魔法使いの冬 ― Magic Winter ―   作:木乃実なぎ

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第一章『雪の上には朱が残る』 二日目(下)

 

 ◆

 

 しばらくは、食器の触れ合う音だけが食卓に落ちていた。

 隣ではルシャがトーストを頬張り、向かいではマミさんがコーヒーに口をつけている。

 こうして改めて見ると、マミさんも随分と整った容姿をしていた。

 肩口で揃えられた、赤みを帯びた真っ直ぐな黒髪。カップの縁越しにこちらを眺める赤い瞳には、どこか気怠げな色がある。

 白いワイシャツにジーンズという簡素な格好なのに、不思議と目を引く人だった。

 隣の銀髪といい、向かいの黒髪といい、二人並べばそれだけで絵になる。

 これで僕が抜ければ、さぞ完璧な食卓になることだろう。

 

「助かったよ、シヲリ君。料理はよくするのかい?」

「一人暮らしなので、それなりには」

「なるほどね。どうりで手際がいいわけだ」

 

 マミさんは皿へ目を落とし、残っていたトーストを切り分ける。

 その隣で、ルシャが何故か少しだけ胸を張った。

 パンを皿に乗せた功績だろうか。

 別に否定するつもりもないので、僕は黙ってコーヒーを口へ運んだ。

 

「さて。食べながらで構わないから、昨夜の話をしておこうか」

 

 カップを口元へ運びかけた手が止まる。

 マミさんは食器を置くと、改めて僕へ向き直った。

 

「その前に、私のことを少し説明しておこう。名前は、もういいか」

「マミさん、ですよね」

「ああ。そして私は――魔術士だ」

 

 聞き慣れない響きだった。

 いや、言葉そのものなら知っている。

 本の中や画面の向こうでなら、何度だって目にしたことがある。

 ただ、朝食を挟んで向かい合っている相手から、まるで職業でも名乗るように告げられるとは思っていなかった。

 

「……魔術士」

「魔術を学び、それを扱う者。今のところは、そう思ってくれていい」

「魔術って、あの……魔法とか、そういう話ですか」

「厳密には似て非なるものだが……まぁ、今の君の理解としては、それで構わないよ」

 

 あまりにも当然のように頷かれて、次の言葉に困った。

 冗談を言っている顔ではない。

 だからといって、真面目な顔で言われれば納得できるというものでもない。

 そんな僕の反応を眺めてから、マミさんは食卓の上へ片手を差し出した。

 

「言葉で説明するより、見てもらった方が早いだろうね」

 

 その指先へ、淡い靄が流れ始めた。

 ……なんだ?

 思わず目を細める。

 普段は曖昧に漂っているだけのものが、今は明確な意思を持ったように動いていた。

 マミさんの腕を伝い、人差し指の先へ集まり、重なっていく。

 僕がそこを見つめていると、彼女の口元に薄い笑みが浮かんだ。

 

「やはり、視えているんだね」

「え――」

 

 問い返すより先に、指先へ小さな炎が灯った。

 火種はなかった。

 何かを擦ったわけでも、道具を使ったわけでもない。

 何もなかったはずの場所で、橙色の炎だけが静かに揺れている。

 

「これが魔術。そして、今ここに集めたものが魔力だ」

 

 炎とマミさんの顔を交互に見る。

 手品だと言ってくれれば、まだ笑えた。

 けれど、炎が生まれる前から見えていたものまで、仕掛けの一言で片づけていいのか分からなかった。

 

「君は火が灯る前から、ここを見ていたね。魔力の動きを追っていたんだろう?」

「……何のことですか」

「無理に隠さなくてもいい。少なくとも私は、それをおかしなことだと笑ったりはしないよ」

 マミさんは、僕の目を真っ直ぐに見る。

「むしろ私たちからすれば、喉から手が出るほど欲しいものなんだが……今はいい」

 

 かえって、何も言えなくなった。

 僕の目に何が見えているのかなんて、この人には一度も話していない。

 それなのに、知っている。

 眼鏡の位置を直すふりをして指を顔へ運ぶと、マミさんはその仕草まで静かに見ていた。

 

