三日後の午後、零は両親と一緒に小会議室へ入った。
以前、榊原から福岡で漏れた魔力について説明を受けた部屋とは別だったが、机を挟んで大人と向かい合う形はよく似ている。ただ、今日は医療担当も研究担当もおらず、先に来ていたのは榊原と凛だけだった。
「急に呼んですまない。今日は検査でも、治療の話でもない。君と橘彰人、天海裕太――三人の今後の訓練と保護体制について、日本支部から一つ提案がある」
全員が座るのを待ってから、榊原は机の上の資料を零たちの方へ向けた。表紙には三人の名前と、その下に九条凛の名前が並んでいる。
「現在、三人はそれぞれ必要な訓練を受けている。結城と天海は九条が中心になって見ているが、橘には引き続き黒岩が個別指導に入っている。今回の話は、それを全部九条へ一本化するものではない」
黒岩の名前が出て、零は資料から榊原へ目を移した。
「個別に適した指導は今まで通り続ける。その上で、三人に共通する安全管理、共同訓練、緊急時の連絡と判断を九条の下へまとめたい。何かあった時、全体を誰が見て、誰が止めるのかを最初から明確にしておくためだ」
榊原が一枚めくった。
「正式化する場合、内部での呼称は『九条班』を予定している」
「それ、もう名前まで決まってんの?」
それまで黙っていた凛が顔をしかめる。
「責任者が君だからな」
「それは分かるけどさ。もうちょい何かなかったの? 三人の名前から取るとか」
「分かりやすさを優先した」
「だからって名字そのままは雑じゃない?」
達也が小さく咳をして顔を逸らした。笑ったのを隠したらしい。佳奈も口元へ手を当てているが、榊原だけは表情を変えない。
「名称への異議は後で聞こう。先に中身を説明する」
「はいはい。どうせ変える気ないんでしょ」
「検討はする」
「それ絶対変わらないやつじゃん」
凛はぼやきながらも、それ以上は止めなかった。
榊原は資料へ視線を戻す。
「九条班になったからといって、三人へ任務義務が生じることはない。通常の実働部隊へ編入する話でもない。個別訓練は必要な担当者の下で続け、三人で行う意味があるものだけ共同訓練にする。学校、家庭、休養の扱いもこれとは別だ」
そこでページの一箇所を指で押さえた。
「もう一つ重要なのは、本人の意思だ。参加するかは三人それぞれに確認する。断った場合も、現在受けている保護や必要な訓練を打ち切ることはない」
「……入らなくても、翼とか魔力の訓練は続けられるんですか?」
「ああ。参加を保護や訓練の条件にはしない。断ったからといって、今まで受けていたものを取り上げることもない」
その答えを聞き、零はもう一度資料を見る。
翼の動かし方も、魔力を漏らさない練習も、まだ一人ではどうにもならないことが多い。それを失うなら「選べる」と言われても、実際には断れなかった。
隣で資料を読んでいた達也が、少し間を置いて口を開く。
「班にまとめることで、事件現場へ出る機会が増えるんでしょうか。今までより三人で動かすことが増えるなら、そこは先に知っておきたいです」
「自動的には増えません。何かへの協力を検討する場合も、その都度、必要性、安全条件、本人の意思、保護者への説明を確認する。『九条班だから行く』だけを理由に未成年を現場へ出すことはしません」
「じゃあ、今までと一番変わるのは、三人で何かする時の責任者が最初から決まってることなのね」
佳奈が資料から顔を上げると、今度は凛が答えた。
「それが一番近いかな。零と天海は今までもアタシが見ること多かったけど、彰人には黒岩さんがいるでしょ。彰人までアタシが全部教えるわけじゃない。三人で訓練する時とか、何かあった時に、全体を見て止める役をアタシに決めとくって感じ」
「表現はかなり砕けたが、概ねそうだ」
「そっちの説明より分かりやすかったでしょ?」
凛が零へ聞いてきたので、零は少し迷ってから頷いた。
「……ちょっとだけ」
「ちょっとか」
榊原は気にした様子もなく、次のページへ進んだ。
零は資料に並ぶ名前を見る。
結城零。橘彰人。天海裕太。
見慣れた二人の名前なのに、自分と同じ枠の中へ並べられていると少し違って見えた。
「……天海さんも、同じなんですよね」
「三人へ同じ提案をしている」
「同じ班になったら、訓練もずっと一緒になるんですか?」
「いや。能力も課題も違うから、個別にやるべきものは分ける。共同でやる必要がある時だけ三人を揃える」
零は膝の上で手を組み直した。
