その日の午後、
「天海さん。ここは病院です。そのまま寝ていてくださいね」
「……消えた?」
「何がですか?」
「光。俺の周りにあったやつ。まだ外に……」
看護師の向こうから、黒い上着の女性が近づいてきた。長い紫の髪を後ろで結び、首元には身分証を下げている。裕太は相手の顔を見るより先に、その肩越しの天井を確かめた。光は照明の中に収まっていて、こちらへ近づいてはこなかった。
「街に出ていた球なら、全部消えた。今ここにも出てないよ」
「本当に? 見えないところに残ってるとか、そういうのじゃなくて」
「現場でも確認してる。AEGISの九条凛だ。力のことはアタシが見てるから、まず先生の話を聞いて」
「俺、起きたらまた……。さっきも、消そうとしたのに」
「確かめるために出さなくていい。今は何も出てない。そのままで」
看護師が呼んだ医師に名前を尋ねられ、裕太は唇を動かした。天海裕太、と答えた声は掠れていたが、聞き取ってもらえた。続けて年齢や痛むところを聞かれる間も、指が勝手に動かないよう、両手を布団へ押しつけていた。
「顎が痛い。あと、頭が重くて……俺、どうやってここに来たんですか」
「救急車で運ばれてきました。これからもう少し診せてください。気持ち悪くはないですか」
「今は、ないです。……母さんには?」
「連絡していますよ。こちらへ向かっているそうです」
家へ連絡が届いていると分かると、押しつけていた掌が少し緩んだ。医師の指示に従って顔を向けようとしたところで、目の前へ拳が来たことを思い出し、また首を止めた。
「二人いたんです。白い羽の子と、男の……」
凛がベッドの足元からこちらを見た。裕太は言葉の続きを探したが、白い羽の間に見えた顔より、自分の腕を掴んでいた手の方がはっきりしていた。
「あの二人に、何か当たりましたか。俺、最後、そっちにも出して……」
「二人とも生きてる。医療の担当にも確認した。詳しい話は、診察が済んでからにしよう」
「……分かりました」
生きているという返事を、裕太はもう一度頭の中で繰り返した。目を閉じるとすぐに光が浮かぶので、窓の方へ顔を向ける。カーテンの隙間から見える空は、まだ青かった。
*
診察の後、父の
「裕太。顔、こっちへ向けられる?」
「そんなに腫れてる?」
「少しね。痛いんでしょう。無理に動かさなくていいから」
「……父さん、仕事は」
「連絡した。今日はもう戻らない。お前は、先生に診てもらったんだな」
裕太が頷くと、父は椅子を引いた。膝へ置いたスマートフォンには、書きかけの文章が見えた。いつもなら何か言いながら打ち終えるのに、父は画面を消し、こちらへ身体を向けた。
「警察から、お前の力で事故が起きたと聞いた。自分で覚えているか」
「……覚えてる。全部じゃないけど」
「どこから分からなくなった。最初から動かせなかったのか」
「最初はできてた。ちゃんと、思った方に動いてたんだよ。止めることもできたし」
「それが、どうして止まらなくなったんだ」
父の声は大きくなかった。けれど答えるたび、次に説明しなければならないことが増えていく。裕太は手元へ目を落とし、布団の縫い目を指で押さえた。
「数を増やした。まだ動かせると思ったから。実際、増やしても最初は動いてたんだ」
「増やす前に、一度減らして確かめたのか」
「だから、できてたって言ってるだろ!」
声を強めた途端、顎が痛んだ。父が口を閉じると、部屋には廊下の足音だけが聞こえた。裕太は顔を上げられず、母が鞄を椅子の下へ置くのを横目で見ていた。
「……最後に増やす前は、確かめてない。戻せると思ってた。多すぎたら減らせばいいって。それなのに、一つ止めようとしたら別のが動いて、そっちを戻そうとすると、また……」
どこを見ても、自分の光があった。人のいない方へ向けたつもりの一つが窓を砕き、別の音に振り向けば、今度はそちらで誰かが倒れていた。手の届かないところで次々に起こることへ命令を重ね、どれに何をさせているのかも分からなくなっていた。
「怖くなってからじゃ、もう消せなかった。一つずつ止めようとしても、全部消そうとしても、どっちも駄目だった」