「その眼鏡越しでも分かるんだね。なるほど」

 独り言のような言葉に、指が止まる。

「……これが、魔力なんですか」

 

 否定する代わりに、そんな問いが口をついた。

 マミさんは小さく頷き、立てていた指を曲げる。

 炎は跡形もなく消えた。

 けれど、そこへ集まっていた色が散っていく様子は、まだ見えている。

 小さい頃から、当たり前の景色に混じっていたもの。

 誰も気に留めないから、自分だけがおかしいのだと思っていたもの。

 なるべく見ないようにしてきたそれに、この人はあっさりと名前をつけた。

 

「マミさんのほかにも、いるんですか」

「魔術士が、という意味なら、もちろん」

 返事は、ひどくあっさりしていた。

「学ぶ場所もある。守るべき決まりもある。君が知らなかっただけで、私たちはずっと魔術を扱ってきたんだよ」

 

 魔術士。

 目の前の人がそうであるように、ほかにも当たり前の顔をして暮らしているのだろうか。

 僕の知らない決まりに従い、僕の知らない力を使って。

 昨夜だけの異常な出来事。

 そう思いたかったものの向こうに、知らない世界がずっと続いている。

 しかも、その入り口は――ずっと僕の目の中にあったらしい。

 

「君の見え方については、私も詳しく聞いてみたい。いつから見えるのか、その眼鏡を外した場合はどうなるのか――」

「すみません」

 

 言葉を遮ると、マミさんが口を閉じた。

 膝の上で手を握り、できるだけ平静な声を作る。

 

「そろそろ、帰ってもいいですか」

 

 隣で、食器の音が止まった。

 そちらは見ないまま、言葉を続ける。

 

「昨日は、本当に助かりました。でも僕は……そういう話には、関わらずにいたいです」

 

 正体さえ分かれば、少しは安心できると思っていた。

 けれど、違った。

 続きを聞くのが怖い。

 話を聞けば聞くほど、自分までその知らない世界の一部にされていく気がした。

 自分の部屋へ帰りたい。

 本を開いて、コーヒーを飲んで、明日の予定を考える。

 そんな、何もおかしなことのない時間に戻りたかった。

 椅子を引きかけた僕を見て、マミさんが頬を掻く。

 

「あー、そのことなんだが」

 

 先ほどまでとは打って変わって、歯切れの悪い声だった。

 何故か僕から目を逸らし、それから隣のルシャを見る。

 ……嫌な予感がした。

 

「どこへ行くつもりなのよ」

 

 ルシャは紅茶のカップを置き、当然のように僕を見上げた。

「どこって、自分の家だけど」

「駄目に決まってるでしょう。契約はどうするのよ」

「だから、その契約って何なんだよ」

 

 ルシャは、まだ分かっていないの、とでも言いたげに眉を寄せる。

 説明された覚えがないので、そんな顔をされても困る。

 

「昨日の夜、契約をしましょうって言ったでしょう。シヲリは頷いたじゃない」

「……言った気はするけど」

 

 血に濡れた顔と、途切れそうな声。

 確かに、そんなやり取りはあった。

 けれど、あの時は目の前の彼女を助けることで精一杯で、言葉の意味まで考える余裕なんてなかった。

 

「その約束を果たすまでは、勝手に帰られても困るわ」

 

 ルシャは襟元を少し引き下げた。

 首元に、黒い紋様が刻まれている。

 タトゥーにも似たそれを指先で示し、彼女は得意げに胸を張った。

 

「これが、契約の証よ」

「いや、見せられても分からないって」

 

 助けを求めるようにマミさんを見る。

 彼女は困ったように笑い、座るよう手で促した。

 

「順を追って話そう。まず昨夜、君たちの間に魔術による契約が成立した。それは間違いない」

「僕が、何も知らなくてもですか」

「ああ。そこが厄介なんだよ」

 

 僕は浮かせかけていた腰を、椅子へ戻した。

 納得したわけではない。

 立っていても、この話が終わりそうになかっただけだ。

 

