TS少女は演じたい 作:息抜き
四月も半ばになると、レッスンに行くための支度にはほとんど迷わなくなっていた。
着替えとタオル。室内用の靴。水筒。
台本を入れるファイルと、学校の参考書。
鞄が二つになるのは、相変わらずだ。
高校三年生になったからといって、教科書が軽くなるわけではないし。
電車の中で英単語帳を開いていると、彩花からメッセージが来た。
『この前のドラマ、続き見た?』
『二話まで』
『最後まで見たら言って。話したい』
『先に何か言わないでね』
返事の代わりに、口を押さえた動物のスタンプが届いた。
あれから、同じレッスンになる日ばかりではない。
それでも、見た作品の話くらいは送れるようになった。
私は小さく笑ってから、スマートフォンをしまった。
単語帳の続きへ戻る。
このページが終わったら、今日のレッスンで使う台本をもう一度読んでおこう。
————
「おはようございます」
部屋へ入ると、モニターの前に三枝さんがいた。
「おはよう。今日は後半、私も見るからね」
「はい。よろしくお願いします」
三枝さんに会うのは、少し久しぶりだった。
普段の演技や発声、身体のレッスンには、それぞれ別の先生がいる。
三枝さんが毎回いるわけではない。
彩花から話を聞いて、直接見てもらえることが普通ではないらしい、というのは分かってきた。
ただ、私にとっては最初のカメラテストから見てもらっている人でもある。
その続きで、ときどき確かめてもらっている。
何となく、そう思っていた。
学校が始まってから、レッスンの回数は春休みより少し減っている。
それでも、教わったことは少しずつ増えていた。
声の出し方。相手の話を聞くこと。
歩く、止まる、座る。
物を渡すときに、相手との距離を見ておくこと。
歌も、短いものを少しだけ歌った。
音楽に合わせて動くこともした。
歌う時には息が足りなくなったし、ステップでは、出す足を考えている間に音楽の方が先へ行った。
表情を褒められたからといって、その辺りまで急にできるようになるわけではなかった。
「今日は以前やった会話へ動作を足します」
いつもの先生が、机と椅子の位置を少し変えた。
私は鞄を持って部屋へ入り、椅子の横に置く。
中から本を出して、友達へ返す。
少し話してから、鞄を持って帰る。
友達とは昨日、ちょっとした言い合いをしている。
まだ気にしているけど、今日はその話を続けたくない。
それが今日の役だった。
動線を一度確かめたら、すぐに始まった。
入口の位置から歩く。
椅子のそばで止まり、鞄を置く。
本を取り出して、相手役の女性スタッフへ差し出した。
「これ、ありがとう」
「もう読んだの?」
「うん。面白かった」
スタッフが本を受け取る。
私は椅子へ座り、少しだけ笑った。
「……昨日のこと、まだ怒ってる?」
「別に。もういいよ」
「そっか。よかった」
そのあと、二言ほど会話が続く。
最後に立ち上がり、鞄を持つ。
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日」
決められたところまで歩いたところで、先生が止めた。
「はい。いったん見ましょう」
モニターの前へ行く。
以前は、止まる位置が気になって足元を見ていた。
今日は見ていない。
本を渡す時も、腕を伸ばしきる前に相手の手が届いていた。
鞄も、途中で忘れずに置けている。
少しはできるようになったらしい。
そう思ったところで、三枝さんが画面を止めた。
「少しいいですか?」
「はい、三枝さんから何かあるならば遠慮なく言っていただければ」
「ありがとうございます。——白瀬さん。今、聞かれる前に顔を決めたでしょう」
私はモニターを見た。
相手はまだ、本へ目を落としていた。
昨日のことを聞こうともしていない。
なのに画面の中の私は、もう少し困っていた。
「……はい」
「何を考えてた?」
「次に聞かれるので、気にしてないように見せようと」
言ってから、自分で分かった。
聞かれる前から、返事の用意をしている。
「先に作らない。まず、相手を見て」
「はい」
「本を返すところまでは、本を返すことに意識を向けて。まだ聞かれてないから」
その言い方が少しおかしかったけれど、確かにその通りだった。
私は本を受け取り、鞄へ戻した。
もう一度、入口へ立つ。
歩いて、止まって、鞄を置く。
本を出す。
今度は、相手が受け取るところを見る。
「これ、ありがとう」
「もう読んだの?」
「うん。面白かった」
相手が本の表紙へ目を落とした。
少しして、こちらを見る。
「……昨日のこと、まだ怒ってる?」
そこで初めて、昨日の話へ戻された気がした。
一瞬、息が止まる。
だけど、長く黙っていたら、まだ怒っているのだと思われる。
「別に。もういいよ」
相手の顔を見たまま答える。
「そっか。よかった」
スタッフの肩から、少し力が抜けた。
本を机へ置こうと、視線が外れる。
私もそこで、息を吐いた。
口元に残していた力が緩む。
すぐに戻して、次の言葉を聞いた。
最後まで続けたあと、三枝さんが頷いた。