「その時、誰かに――」
「お父さん。少し待って」
母に袖を引かれ、父は裕太の顔を見直した。椅子をベッドへ寄せるのをやめ、膝の上で両手を組む。
「……悪い。一度に聞きすぎた」
「いい。どうせ、警察にも話すんだろ」
「うん。でも、今すぐ全部話せとは言われてないよ」
母がそう答えて、手の届くところへティッシュの箱を置いた。裕太は使わずにいたが、顔を上げた拍子に鼻が鳴ったので、一枚だけ抜き取り、父へ目を戻した。
「わざとじゃないんだ。誰かに当てようとしたわけじゃなくて。……それじゃ、言い訳になるけど」
「わざとじゃなかったことは、話していいだろう。何をしたかも、しなかったかも、ちゃんと伝えよう」
「それで、怪我した人がいなくなるわけじゃない」
「そうだな。だから、そこも聞かないといけない」
父はそこで言葉を止めた。大丈夫だと言ってもらえないことより、父にも次に何を言えばいいのか分からないように見えることが怖かった。裕太は丸めたティッシュを掌へ押し込み、扉が叩かれるまで、俯いたままでいた。
凛は父母へ名乗り、診察を終えた医師と短く話してから入ってきた。裕太の枕元には来ず、ベッドの横に椅子を置く。廊下には同じ印のついた上着を着た職員が残り、出ていった医師から何かを聞いていた。
「少し話せるか。途中で具合が悪くなったら、そこでやめよう」
「……はい。怪我した人、どうなったんですか」
「何人も病院へ運ばれてる。建物が壊れて巻き込まれた人も、逃げる途中で怪我をした人もいる。今も手当てが続いてるよ」
「俺がいたところだけじゃないんですか」
「光が飛んだ先でも被害が出てる。詳しい範囲は、まだ確認してるところ」
止めようとしていた時、見ていたのは飛んでいく光ばかりだった。届いた先で何が起きたかを確かめる前に、次の球が動いていた。今聞かされた人たちの中には、裕太が顔を見た覚えすらない人もいるのだろう。
「あの二人は。生きてるって、さっき……」
「うん。病院で診てもらってる。翼の子は、ご両親もこの事故に巻き込まれて怪我をした。三人とも助かって、今は一緒にいるよ」
「親も……」
「あの子も、家族と逃げていたところだったんだ」
裕太は白い羽の隙間に見えた、血のついた服を思い出した。自分を止めに来たから汚れたのだと思っていた。家族のところを離れ、あそこまで歩いてきたのだと分かると、腕を掴まれた時に何と叫んだのかまで思い出したくなくなった。
「……助かったんですね。三人とも」
「そこは確認できてる」
「よかっ――」
言葉が止まり、裕太は凛の顔を見た。母が隣で息を吐いたのが聞こえたが、自分は続きを口にできなかった。凛は返事を急かさず、裕太が顔を下げてから話を続けた。
「君が気を失った後、光は止まって消えた。それから今まで、新しくは出てない。ただ、原因も安全な扱い方も、まだ全部分かったわけじゃない」
「だったら、ここも危ないんじゃないですか。親も、先生もいるのに」
「だから、対処できる隊員を近くに置いてる。今は使わずに休むこと。勝手に確かめたり、一人で別の場所へ行ったりしないでほしい」
「俺、また出るかもしれないのに、止められるって言えないです」
「分かった。そこをごまかさずに言ってくれる方がいい。変わった感じがしたらすぐ知らせて。力のことも、これから一緒に確かめる」
凛が枕元の呼び出しボタンを、裕太の手の届く位置へ動かした。母はベッドから離れなかったが、父は廊下に残る職員へ一度目を向け、それから凛に尋ねた。
「家へ連れて帰るのは、まだ無理ですよね?」
「今日は病院で身体を診てもらいます。退院できても、ご家庭だけで力の状態を見るのは難しい。AEGIS側での保護も含めて、担当から相談させてください」
「……俺、捕まるんですか」
母が名前を呼んだが、裕太は凛を見ていた。今の話を聞いてから急に怖くなったのが、自分でも嫌だった。
「事故のことは警察が調べる。アタシが今、処分を決めることはできない。ここにいるのは、まず診察と、同じことを起こさないための確認だよ」
「家族とは、会えるんですよね」
