最強便利屋魔法少女は最後の希望にはなれません 作:一般匿名魔法少女
スマートフォンが短く震えた。
ひよりは机の上に広げていたノートから目を上げ、何となく画面を確認した。通知欄に表示されていた差出人を見て、ほんの少しだけ眉を上げる。
魔法少女活動支援ポイント事務局。
何か申請でも忘れていただろうか、と一瞬だけ考えたものの、メールを開いてみれば大した内容ではなかった。
『月末失効予定ポイントのお知らせ』
「またこれかぁ…………」
本文の下まで読む前に、ひよりは小さく息を吐いた。
今月末で失効する予定のポイントは、千三百四十五万八千四百ポイント。
一般的な金銭感覚で考えれば、到底「まあいいか」で済ませられる額ではない。一千万円以上ともなれば、服や家電を買うどころか、何度も旅行へ行けるし、かなり贅沢な使い方をしてもそう簡単には消えない。それでも、ひよりにとっては、それほど珍しい通知でもなかった。
魔法少女活動支援ポイント、通称MSP。
怪異への対応や訓練、待機勤務、広報活動などに応じて付与される、魔法少女向けの福利厚生制度である。
一ポイントは提携サービス上ではおおむね一円相当として扱われ、日用品の購入はもちろん、映画館や遊園地の利用券、飲食店、旅行時の交通費や宿泊費、衣服、寝具、学用品、参考書、学習塾、家事代行まで、使える範囲はかなり広い。
現金へ交換することはできない。売買したものも基本的には譲渡もできない。あくまで、魔法少女本人の生活を支えるための制度だった。
制度の趣旨そのものは、ひよりにもよく分かる。
魔法少女として活動すれば、それだけ普通の生活から時間を奪われるし、当然ながら危険にも晒される。怪異と向き合う以上、怪我をする可能性は常にあるし、自分より明らかに強い相手と戦わなければならないこともある。実際に攻撃を受ければ痛いし、仲間が負傷する場面を見ることもある。避難が間に合わなければ、守れなかった人の顔が後から残ることだってある。
身体的な危険だけではない。
出動のたびに緊張するし、いつ呼ばれるか分からない生活そのものが、少しずつ精神を削る。休日だからと完全に気を抜けるわけではなく、友達と出かけていても端末の通知には反応するし、授業中でも本部からの緊急連絡が来れば、その後の予定は全部消える。
怪異が出れば休日でも呼び出されるし、学校帰りにそのまま現場へ向かって、夕食の時間まで戻れないこともある。試験前だから今日は勉強したいと思っていても、怪異はそんな事情を考慮してくれない。友達と映画へ行く予定を取りやめたこともあれば、疲れて帰宅して、洗濯も宿題も後回しにしたまま寝てしまったことも一度や二度ではなかった。
奪われた時間そのものを返すことはできない。
戦闘中に感じた恐怖も、怪我の痛みも、出動のせいで潰れた予定も、全部なかったことにはできない。
だから、その代わりに別の形で本人へ返す。
映画に行けなかったなら、別の日に無料で行けるようにする。家事に時間が取れなかったなら、家事代行を使えるようにする。勉強時間が削られたなら、参考書や塾、家庭教師の費用を補助する。疲労が溜まっているなら、休養施設やマッサージを利用できるようにする。旅行へ行く時間が取れた時には、交通費や宿泊費を負担する。
そうやって、魔法少女であることによって失われた時間や余裕、そして活動そのものが伴う危険や精神的な負担に対して、少しでも別の形で埋め合わせをする。
それがMSPだった。
制度としては、かなりよくできていると思う。
実際、隣室のねむなどは、ポイントが入れば驚くほど早く使い切っているらしい。
宅配。ゲーム。動画配信。寝具。マッサージ。ホテル。旅行。気になったものがあれば、とりあえず一度使ってみる。家事代行だとかも毎日贅沢な使い方をしているし、高級な枕を買ったと思ったら、その翌週には別の寝具を試し、しばらく見ないと思ったら、ポイントで取ったホテルに一人で泊まっていたりする。