「うん。今の方が、相手と話してる」
よかった。
ちゃんとできていたみたいだった。
「追加で私からいくつか指示しても?」
「はい。むしろ、このまま三枝さんからの指導に移りますか?」
「そうですね……今日は、白瀬さんだけみたいですし。そうさせてください」
先生と三枝さんが向かい合って頷き合っていた。
そこまで話すと、二人は立ち位置を入れ替えるように移動した。
「白瀬さん。次は、相手にはもっと本気で信じてもらおう」
「怒ってないことを、ですか?」
「そう。今のだと、相手も少し気づくかもしれない」
私はさっきの映像を見る。
「目を外すのが、早かったですか」
「そこもある」
「じゃあ、相手が納得するまでは、見ていた方が……」
「やってみて。ただし、こっち……画面からは、まだ何か残ってると分かるくらいで」
頷いて、立ち上がる。
同じ動きを、もう一度。
今度は返事を少し早くした。
笑顔を大きくするのではなく、相手を見ている時間を長くする。
相手が頷く。
それから本を机へ置き、次の話を始める。
私はその時にだけ、口元の力を少し抜いた。
完全に顔を伏せると、こちらから見えなくなる。
「はい、そこまで」
三枝さんの声で止まった。
すぐにモニターの前へ呼ばれる。
二つの映像が、続けて再生された。
同じ台詞を言っている。
同じ本を渡している。
でも、後の方が、相手へ何かを隠せているように見えた。
「今、何を変えた?」
「最初の返事を早くしました。あと、相手を見る時間を少し長くしてます」
「そのあとは?」
「本を置く方へ向いたので、そこで力を抜きました。顔は下げないようにして」
三枝さんが、もう一度映像を戻した。
「うん。変えたところと、映ってるものが合ってる」
嬉しかった。
何ができたのか分かると、次にもできる気がする。
ただ褒められるのとは、少し違う。
……いや、褒められたことも、普通に嬉しいけど。
そのあとには、カメラの位置が変えてやってみることになった。
同じようにすればいいと思っていたら、今度は目を外した時に表情が見えにくくなった。
「このカメラの位置でその顔の向きにすると、顔が隠れる」
三枝さんに言われて、映像を見る。
本当だ。
「下を向きすぎました」
「じゃあ、そこだけ変えて。やってたことまで変えなくていいから」
直して、もう一度。
うまくいったと思った次には、鞄を持ち上げる時に肩へ力が入った。
「今、鞄を持つのに全部使ったでしょう」
「……使いました」
「顔だけ残そうとしなくていい。一回、動きの方を確かめましょう」
本を出す。鞄を置く。
立つ時には、持ち手を先に探しておく。
ただ帰るだけなのに、帰るまでに覚えることが多い。
休憩を挟み、別の短い会話をした。
最後に、最初の課題に戻った。
今度は、本を返す順番も相手を見るところも、前より自然にできた気がした。
撮影が止まって顔を上げると、モニターの後ろに、男の人が一人増えていた。
無地のシャツに、濃い色のジャケット。
新人担当の人と小さな声で話している。
目が合ったから、軽く頭を下げる。
向こうも会釈を返してくれた。
事務所の人だろうか。
少し気になったけど、すぐに三枝さんから呼ばれた。
「今日はここまで。お疲れさま」
「ありがとうございました」
「最後のは、次にも残してきて。ただ、間を何秒って覚えなくていいから」
「相手を見て、ですか」
「そう。今日の相手と、次の相手は違うから。反応を見て調整するように」
私は頷き、台本へ短く書き足した。
相手が納得したのを見てから。
帰りの電車でもう一度、今日のところを読み返そう。
そう思いながら、ポーチにペンをしまった。
————
白瀬真琴が部屋を出たあと、男はモニターの前へ椅子を寄せた。
久世透、四十五歳。
FOLIO ENTERTAINMENTの統括プロデューサーである。
レコード会社のA&Rとして新人の発掘や作品制作に関わり、その後は芸能事務所のアーティスト開発へ移った。
現在は人材配置、ブランド、ライブ事業、長期的な育成方針を扱っている。
彼は自分で振付を作るわけでも、発声を教えるわけでもない。
今日も、レッスンの途中で口を挟むことはしなかった。
技術について確かめたいことがあれば、その領域を任せている人間へ聞く。
自分が全て分かったつもりになれば、専門家を呼んでいる意味がなくなるという考えが根底にあったからだ。
「三枝さん、少しいいですか」
「はい」
三枝はまだ今日の映像を開いていた。
久世の方へ身体を向け、再生を止める。
久世が白瀬真琴の映像を初めて見たのは、二月だった。
新人開発担当から、映像方面で面白い高校生がいる、と報告が来た。
短編撮影で見つかり、面談とカメラテストを受けた、芸能経験のない少女。
最初は、そのまま俳優や広告の仕事へ育てていくのが自然だと思った。
しかし、その後も届く記録の中に、何度か同じ名前があった。
三枝朱里。
通常の新人育成を担当する講師ではない。
元モデルであり、現在は俳優、モデル、アイドルのカメラ表現を専門にする外部トレーナーだった。
