ガートルード・ロックハートの慨嘆 作:スマイル
次の授業でもロックハートは生徒に徹底的に「闇の魔術に対する防衛術」を叩き込んだ。四寮別々のクラスに分かれ、より指導はきめこまかくなった。
「ピクシーが三十匹いようと、杖を渡してはなりません!杖と腕を死守しなさい!」
「フィネガンさん、杖をただ振り回してはいけません!足を動かし腕の動きは最小限に!逃げる、隠れる、距離を置く、最後の手段が杖です」
「グレンジャーさん、素晴らしい詠唱です!が、必ずしも長く難しい呪文を唱えれば良いわけではない。短く容易に確実に、がベストです」
「ロングボトムさん、君は落ち着けばできる。もっと自分を信じなさい。……いえ、君は自分を否定することに慣れすぎていますね。私を信じてください。落ち着いて深呼吸して。私があなたは大丈夫だと確信しています。もしあなたが失敗しても、私はあなたを笑いません。――――そう!その調子です!」
ロックハートは、明快な指導と巧みな話術で、たちまち生徒の支持を勝ち取っていった。嫌味なドラコ・マルフォイですら、ロックハートを堂々とけなすことはなかった。
そんなある日の昼、
「ポッター、ウィーズリー、そこにいましたか。今晩夜八時に処罰です」
ハリーとロンは、寮監のマクゴナガル先生に呼び止められた。二人は学期初日に重大な魔法界のルール違反をやらかしたことで、学校長直々に次は退学だと警告をくらい、ロンの父親が役所に尋問に呼び出されさえした。
「ウィーズリー、あなたはフィルチさんと一緒にトロフィールームで銀磨きです。魔法はだめですよ、自分の力で磨くのです。――ポッター、あなたはロックハート先生がお呼びです。先生のオフィスに向かいなさい」
ロンは絶望と羨望を剥き出しにしてハリーを睨んだ。
「不公平だ」
マクゴナガル先生が去ると、ロンはぶつくさナメクジを吐きながら言う(マルフォイとのいざこざのすえ、ロンはナメクジを吐く呪いを食らっていた)。
「……いつでも代わってやるよ。マグル式の掃除なんてダーズリーのところでさんざん訓練されてるからさ」
「ハリー、正気か?あんな美人の先生と二人きりなのに?」
信じられないといった調子でロンが言う。ナメクジがこぼれる。
「だって、いったい何されるかわからないもの。書き取り罰則か何かで、また呪いの紙に名前を書かなきゃいけないとしたら……」
ハリーは、ロックハートが自分を見るときの、まるで獲物を狩るような鋭い光がいつも怖かった。
「そんなことするわけないだろ。なんかすっごい冒険譚とか聞かせてくれるかもしれないぜ。授業では聞かせてくれないようなさ」
ロンはばしばしハリーの背中を叩いた。ハリーはとぼとぼロックハートの部屋に向かい、扉をノックした。
「どうぞ」
異様な部屋だった。壁には額入りのロックハートの写真が数えきれないほど飾ってあり、たくさんの蝋燭に照らされて輝いていた。どの写真も世界のあちこちの景色で、色とりどりのローブや、色とりどりのマグルの衣装を着ていた。アルプス地方のディアンドルにロシアのサラファンにアジアのアオザイにチマチョゴリにキモノ、エジプトのガラベーヤ、南米もオセアニアの島々も――男性の着るようなタキシードも、マグルの流行の服も。
「世界各地を巡るたびに、その地のゆかりの衣装を着て最高の一枚を撮ることにしているんです。最も美しく映える私を知りたくてね。魔法族のファッションはマグルと比べると単調ですから、写真のほとんどはマグルの服ですが」
