、三人は無事だった。フローラは《フラワー・シェルター》を解除すると、しばらく何も言わずにその場に立っていた。
それから、ゆっくりとジャスティアの方を振り返る。
「……今の、人がいるの見えてたよね」
「見えていました」
返事は即答だった。
フローラは眉を寄せたが、それ以上問い詰めるより先に、ジャスティアの方から淡々と説明した。
「すでに二度、民間人を巻き込む可能性があったため攻撃を中止しています。そのたびに怪異は移動し、封鎖区域も広がりました。今回まで見送れば、この先の避難済み区画へ侵入する可能性が高かったでしょう」
ジャスティアは、魔法少女たちに保護されている三人へ一度だけ視線を向けた。
「それに、対怪異戦闘では、より大きな人的被害を防ぐために必要な攻撃であれば、周辺への危険を完全に排除できないこと自体は違法ではありません。今回の攻撃も司令部の交戦規程から外れてはいませんし、避難指示も十分前に出ています。あの方々が残っていたのは、退避する機会がなかったからではなく、行動が遅れた結果です」
だからこそ、彼女に迷いはなかったのだろう。
「あなたが守れるなら、守ることには何の異論もありません。ただ、あの怪異を一発で仕留められるのは、この場では私かあなたくらいです。しかも、あの速度で動く複数体をある程度の範囲ごと捉えられるのは、私しかいない。その三人のために攻撃機会を逃し、別の場所で新たな被害を出させる方が、私は不適切だと判断しました」
フローラは少しだけ黙った。
法的に禁止されているわけでもない。作戦上も、ジャスティアの判断には理由がある。実際、この場で怪異を逃せば、それまで避難していた人々まで再び危険に晒されていたかもしれない。
それでも、納得できるかは別だった。
フローラはしばらく何も言わず、保護された三人と、金色の光に抉られた道路とを順に見た。それから肩の力を抜くように、長く溜め息をついた。
「……逃げ遅れた理由と、巻き込まれていいかどうかは別だと思う」
フローラはそれだけ言うと、もう議論を続けなかった。
北多摩地区本部の会議室には、昼休みを少し過ぎた時間にもかかわらず、妙に真面目な空気が漂っていた。
机の上には一通の依頼書が置かれている。差出人は警視庁 北多摩方面本部。内容そのものは珍しいものではない。秋の交通安全運動と特殊詐欺被害防止キャンペーンに合わせ、北多摩一帯で行う広報企画の目玉として、地域で知名度の高い人物を北多摩中央署の一日署長に招きたいというものだった。
問題は、その末尾に添えられた一文だった。
『可能であれば、北多摩地区を代表する上位魔法少女の方にお願いしたく存じます』
佐伯美月は、その文面をもう一度読み直してから、向かいに座る支部長の真壁へ視線を上げた。
「先方としては、できればうちの四強の誰かを、ということですね」
「知名度の問題もあるし、他の地域でも地域のトップの魔法少女が起用されている。警察と魔法少女側がきちんと連携しているところを見せる意味もあるだろう」
真壁は腕を組み、机の上に並べられた候補者資料へ目を落とした。
フローラ、リリア、モルフェ、ジャスティア。いずれも一人で上級怪異を難なく倒し、超級を相手にしても十分な戦力になる、北多摩の誇る四人だった。戦闘能力だけでなく知名度も高く、いつしかまとめて「北多摩四強」や「北多摩四天王」と呼ばれるようになっていた。
警察署側がその肩書きを欲しがるのも分からなくはない。一日署長という催しは、実際の警察業務を任せるものではない以上、何より人を集められる顔が重要だった。
真壁が最初の資料を指先で叩く。
「ジャスティアはどうだ」
佐伯はすぐには答えなかった。その沈黙だけで、真壁も何となく察したらしい。
「……何かあるのか」
「あるというか、ありすぎるというか」
佐伯は手元の端末を操作し、過去の広報活動記録を開いた。
天秤さいか――ジャスティア。
《北多摩の裁定者》の二つ名を持ち、慈善活動や社会支援にも積極的な魔法少女だった。奨学基金への寄付、新人魔法少女向け装備の共用制度、被災家庭への生活再建支援、学校教材の無償提供。活動実績だけを見れば、今回のような公的行事にはむしろ向いている。
問題は、発言だった。
「去年の地域防災フォーラムでは、『避難指示が出ていたのに残ったのであれば、危険に巻き込まれたことまで完全に被害者として扱うのは違うと思います。逃げる機会があった以上、本人の判断にも相応の責任はあるでしょう』と発言しています。その前の特殊詐欺防止講演では、『もちろん騙した側が悪いですが、確認できることを確認せずに大金を渡したのであれば、被害者側にも不用意だった点はあります。被害に遭ったというだけで、すべての責任がなくなるわけではありません』とも」
「たしか特殊詐欺防止キャンペーンだったな」
再び沈黙。ジャスティア本人に悪意がないことは、二人ともよく知っている。むしろ彼女は、被害に遭う人間を減らしたいと本気で考えている。そのために「何が原因だったのか」を追究し、再発防止策まで考える。ただし、その原因追究が本人の中ではかなり早い段階で「では被害者側には何の落ち度があったのか」に向かう。しかも、それを人前でもあまり隠さない。
「……やめよう」
「私もそう思います」
佐伯はジャスティアの資料を横へずらした。真壁の指が、次の候補へ移る。
「リリア」
佐伯は依頼書の別紙を一枚めくった。
「先方から『親しみやすく、地域住民に安心感を与えられる方』という希望も出ています」
それだけで十分だった。
ブレイブ・リリア。