姿勢を整えたり、写真映えする角度を教えたりするだけではない。
視線と呼吸のわずかな違いを、撮影する側の要求に結びつけられる。
指導の実力も、それが実際の撮影や本番へつながった実績もある。
FOLIOが彼女を呼んだのは、ただ名前を借りるためではない。
二年前、久世が立ち上げた五人組を長期的に育成するため、優先的な指導枠を確保して招聘した。
社員ではなく、複数年の業務委託契約を結ぶ専門家である。
通常の新人には、別の講師がいる。
その三枝に、担当する五人以外も見てほしいとFOLIO側から依頼した最初の例が、白瀬真琴のカメラテストだった。
そこまでは、会社の判断だ。
新人開発担当が見つけたものを、専門家にも確かめてほしかった。
三枝はその依頼を受け、二月十三日のテストへ参加した。
だが、それ以降は違った。
今日、部屋へ入る前にも久世は担当へ確認していた。
三枝に継続指導を依頼しているのか、と。
返ってきた答えは、否だった。
本来の担当を見に来る日に、真琴のレッスンが入っていれば、時間の合う範囲で見たい。
そう申し出ているのは、三枝の方だという。
もちろん、毎回ではない。
新人側と日程や指導内容を調整できた時だけだ。
それでも、専門家が自分の時間を使い、映像を確認し、本人へ直接修正まで入れている。
久世は、その判断の理由を聞きたかった。
「二月に最初に見てもらった時と比べて、白瀬さんはどうです?」
「どの部分ですか?」
「最初に三枝さんが評価していたところです。基礎を入れて、薄れてはいませんか」
「薄れていません」
返事は早かった。
三枝はモニターへ向き直り、今日の最後の映像を開いた。
「むしろ、最初より扱えるようになっています」
真琴が本を返す。相手を見る。
昨日のことを聞かれ、短く返事をする。
「二月に見たものは、偶然ではありませんでした。そこは、今の方がはっきり言えます」
「同じ課題を覚えた、ということではなく?」
「相手も、台詞も、カメラの位置も変えています。それでも、条件を理解して、必要なところを変えることができています」
三枝が、別の日の映像を開いた。
服も、相手役も違う。
真琴は立ったまま、誰かの話を聞いていた。
「相手に何を見せたいか。見ているこちらには何を残したいか。その二つを分けて扱えるところは、変わっていません」
「表情を何種類か持っている、という話ではないんですね」
「それだけなら、条件を変えても同じ顔になります。この子は、変える理由を理解していて、説明もできます」
三枝は、真琴が相手から目を外す直前で映像を止めた。
「今日も、最初はこちらに見せすぎていました。相手にも気づかれる程度に」
「そこから減らせていた」
「ただ小さくしたのではなく、相手が見ていない時間へ移しています。指示したのは、相手にはもっと信じてもらいたい、ということだけです」
久世はモニターへ目を戻した。
違いは、演技や表現の専門家ではない自分にも見える。
しかし、その違いが何によって生じたかを、一つずつ言葉にして責任を持てるのは三枝の方だった。
「それに、一か所を直す時に、他まで全部作り直しません。必要のないところは残せます」
「現場では使いやすいですね」
「その点はそうです。ただし、今すぐ長い芝居を任せられるという意味ではありません」
三枝はそこで区切った。
「短い課題の中で、細かな修正と再現ができる。今、確認できているのはそこまでです」
「長い台詞や動作が増えれば、また別ですか」
「別です。今日も、鞄を持つ方へ意識が行ったら肩が固くなりました。相手から反応がある前に顔を決める癖も、まだあります」
「その辺りは、二月からどう変わっています?」
「指摘されれば、何をしてしまったかは理解しています。指摘を受けた後に直すのは早くなっていますね」
三枝は、今日の最初の映像と最後の映像を並べた。
「二月は、身体の動きを直すだけで、顔の方まで止まることがありました。今も一時的にはあります。ただ、動作を整理すると、表現は戻ってきます」
「基礎を教えたことで、強いところまで消えてはいない」
「はい。そこを一番気にして見ていました」
三枝は台本を閉じた。
「相手を聞こうとして何もできなくなるとか、正しい立ち方に意識が向きすぎて顔まで固くなるとか。教わったことを守ろうとして、最初にできていたことが出なくなる可能性は考えていました」
「今のところは、そうなっていない」
「むしろ、何が邪魔をしているか、本人が少しずつ分かるようになっています」
画面には、口元の力を抜いた真琴が映っていた。
「二月の時から、自分が何を変えたかはある程度説明できていました。今は、うまくいかなかった時に、どこを戻せばいいかも分かり始めています」
三枝は、久世の方を見た。
「白瀬さんには、カメラ表現について明確な才能があります」
慎重な留保のあとに置かれた言葉だった。
だからこそ、重かった。
「基礎を入れても消えていません。複数回、条件を変えても出ています。最初に見た時より、その評価には自信があります」
久世は、しばらく黙っていた。