曖昧な声で相槌を打って、ハリーはロックハートを見る。相変わらず完璧に均整の取れた顔だ。ロックハートは椅子にもたれて頭の後ろで手を組んでいた。そしてロックハートの机には、羊皮紙の束が山と積まれている。
「ちょうどファンレターの返事を書こうとしていたところでね――おっと、触ってはいけませんよ。呪いの手紙がいつものように混ざってますのでね」
机に近づくハリーを静止して、ロックハートは何の変哲もなさそうな手紙を次々指差す。
「これは私が足の小指をぶつけやすくなる呪い、こっちは私が自分の名前を書けなくする呪い、そっちは私の心を思いのままにする呪い、これは私の顔をぐずぐずに溶かす呪いですね。なんともご丁寧に」
ぞっとしてハリーは呟く。
「……誰がそんなことを?」
「私に嫉妬をする女、目立つ女がいけすかない男、私を独占したい熱狂的なファン、私を独占できないことで逆上するストーカー、エトセトラ、エトセトラ」
顔をしかめるハリーに、ロックハートは肩をすくめる。
「私のような人間にとっては生まれた時から当たり前の呪いですよ。美人税、近ごろは有名税。十二歳の少年とはいえ、英国一の有名人の君も、恨み辛みを買う経験はないのですか?」
ハリーは少し考え、首を横に振る。去年はヴォルデモート卿がらみで
三頭犬に噛み殺されそうになったりトロールに殴り殺されそうになったりクィレル教授に呪い殺されそうになったりしたが、すべて宿敵ヴォルデモート卿と親友ハグリッド絡みだ。マグル界のダーズリーの家にいたときのほうが手ひどく虐められていた。
「ふむ、校長が守ってくれたこともあるのでしょう。それはさておき。これは後で処理します」
ロックハートは立ち上がり、杖を振った。羊皮紙の山が掻き消える。笑顔を浮かべる。
「さあハリー、罰則の時間です。とんだ悪戯小僧ですね。車を飛ばすだなんて、ハリー、私でさえ、いくらなんでも目立つためにそこまで大それたことはしなかった」
ロックハートは皮肉に笑う。ハリーは、ロックハートが自分を名前で呼んでいることに気づいた。
「先生、仕方なかったんです、ホグワーツ特急に乗れなくて、それで」
「ええ、ええ、わかってますよ」
ちっとも分かってなさそうだ。ハリーは少しむかついた。
「しかし君はより賢明な解を、マクゴナガル教授に言われるまで思いつこうとしなかった。君は目立ちたくはなくても明快で爽快で冒険心をくすぐられる道に飛びついてしまった。散々されただろう説教を繰り返すとポッター、『防衛術』のテストなら落第です。君は最も死ぬ可能性が高い選択を進んで選びました。くわえて親友の父を牢獄に送るところでしたね。ハリー・ポッターとウィーズリー家の名が無ければそうなってもおかしくはなかった」
ハリーは縮こまる。
「とはいえ二年生の私はもっと愚かでしたから、私であれば羨ましいと思ったことでしょう。小言はおしまいです」
ハリーはほっとする。
「それで罰則ですが――私の授業を手伝ってもらいます」
「え?」
「ホグワーツ生は、まして英国一有名の君は、ちょっとした罰で反省などしないでしょう。なので、私が得になり、君にとって面倒で怖くあるが得になるかもしれないことをやります」
ロックハートが杖を振ると、机が片付けられ、壁が消え、あたりの景色が寂れた山村のようになった。
「君には次の授業の助手になってもらいます。私が今から怪物の
ロックハートが言う間に、巨体の二足歩行の怪物が目の前をドシドシ駆けてきて、棍棒をハリーに向けてフルスイングした。ハリーはかわす間もなく、棍棒を叩きつけられた――が棍棒はマシュマロのように崩れ、何も起きなかった。怪物の姿もかき消えた。