四強クラスの魔法少女は任務数も多く、自然と支給額も大きくなる。それでも普通なら、多少は余る。ところがモルフェに限っては、残高がほとんど増えないらしい。ひよりからすれば、あれはあれで一種の才能だった。
一方で、ひよりはどうしてもポイントが貯まる。
なにしろMSPは、一般的な魔法少女であっても、普通に活動していれば月に数万ポイント程度は自然と積み上がるように設計されている。怪異への対応、討伐、訓練、広報活動、待機任務。そうした一つ一つに細かな加算があり、活動量が多いほど支給額も増えていく。
中でも大きいのが、怪異の危険度だった。
初級や中級程度なら加算もそれなりだが、上級、超級とランクが上がるにつれてポイントは急激に跳ね上がる。危険が大きく、拘束時間も長く、精神的な負担も重い以上、その分だけ補償も厚くなるという考え方だった。
さらに、他地域への応援となれば加算は一段と大きくなる。
本来の担当区域を離れ、別地区の戦力不足を補うために派遣される。移動や待機だけでなく、現地で高難度の案件を任されることも多いため、支援ポイントも特別枠で計算される。
そして、ひよりはその全部に引っかかる。
任務の数が多い。相手にする怪異のランクが高い。応援要請も多い。広報活動にも呼ばれる。結果として、量でも質でも、普通の魔法少女とは桁が違っていた。
文字通り、桁違いのポイントが入ってくる。だから、映画を見ようが、外食しようが、旅行に行こうが、少しくらい高い買い物をしようが、残高はなかなか減らない。
別に倹約家というほどでもない。それなりに使っているはずなのに、それ以上の速度で入ってくる。
そもそも、任務に必要なものはMSPから支払う必要がない。怪異対応のための交通費や宿泊費、専用の装備、遠征時の食費まで、活動に必要な経費は別枠で支給される。
しかも、ひよりの場合は移動費そのものが他の魔法少女よりかからない。
《フラワーゲート》。
北多摩周辺程度なら、かなりの距離をほとんど一瞬で移動できる。
もちろん、私用で好き勝手に開き続けるわけではないし、場所によっては普通に電車も使う。それでも、一般の魔法少女と比べれば、交通費を使う機会は明らかに少なかった。
家事代行も、制度があること自体はありがたい。ただ、ひよりはあまり使わない。忙しい日に掃除や洗濯を任せられたら楽なのだろうとは思う。それでも、自分の部屋くらいは自分で片づけたいし、洗濯もできるなら自分でやりたい。何でも外へ任せてしまうと、逆に生活の感覚がなくなりそうで落ち着かなかった。
学業支援も同じだった。
参考書を買うことはある。必要なら塾や講習にも使える。けれど、参考書は無限に必要になるものではないし、塾だって通う時間がなければ意味がない。家庭教師を毎日呼ぶほど勉強に困っているわけでもなかった。
結局、使える制度は多いのに、ひより一人が消費できる量には限界がある。
これまでポイントで買ったものの中で、一番贅沢だったものは何だったか。少し考えて、休日用に買った予備のスマートフォンを思い出す。任務用端末や連絡用のスマートフォンとは完全に分けて、休みの日に使う私物が欲しかった。それで少し性能の良いものを買った。
自分でも、あれはかなり贅沢だったと思っている。しかし、それでも数十万ポイント程度だった。
一方で、ひよりが一か月に受け取るポイントは、その数十倍にもなることがある。
さらに、MSPとは別に、企業との協賛や宣伝活動に伴う謝礼が発生することもあった。
フローラほど知名度が上がれば、そちらも馬鹿にならない。
広告にイベント出演。商品コラボ、パッケージ使用にキャンペーン。
最初の頃は、提示されるまま受け取っていたものもある。けれど、ある程度有名になってからは、あまり高額なものは断るようになった。
自分の写真がポスターに使われただけで何百万ポイント。そういう話まで来ると、さすがに落ち着かない。
別に金銭感覚を失いたいわけでもない。以前は、コラボ商品の現物も律儀に送られてきていた。菓子や飲料のような消えものから、文房具やタオル、子供向けの玩具、果ては洗剤や防虫剤のような日用品まで、気づけば自分の顔が付いた商品が部屋のあちこちに増えていた。