三枝も、言葉を足さなかった。
「もう一つ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「二月以降も白瀬さんを見ているのは、三枝さん自身の判断ですよね」
「そうですね」
「最初に頼んだ時から、継続して見るつもりでした?」
「いえ。一度確認するだけのつもりでした」
「そこから変わったのは?」
三枝は、止まったままの画面へ目を向けた。
「確認したくなったからです」
久世は続きを待った。
「初めての課題であれができた。それが、次にもできるのか。別の人が教えて、別のことを覚えたあとにも残るのか」
「それを、ご自身で確認したかった、と」
「はい。報告を読ませていただくだけでは、分からないところがありますから」
三枝の指が、再生位置を少し戻した。
興味がある。
その言葉だけなら、軽く聞こえる。
だが、三枝は実際に来ている。
一度見た映像へ感想を添えるだけで終わらず、次の課題を考え、修正し、その結果を確かめている。
正式所属すらしていない新人に、そこまで関わる必要はない立場だった。
本来の指導で来た日に限られるとはいえ、見るだけではなく、自分で教える。
その時間を使う価値があると、三枝自身が判断している。
久世が重く見ているのは、単に実績のあるトレーナーが褒めた、ということではなかった。
「身体の課題がもっと増えても、今の強みは残りそうですか」
「今の負荷では残っています。それ以上はやってみないと分かりません」
「声を使う方へ意識を持っていかれた場合は?」
「短い台詞でも、まだ不安定になることはあります。表現より先に、発声の基礎が必要なところもありますね」
「未経験の動きを覚える時は、どう見ています?」
三枝の手が止まった。
「……久世さん」
「はい」
「その辺りは、新人側の評価票も見ていますよね」
「見ています」
「では、どうして私にそこまで確認するんですか」
久世はすぐには答えなかった。
三枝は一度、画面へ目を戻した。
次に久世を見た時には、少し表情が変わっていた。
「……まさか」
モニターの音が、妙にはっきり聞こえた。
「あの五人の中へ入れるところまで、考えているんですか」
「まだ、そこまで決めてはいません。可能性として考えている段階です」
否定にはならなかった。
三枝が、椅子へ座り直した。
「でしたら、先に言っておきます」
声は変わらなかった。
ただ、言葉と次の言葉の間が、少しはっきりした。
「私が評価しているのは、カメラ表現です」
「はい」
「歌唱は初心者です。ダンスも初心者です。そこは、新人側の記録でもはっきりしています」
久世は頷いた。
「身体能力も、今のところ特別高いとは見ていません。見本を一度見て、そのまま動けるタイプでもありません」
「理解した修正は残る、という報告でしたね」
「そうです。ただ、理解できることと、身体が間に合うことは別です」
三枝は言葉を切った。
「歌も、声色を変える感覚は面白いと書かれています。でも、表現を優先すると音程や呼吸が崩れるとも書かれている。私は、その不足がどのくらいで埋まるかまでは判断できません」
「そこは、別の専門家に聞く必要がある」
「はい。私が白瀬さんに才能があると言ったことを、他の領域まで同じようにできるという意味にはしないでください」
「そこは分けています。私だけで判断するつもりもありません」
「……カメラの前で修正が速いから、歌もダンスも同じ速度で伸びる、とは言えません」
「分かっています」
久世は、机に置いていた評価票へ手を添えた。
「そこを確かめずに、先へ進めるつもりはありません」
三枝はしばらく久世を見ていた。
やがて、小さく息を吐く。
「それならいいです。ただ、随分先まで考えている顔に見えたので」
「まだ考えているだけですよ」
「その段階のうちに言っておきたかったんです」
今度は久世が、少し笑った。
「ありがとうございます。そのために聞きに来ました」
三枝はもう一度、モニターへ目を向けた。
「この子が今できていることまで、できないことの方へ引っ張らないでくださいね」
その言葉に、久世も表情を戻した。
————
施設を出る前に、久世は新人開発担当へ、通常レッスンの記録をもう一度まとめてもらうよう頼んだ。
成功した映像だけではなく、できなかった時と、そのあとに何を直したか。
本人の発言と、講師の所見。
学校との日程調整。
見たいのは、それらを並べたものだった。
二月に見つかったカメラ表現は、残っている。
一方、歌も身体も基礎からだ。
何でもできる新人が現れたわけではない。
それでも、最初に分かった長所だけで、進む先まで決めてよいのか。
久世には、一度それを間違えた覚えがあった。
小柄で、童顔で、柔らかな声を持つ子を、その見えやすい可愛らしさへ寄せて売った。
実際に、それで人の目を引くことができてしまった。
しかし、そのあとから見えてきたのは、映像を繰り返し確認する粘り強さや、位置の精度、周囲を見る冷静さだった。
自分は、その子の半分しか見ていなかった。