「こうして来てもらえる。ただ、いつでも誰でも入れていい状態じゃない。面会は担当に話してからにしてほしい」
「分かりました。父さんたちにも、そこはちゃんと説明してもらえますか」
父が小さく頷き、凛へいくつか質問した。今夜の連絡先を聞くと、凛は廊下の職員を呼び、父母へ紹介した。自分も病院内にいると言い添えてから、医師への確認のために部屋を出ていく。裕太は、父が受け取った連絡先を母にも見せている間、膝へ目を落としていた。
*
夕方、母が家から着替えを持って戻ってきた時、妹の
「……何だよ」
「喋れるんだ」
「さっき母さんから聞いただろ」
「聞いたけど。自分で見るまで分かんないじゃん」
母は二人の間へ入らず、父と一緒に袋からタオルを出した。玲奈は椅子を引きかけたが、座らずにまた兄の顔を見た。顎へ向かって伸びてきた手から、裕太は少し顔を退けた。
「そこは痛い。触んな」
「触ってないし。どっちが痛いのか見ただけ」
「どっちも触らなくていい。……来なくてもよかったのに」
「何でそんなこと言うの!」
玲奈の声が強くなり、裕太は慌てて目を上げた。妹は袋の持ち手を指に巻き、こちらを睨んでいる。
「病院から電話来たんだよ。お父さんもお母さんも出ていって、待っててって言われて。それで、やっと来たのに」
「そうじゃなくて。俺の近くにいたら、また何か出るかもしれないから」
「勝手に入ってきたわけじゃない。さっきの人にも聞いたし、お母さんにも、会っていいって言われた」
「……うん」
もう一度帰った方がいいと言おうとしても、玲奈の指が白くなるほど袋を握っているのを見ると、声にできなかった。裕太は台の上の箱へ手を伸ばし、妹の方へ押した。玲奈はすぐには取らず、袖口で目元を拭ってから、ようやく一枚抜いた。
「……ニュース、見た。道が壊れてて、人が走ってて。あれ、お兄ちゃんがやったの?」
「……そうだと思う。俺がいた道なら」
「何で。あんなの、どうして」
「止められなくなった。もう少し出せるって思って、増やして……自分で増やしたんだよ」
玲奈はティッシュを丸め、開きかけた口を閉じた。何と返されるか待っていた裕太も、目を逸らさずにはいられなかった。母が椅子を妹の後ろへ置くと、玲奈はそこへ腰を下ろした。
「謝ったの?」
「……まだ。誰にも会ってない」
「……そっか」
玲奈は膝へ目を落とした。いつもなら、言いたいことがあるなら言えと急かしていたところだった。今日は返事がない方が楽で、そのまま別の話にしてくれないかと、裕太は台の上の袋を見た。そこから覗いていたのは、家で着ているTシャツだった。母が畳み直す脇にはスマートフォンの充電器もあり、こちらの視線に気づいた玲奈が、それを手に取る。
「これ、お兄ちゃんの。部屋から持ってきた」
「お前のは?」
「私のは家。二つあるのに、わざわざ私の持ってくるわけないじゃん」
「……まあ、そうか」
裕太は差し出された充電器を受け取った。父が預かっていたスマートフォンを台へ置き、看護師に使ってよい場所を聞いてから繋いでくれた。画面をつけると家族からの着信が並んでいて、裕太は開きかけた指を止めた。
「母さん。さっきの九条さん、もう帰った?」
「病院にはいるって。何か気になる?」
「俺を止めた二人に、会えないか聞いてほしい」
父の手が充電器の線から離れた。裕太はスマートフォンを台へ置き、画面が暗くなる前に、もう一度母を見た。
「さっき、ちゃんと言えなかった。生きてるって聞いて、それでほっとして……。でも、謝ってないから」
「今すぐ会いに行くのは無理だと思うよ。向こうも病院にいるんでしょう」
「分かってる。起こして連れてきてって言ってるんじゃない。会えるかどうか、聞いてほしいだけで」
「うん。じゃあ、担当の人を呼ぼうか」
母が呼び出しボタンを押した。何と話せばいいのか考えるほど、止めようとしたことばかり先に浮かび、裕太は両手を布団の上へ置いた。扉が開くと、母へ顔を向けかけた看護師を呼び止めた。
「あの。俺を止めてくれた二人に、謝りたいんです。九条さんに、伝えてもらえますか」