新商品が出るたびにサンプルが届く。けれど、そのうち量がおかしくなった。
一社や二社ならまだいい。十社、二十社となってくると、部屋の収納では到底追いつかない。
段ボールが増え、棚が埋まり、廊下まで侵食し始めたところで、ひよりはついに地区本部を通して「現物サンプルは原則不要」と伝えた。自分の顔が印刷された防虫剤を、箱単位で何個も送られても困る。それでも、完全に使い道がないわけではなかった。
戦闘関係になると話は違う。
衣装の耐久強化。杖の魔力伝導効率の改善。《フラワー・シェルター》の展開補助。《フラワーゲート》の座標補正。高出力時の負荷軽減。
そうしたものには、かなり大きなポイントを投入できる。中には、本来なら複数人で共同導入するような大型補助術式や実験装備もある。
数千万ポイント。場合によっては数億ポイント。普通の魔法少女なら、地区単位で共同で予算を組むような金額になることもある。
それでも、ひよりにとっては手が届かない額ではなかった。むしろ、こういうところへ使わないと、残高が減らない。そして、実用性だけを考えれば必要のないところにも、少しだけ使っている。
変身した時、背後へ散る花弁の枚数。《フラワーゲート》を開いた時、光の残滓がどのくらい残るか。最大出力の《フローラル・ノヴァ》を使う時、魔法陣が何層に展開されるか。《エターナル・フローラ》へ移行した時、背後の花弁がどういう順番で開くか。
戦闘性能には、ほとんど影響しない。正直に言えば、完全に見栄えの問題だった。ただ、ひより本人はそうは言わない。
「視認性とか、味方への分かりやすさも大事だから」
そう説明している。
もふりんは、その説明を一度も信じていない。それでも、ひよりはわざわざ訂正する気もなかった。
どうせポイントは余っている。だったら少しくらい、格好いい方がいい。それだけの話である。
ポケットへしまったスマートフォンが、少し間を置いてもう一度震えた。ひよりは最初、さっきのポイント事務局から何か追加の通知でも来たのかと思ったが、耳に届いた通知音はそれとは違っていた。
地区本部からの緊急連絡。
その音を聞いた瞬間、さっきまで少し気の抜けていた表情が自然と引き締まる。ひよりはすぐに端末を取り出して画面を開き、表示された短い通知文へ目を走らせた。
そこにあった文字を見たところで、ほんのわずかに目を見開いた。
『西多摩地区より応援要請』
表示された文字を見た瞬間、ひよりの意識はさっきまで考えていたポイントの話から完全に切り替わった。
他地区からの応援要請。
ひよりは、これが嫌いではなかった。むしろ、かなり好きな部類に入る。
もちろん、他地区で怪異が出ること自体を喜んでいるわけではない。被害が出ない方がいいに決まっているし、誰も怪我をせず、怪異も現れず、休日がそのまま平穏に終わるなら、それが一番だ。
ただ、それでも。地区を越えて、自分が呼ばれる。その状況には、少し特別なものがあった。
北多摩には、当然ながら多くの魔法少女がいる。中級程度の怪異なら近隣の戦力で対応するし、上級になれば複数人で囲み、必要なら四強の誰かも出る。地区の中で処理できる案件は、基本的にその中で完結させる。
北多摩ほどでなくても他地区でも普通はそこの魔法少女が担当することは同じだった。
だからこそ、わざわざ北多摩へ応援要請が飛んでくるということは、現地の戦力だけでは処理が難しい状況になっているということでもある。通常の増援では足りず、高ランクの魔法少女を投入してもなお決め手に欠ける。もしくは、それが間に合わないほどの緊急事態。そこまで来て初めて、地区の外へ助けを求める。
つまり、ひよりが呼ばれる頃には、たいてい現地の戦線はすでに出来上がっている。もしくは、喫緊の巨大な危機が迫っているのどちらかだ。
魔法少女たちが何人も怪異を押さえ、防衛線を作り、避難を進め、それでも決定打が足りない。その状況で、最後の一手として外部戦力が求められる。