そう痛感したことを、よく覚えている。
カメラに強いから俳優。
それだけでは早いかもしれない。
だからといって、他の場所にも使えそうだから、そこへ置く。
それでは、さらに乱暴になる。
その夜、届いた記録を読みながら、久世は新しい文書を開いた。
『新人候補・白瀬真琴 追加適性評価案』
起案者の欄に、自分の名前を入れる。
新人開発担当に頼んだのは、あくまで事実の整理だった。
この先、誰に何を確かめてもらうかを決め、会社へ提案するのは久世の仕事である。
ダンス体験の欄には、短い所見があった。
初動は遅い。
見本だけでは拾いきれない。
ただし、重心と足の順序を説明したあとには、同じ箇所の間違いが減る。
その下には、真琴がした質問が残されていた。
右足を動かすのが遅いのか。
それとも、右足へまだ体重が残っているから動かせないのか。
答えを知っている子の質問ではない。
できない場所を、相手に教えてもらえる形へ変えようとする質問だった。
久世はその欄を、提案の根拠として抜き出した。
————
二日後、FOLIO本社の会議室には、各部門の責任者が集まっていた。
代表のほかに、アーティスト開発、俳優・タレント、マネジメント、企画開発、コーポレートの担当責任者。
部門をまたぐ投資や育成方針を扱う、定例の経営会議だった。
幾つかの議題が終わったところで、代表が手元の資料をめくった。
「次は、久世さんからの追加適性評価案ですね」
「はい。私から説明します」
新人開発担当も、この議題の補足説明のために席へ加わっていた。
壁の画面へ、久世が作った資料が映る。
対象者の氏名と年齢。
これまでの体験レッスン。
現在の評価。
追加で確認したい項目と、依頼する専門家、必要な稼働の見込み。
具体的な活動先や、所属後の編成案は、どこにも書かれていなかった。
経営会議の資料は、出席者へ事前に回される。
管理された社内資料ではあっても、情報が外へ出る可能性まで完全にゼロにはできない。
だから久世は、まだ検討以前の段階にある内容だけは、資料には残さなかった。
この場で伏せたまま話を通すつもりはない。
必要な説明は、議題の中で自分の口からするつもりだった。
「白瀬さんは、二月から映像方面で見ている子ですね」
俳優・タレント部門の責任者が言った。
「そうです。カメラ表現に明確な適性があり、現在は通常の新人候補として基礎レッスンを受けてもらっています」
久世は資料を進めた。
「その評価を踏まえて、声と身体について、一度ずつ追加の専門評価を行いたいと考えています」
「俳優として、使える範囲をもう少し詳しく見るということですか」
「まずは、現在の強みが声や身体の動きと組み合わさった時に、どこまで残るかを確認したいという提案です。先に、根拠となる映像を見てください」
画面が切り替わった。
二月のカメラテスト。
三月の会話課題。
先日の、動作を含むレッスン。
うまくいったものだけではない。
相手が話す前に表情を決めたものも、身体が硬くなったものも入っていた。
それぞれのあとに、指導を受けてやり直した映像が続く。
「この二つは、何を変えるように言われたんですか」
企画開発の責任者が聞いた。
「目の前の相手には、もっときちんと信じてもらうこと。ただし、映像を見る側には、何かを我慢していることが残るように、と」
同じ台詞が、もう一度流れた。
真琴が笑う。
相手を見たまま頷く。
相手が本へ注意を移してから、口元の力が緩む。
「細かいですね」
「三枝さんが高く評価しているのも、その部分です。指示されたことを理解し、必要な箇所だけ変えられる。別の課題を挟んでも戻せます」
久世は映像を止めた。
「カメラ表現については、初回の評価を維持しています。一方で、一般的な演技基礎は育成途中です。長い台詞や動作を伴う芝居を、今すぐ仕事として任せられるとは判断していません」
「その見方は、俳優側も同じです」
責任者が頷いた。
「継続して育てる価値はあります。ただ、まだ基礎を積む段階でしょう」
「はい。その点に異論はありません」
久世は答えた。
「ただ、今回の提案には、もう一つ根拠があります。三枝さんの関わり方です」
代表が顔を上げた。
「二月のカメラテストは、こちらからお願いして見てもらいました。本来の担当以外を見てほしいと依頼した、初めての例です」
「それは報告を受けている」
「その後も記録に三枝さんの名前がありますが、白瀬さんの継続担当として配置したわけではありません」
「どういうことだ?」
「三枝さん自身が、もう一度見たいと申し出ています」
企画開発の責任者が、資料へ目を戻した。
「三枝さんの方からですか」
「はい。本来の指導で施設へ来られる日に、白瀬さんの予定が合えば、という形です」
新人開発担当が補足した。
「こちらで通常講師と日程、内容を調整しています。映像を確認するだけでなく、直接修正を入れて、別の条件でもう一度やってもらうところまで見ていただいています」
「今回も?」
「今回もです」
机の向こうで、紙をめくる手が止まった。
