「百花繚乱」編|第3章「心ざし潜む綾目髪の散る惜しむ間に」 作:ゆゞきノ君
・オリジナルキャラクターが主軸になります。
・政治・軍事描写が多めです。苦手な方はご注意ください。
百鬼夜行、陰陽部本館――。
九尾の狐との戦闘から、まだ三日しか経っていない。
それにもかかわらず、私は再びこの本館の敷居を跨ぐことになった。急遽招集された、公卿会議。集められたのは、陰陽部の総メンバーと、百花繚乱の幹部たちである。
広間に満ちる空気には、あの日の硝煙の匂いが、まだ僅かに残っているような気がした。あるいはそれは、この場に漂う緊張そのものが、私にそう錯覚させていただけかもしれない。
「一体全体、ツツジは何をやらかしたの?」
桐生キキョウが、苛立ちを隠しきれない声で、陰陽部部長・天地ニヤへと詰め寄る。
ニヤは無言のまま、全員の前に一枚の文書を差し出した。
畳の上を滑るその紙。表題には――『降伏勧告』。
「その文書にも書かれているように」
ニヤの声は、平静を装いながらも、微かに震えていた。
「
「降伏勧告……?」
キキョウが、掠れた声で呟く。
「なんで、こんなタイミングで――」
「九尾の狐はどうなったんだ!」
私自身、その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になるのを感じた。
混乱が、瞬く間に部屋中へと広がっていく。
「文章経国学院なんて」
私は、絞り出すように口を開いた。
「キヴォトスで、聞いたことがないけど……」
「当然です」
ニヤは、静かに、しかし苦々しく答えた。
「文章経国学院は、つい二日前に――我が学院から独立した学園なのですから」
「既に、エビス分校、ヤマセ分校、タライ分校、ヒガキ分校、ダイコク分校が文章経国学院に参加し」
「さらに今、ツクシ分校やクナ分校にも、連合学院離脱の機運が広がっている状況です」
わずか二日前。
エビス分校では急遽生徒会選挙が開催され、武者小路ツツジがエビス分校生徒会長に就任していた。そして即日――陰陽部と百花繚乱の治安能力の欠如を理由に、エビス分校は百鬼夜行連合学院からの脱退を宣言。新たに『文章経国学院』の創設が発表された。
同じく治安能力に不信を抱いていたヤマセ分校、イサワ分校、ヒガキ分校、ダイコク分校もまた連合学院を離れ、この新興学院へと合流していた。
たった二日で。
この学院の半身が、音もなく切り離されていたのだ。
「おい、このままじゃ、九尾の狐が黄昏の寺院を見つけちまうぞ!」
不破レンゲが、焦燥の滲む声を上げる。
それに対して、キキョウが冷静に応じた。
「九尾の狐が活動しているなら、既に黄昏の寺院に到着しているはず。でも、その様子はない」
「怪異現象の増加も見られない。おそらく、前回の戦闘で――九尾の狐の活動が、大きく制限されているんだと思う」
「以前、百蓮を持たなかったツツジ先輩が九尾の狐と戦った時ですら、一週間、その行動を封じていた」
「そして、数日前の戦闘では、ナグサ先輩の百蓮が命中している」
「少なく見積もっても――一週間以上は、九尾の狐は動けないはず」
レンゲが、探るように問い返した。
「文章経国学院をツツジ先輩が作ったのは、その時間稼ぎのためってわけか?」
「それは……あるとは思うけど……」
キキョウの声には、明らかな逡巡があった。
それも当然だ。九尾の狐の行動を制限したいだけなら、これほど大掛かりな武装蜂起など、そもそも必要ないはずなのだから。
ニヤは、一旦話を降伏文書の件へと引き戻す。
「ひとまず、百花繚乱の皆さんに、ご理解いただきたいのは」
彼女の声は、努めて冷静だった。
「陰陽部の総意として――この文書は、到底受け入れられない内容である、ということです」
「じゃあ、どうすんだ?」
レンゲの問いに、ニヤは口を噤んだ。
「それは……」と言ったきり、続く言葉が出てこない。
私は、その沈黙を埋めるように口を挟んだ。
連邦生徒会に連絡を取る間は、明確な回答を避け、返答を先延ばしにする――それが、今取りうる最善の策ではないかと。
「それだけは、駄目です」
ニヤの声が、鋭く私の言葉を遮った。
その語気の強さに、私は思わず口を閉じた。
「この文書の筆跡は、確かにツツジ先輩のもの」
「軍師大権がどれほどの法的効力を持っているかは、私自身分かりません。ですが――この文書の正当性が認められる可能性は、十分にあります」
「さらに、回答期限も、明確に今日となっています」
ニヤの指が、文書の一点を叩いた。
「ツツジは、先延ばしを許すほど甘い相手じゃありません。書いてある通り――きっと、明日か明後日のうちに、攻めてきます」
「しかし」
その時だった。
それまで一言も発していなかった七稜アヤメが、控えみに口を挟んだ。
「先生の言ったことが、最善手だと思う。ツツジ先輩が、そんな短気な人だとも、私は思えない」
しかし、それに対しニヤは静かに、しかし確信に満ちた声で言った。
「いや」
「あの人は――ツツジは、必ず攻めてきます」
その一言に、部屋の空気が、また一段と重くなった。
ニヤの、いつになく焦った様子。それに対してアヤメの、あまりにも温和な口ぶり。この二人の中に別々のツツジがいるような――私たちは、そんな言い知れぬ違和感を覚えずにはいられなかった。
結局、その日の公卿会議は、時間を稼ぐという結論で概ね合意された。
百鬼夜行側は文章経国学院に対し、『連邦生徒会の未承認学園の文書は、法的効力を持たない』とだけ返答することとなった。
*
会議が終わり、陰陽部の大半のメンバーが部屋を後にする。
やがて広間に残ったのは、御陵ナグサ、桐生キキョウ、不破レンゲ、勘解由小路ユカリ、そして私と、天地ニヤ――六人だけとなった。
七稜アヤメの姿は、そこになかった。
会議の終わり際、ニヤが彼女にだけ、そっと退室を促したのだ。
「なぜ、アヤメを会議室から追い出したの?」
ナグサが、率直に問うた。
「それは……少し、彼女には刺激が強すぎると言いますか、なんと言いますか――」
ニヤは、歯切れ悪くそう答えると、視線を畳へと落とした。
誰も、それ以上は追及しなかった。
窓の外は、既に橙色に染まり始めている。傾いた陽が障子を透かし、床に格子の影を長く伸ばしていた。
その静寂の中で――私はずっと胸の奥に抱えていた疑問を、ついに口にした。
「継承戦の時から、思っていたんだけど」
ニヤが、こちらへと視線を上げる。
「なぜ、ニヤは――武者小路ツツジを、それほどまでに警戒するの?」
その問いに、ニヤは俯いた。
しばらくの間、彼女は何かを考え込むように、じっと動かなかった。膝の上で組まれた指先が、僅かに強張っているのが見える。
やがて――意を決したように、まっすぐに顔を上げた。
「この際です」
「先生たちには、全てをお話ししましょう」
ニヤの視線が、会議室の床の一点へと落ちる。
そこには、何度も拭われたのであろう、微かに赤みを帯びた染みが、うっすらと残っていた。
彼女はそれを見つめたまま――静かに、語り始めた。
【文章経国】
文章(詩文)は国家を経営する大業である、という中国由来の思想から。武ではなく文によって国を成す、という理念を掲げた学院名です。