「百花繚乱」編|第3章「心ざし潜む綾目髪の散る惜しむ間に」 作:ゆゞきノ君
・オリジナルキャラクターが主軸になります。
・政治・軍事描写が多めです。苦手な方はご注意ください。
先生たちが黄昏の寺院を出ると、遠くの空に、黒い点が幾つか浮かんでいた。
やがてそれは、重い羽音を伴って近づいてくる。
――救援ヘリだった。
FOX小隊と、Rabbit小隊。朝焼けの太陽を背負い、鈍く輝く機影が、まっすぐにこちらへ向かってくる。
「おーい、ここだー!」
「身共たちは、ここですのー!」
ユカリとレンゲが、泥と埃にまみれた腕を、力いっぱい振り上げた。
その声が、朝の澄んだ空気の中で、やけに軽やかに響く。ローターの巻き起こす風が、倒れた木々の枝葉をざわめかせ、二人の髪を大きく乱していった。
「全て、終わったのね――」
キキョウが、深く息を吐く。張り詰めていたものが、ようやく身体から抜け落ちていくような、長い呼気だった。
「いいや、まだだ」
先生が、鋭く顔を上げた。
「まだ、文章経国学院の生徒と、連合学院の生徒たちが争っている。早く止めないと――」
「それなら、大丈夫ですよ」
アザミが、静かにそう答えた。
空を見上げたまま、まるで全てを知っているかのような口ぶりで。
「それって、どういう――?」
*
誰もいないはずの、クロノス報道部の部室。
その放送室に、ふと灯が点った。
誰の手も触れていない卓上で、スイッチが独りでに倒れる。周波数のダイヤルが、ゆっくりと、まるで見えない指に導かれるようにして回っていく。キヴォトス中のラジオへ、無線へ、あらゆる電子の耳へと届く、その一点へ。
そして――音が、生まれた。
*
同時刻、百鬼夜行――最前線。
夜明け前の空を、無数の砲弾が朱の弧を描いて飛び交っていた。着弾のたび、大地が抉れ、黒い土砂が噴き上がる。塹壕の底には、硝煙と泥と、汗の匂いが濃く澱んでいた。
「この徒歩砲兵の砲撃は、三分後に止む。そのあとは、我々歩兵の出番だ」
清浦ケアキの声に、力が籠もる。
「これは――最後の歩兵突撃である」
「この攻勢が成功した暁には、百鬼夜行連合学院の全学区は、我々文章経国学院の名の下に統一される」
彼女は、塹壕の縁に足をかけ、居並ぶ将兵たちを見渡した。
「帝政ゲヘナの兵士諸君らよ! 栄光あるプロシア王冠学園の系譜を引く者として、先代に恥じない戦いをしろ!」
「連合学院から独立した分校生徒諸君よ! 諸君らを蔑み続けた雲客どもに、武士の本領を見せつけてやれ!」
「そして我らホワイトウィンター学園の生徒よ! 我々を見捨てた連邦生徒会に、鉄槌を下してやれッ!!」
その言葉に呼応し、広大な塹壕の各所から、雄叫びが次々と上がった。
「フュア・デン・カイザーッ!!」
ゲヘナ学園の生徒が叫ぶ。
「仁義礼智信ッ!!」
それに触発され、連合学院分校の生徒たちが続く。
「ザ・ツァーリャ、ザ・ローディヌ、ザ・ヴェーリュ!!」
ホワイトウィンター学園の生徒たちの声が、大地を揺るがした。
清浦ケアキが、突撃命令を告げるホイッスルを口に咥えた――その時だった。
掩体壕から、通信士が血相を変えて駆け寄ってくる。
「清浦ケアキ大元帥殿!」
「どうした」
「武者小路ツツジと名乗る発信者が――キヴォトス各地のあらゆる無線、通信機器にアクセスしていますッ!」
ケアキは、ホイッスルを口から離した。
「――すぐに、その内容を確認しろ」
「ここにいる生徒全員に聞こえるよう、スピーカーに繋げ」
「はっ!」
*
無線が、スピーカーへと接続される。
次の瞬間、その声は、戦場の隅々にまで届いていた。文章経国学院の生徒として銃を握る者にも、それに抗って引き金に指をかけた者にも。硝煙の立ち込める最前線に、その声だけが、静かに、しかし確かに響き渡っていく。
それは――紛れもなく、武者小路ツツジの声だった。
「我は、学院が呼んでいるのを聞き――」
銃口が、下がった。誰からともなく。
「それは海の向こうから、はるばる海を越えて、学院は我を呼んできた」
「学院の剣は傍らに
「我には戦いの音が聞こえる。銃の雷鳴が」
風が、止んだ。
「我は、我が母なる学園たる汝のもとに駆けつけよう。汝の息子のなかの、一人として」
その言葉が響き渡った、まさにその瞬間だった。