三枝は、FOLIOが用意した新人クラスへ順番に入る講師ではない。
そのことは、ここにいる人間なら知っていた。
「先日、私から理由を聞きました」
久世は続けた。
「最初に見たものが偶然なのか。基礎を教えたあとにも残るのか。それを、自分で確かめたかったそうです」
「結果は?」
「残っている、と。カメラ表現については、二月より自信を持って才能を評価できるとのことでした」
代表が、資料へ短く何かを書き込んだ。
「ただ、三枝さんが関心を持ったことだけで、別の領域まで評価するつもりはありません。歌とダンスは初心者です。そこは本人も講師も、できているとは言っていません」
アーティスト開発の責任者が、評価票へ目を落とす。
「歌唱体験は、短い模唱と簡単な歌だけですね」
「はい。声色を変える感覚には特徴がありますが、表現へ意識が向くと、音程や呼吸が崩れるという所見です」
「身体能力も標準範囲。ダンスは、見本を見ればすぐ取れるというタイプではない」
「そうです。ただ、理解した修正は残る傾向があります。何ができないかを、具体的な質問へ変えられることも評価しています」
久世が次のページを開いた。
そこに、高瀬直人と鳴海亮介の名前があった。
「身体とダンスを高瀬さんに、声と歌唱を鳴海さんに。一回ずつ、直接見てもらいたいと考えています」
コーポレートの責任者が、画面と手元の資料を見比べた。
「三枝さんに加えて、この二人ですか。かなり手厚いですね」
「通常の新人指導とは別の、個別評価として依頼したいと考えています」
「長期契約があるから、そのまま頼めるという話ではありませんよ」
「承知しています。事前に記録を見てもらう時間と、実技、所見をまとめる時間まで含めて、追加の稼働条件を確認します」
「継続指導も含みますか」
「今回は含めません。高瀬さんには六十分から九十分程度、鳴海さんには六十分程度の実技を想定しています。そのあと、現在の水準と、育成する場合の条件を出してもらいます」
「二人の本来の予定を動かす前提ではないですね」
「はい。そちらを優先したうえで枠を相談します。今回認めてもらいたい費用も、評価の範囲までです」
「三枝さんが関心を持って見ているから、他の二人にも同じように空いた時間で、とはなりませんよ」
「そこは分けます。こちらが結果を求めて依頼する仕事ですので」
俳優・タレント部門の責任者が、資料を机へ置いた。
「現在の講師の評価では、足りないという判断ですか」
「いえ。今の記録は十分に参考になっています」
「声も身体も基礎から必要だということなら、通常の育成を続ければいいのではありませんか。専門家を替えても、現時点で初心者であることは変わらないでしょう」
「変わらないと思います」
久世は答えた。
「ですので、できるところを探して高い点をつけてもらうための評価にはしません。教えたあとに何が残るか。声と動作を同時に扱った時に、どこから崩れるか。そちらを詳しく見たいと思っています」
アーティスト開発の責任者が口を開いた。
「学習の仕方と、複合課題への適性ですか」
「はい。それと、育成に必要な時間と負荷です」
「一度見ただけで、何か月後にどこまで伸びるかは断言できません」
「断言は求めません。現状の技量、修正への反応、継続して見る場合の条件。分からないことは、分からないまま記録してもらいます」
久世は、資料の該当箇所を示した。
「同じように『育成可能』と書かれていても、必要な時間が違えば判断は変わります。そこを一つの言葉で済ませたくありません」
マネジメントの責任者が、年齢の欄にペン先を置いた。
「……その時間ですが、本人は高校三年生ですよね」
「はい」
「春休みは終わっています。大学進学の希望も変わっていませんか」
新人開発担当が答えた。
「変わっていません。学校の日程に合わせて、今月から通常週の回数へ戻しています」
「歌や身体まで専門的に見ようとすると、そのための準備も増えます。本人の時間をどこから取る予定ですか」
「評価前に何かを仕上げさせるつもりはありません。実施日も、通常のレッスンと調整します」
久世は言った。
「今の状態を見てもらいます。評価のために練習量を増やせば、普段の負荷で何ができるか分からなくなりますので」
「結果を見て育成を増やす場合には、学校と受験の時間を残して成立するか、改めて確認してください。本人が家で練習すれば、という前提も置かないでください」
「はい。その条件を外した育成計画は出しません」
責任者は頷いたがペンは置かなかった。
「本人が、何をしたいと思っているかも必要です」
その問いに、新人開発担当が少し間を置いた。
「レッスンは、続けて試したいという希望があります。ただ、何の仕事をしたいかは、まだ決まっていません。自分に何ができるか知りたい、という言い方です」
「歌やダンスをもっとやりたい、という希望ではない、と」
「今のところ、そこまでは確認していません」
「でしたら、適性があったとしても、それだけで育成科目を増やせませんね」
久世は頷いた。
