エマージェント   作:kyomu

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第二十一話「三人分」

 共同訓練の日、零が訓練室へ入ると、いつもの広い床が見慣れない配置に変わっていた。

 

 左側には腰ほどの高さの支柱が並び、それぞれに色の違う柔らかな輪が掛けられている。反対側には透明な輪と小さな受光板が高さを変えて吊られ、部屋の外周には番号のついた床センサーが六枚置かれていた。その三つの課題に挟まれるように、中央だけが黄色い線で四角く囲われている。

 

 彰人はすでに来ていて、番号を確認するように床のセンサーを順番に見て回っていた。凛は壁際で端末へ何かを入力している。

 

「共同訓練って聞いて、もっと模擬戦みたいなの想像してたんすけど。これ、いつもの訓練をくっつけただけじゃないですか?」

 

「だいたい合ってる。アンタら実働隊じゃないんだから、まだ三人で戦う練習する理由ないでしょ」

 

 凛は端末から顔を上げ、左の支柱から右の受光板まで順番に示した。

 

「今日は『同じ場所で安全に能力を使えるか』を見る。零は翼で輪を外して、同じ色の支柱へ掛け直す。彰人は番号順に床センサーを踏む。《倍化》を使っていいけど、指定された停止枠では完全に止まること。天海は低出力の光球を三つ出して、右の輪を順番に通して受光板へ当てる。全部、普段やってる内容の少し簡単な版」

 

 そこへ裕太も入ってきた。説明の途中だと気づくと、三人の側へ回って吊られた輪を見上げる。

 

「それを三人同時にやるんですか?」

 

「そう。個別の出来だけなら、今さらここで見る必要ないからな。今日は三人分の動く場所が、同じ部屋にあると思って」

 

 彰人が中央の黄色い四角を見る。

 

「ここは何なんすか? 俺の四番、ちょうど中通ってますけど」

 

「共用区画。零の翼も、アンタの移動も、天海の光球も、一回はそこを使わないと課題が終わらない配置にしてある。ただし、床と天井のセンサーで人や翼、光の距離は見てる。近づきすぎたら警告が出るし、天海の光球も最低出力。誰かを避けるために急加速したり、人の身体のすぐそばへ無理に通したりするのは禁止」

 

「要するに、ぶつからなきゃいいってだけじゃないんすね」

 

「そういうこと。人の課題へ勝手に手を出さない。相手を避けるために自分の能力を危ない動かし方へ変えない。無理だと思ったら止まる。今日はそこを見る」

 

 そこで凛は少し口元を上げた。

 

「あと、最初は相談なし。いつも通り、自分の課題だけ見てやってみな」

 

「絶対なんか仕掛けてるじゃん」

 

「仕掛けっていうか、配置しただけ。文句はやってから」

 

 彰人はまだ疑わしそうだったが、裕太は右の区画へ向かい、輪と受光板の位置を確認し始めた。零も左側へ移って翼をゆっくり広げる。

 

 中央に近い支柱へ掛けられた青い輪は、右翼を伸ばせば届きそうだった。ただ、その先は黄色い共用区画へ入っている。彰人も四番の床センサーへ向かう途中でそこを横切り、上には裕太の光球を通す輪まであった。

 

「速さを競う訓練じゃないから、急いで終わらせなくていい。三人とも安全に自分の課題を終えたら終了。準備できた?」

 

 凛の説明を聞いて、零は少しだけ肩の力を抜いた。

 

 右では裕太が掌を開き、青白い光球を三つ浮かべる。その色が視界へ入った瞬間だけ身体が固くなったが、光は裕太の近くで静かに並び、こちらへ寄ってはこなかった。

 

「じゃ、始め!」

 

 最初のうちは何も起きなかった。

 

 零は左端の赤い輪を翼の先で持ち上げ、隣の赤い支柱へ掛け直す。一度は引っかかったものの、角度を変えれば二度目で通った。

 

 彰人は一番から三番までの床センサーを順に踏んでいく。移動は速いが、停止枠へ入るたびにきちんと勢いを殺していた。

 

 裕太の光球も右側の輪を一つずつ抜け、受光板へ当たっていく。三つを同時に動かしているのに、互いの軌道は重ならない。

 

 問題が起きたのは、三人の課題が中央へ重なった時だった。

 