《フラワーゲート》が開き、桃色の光の中からフローラが現れ、苦戦している現地戦力の前へ出て、それまで押し切れなかった怪異を引き受ける。
ひよりの中にある「切り札」というものの理想像に、それはあまりにもよく合っていた。
普段の北多摩では、そうはいかない。
フローラは便利すぎる。
強いだけではなく、遠くてもすぐに行ける。住宅街でも火力を細かく絞れる。新人の救援にも向いているし、避難支援も防御もできる。単独で高ランク怪異へ対応できるのに、低~中ランク案件にも普通に投入できてしまう。
その結果、上級怪異との戦闘だけでなく、中級以下の応援、救助、調査、護衛、警戒まで、かなり幅広く呼ばれる。
便利だから使われる。使えるから呼ばれる。理屈はよく分かるし、必要なら当然行く。
けれど、ひよりが思い描いている「最終兵器」という言葉の響きとは、少し違う。
本当の最終兵器は、もっとこう…………簡単には出てこない。普通の戦力ではどうにもならなくなり、ようやく名前が出る。
「あれを呼ぶしかない」
そう言われてから現れる。その方が、ずっとそれらしい。
もっとも、現実はそこまで都合よくはいかない。西多摩や南多摩のような隣接地区になると、《フラワーゲート》で短時間に移動できることまで向こうに知られているので、「少し厳しいからフローラを借りよう」くらいの感覚で呼ばれることもある。北多摩ほどではないにせよ、結局そこでも便利な戦力として扱われているのだ。
それでも、自地区の日常的な応援よりはずっといい。少なくとも、地区を越えて名指しで呼ばれる。その一点だけで、ひよりの中では十分に切り札らしかった。
ひよりは通知を開き、詳細へ目を通した。
怪異反応、超級推定。
西多摩。
そこは、ひよりにとって単なる隣の管区ではなく、魔法少女としての自分の原点に近い場所でもあった。
西多摩には、ひよりがまだラブリー・フローラになる以前から知っていた、特別な魔法少女がいる。魔法少女になったばかりの頃、力の使い方も戦い方もほとんど分からなかったひよりへ基礎から教え込み、今の戦闘スタイルの土台を作った師匠でもある。北多摩四強という呼び方が今ほど定着するより前から高ランク怪異の討伐記録を積み重ねてきたベテランで、ひよりにとっては初めて「強い魔法少女」というものを身近に意識した相手だった。
駆け出しの頃のひよりは、今とはかなり違っていた。魔力量だけは最初から多く、新人としては明らかに規格外だったものの、その力をどう戦闘へ落とし込めばいいのかが分からず、最初に形になった必殺技も、現在の《フローラル・ノヴァ》とはまるで別物だった。
当時の必殺技は、花を大量に咲かせ、その光で周囲の傷をまとめて癒やす大規模回復魔法だった。性能そのものは決して悪くなく、複数人を一度に治療できる時点で新人としては破格で、支援型の魔法少女として育てても十分すぎるほど有望だったのだが、ひより本人はどうしても納得できなかった。
理由は、単純だった。
切り札らしくない。
傷ついた仲間を癒やすことが大切なのは分かっていたし、回復魔法が強力なことも理解していた。それでも、ひよりの中にある「切り札」のイメージは、最後に現れて圧倒的な一撃で戦況そのものをひっくり返す存在であり、後方から傷を治すだけではどうしても自分の理想と噛み合わなかった。
師匠に初めてその回復魔法を見せた時も、評価そのものはかなり高かった。広範囲を一度に癒やせること、魔力効率が良いこと、何より新人がこの規模の術式を安定して維持できることを褒められたのだが、ひよりはしばらく黙ったあと、どうしても我慢できなくなったように「でも、これだと切り札っぽくないです」と言った。
師匠は、その時かなり長い間ひよりの顔を見てから、「……そこ?」と返したらしい。
それでも、ひよりは諦めなかった。
花を扱える。魔力量も多い。なら、その大量の魔力を回復ではなく攻撃へ回せばいい。最初はそれくらい単純に考えていたのだが、当然ながら実際にはそう簡単な話ではなかった。治癒魔法は魔力を広げ、対象へ馴染ませるように流すのに対し、砲撃魔法はむしろその逆で、広がろうとする魔力を一点へ圧縮し、暴発させず、形を保ったまま前方へ叩き出す必要がある。そもそも、花という属性そのものが攻撃にはあまり向いていなかった。