「本人と保護者には、今後の活動領域を検討するため、専門スタッフにも基礎適性を見てもらいたいと説明します。その参加を了承したことと、将来その仕事を選ぶことは別に扱います」
「評価を受けるなら所属しなければならない、と受け取られないようにしてください」
「そこも、これまでと同じです。費用を理由に継続を求めることはしません」
説明する窓口は、新人開発担当のままだった。
久世が新しい可能性を考えたからといって、その場で本人の所属先や担当が変わるわけではない。
担当者が、説明時に確認する項目を書き足していた。
「演技へ使える時間が減ることも、考えておいてください」
俳優・タレント部門の責任者が言った。
「この子は、すでに得意なものが見つかっています。それを仕事へつなげるために必要な基礎も分かっている。別の適性を探すことで、そちらの育成を遅らせる可能性もあります」
「ありますね」
「選択肢は多いほどいい、とも限りません。本人の希望がまだ定まっていないなら、なおさらです」
久世は、その言葉を聞きながら、三枝との会話を思い出していた。
できないことを調べる間に、できることの扱いまで変えてはならない。
「今回の結果がどうであっても、映像方面で継続育成する価値があるという評価は変えません」
「追加評価が悪ければ、全体として評価を下げるということではないと」
「はい。歌やダンスに適性が見つからなくても、カメラ表現の強みがなくなるわけではありません」
「では、映像の育成を続ける判断と、今回の提案は別ということですね」
「そのつもりです」
企画開発の責任者が、閉じた資料へ指を置いた。
「白瀬さんが通常の新人候補として有望なのは分かりました。三枝さんが、個人的な関心を持って継続して見ていることも」
そこで、久世へ視線を向ける。
「ただ、それを確認するためなら、すでに十分な材料がありますよね」
「はい」
「発声や身体の基礎をもう一段見るだけなら、今の講師に続けてもらう方法もあります。高瀬さんと鳴海さんを、今この段階で指名する理由が、まだ分かりません」
久世は頷いた。
ここから先が、資料には書かなかった本題だった。
代表が静かに続ける。
「通常の新人育成を丁寧に行うための提案としては、少し大きいな」
責める声ではなかった。
だからこそ、曖昧に返すことはできなかった。
「なぜ、そこまでする必要がある」
机の上の資料には、白瀬真琴の名前があった。
その下には、基礎育成段階、初心者、標準、と続いている。
突出しているのは、一つの領域だけだ。
久世は資料を閉じた。
「その一つの強みが、個人の映像の仕事だけでなく、別の場所でも必要になる可能性を感じているからです」
顔を上げる。
「白瀬真琴さんを、FOLIOのフラッグシップであるLumière Paletteの追加メンバー候補として検討する価値があるか。その判断材料を集めたいと考えています」
紙をめくる音が、止まった。
俳優・タレント部門の責任者が、久世を見た。
マネジメントの責任者は一度画面へ目を向け、手元の資料を開き直した。
新人開発担当も、メモを取る手を止めていた。
「……追加メンバー、か」
代表が聞いた。
「はい。ただし、今この場で候補にすると決めてほしい、という提案ではありません」
「高瀬と鳴海を指名したのは、そのためか」
「そうです」
久世は頷いた。
「二人とも、今の五人が本番で何を求められているかを知っています。同時に、そこへ至るまでに、何をどれだけ積み上げたかも見ています。その両方を知る専門家として、白瀬さんを一度見てもらいたいと考えています」
代表は、しばらく黙っていた。
先ほどまでの問いは、有望な新人一人に、どこまで手をかけるかだった。
今は、その新人を受け入れるかもしれない場所の重さが加わっていた。
「今の五人には、増員しなければ成立しない問題はないな」
「ありません」
久世は即答した。
「私が当初の企画書で考えていたのは、平均的に優秀な五人を揃えることではありませんでした。違う強みを持つ五人が、それぞれ別の理由で必要になるグループを作ることです」
代表は、久世を見ていた。
「歌、ダンス、統率、再現性、人へ届く華。苦手な部分は育てる。ただし、強みまで同じ形に揃えない。今の五人は、その形で既に完成しています」
久世は、一度言葉を切った。
「ですので、不足を埋めるための増員ではありません。白瀬さんが誰かの代わりになるとも考えていません」
「それなら、何を加えるつもりだ」
「視線や呼吸のわずかな違いで、見ている人に、その先の感情を想像させる力です」
久世は、止まった画面へ目を向けた。
「今の五人も、カメラの前で表現することはできます。ただ、白瀬さんが最初から細かく扱っているものは、それぞれが軸にしている強みとは違います」
「それなら、映像作品で共演するだけでもいいのではありませんか」
俳優・タレント部門の責任者が聞いた。
「一緒に映れば、ともに作品を作り上げることはできます。恒常的に加える必要まではないでしょう」
「一緒に映るだけで十分なら、その方法を選ぶべきです」