聞きたいことはもう一つあった。
「僕が……天海さんと一緒にやるのは、今日はちょっと無理だって思ったら?」
隣の佳奈がこちらを見たが、何も言わなかった。
榊原も質問の意味を聞き返さなかった。
「その時は九条へ伝えてくれ。別日にするのか、内容を変えるのか、そのままでも参加できる方法があるのかを考える。逆に、嫌だと言っただけで何もかも別にするわけでもない」
凛も零を見る。
「アタシが間に入るから、その時は普通に言えばいいよ。同じ班っていっても、四六時中四人でくっついて仲良くしろって話じゃないし」
「九条さんも、ずっと一緒は嫌なんですか?」
「そりゃ嫌でしょ。アタシだって一人の時間ほしいよ。何で仕事終わった後までアンタら全員といなきゃなんないの」
あまりに普通の返事だったので、零は思わず笑った。
「そこまで言わなくても」
「大事なことだから言ってんの」
榊原は二人の会話が切れるのを待ってから、資料を閉じた。
「今日ここで返事を出す必要はない。家で資料を読み直してもいいし、気になることが増えればもう一度聞きに来てくれて構わない。途中で状況が変われば、参加の仕方そのものを見直すこともできる」
*
部屋を出た後、達也も佳奈もすぐに賛成とも反対とも言わなかった。
三人で廊下を歩き、角を一つ曲がったところで達也が零を見る。
「どうだった? 聞く前よりは分かったか?」
「うん。入らなくても今の訓練がなくならないって分かったのは、ちょっと安心した。でも……まだ決めきれてない」
「なら今日はそれでいいだろ。夜にでも資料もう一回見るか」
達也はそれ以上聞かず、佳奈が横から時計を見た。
「その前にお昼にしない? 説明長かったから、もうこんな時間」
「僕、先に共用スペース寄ってもいい?」
「二人に聞いてみたい?」
「……うん」
「じゃあ行っておいで。私たちは先に食べてるから、終わったら来なさい」
「分かった」
二人と別れ、零は居住区の共用スペースへ向かった。
奥の小さな娯楽スペースからゲームの音が聞こえてくる。棚の仕切りを抜けると、彰人がソファへ寝転がり、裕太は低い机で携帯ゲーム機を触っていた。
「お、零じゃん。やっほー。そっちも説明終わった?」
彰人が片手を上げる。
「うん。大体は」
「九条班のやつだろ? 俺、午前中に父さんと聞いた」
「橘くんも今日だったんだ」
「そうそう。黒岩さんの訓練は今まで通りって聞いたから、俺はそんな変わんないかなって感じだったけど」
「俺は昨日です」
裕太もゲーム機から顔を上げた。
「個別の制御訓練は今まで通り九条さんが中心で、三人でやる時だけ班としてまとめるって説明でした」
「二人とも、もう決めたの?」
零は前にゲームをした時と同じ椅子を引き、翼の後ろが空くよう少し向きを変えて座った。
「俺は入る。その場で返事した」
「その場で?」
「父さんが『任務になるなら話は別だけど、今の訓練まとめるだけならいいんじゃないか』って。俺もそう思ったし、あとで返事しに行くの面倒じゃん」
「最後の理由がひどい」
裕太がゲーム機を閉じながら言う。
「何だよ。天海は?」
「俺は一晩考えました。能力の制御はまだ必要だし、今まで九条さんに見てもらってたところも変わらない。それなら、入らない理由も特になかったので」
「ほら、普通は一晩くらい考えるんだって」
「別に彰人がおかしいとまでは言ってない」
「今、呼び方より顔の方が完全に言ってたぞ」
彰人が身体を起こすと、裕太は「知らない」とでも言いたげにケースへゲーム機をしまった。
零は二人を見ながら、さっき資料の中に並んでいた名前を思い出した。
「共同訓練って、何やるんだろう」
「俺、それちょっと楽しみなんだよな。三人で模擬戦とかやんないかな」
「最初から殴り合うわけないだろ。というか、俺はお前と近距離で模擬戦とか絶対嫌だぞ」
「じゃあ逃げればいいじゃん」
「誰からだと思ってんだよ」
「俺」
「だから無理だって言ってんの!」
彰人が笑い、零もつられて口元を緩めた。
「僕も模擬戦はまだ嫌だな。翼、動かすだけでもたまに変な方向行くし」
「じゃあ最初は別のだろ。九条さんもいきなり危ないのやらせないって」
「僕も、安全なのからって聞きました」
裕太はそう言っただけで、零へ「入った方がいい」とは続けなかった。
しばらくすると彰人がソファへ座り直し、次のゲームでも探すようにテーブルの上へ目を向ける。裕太もケースを鞄へしまった。