 零が青い輪へ右翼を伸ばしたのとほぼ同時に、彰人が三番から四番へ移ろうと黄色い区画へ踏み込んだ。

 

「うわっ」

 

 目の前へ彰人が入ってきて、零は反射的に翼を持ち上げた。彰人も急減速し、二人がぶつかる前に警告音が鳴って天井のランプが黄色く点滅する。

 

「危なっ。零、そこまで翼来るの?」

 

「僕も橘くんがこっち通ると思ってなかったよ」

 

「四番そこなんだって」

 

 二人が止まっているところへ、今度は上から青白い光が入ってきた。裕太も中央上部の輪へ光球を通すタイミングだったらしい。

 

 彰人を避けるため光の軌道が横へ膨らみ、それが零の視界へ近づく。

 

「っ……」

 

 身体が先に反応し、右翼がさらに持ち上がった。

 

 裕太もすぐに光球を止める。青白い光が空中で静止し、三人の動きが完全に止まったところで、凛が端末を操作して警告音を切った。

 

「はい、一回止める。このまま続けても、多分また同じところで引っかかる」

 

 彰人が黄色い区画から一歩戻り、零の翼と頭上の光球を交互に見る。

 

「三人とも同じとこ使うタイミングが被っただけじゃない?」

 

「うん。それが今日見たかったやつ」

 

 凛は黄色い線の手前まで来た。

 

「零は輪を取りに行った。彰人は四番を踏みに行った。天海は光を輪へ通そうとした。自分の課題だけ見れば三人とも間違ってない。でも、同じ場所へ入った途端、相手を避けるために急に動きを変えた」

 

 零が翼を下ろすのを待ってから、凛は続ける。

 

「こういう時は、能力そのものより避け方の方が危ない。彰人が横へ飛べば誰かにぶつかるかもしれないし、天海が急に軌道を変えれば制御が崩れる。零が驚いて翼を振れば、その範囲にいる人へ当たるかもしれない。だから同じ場所を使うなら、自分がどこまで動くのか、相手にも分かるようにしなきゃいけない」

 

「じゃあ、中央使う前に声かければいい?」

 

「それも一つ。ほかにやり方があるなら自分らで決めて。次は始める前に相談していいよ」

 

 彰人は零と裕太を見回し、さっそく黄色い区画を指した。

 

「じゃ、俺から。中央通るの一回だけなんだよ。三番から四番の時。そこ先に抜けちゃっていい?」

 

「僕は青い輪の時だけ中央へ翼を伸ばすから、橘くんの後で大丈夫」

 

 裕太も自分の輪の位置を確認しながら考える。

 

「俺も中央を使うのは一回です。だったら橘が先、その次に結城さん、最後に俺でもいい。ただ、それだけだと待つ時間が長いから、中央以外は並行して進めて、使う時だけ声を出す方がいいと思います」

 

「それでいこう。俺は入る前に『中央行く』って言う。零も翼出す時に何か言ってくれれば待てる」

 

「じゃあ、『翼いきます』で」

 

「分かれば何でもいい」

 

 裕太は中央の輪と自分の右側を見比べ、それから少し声を落とした。

 

「俺は『中央通します』って言います。それと、結城さんが中央へ翼を出してる間は光球を右から出さないようにします。さっきみたいに避けようとして急に近づけるのもやめます」

 

 零が顔を向けると、裕太は中央の輪を見たままだった。

 

「……ありがとうございます。その方がやりやすいです」

 

「俺も翼が出てる間は入らない。さっき止まれたけど警告鳴ったし、次は鳴らさないようにする」

 

「最初からそう言ってる。『ぶつからなかったからセーフ』で覚えんなよ」

 

 凛に釘を刺され、彰人は笑いながら両手を上げた。

 

「分かりましたって。今度はちゃんとゼロミス目指します」

 

「時間は気にしなくていいからね。三人とも最後まで終わらせることの方を優先して」

 

     *

 

 二回目は、最初から動き方が違った。

 

 零が赤い輪を掛け直している間に、彰人は一番から三番までを進み、裕太は右側だけで二つの光球を動かしている。互いをずっと見ているわけではないが、中央へ近づく時だけ声が飛ぶようになった。

 

「中央行く!」

 

 彰人が三番から黄色い区画へ入る。

 

 零は次の青い輪へ翼を伸ばしかけていたが、そのまま待った。裕太の光球も右側で止まっている。

 