久世は答えた。
「私が見たいのは、その表現が歌や身体の動きに乗っても残るかです。他の人の歌や動きを受けた時に、一人では作れない表現になるか。その可能性を、最初から外したくありません」
「そこまでのことを、現状で把握できるのか」
「分かりません。だからこそ、まず技術的にその入口へ立てるかを確かめたいのです」
久世は、三枝に言われたことを、そのまま会議へ置いた。
「カメラ表現の修正が速いから、歌もダンスも同じ速度で伸びるとは言えません。今の技量だけなら、基準にはほど遠いでしょう。その差を埋められないなら、この案は進められません」
アーティスト開発の責任者が頷いた。
「育てられるとしても、既存の五人と一緒に本番へ出せるまでには、別の確認が必要です」
「はい。三人の評価だけで、集団としての相性まで決まるとは考えていません。候補とするかを判断したあとにも、本人がともに取り組んで確かめる段階が必要です」
マネジメントの責任者が、資料の余白へ新しく線を引いた。
「その段階へ進むとして、六月の二日間公演の準備は動かせません。十二日にツアーを終えたばかりです。五人にも、スタッフにも、自由な時間が余っているわけではありません」
「それは前提としています」
「新人が一人入れば、待つ時間も、やり直す時間も増えます。本人たちは手伝うでしょうが、それを育成の人員として数えないでいただきたい」
「当然です。基礎を教える責任は、専門スタッフが持ちます。進める場合は、早川にも日程と負荷を確認してもらいます」
「白瀬さん自身の受験もあります」
「もちろんです。その点も考慮には入れています」
企画開発の責任者が、久世へ向き直った。
「技術と日程が成立しても、五人を支持してきた人たちが、同じように受け入れるとは限りませんよ」
「はい」
「歌割りも、立ち位置も変わります。新人を加えた理由を説明しても、五人のままがよかったと言われるでしょう。その矢面へ立つのは、本人たちです」
久世は、すぐには答えなかった。
画面の中の真琴は、まだ椅子に座っていた。
自分に何ができるか知りたくて、体験レッスンへ通っている少女だった。
会社が考えた新しい可能性は、本人にとって、ただ嬉しいだけの話にはならない。
「そのリスクがなくなるとは言えません」
久世は言った。
「ですから、入れることを先に決めて、あとから理由を作る、などという順番にはしません。加える価値があるか。育成が成立するか。本人がその活動を望むか。それぞれ確かめる必要があります」
「本人は、まだアイドルをやりたいと言っていないだろう」
「言っていません。ですので、評価がよかったことを、本人の希望の代わりにはしません」
代表が、ここまでのメモを見返した。
「随分と、大きな話だ」
「はい」
「現時点で、増員の利点がリスクを上回ると判断できる材料はない」
「その通りです」
久世は頷いた。
「ただ、三枝さんが複数回見ても評価を下げず、基礎を入れたあとにも強みが残っている。不得意な領域でも、理解して修正を積み上げる力は見えています。確認する価値はあると、私は考えています」
会議室が静かになった。
誰も、加入させればいいとは言わなかった。
久世も、その答えを求めてはいなかった。
「三枝さんには、これまでのカメラ表現の評価を、現在の課題も含めてまとめてもらいます」
久世は続けた。
「高瀬さんには身体とダンス、鳴海さんには声と歌唱を、それぞれ一度、直接見てもらいます。三名の所見を揃えて、候補とするかどうかを判断するための提案を、改めて提出します」
「三人が賛成すれば進める、ということではないな」
「はい。Lumière Paletteは我が社の収益にも関わる一大プロジェクト。その前提を無視して進めることは決してありません。何ができて、何が足りず、どの条件なら育成できるのかを整理します。判断できない部分も含めて持ち帰ります」
代表は、資料の表紙へ戻った。
「本人と保護者には?」
「実施内容と目的を説明して、追加評価への参加を確認します。具体的な方向転換を提案するのは、結果を見て社内で判断してからです。それまでは、特定の曲や振付を使った準備も始めません」
「今いる五人にも、まだ話していないな」
「はい。現時点では、検討のための材料が足りません」
代表が、各部門の責任者へ視線を移した。
コーポレートの責任者は、資料の費用枠内で稼働条件を確認すると答えた。
マネジメントの責任者は、本人の学校日程と専門家の既存予定を優先することを確認した。
俳優・タレント部門の責任者が、最後に口を開いた。
「この案が進まなくても、映像方面の育成は続ける。その点は、変わりませんね」
「変わりません」
久世は答えた。
「別の可能性が成立しなかったことを、白瀬さんの才能がなかったことにはしません」
代表が資料を机へ置いた。
「分かった。外部トレーナー三名の評価を揃えるところまでは認める。その結果を持って、もう一度正式に起案するように」
そう言われると同時に、周囲の者たちも頷いて納得し、次の議題に移っていった。