二人と話してみても、急に迷いが全部なくなったわけではない。
それでも、資料の上だけにあった「九条班」という言葉が、さっきよりは少し普通のものに思えた。
*
翌朝、訓練室へ入ると、凛は床へ座って端末を見ていた。
「九条さん。昨日の話なんですけど」
「んー?」
凛は画面を指で送ったまま返す。
零は入口で一度足を止めたが、そのまま近くまで歩いた。
「僕、入ろうと思います」
そこで凛が顔を上げた。
「九条班?」
「はい。父さんと母さんとも話しました。……まだ天海さんと一緒にやるのが何でも平気ってわけじゃないです。でも、ずっと一緒じゃないって分かったし、それだけで入らないのも違うかなって」
凛はしばらく零の顔を見てから、端末を持ち直した。
「そっか。じゃあ『参加する』で支部長に返しとく。あと、無理な日は無理って言えよ。昨日の説明、そこも込みなんだから」
「はい」
「班に入るって返事と、何でも平気ですって返事は別だからね。そこ勝手に一緒にすんなよ」
「分かってます」
「ならいい」
凛は端末へ返事を入力してから立ち上がった。
「で、今日の翼訓練は九条班と関係なく普通にやる。昨日説明聞いたからって、いきなりメニュー変わったりしないから」
「そこまでは思ってないです」
「なら準備して。昨日より一回多く往復するよ」
「増えてるじゃないですか」
「班と関係なく増やしたの」
「もっと嫌なんですけど」
凛が笑ったので、零も仕方なく準備へ向かいかけた。
そこで、昨日から一つ気になっていたことを思い出す。
「そういえば九条さん、九条班って名前、本当に嫌なんですか?」
「まだその話する?」
「ちょっと気になって」
凛は露骨に嫌そうな顔をした。
「嫌ってほどじゃないけどさ。アタシの名字そのままって、何か責任全部押しつけられてる感じしない?」
「責任者なんですよね?」
「零まで榊原側につくの?」
「別にどっち側でもないです」
「じゃあ笑うな」
言われて、零はようやく自分が笑っていたことに気づいた。
*
三人と保護者から正式な返事が揃ったのは、その日の午後だった。
夕方、零が訓練室へ入ると彰人と裕太もすでに来ている。凛は三人を待ってからホワイトボードの前へ立ち、ペンの蓋を外した。
「はい、支部長から正式に来た。三人とも参加で確定。今日からアタシが共通責任者になる。個別訓練の担当は今まで通りで、三人で動く時と緊急時だけアタシが全体を見る」
そこまで一息で言ってから、凛は嫌そうな顔でホワイトボードへ四文字を書いた。
九条班。
「で、内部名がこれ」
「結局それなんすね」
彰人がすぐに笑う。
「言うな。アタシも今日一日で諦めかけてる」
「でも一番分かりやすいですよ。九条さんが責任者なら、他の名前にする理由もあんまりないし」
「天海、お前完全に榊原側だな」
「だから何側なんですか、それ」
三人の声を聞きながら、零はホワイトボードの四文字を見た。
名前がついたからといって、昨日までのことが変わるわけではない。裕太を見れば、福岡で青白い光に襲われた時の記憶はまだ残っている。
それでも、ここへ入ると自分で答えた。その結果として書かれた名前なら、昨日資料で見た時より少しだけ近く感じた。
凛がその下へ、新しい予定を書き足す。
『来週 共同訓練』
「来週、最初の共同訓練やるから。先に言っとくけど、班になった瞬間から三人が上手く動けるなんて思ってない。何ができて、どこで被るかを見るところから始める」
「何やるんすか?」
「それは当日まで言わない」
「そこまで隠す必要ある?」
「アンタ、先に聞いたら絶対対策するでしょ」
「そりゃしますよ」
「だから言わないの」
彰人が「えー」と不満そうな声を出し、裕太が横で笑った。
凛はペンを置くと、三人を順に指差す。
「で、今日は今まで通り。零はこのあと翼、天海は同時制御。彰人は四時から黒岩さんと切り替えだったでしょ。班になったからって、個別まで全部アタシに持ってこないでよ」
「九条さん、俺のことまで見るのそんな嫌なんすか?」
「そういう意味じゃない! 黒岩さんの仕事取ってどうすんだよ!」
「じゃあ今度、黒岩さんにも聞いてみます」
「余計なことすんな!」
彰人が笑いながら時計を確認し、荷物を持って立ち上がる。裕太も自分の訓練端末を取り出し、零は翼を広げられる位置へ移動した。
名前がついても、始まったのはそれぞれのいつもの訓練だった。