「……その契約って、何をするものなんですか」

「願いの交換よ」

 

 答えたのはルシャだった。

 紅茶のカップへ指を添えたまま、真っ直ぐに僕を見る。

 

「片方の願いが叶ったら、今度はもう片方の願いを叶える。私たちが交わしたのは、そういう契約なの」

「恩返しみたいなものか?」

「ええ。そう思ってもらっていいわ」

 

 それなら、話は分かる。

 僕は彼女を助けた。

 だから彼女も、僕に何かを返そうとしているわけだ。

 

「なんだ。そういうことなら、早く言ってくれよ」

 

 少しだけ肩の力が抜けた。

 何をさせられるのかと、身構えて損をした気分だ。

 

「別に、お礼が欲しくて助けたわけじゃないんだ。何もしてくれなくていいよ」

 

 ルシャが首を傾げた。

 伝わっていないらしい。

 

「怪我が治ったなら、それでいいってこと。僕は何もいらないから」

 

 もし、それでは契約が終わらないというのなら、何か簡単なお願いでもすればいい。

 食器を洗ってもらうとか、コーヒーを一杯淹れてもらうとか。

 それで帰れるなら、別に何だってよかった。

 そう考えていた僕の向かいで、マミさんがそっと目を伏せた。

 何故か、見てはいけない勘違いを見てしまったような顔だった。

 

「何を言っているの。願いを叶えてもらったのは、シヲリの方でしょう」

 笑いかけたまま、顔が止まった。

「……は?」

「私はシヲリに、私を助けさせてあげたのよ。今度はシヲリが、私の願いを叶える番じゃない」

 

 しばらく、彼女の顔を見つめた。

 母国語を喋っているはずなのに、うまく意味を受け取れない。

 聞き間違いであってほしいと願ったけれど、ルシャは当然のことを言った顔で僕の返事を待っている。

 

「その説明では、納得できるものもできなくなるよ、ルシャ君」

 

 マミさんが額へ手を当てた。

 僕はすぐさま、そちらへ向き直る。

 

「シヲリ君。君はあの時、彼女を助けたいと願ったんだろう?」

「……はい」

「契約は、その願いを拾った。そしてルシャ君は助かった。つまり、まず君の願いが叶えられたことになる」

「……」

「だから今度は、君が彼女の願いに応える側に残っている」

 隣でルシャが、ほら、と頷いた。

「私の言った通りでしょう」

「言い方には、随分と問題があったけれどね」

「仕組みにもあると思うんですが」

 

 助けた相手から、助けさせてあげた恩を返せと言われる。

 しかも、それを大真面目に説明されている。

 魔術というものは、理不尽をもっともらしく言い換えるための技術なのだろうか。

 

「……断れないんですか」

「成立した契約を、君一人の都合で取り消すことはできない」

「じゃあ、無視して帰ったら?」

 マミさんの表情から、笑みが消えた。

「それは、勧められないね」

 

 静かな声だった。

 その変化に、僕も口を閉じる。

 

「契約魔術は、『約束を守ろう』と思わせる術じゃない。『約束が果たされる』という結果そのものを、先に世界へ固定する」

「……結果を?」

「ああ。そして成立した契約を当事者が放棄すれば、固定された結果との間に矛盾が生じる。その負担は、契約を結んだ本人へ返ってくる」

 

 知らない理屈だった。

 けれど、続きを聞きたくないことだけは分かった。

 

「負担って、どれくらいの……」

「命に関わる。最悪の場合は、死ぬ」

 

 膝の上で、指先が強張った。

 冗談ですよね、と言いたかった。

 けれど、マミさんは笑っていない。

 

「帰っただけで、ですか」

「家へ帰ること自体が問題なんじゃない。契約を放棄することが危険なんだよ」

 

 背中を、冷たいものが伝った。

 いつ、何をすれば放棄になるのかさえ、僕には分からない。

 自分が交わした約束なのに、自分の知っている約束とは、何もかもが違っている。

 