「ふむ。君は以前、トロールを撃退したことがあると聞いていましたが。そのときはどうしましたか?」
目を細めるロックハートに、ハリーはハーマイオニーと友達になったときの記憶をたどる。
「えっと、『
「なるほど、たしかに有効です。しかし武器を持った敵には、より確実で基本的な手段がある――『
赤い閃光がハリーを包むやいなや、杖がハリーの手を離れクルクル舞い、ロックハートの手におさまった。
「この呪文をまず皆さんに習得してもらいます」
そこからハリーは何度も何度も怪物に襲われつづけた。ロックハートは、ハリーがトロールの棍棒をかわして「武装解除呪文」を当てられるようになったのを見ると、ようやく満足したようにうなずいた。
「優秀な反射神経ですね」
しかしまだロックハートは満足せず、たっぷり二時間、ロックハートの本のまる二章ぶんの足跡をハリーはたどらされることになった。
「授業の準備は十分でしょう。お疲れ様でした」
ようやくロックハートが手をポンとたたくと、部屋の景色が元に戻り、壁じゅうのロックハートの写真が一斉にハリーに向けて拍手した。ロックハートは「魔女かぼちゃジュース」の瓶を開けてハリーに渡した。汗だくのハリーは一息に飲み干した。
「といっても、帰るまえに、おしゃべりをしましょうか。実を言うと、君と一度お話をしたくて呼びました」
ロックハートは椅子に腰かけ、頬杖を突いた。ハリーも疲労困憊で口をきけなかったが、のろのろ椅子に座る。
「思い出させたくないことを聞きますが――教師や大人の立場を捨てて、ガートルード・ロックハートとして、私は是非聞いておきたい。君が『有名』になったきっかけについて」
ロックハートはハリーの瞳を見つめた。ブルーの瞳が燃えさかる。
「君はたしかに『闇の魔術に対する防衛術』の才能があるでしょう。クラスで一番を取ることもできるはずだ。しかし――現時点では私を殺せるとは思えない。十年前ならなおのこと」
ロックハートは身を乗り出した。
「つまり君は、なぜ『名前を言ってはいけないあの人』相手に生き延びてあまつさえ退けることができたのでしょうか?誰にもできない偉業を赤子の身で」
「分かりません。ただ、母さんが僕を守ってくれたおかげだと、校長先生から聞きました」
ロックハートは姿勢を戻し、薄ら笑いを浮かべ、固い声で言う。
「……ふむ。――君のお母様リリーは、寮と学年が違えど私も知っています。とても優秀な魔女でした。知らない者はいなかった。美しく優しく明るく賢く首席で人気者。誰もが彼女を好きだった。私にもよくしてくれました」
ロックハートは首をかしげた。
「では、君は当然、そのときのことは『憶えて』はいない?」
「はい、あの、なにか緑色の光がすごく眩しかった覚えはあるんですが」
「……まあ、一歳の頃だ、そんなものでしょう」
ロックハートは机に背を向け、続けた。
「……では、昨年の学年末のことは覚えていますか?君はクィレルが――その――どういうことになったのか、目撃したのですか?」
「クィレルは僕を殺そうとして――それで僕が必死で手をつかんだら――『愛の護り』で焼けただれて――」
「――もう良いです、ありがとう。すまなかった」
ロックハートは遮った。
「……ロックハート先生は、クィレルの友達だったんでしたっけ」
「押し花が好きな、繊細で臆病な子だった。美人よりもトロールとマグル学が好きだった。あいつも『半純血』だった。注目されたがっていた。レイブンクローの外れ者だった」
ロックハートは懐かしむように言った。ハリーはとつぜん気づいた。もしかしてクィレルは僕が殺した?