北多摩四強の一角であり、戦闘能力も人気も高い。銀青色の騎士姿は映えるし、子供人気も強い。だが、街に被害を出している頻度が高く、親しみやすいかと聞かれると別問題である。
佐伯が念のため続ける。
「交通安全教室も予定されています」
佐伯がそう付け加えると、真壁は少し考えてから、まだ候補から外しきれていなかったリリアの資料へ目を落とした。
「リリアに交通安全を語らせるのは、そこまで駄目か?」
戦闘中の判断は速く、危険に対する感覚も鋭い。少なくとも「危ないものを避ける」という意味では、適任に見えなくもない。だが、佐伯はすぐには頷かなかった。
「以前、学校訪問で車との接触事故について聞かれた時に、『真正面から受けなければ大丈夫だ。ある程度鍛えていれば、むしろこちらが弾き飛ばせる』と説明しています。本人にとっては事実ですし、実際できますけど……」
そこで佐伯は少し言葉を切り、真壁の方を見る。
「小学生は真に受けかねません」
真壁はしばらくリリアの資料を見つめたあと、何も言わずにそれを横へずらした。
「ではモルフェ」
今度は佐伯が何も言わなかった。真壁が顔を上げる。佐伯も見返す。
数秒ほど、二人の間に静かな時間が流れた。やがて真壁が自分で答えを出した。
「……来ないな」
真壁がそう結論づけるまでに、それほど時間はかからなかった。モルフェの実力や知名度に不足はない。むしろ四強の中でも十分すぎるほど条件を満たしているが、問題は本人がこの種の催しにほとんど興味を示さないことだった。
「一応、声だけはかけますか?」
佐伯が尋ねると、真壁は少し考えたものの、すぐに首を振った。
ドリーミィ・モルフェの資料も、候補から外された。
机の上に残ったのは一枚だった。鮮やかな桃色の衣装をまとい、巨大な花の杖を手に笑う少女。
ラブリー・フローラ。
真壁はしばらくその写真を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……申し訳ないが、フローラにお願いするか」
「結局そうなりますね」
佐伯も少し気の毒そうな顔をしたものの、反対はしなかった。こういう時、最終的に話が回ってくるのはだいたいフローラだった。
戦闘能力は申し分ない。知名度も高い。子供受けもいい。受け答えも無難。
警察官や自治体職員と一緒に壇上へ立たせても、突然独自の正義論を始めたり、交通安全より戦場判断を優先する話を始めたり、そもそも会場へ来なかったりする可能性も低い。
その部分まで含めて候補にしていることに、二人とも多少の後ろめたさはあった。
その日の放課後。
北多摩地区本部へ呼ばれた花守ひよりは、会議室の机に置かれた依頼書を見ながら、少しだけ首を傾げていた。今日は出動要請ではないと聞いていたので、学校帰りの制服姿のままである。肩には通学鞄を提げ、隣の椅子には白い兎のもふりんが行儀よく座っていた。
「一日署長、ですか?」
佐伯が頷いた。
「北多摩方面本部から。今度の交通安全運動と特殊詐欺被害防止キャンペーンに合わせて、一日署長をお願いしたいんだって」
ひよりは依頼書へ視線を落とした。
こういう依頼自体は、そこまで珍しいものでもない。魔法少女として名前が知られるようになってから、地域イベントや啓発活動へ呼ばれる機会はそれなりに増えていたし、フローラとして人前に立つことにも、もう随分慣れている。
「具体的には、何をするんですか?」
「朝に任命式。そのあと駅前で交通安全キャンペーン、商店街を少し回って、昼から特殊詐欺防止のトークイベント。午後は子供向けの交通安全教室と写真撮影会、最後に記者対応」
ひよりは予定表を上から下まで眺めてから、少しだけ眉を下げた。
「……結構ありますね」
「まあ、一日署長だからね」
佐伯が苦笑する横で、真壁が依頼書を指先で軽く叩いた。
「とはいえ、制服を着て一日署長として出るわけだから、かなり見栄えはすると思うぞ。北多摩を代表する魔法少女として警察と並ぶわけだし、写真も相当撮られるだろうな」
「そうそう。たぶん駅前にも大きく告知が出るし、子供向けのイベントもあるから、フローラが来たらかなり喜ばれると思う」
二人して妙に持ち上げ始めたので、ひよりは依頼書から顔を上げた。
「……なんか、急に勧めますね」
「いや、実際向いてるから」
佐伯は笑いながら続ける。
「知名度も実績もあって、戦闘力もトップクラス。それでいて子供受けもよくて、人前に出しても安心できる。そういう条件を全部満たしてる魔法少女って、実際かなり限られるのよ。先方としても、北多摩を代表する看板級の魔法少女に来てほしいって、かなり期待してるみたい」
「本当ですか?」
ひよりの反応が、ほんの少しだけ良くなった。
隣でもふりんの耳がぴくりと動いた。
ひよりはそれに気づいたものの、何も言わず、もう一度予定表へ目を落とした。
佐伯はさらに続ける。
「先方から、できれば北多摩四強の誰かをって希望が来てるの。それで一応ほかの三人も検討したんだけど、ジャスティアは特殊詐欺防止の講演と相性が悪いし、リリアは交通安全教室がちょっと不安。モルフェは……まあ、来ないでしょ」
最後だけ理由らしい理由すら省かれたが、ひよりにも反論はできなかった。
そこまで言われると、少しだけ悪くない気がしてくる。もっとも、だからといって浮かれて引き受けたように見られるのも何となく違う。
ひよりはしばらく考えるふりをしてから、依頼書を机へ戻した。
「まあ……それが皆さんのためになるのなら、私でよければやります」
隣で、もふりんがまた耳を揺らした。今度も、ひよりは見なかった。