だからこそ、属性に頼らず、純粋な魔力量そのものを圧縮して叩きつけるという、半ば力任せの砲撃へ辿り着くまでにはかなり時間がかかった。
今では《フローラル・ノヴァ》の象徴になっている巨大な花型魔法陣も、もともとは見栄えのためのものではない。大量の魔力を安全に圧縮し、暴発を防ぎながら必要な方向へ通すための制御機構だった。ただし、完成してからひより自身が花弁の枚数や展開速度、光の残り方まで細かく調整したため、今となってはどこまでが必要な機構で、どこからが本人の趣味なのか、もふりんにもよく分からない。
そうして、最初は単なる力任せの魔力砲撃だったものが、少しずつ現在の《フローラル・ノヴァ》へ変わっていった。全力なら高ランク怪異を一撃で消し飛ばし、必要なら市街地でも使えるほど細く絞れる。単純な火力だけではなく、その出力を自在に制御できるところまで含めて完成したのは、ひよりの莫大な魔力量だけでなく、何度も失敗を重ねて調整を続けた結果だった。
今のフローラしか知らない人間からすれば、《フローラル・ノヴァ》は最初からフローラを象徴する必殺技だったように見える。
実際には逆だった。
ひよりが「もっと切り札らしい技が欲しい」と言い張り、もともと得意だった回復魔法とはまるで違う方向へ、自分の魔法を半ば無理矢理作り変えた末に生まれた技だった。
そして、その無茶な試行錯誤に最後まで付き合ったのが、西多摩にいるあの人だった。
暴発すれば止めようとし、出力が高すぎれば叱り、それでも「向いていないからやめろ」とは一度も言わなかった。ひよりがどうしても攻撃魔法を完成させたいと言うなら、それを前提に、どうすれば安全に使えるかを一緒に考えてくれた。
超級怪異を抑え込んでいたグランド・ヴェルデは、視界の端に桃色の光が咲いたのを見て、ほんのわずかに肩の力を抜いた。空間そのものが花弁のように開き、その中心からラブリー・フローラが踏み出してきた瞬間、それまで西多摩の魔法少女たちが何人がかりで押さえ込んでいた怪異の方が先に反応したように身をよじり、周囲の空気まで一段重くなった。
「来たか」
ヴェルデがそう呟くのと、フローラが杖を構えるのはほとんど同時だった。
目の前の怪異は超級で、ヴェルデたちが倒すことよりも被害を広げないことを優先し、進路を制限しながらどうにかこの場所へ縫い止めていた相手だった。何人もで障壁を重ね、動きを誘導し、隙を見て攻撃を入れても、決定打には届かない。それでも少しずつ削りながら、増援が来るまで持たせるつもりでいた。
そこへ、フローラが来た。すぐさま詠唱に入り、大量の魔法陣の展開とともに凄まじい魔力桃色の光をまとって《フラワーゲート》から踏み出したかと思えば、状況確認に使った時間はほんの一瞬で、そのまま杖を正面へ向ける。次の瞬間には足元から巨大な花型魔法陣が一枚、二枚と重なるように展開され、その外側にも補助術式らしい細かな光輪が次々と浮かび上がって、周囲に満ちていた魔力が一斉に彼女の正面へ吸い寄せられていった。
ヴェルデは思わず目を細めた。
相変わらず集めている量がおかしい。
昔から魔力量だけは新人離れしていたが、今のそれはもう、単に多いという言葉では片づけにくい。普通なら術式のどこかが先に悲鳴を上げるような密度まで魔力を押し込みながら、それでも魔法陣は崩れず、暴れようとする力だけが綺麗に前方へ整えられていく。
しかも、あれでまだ絞っている。
そう気づいた瞬間、ヴェルデはなんとも言えない顔になった。
「願いを花に、希望を光に――」
短い詠唱が通ると同時に、幾重にも重なった魔法陣の中心が眩く収束し、そこだけ空気の輪郭が歪んで見えるほどの圧力が生まれる。
「《フローラル・ノヴァ》!」
発射というより、解放だった。