戦場に翻っていた文章経国学院の旗――その布地の端に、昇り始めた朝日の光が触れる。
すると。
光の触れたその一点から、旗の紋様が、静かに、静かに――変わり始めた。
百鬼夜行連合学院。ゲヘナ学園。ハーデス゠シェオル二重学園。ホワイトウィンター学園――。
今なおキヴォトスに在る学園の旗から、とうに歴史の彼方へと消え去ったはずの学園の旗まで。ここに集った者たち一人ひとりの、それぞれの母校の旗が――今、彼女たちの目の前で、朝の風を受けて翻っていた。
誰かが、息を呑んだ。誰かが、声にならない声を漏らした。
自らの手で焼き捨てたはずの旗を。二度と見ることは叶わないと諦めていた旗を。彼女たちは今、この目で見ているのだ。
「そしてもう一つの学園があると――はるか昔に、伝え聞かされた」
声は、静かに続いた。
「かの学園を愛する者には最も愛しく、かの学園を知る者には最も偉大であり――」
「かの学園には軍隊が無く、王も存在せず、人々の敬虔な心が砦となり、受難は誇りとなる」
「人々の魂ごとに、その静かなる輝きは増し――かの学園が歩む道のりは穏やかで、その先には、常に平和がある」
塹壕の中で、誰かが泣いていた。
それが敵味方どちらの塹壕であったのか、もはや誰にも分からなかった。
「私には、見えない」
声が、僅かに柔らかくなる。
「だが――これを聞くすべての生徒には、見えるだろう」
「諸君の眼前に靡く、麗しき校章――」
ああ、と。
誰かが、空を仰いだ。
「嗚呼、我は汝に誓う――我がキヴォトスよ」
「諸君らの
一拍の、沈黙。
「さらば、戦友たち」
その声には、微笑みが滲んでいた。
「かつてキヴォトスの東の果てから西の端まで――自身の学園のため、愛する後輩のために戦った全ての生徒たちよ」
「君たちの武勇伝を、また聞かせてくれ――」
「朝焼けのヴァルハラで、君たちの戦友と共に、私は待っている――」
*
放送が終わった時。
戦場には、一発の銃声も、一発の砲撃も、鳴らなかった。
ただ、朝日だけが、静かに昇り続けていた。
*
それは、はるか洋上でも同じであった。
既に互いの照準を定め、あと一言の号令を待つばかりであった西漸艦隊と東漸艦隊。その両旗艦のマストに――ほとんど同時に、白旗が掲げられた。
やがて、両艦隊のマストから、掲げていた旗が静かに降ろされる。代わりに翻ったのは――かつての、軍艦旗であった。
そして。
互いに正反対の針路を取った二つの艦隊が、朝凪の海面の上を、ゆっくりと交差していく。
その頭上に、桐壺ナガセ率いる戦闘機隊と、東漸艦隊の飛行艇が、編隊を組んで近づいてきた。
――その時だった。
水平線の彼方から、もう一個の編隊が、朝日を割るようにして現れる。
二つの編隊が、静かに合流した。
『こちら西漸艦隊所属、第一〇八戦術戦闘飛行隊、隊長機』
無線に、聞き覚えのある、ざらついた声が割り込んだ。
『ラーズグリーズ隊諸君、俺の声が聞こえるか?』
「その声は――」
風防の内側で、ナガセの喉が震えた。
「バートレット大尉――ッ!?」
無線に、堪えきれなくなった嗚咽が混じった。
『ばかっ。涙声なんて出すんじゃねぇ』
*
航空隊が、海面すれすれを駆け抜けていく。
どちらの艦の甲板にも、乗組員たちが整然と列を成していた。誰の号令があったわけでもない。ただ、自然とそうなったのだ。
やがて、その飛行隊が頭上を掠めた――その瞬間。
両舷の生徒たちが、一斉に敬礼を捧げた。
言葉は、一つもなかった。ただ、波の音と、風の音と、幾百もの手が同時に上がる、その微かな衣擦れの音だけが、朝の海に満ちていた。
そして彼女たちは――そして桐壺ナガセもまた――静かに顔を上げた。
編隊の先頭に立つ、バートレット大尉の機体。朝日に照らされたその翼。そして、ゲヘナの戦闘機の側面に輝く、自らの校章を。
じっと、じっと、見つめていた。
「二番機として――」
風防の内側で、ナガセが呟いた。
「二度と隊長機を失うまいと思って……今まで、飛んできました」
朝日が、彼女の頬を赤く濡らしていく。
「あと少し――」
声が、震えた。
「もう少しだけ、君の二番機でいさせてください――」
逆に、航空隊の生徒たちは――高く翻る両艦隊の旗へ。かつて自らが所属していた、学園の旗へと。