 彰人は中央を横切って四番を踏み、勢いのまま先へ行かず、停止枠で一度きちんと足を止めてから外周へ抜けた。

 

「抜けた!」

 

「じゃあ、翼いきます!」

 

 零は右翼を青い輪へ伸ばした。

 

 一回目のように彰人を避けて持ち上げる必要がないため、最初に決めた高さのまま動かせる。先端で輪をつかみ、中央を横切って反対側の青い支柱へ運んだ。

 

 輪を掛けようとすると、柔らかな縁が支柱の先へ引っかかった。

 

「あれ……」

 

 翼の先だけで角度を直そうとしたが、今度は身体まで少し前へ引かれる。零は倒れないよう足へ力を入れ、反対の翼も無意識に開いた。

 

 次の瞬間、左翼が大きく下へ動いた。

 

 空気が押され、床へ当たるような音がする。

 

 足の裏へかかっていた重さが、ふっと薄くなった。

 

「……え?」

 

 零が慌てて両翼を止める。

 

 踵が床へ落ち、小さな音を立てた。

 

 完全に跳んだ覚えはない。膝を曲げてもいなかった。それなのに、一瞬だけ身体が上へ引かれたような感覚が足の裏に残っている。

 

「何いまの!? 零、今ちょっと浮かなかった!?」

 

 彰人の声が飛んできた。

 

「浮いてないよ」

 

 考えるより先に答えていた。

 

「いや、でも踵――」

 

「輪に引っ張られて、体勢崩しただけだから」

 

 自分でも、返事が少し早すぎたのが分かった。

 

 裕太は右側の光球を止めたまま、こちらを見ている。凛も端末から零の足元へ目を移した。

 

「膝使って跳ねたようには見えなかったんだが……」

 

「……飛んでないです」

 

 思ったより強い声が出た。

 

 凛は一瞬だけ零を見たが、「飛べた」とは言わなかった。

 

「飛んだとは言ってないよ。翼が下へ空気を押した時に、身体を持ち上げる方向へ力が出た可能性はある。でも、一瞬身体が軽くなるのと、自分で上がって止まって降りられるのは別の話」

 

 零は黙った。

 

「今ここで確かめることでもない。飛べたとしても、止まり方も降り方も分からない状態で試す方が危ないから。今日はそのまま続ける」

 

「……じゃあ、今のは分からないってことですよね」

 

「そう。まだ分からない」

 

 その答えを聞いて、零は少しだけ息を吐いた。

 

 飛べるかもしれない。

 

 その言葉を、頭の中でも最後まで認めたくなかった。

 

 翼を動かすことは、訓練だから必要なのだと思えた。人を庇えることにも、覚える意味はある。

 

 でも、自分の身体を持ち上げられるとなると、なぜか同じようには考えられなかった。

 

 飛べる、と認めたくない。

 

 飛べると認めてしまったら、この翼まで最初から自分のものだったことにされるような気がした。

 

 零はそこから先を考えるのをやめ、引っかかった輪へ意識を戻した。

 

 今は飛ぶための訓練ではない。

 

 輪を掛ければいい。

 

 右翼の角度だけを少し変えると、今度は支柱へきれいに収まった。

 

「終わりました!」

 

「中央、通します!」

 

 裕太の声に合わせ、零は両翼を背中側へ寄せた。

 

 青白い光球が一つ、裕太の右側から中央上部の輪へ向かう。光は零の近くへ寄らず、決めた高さを通って向こう側の受光板へ当たった。

 

 さっきの感覚は、まだ足の裏に残っていた。

 

 それでも零は、翼をもう一度下へ振って確かめようとはしなかった。

 

 三人はそのまま各自の課題を続ける。

 

 彰人は五番を踏んだ後、六番へ向かう途中で床に置かれた柔らかな目印を蹴りそうになり、直前で足を止めた。

 

「うわ、これ俺のじゃないよな?」

 

「僕の輪を置く場所です。最初からあったから、踏まないでください」

 

「今気づいた。次から見る」

 

「それを先に見る訓練でもあるからな!」

 

 離れたところから凛の声が飛び、彰人は「分かってますって」と返しながら大回りした。

 

 その頃、裕太の三つ目の光球は受光板へ向かう途中で少し軌道がずれていた。隣の輪へ触れそうになったため速度を落とす。零には届かない位置だったが、彰人の外周ルートには近い。