押し留められていた莫大な魔力が一条の桃色の奔流となって撃ち出され、地面すれすれを貫く光が周囲の塵や小石までまとめて巻き上げながら怪異へ突き刺さる。さっきまで西多摩の魔法少女たちが何人がかりでも押し切れず、障壁と誘導を重ねてようやく足止めしていた超級怪異が、その一撃を正面から受けた途端に大きく仰け反り、抵抗する間もなく光の中へ呑み込まれた。
怪異の巨体が地面を抉りながら後方へ押し流され、岩盤を砕き、さらに数十メートル先まで桃色の光を引きずっていく。やがて奔流が収まった時には、そこに残っていたのは深く抉れた地面と、熱を帯びて揺らぐ空気だけだった。
昔、自分が教えていた頃のひよりは、あれほど大量の魔力を集めれば制御しきれずに術式を崩していたし、そもそも攻撃に変換することすら満足にできなかった。
今は、それを当たり前のように一本へ束ねて撃つ。
しかも市街地でも使えるよう、必要以上に広げず、余計なところへ散らさず、狙った範囲だけを消し飛ばしている。
火力より、むしろそちらの方がよほど怖い。ヴェルデはようやく息を吐いて、何事もなかったように杖を下ろしたフローラを見た。
「……相変わらず、加減ってものを覚えないな」
「してますよ。今の、かなり絞りました」
本気でそう言っているらしい。
ヴェルデは小さく息を吐きながら、少しだけ遠い目をした。
ひよりは今でも自分のことを師匠と呼ぶけれど、実際のところ、そこまで大層な関係ではない。もともと家が近所で、魔法少女になる前から顔を知っていた子が、たまたま自分と同じ道へ入ってきた。だから、現場での立ち回り方や魔力制御の基礎を教え、訓練や実戦に付き合っただけで、少なくともヴェルデ自身はそう思っている。
とはいえ、その関係は短期間のものではなかった。ひよりが魔法少女になってから、ヴェルデが西多摩へ転属するまでのおよそ一年間、訓練でも実戦でも顔を合わせる機会は多く、最初のうちはほとんど付き添うようにして現場へ出ることもあった。
それでも、ヴェルデ自身は一人で上級怪異を安定して倒せるようなタイプではない。だからこそ、今や超級怪異を一撃で吹き飛ばす後輩から、昔と変わらず師匠と呼ばれることには、どうにも妙な気恥ずかしさが残っていた。
戦線を維持することは得意だったし、避難経路を確保したり、味方を守りながら時間を稼いだりすることにも自信はある。けれど、目の前の怪異を圧倒的な火力でねじ伏せるような戦い方は、最初から自分の領分ではなかった。フローラの前で超級怪異を倒したこともあるにはあるが、あれだって自分一人の力ではなく、まだ新人だったフローラが必殺技の回復魔法を何度も重ね掛けし、傷も疲労も無理やり押し戻してくれたから最後まで立っていられただけだ。
そのはずなのに、当時面倒を見ていたその新人は、今では魔境とまで呼ばれる北多摩の中でも最強と名高く、全国規模で名前が挙がる魔法少女になっている。一対一で高ランク怪異を相手にした時の安定感だけでなく、《フラワーゲート》による圧倒的な機動力、知名度、討伐数、そのどれを取っても全国クラスで、単純な出動回数だけなら毎月のようにトップへ名前が載る。
今では他地区から名指しで応援要請が飛び、現地の主力が何人がかりでも押さえ込むのが精一杯だった超級怪異を、到着して早々一撃で吹き飛ばすところまで来ていた。
しかも、その本人は昔と変わらない顔でこちらへ駆け寄ってきて、少し嬉しそうに声をかけてくる。
「師匠、お久しぶりです!」
ヴェルデは一瞬だけ黙ってから、どうにもおかしくなって苦笑した。
「……やばいやつに慕われたなあ、私」
フローラはきょとんとした顔をした。
もちろん、本人に悪気があるわけではないし、ヴェルデだって本気で困っているわけではない。ただ、こうして超級怪異をほとんど一撃で吹き飛ばした直後に、昔と変わらない顔で「師匠」と呼ばれると、どうしてもその言葉の重さに違和感があった。
昔は確かに教えることがあった。魔力を使い切る前に残量を見ること、敵だけではなく周囲の避難状況を確認すること、強い技ほど撃つ場所を選ぶこと、味方がいるなら一人で全部抱え込まないこと。新人だったひよりは魔力こそあったものの、実戦経験は当然ほとんどなく、少し目を離せば自分の魔力量に任せて無茶をしかねなかったから、ヴェルデが横について止める意味も十分にあった。