深く、深く、敬礼を捧げていた。
*
その同じ朝、キヴォトスの各地で。
崩れかけたアビドスの校舎、その瓦礫の隙間から。かつて砲弾に抉られた、北の大地の底から。誰の目にも留まらぬ、道端の片隅から。
小さな双葉は、すでにその顔を出していた。
それは、誰が植えたものでもない。誰が水をやったものでもない。
ただ――黄昏の門の向こうから。そして、アビドスの砂の中から。
かつてこの世に生きた、二人の少女が、静かに芽吹かせた、何かであった。
剣を置き、名を捨て、そして最後には、自らを怪異の一つとして封じた者。武者小路ツツジ――彼女は、キヴォトスでも類を見ないほどの激動の時代を生き抜いた。
――役割は、全うします。
かつて、そう告げた声のままに。
物部シシカの望んだような実を結ぶことのなかった、一輪の躑躅の花。
だが、その花が散った後の土の中に――確かに、芽吹いたものがある。
*
「ツツジ先輩――」
声は、朝の風にさらわれることなく、まっすぐ空へと昇っていった。
「あなたが紡いできた未来の、その先を」
「私が必ず、紡いでいく」
握りしめた拳に、力が籠もる。
「あなたが望んだ、私たちの
朝日が、はるか北方のエビス分校、黄昏の寺院を照らし出す。
夜の名残を残していた森の輪郭が、一つ、また一つと、金色の中に浮かび上がっていった。
その門前に立つ、六つの人影。百花繚乱のメンバーと、先生。
そして、その先頭に立つ、七稜アヤメ。
朝の光を受けて、彼女の三つ編みが、静かに揺れた。
ツツジが遺した百花繚乱委員長の資格――偽物の『百蓮』の模様が刻まれたそれを、アヤメは強く、強く握りしめる。
もう、二度と手放さないというように。
*
その光景を、遠くから見つめる二つの影があった。
「シュロ、行きますよ」
「ちょっと待ってくださいよ、コクリコ様」
シュロが、不服そうに口を尖らせる。
「これからもっと面白くなるような、百物語を考えたんですよ」
「これは、アザミの物語です」
コクリコは、静かに、しかし断固として告げた。
「シュロも、自分の作品を他人に勝手に改変させたくはないでしょう?」
そして彼女は、傍らの岩へと視線を移す。
「ところで、アザミは――どうしますか?」
岩にもたれ、昇りゆく朝日を見上げるアザミの横顔を、コクリコはじっと見つめた。
「……もちろん」
アザミは、静かに答えた。
「これからも怪芸家として、私の物語を紡いでいきますよ」
その声が、僅かに揺れる。
「ただ――こんな物語には、二度と会えないかもしれませんね」
哀愁の漂うその声色に、どこか悲しげで、それでいてどこか満たされたような響きを聞き取って――コクリコは、静かに応えた。
「物語というのは、偶然出会えるものです」
「人生を歩んでいれば、いずれまた、良い物語に出会えますよ」
そして彼女は、そっと手を差し伸べた。
「しかし――今度は、私たちと共に。物語を、見届けましょう」
アザミは、コクリコへと顔を向け、少し照れたように、口の端を持ち上げた。
「ああ」
差し出されたその手を取り――彼女たちは、朝日を背に、静かに森の中へと消えていった。
*
梅雨のような悲しみを乗り越えて。
躑躅の屍を乗り越えて。
ついに、この北の大地で――一輪の菖蒲の花が、芽吹いたのであった。
*
「百花繚乱」編|第3章「心ざし潜む綾目髪の散る惜しむ間に」 *完*
【ウルブス・デイ/放送の詩】
セシル・スプリング・ライスの詩「Urbs Dei(神の都)」に基づきます。前半では祖国が自分を呼ぶ声を聞き、剣と兜を帯びた母国のもとへ馳せ参じると歌い、後半では「もう一つの国」――軍隊も専制もなく、その道のりが常に平和である国について語ります。後にホルストの旋律を得て『我は汝に誓う、我が祖国よ』として知られるようになりました。
二つの祖国を並べて歌うこの詩を、ツツジは最後の放送に選びました。彼女が守ろうとしたものが、どちらであったのか――その答えは、聞いた生徒たちの旗が示しています。
【パゾリーニ「蛍の消滅」】
1975年、イタリアの詩人・映画監督ピエル・パオロ・パゾリーニが発表した論考。公害によって蛍が姿を消した時期を境に、固有の文化や生命力が失われたと論じました。