「そんなもの、使っていいんですか」

「よくない」

 返事は即答だった。

「だからこそ、魔術士の間でも禁忌とされている。少なくとも、軽々しく行使していい類の術ではないよ」

「え、そうなの?」

 

 隣から、素っ頓狂な声が上がった。

 ゆっくりと顔を向ける。

 ルシャは目を丸くして、マミさんを見ていた。

 

「なんでお前が知らねぇんだよ!?」

「仕方ないじゃない。そんなこと、本には書いてなかったんだから」

「本?」

「私のいたところにあったのよ。そこに方法が書いてあったから、覚えて使っただけ」

 

 何が悪いの、とでも言いたげな顔だった。

 僕は額を押さえる。

 言いたいことが多すぎて、どこから口に出せばいいのか分からない。

 

「なんで禁忌の術が、そんな普通に本に書いてあるんだよ」

「知らないわよ。書いてあったものは仕方ないでしょう」

「使う前に疑問に思えよ、少しは」

「だから、使っちゃ駄目だなんて知らなかったんだってば!」

 

 声を張り上げたルシャが、ふん、と顔を背ける。

 僕は一度口を閉じ、鼻から長く息を吐いた。

 言い合ったところで、契約とやらが消えるわけではない。

 今は、ほかに確かめることがある。

 

「……ちなみに、お前のいたところって?」

「私が逃げ出してきたところよ」

 ますます分からなくなった。

「逃げ出してきた?」

「ええ。ずっとあんなところにいるつもりなんてなかったもの」

 

 あまりにも軽い口調だったので、一瞬聞き流しそうになる。

 けれど、昨夜の血まみれの姿が脳裏を過り、背筋が冷えた。

 

「……それ、大丈夫なのか」

「何が?」

「何がって、連れ戻しに来たりとか。追われてるんじゃないのか」

 ルシャはカップを持ち上げ、少し考えるように目を上へ向けた。

「まぁ、追っては来るでしょうね」

「そんな他人事みたいに」

「大丈夫よ。ここへ来るまでも、追ってきた連中は蹴散らしてきたもの」

 

 安心させるつもりなのか、得意げな顔をされる。

 僕は彼女の腹の辺りへ視線を落とした。

 服に隠れているそこには、昨夜、確かに穴が開いていた。

 

「……あんな怪我をしてたのに?」

「今は治ったでしょう」

 

 答えになっていない。

 少なくとも、僕の心配には一つも答えていなかった。

 

「その辺りは、私も詳しく聞かせてもらうつもりだよ」

 

 マミさんが口を挟む。

 一度ルシャを見てから、僕へ視線を戻した。

 

「そして、シヲリ君。君にも、もう一つ話がある」

「……まだあるんですか」

 

 これ以上、何を聞かされるのだろう。

 身構えた僕の前で、マミさんがすっと指を三本立てた。

 

「三百万」

「……何がですか」

「昨夜の治療と、保護の代金だよ」

 僕は、彼女の指と顔を交互に見た。

「誰に言ってます?」

「君に」

「なんで?」

 

 敬語が抜けた。

 戻す余裕なんて、なかった。

 

「彼女を助けてほしいと頼んだのは、君だからね」

「いや、確かに頼みましたけど、三百万って……」

「傷を治すだけの話ではなかったんだよ」

 

 マミさんは、立てた指を一本折る。

 

「まず、あの状態の彼女を治療したこと。普通の処置で済む怪我ではなかったのは、君も見ただろう」

 

 もう一本。

 

「次に、追われている彼女を匿うこと。追手がここを突き止めれば、私も無関係ではいられない」

 

 最後の一本を折る前に、その指先が僕へ向けられた。

 

「そして、一般人である君をこの件に関わらせること。君には何が危険なのかも、誰を頼ればいいのかも分からない。事情を説明し、必要なら守るところまで、私が引き受ける」

 最後の指が畳まれた。

「治療と保護、それに伴う危険まで含めれば――まぁ、それくらい請求しても罰は当たらないだろうね」

「そんな説明、昨日はありませんでしたけど」

「値段の相談をしている余裕は、なかったからね」

 