「あいつは、最後に、君とどんなことを話していたのかな、ハリー?」
「えっと……たしか、『世の中には、善と悪があるのではなく』……『力と、力を求めるには弱すぎる者が存在するだけなのだ』とか」
ロックハートは溜息をついた。
「愚かな」
「……」
「愚かだ。どうして『例のあの人』では――」
そのとき不意に、ハリーの耳に何かが聞こえた。
「来るんだ……。俺様のところへ……引き裂いてやる……八つ裂きにしてやる……殺してやる……」
骨の髄まで凍らせるような声。息が止まるような、氷のように冷たい毒の声。
「なんだって?」
ハリーは飛び上がって叫んだ。
「えっ?」
ロックハートは不思議そうに聞いた。
「あの声!聞きましたか!」
「どの声です?」
「あれです――いまの――聞こえなかったんですか?」
ロックハートは唖然としてハリーを見た。
「いったい何のことかね?何を聞いたのですか?」
「なにか――冷たい声が……『八つ裂きにしてやる……殺してやる……』って……!」
「ふむ」
ロックハートは顎に手を当てた。
「ハリー、本当のことを言っていますよね?」
「僕――嘘じゃないです!」
「はっきりと聞こえた?」
「はい」
「こういうことは初めてですか?」
「ええ」
ハリーはいらいらして答えた。ロックハートは杖を抜いて突如叫んだ。
「
そして杖を扉に向ける。
「
銀色の何かがロックハートの杖から噴き出た。
ハリーは唖然としてロックハートを見つめた。
「ハリー・ポッターにまつわることですのでね、緊急措置を取るよう命じられています」
ハリーの口がさらに大きく空いた。部屋に、長い銀色の髪と髭をたたえた老人――世界最強の魔法使いと称されるホグワーツ校長アルバス・ダンブルドアその人が立っていた。
「何があったのかね、ガートルード」
「無礼をご容赦ください。私が校長室に連れていくよりも速く安全と考えました。それに校長がここを監……見守っていなかった場合は、私の無実を証明する手立てが乏しいもので」
ロックハートはハリーを手で示した。
「ポッターさんが、たったいま、私に聞こえない恐ろしい声を聞いたとか。――ハリー、もう一度思い出せますか?」
「えっと――『来るんだ……。俺様のところへ……引き裂いてやる……八つ裂きにしてやる……殺してやる……』」
「……」
「君が嘘をついておらず、私も嘘を付いておらず、私の聴力に問題が無く、君の幻聴でないとすれば、君にしか聞こえない声が聞こえた。君に何か呪いがかかっているか、この部屋の外で誰かを八つ裂きにしてやりたい何かが君にしか聞こえないような形で物を言った」
「ありがとう、ガートルード、ハリー」
ダンブルドアは短く述べると、杖を取り出し、部屋がまばゆい白い光に包まれた。ハリーも壁中のロックハートの写真も目を手で覆う。
「わしの見たところ、ハリーに呪いはかかっていない。また、近くに何者かが潜んでいるとも検知できない」
「であれば取り越し苦労でしたかね」
「何とも言えぬ」
「グリフィンドール塔へは私が引率します」
「うむ」
「明日は不要で?」
「そうじゃな」
矢継ぎ早のダンブルドアとロックハートの応酬に、ハリーは混乱した。
「様子を見ましょう、ハリー。単に疲れていた可能性もある」
ロックハートは部屋の扉を開けた。冷たい空気が流れ込む。ハリーはぼうっとしながら、外に出る。
「油断大敵とは言いましたが、このホグワーツに危険な殺人鬼が潜んでいるとも考えにくい」
――しかし、翌月のハロウィーンの夜。
ハリーは廊下で再び残忍な声を聞いた。
『引き裂いてやる……八つ裂きにしてやる……腹が減ったぞ……こんなに長い間…………殺してやる……殺す時が来た……血の臭いがする……血の匂いがするぞ!」
秘密の部屋は開かれたり
継承者の敵よ、気をつけよ
壁に恐ろしい文字が鈍い光を放って塗り付けられ、ホグワーツ管理人の飼い猫が、松明の腕木に尻尾を絡ませてぶら下がっているのを、ハリーは目の当たりにした。
硬直した猫を前に硬直するハリー。ハロウィーン・パーティを終えて階段を上ってきた生徒の群れもまた、それを見て硬直する。
「継承者の敵よ、気をつけよ!次はおまえたちの番だぞ、『穢れた血』め!」
静寂を突き破ってスリザリンの宿敵ドラコ・マルフォイの声が響き渡る。ホグワーツの日常は崩れ落ちた。
※原作ではロックハートの罰則が一週目の土曜にあるため、「次週の授業」の後に設定したのはミスであるが、話の展開に影響が無いため、そう設定する。