 

「橘、右端ちょっと待って。光通すから」

 

「了解。じゃあ五番で待つ」

 

 彰人がその場で止まり、裕太は無理に急旋回させず、ゆっくり軌道を戻して受光板へ当てた。

 

「終わった。もう行っていいぞ」

 

「よし!」

 

 合図を聞いた彰人が走り出す。

 

 零は二人のやり取りを聞きながら、最後の黄色い輪を翼で持ち上げた。自分の課題には関係のない会話だったが、一回目のように全部を自分で見なければならない感じはしない。

 

 中央へ出る時だけ知らせ、誰かが使っていれば待つ。困った時には声を出す。それだけで、見るべきものがずいぶん減っていた。

 

 最後の輪を支柱へ掛けると左側のランプが緑へ変わり、少し遅れて彰人の六番と裕太の受光板もすべて点灯する。

 

 凛の端末から短い終了音が鳴った。

 

「はい、二回目終了。今度は警告ゼロ。三人とも課題も最後まで通った」

 

「地味だけど、ちゃんと成功した感あるな」

 

 彰人が息を整えながら中央へ戻る。

 

「一回目がひどかっただけじゃない?」

 

「ひどいってほどじゃないだろ。誰もぶつかってないし」

 

「安全装置鳴らして止められてる時点で、成功扱いは無理だろ。今日はお前が甘いんだよ」

 

「天海、共同訓練になってから急に厳しくない?」

 

 零は二人のやり取りを聞きながら翼を畳んだ。

 

 さっきまで青白い光が通っていた中央には、もう何も残っていない。足の裏の感覚も、いつの間にかいつも通りへ戻っていた。

 

 凛は端末を持って三人のところまで来る。

 

「二回目は良かったよ。個別の課題も全部問題なし。ただ、今日の目的は点数じゃない。一回目は、自分の課題をちゃんとやろうとして、三人とも相手の使ってる場所へ入った。二回目は、自分がどこをいつ使うかを相手へ伝えた。それだけで危ない避け方がなくなった」

 

「じゃあ、次から毎回『中央行く』って言えばいい?」

 

「この配置ならね。部屋が変われば必要な声も場所も変わる。覚えてほしいのは合言葉じゃなくて、相手が使う範囲へ勝手に入らないこと。それと、相手が困ってそうに見えても、頼まれてないのに自分の課題を放り出して助けに行かないこと」

 

 裕太が少し眉を上げた。

 

「今日は、それは誰もやってないですよね」

 

「今日はね。次はそうしたくなる状況も入れるかも。何を追加するか考えるのは訓練する側の仕事だから」

 

「また面倒なの増えるのか……」

 

 彰人のぼやきを聞き流し、凛は結果を端末へ入力する。

 

「今日はここまで。片づけは三人で。床の目印と輪は元の場所。受光板はそのままでいい」

 

 彰人が近くの目印を拾い、裕太も輪の下に置かれた小物をまとめ始めた。

 

 零は一番近い輪へ翼を伸ばしかけたが、ちょうどその前を彰人が横切ろうとしているのを見て止める。

 

「橘くん、翼いきます」

 

「お、了解」

 

 彰人が一歩下がったのを確認してから、翼で輪を手元へ寄せた。

 

「もう訓練終わってるけど」

 

 裕太に言われ、零は輪を重ねながら顔を上げる。

 

「終わった後にぶつかったら、もっと嫌じゃないですか」

 

「それはそう。じゃあ俺も中央通る時、いちいち言った方がいい?」

 

「片づけで走らないなら普通に見て歩け。何でも合図にすればいいって話じゃないから」

 

「九条さん、そこだけ急に雑じゃない?」

 

 彰人の声に凛が笑い、裕太も少し遅れて吹き出した。

 

 零は重ねた輪を棚へ戻した。

 

 三人で特別なことができるようになったわけではない。それぞれが普段やっている課題を、相手の邪魔をせず最後まで終えただけだった。

 

 一回目には狭く見えた中央の区画も、二回目は誰かが使っている間に待てばよかった。彰人が走っていても、裕太の光が飛んでいても、自分までそこへ入る必要はない。

 

 三人で使うには狭く見えた訓練室が、二回目は少し広く感じられた。

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