 確かに、なかった。

 なかったけれど。

 だからといって三百万を請求されては、たまったものではない。

 僕が一体どれだけ働けば払えるのか。考えることすら嫌になる金額だった。

 

「お金のことなら、僕じゃなくて、治してもらった本人に言ってください」

 隣を示すと、ルシャはあっさり首を振った。

「私、お金なんて持っていないわ」

「少しは申し訳なさそうに言えよ」

 

 胸を張るようなことではない。

 僕はもう一度、マミさんを見る。

 

「僕だって、三百万なんて払えません」

「だろうね」

「だろうね、じゃなくてですね」

 

 マミさんはコーヒーを一口飲み、カップを置く。

 それから、僕の反応を確かめるように少しだけ身を乗り出した。

 

「そこで、相談だ」

 嫌な予感しかしなかった。

「君がルシャ君との契約を無事に終えてくれるなら、この代金はなかったことにしてあげてもいい」

「……何で、そこで契約の話になるんですか」

「途中で投げ出されて、君に何かあっても困るからね。事情を知った以上、私も放ってはおけない」

 

 穏やかな声だった。

 けれど、言っていることは少しも穏やかではない。

 

「契約が終わるまで、私も力を貸そう。君はルシャ君の願いを叶える。そうすれば契約は終わるし、私も一つ厄介事を片づけられる。三百万の支払いも不要だ」

「……」

「悪い話ではないと思うけれど?」

「選択肢があるように聞こえないんですが」

「そうかい?」

 

 とぼけるのが、妙に上手い人だった。

 この人に助けられた。

 それは間違いない。

 そのはずなのに今は、助けを求められる相手が一人もいないような気がした。

 魔術士。

 独自の決まりがあると、この人は言った。

 その決まりの中では、約束を破れば命を落とすことがあり、人を助けてほしいと頼めば三百万を請求されるらしい。

 ついさっきまで、同じ朝食を食べていた。

 コーヒーを飲んで、他愛ない話をしていたはずだった。

 なのに今は、食卓の向こう側だけが、僕の知っている世界ではなくなっていた。

 

「……契約トラブルの相談窓口って、あります?」

「君の事情をそのまま話せる場所は、そう多くないだろうね」

「クーリングオフは」

「ないね」

 

 即答だった。

 僕は椅子の背にもたれ、天井を見上げる。

 帰りたい。

 さっきよりも、ずっと切実に。

 

「ようやく分かった?」

 

 ルシャの声に視線を戻す。

 彼女は腕を組み、ようやく話が通じたとばかりに頷いた。

 

「勝手に帰るなんて、最初から無理なのよ。ちゃんと契約を果たしてもらうから」

「……分かったよ」

 

 分かっただけだ。

 納得したわけでも、許したわけでもない。

 けれど、ここで言い合いを続けたところで、借金も契約も消えてはくれないらしい。

 なら、終わらせるしかない。

 できるだけ早く。

 できるだけ余計なことに関わらずに。

 そう思うことにした。

 

「それで、お前は何をしてほしいんだ」

 ルシャが僕を見る。

「何をすれば、その契約は終わる? 先に言っておくけど、僕にできることにしてくれよ」

 

 空を飛べだの、追手を倒せだのと言われても困る。

 こちらは、朝食を作るくらいしかできない一般人なのだ。

 ルシャは満足そうに頷いた。

 その顔には、やっと話が通じたわね、と書いてある。

 何故、僕が分からずやだったことになっているのか。

 喉まで出かかった文句を、残っていたコーヒーと一緒に飲み込む。

 ――我慢だ。

 これさえ終われば、帰れる。

 そう自分に言い聞かせる僕の前で、ルシャは自分の胸へ手を当てた。

 ぱっと表情を明るくし、どこか誇らしげに顎を上げる。

 

「私を、楽しませなさい!」

 

 一瞬、食卓が静まり返った。

 ――我慢など、できるはずもなかった。

 

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