けれど、それもずいぶん昔の話だ。
今のフローラは、一対一で超級怪異を相手にする程度ならほとんど危なげがなく、それ以上の災害級怪異でさえ単独討伐が視野に入る。しかも、いつの間にか特にこれといった理由もなく獲得していた覚醒フォームでは出力そのものがさらに跳ね上がり、正面からの火力勝負でも全国でも上位に入る。
それだけではない。《フラワーゲート》による圧倒的な機動力、市街地でも使えるほど細かい出力制御、救助と防御を同時にこなせる対応力まで揃っているのだから、全国規模で名前が挙がるのも当然だった。
何度、「いや、お前もう私に教わることないだろ」と言いたくなったか分からない。
実際、一度くらいは本人にも言ったことがある。するとフローラは、何を言っているのか分からないという顔をして、
「ありますよ。師匠に教えてもらったこと、今でも普通に使ってますし」
と返してきた。
ヴェルデからすれば、それは昔教えた基礎を今でも覚えているというだけの話なのだが、ひよりにとってはそうではないらしい。自分の戦い方の根っこを教えた人。だから師匠。
それで話は終わっている。その評価は、どうも今後も変わりそうになかった。おかげで、ヴェルデ自身まで妙な知名度を得ることになった。
「あのラブリー・フローラの師匠」。
この肩書きは本人が思っている以上に強かった。
フローラが全国的に有名になるにつれて、ヴェルデのところへ来る取材も目に見えて増えた。もっとも、ヴェルデ自身も西多摩では名の通った魔法少女なので、それ以前から地域紙や防災番組、活動紹介の取材を受けることはあった。
ただ、量と規模がまるで違った。
以前なら地域イベントから時々声がかかる程度だったものが、フローラの知名度が上がってからは、雑誌、テレビ、配信番組、地域広報と立て続けに話が来るようになった。聞かれる内容も、ヴェルデ自身の活動より、幼い頃のフローラはどんな魔法少女だったのか、最初から強かったのか、《フローラル・ノヴァ》はどうやって生まれたのか、今のフローラを見てどう思うのか、といったものが中心になっていった。
最初の頃は何度か断っていたのだが、地区本部から「せっかくだから」と頼まれ、気づけば雑誌のインタビューを受け、ドキュメンタリー番組に短く出演し、しまいにはフローラと二人並んで広報イベントに出たことまである。
そのたびに司会者から、
「フローラさんの師匠として、やはり当時から才能を感じていましたか?」
などと聞かれる。
ヴェルデとしては、才能があったこと自体は否定しない。魔力量は最初から明らかにおかしかった。
ただ、当時の印象を正直に言えば、
「回復魔法のすごい新人が来たな」
くらいのものだった。まさかそこから本人が「切り札らしくない」という理由で無属性砲撃を作り始め、数年後には超級怪異を一撃で吹き飛ばすようになるとは思っていない。
そんなことを正直に話すと、なぜか「師匠だからこそ才能を型にはめずに伸ばした」という美談に編集される。
違う。本人が勝手に伸びたのだ。ヴェルデは何度そう思ったか分からない。
それでも、嫌ではなかった。
面倒ではある。
妙に持ち上げられるのも落ち着かないし、「フローラの師匠なら相当な実力者なんですね」と言われるたびに、自分は一人で上級怪異を相手にするだけでもかなり慎重になるんだけどな、と思う。
けれど、それでも。目の前にいるのは、昔から知っている可愛い後輩だった。力の扱い方も分からず、訓練場で何度も魔力を暴発させ、回復魔法を褒めれば不満そうな顔をして、「もっと切り札っぽい技が欲しい」と真剣に言っていた少女。
それが今では、本当に誰かの最後の切り札として呼ばれるようになっている。
ヴェルデは、まだこちらの言葉の意味が分かっていないらしいフローラの顔を見て、もう一度だけ苦笑した。
「いや、なんでもない。来てくれて助かったよ、ひより」
そう言うと、フローラはようやくいつものように笑った。