「百花繚乱」編|第3章「心ざし潜む綾目髪の散る惜しむ間に」 作:ゆゞきノ君
・オリジナルキャラクターが主軸になります。
・政治・軍事描写が多めです。苦手な方はご注意ください。
ゲヘナ゠ハーデス共和学園首都・レアー。
ここにもまた、ツツジの声を聞く生徒が、一人いた。
*
窓を閉ざした薄暗い執務室。そこに満ちるのは、古い紙と、冷えたインクの匂いだけだった。
一人の大人びた女性が、卓上の受信機へと耳を傾けている。
やがて、放送が終わる。
最後の一音が途切れ、残されたのは、微かな砂嵐のような雑音だけ。彼女はしばらくの間、そのノイズに身を委ねていた。
そして――静かに席を立つ。
窓辺へ歩み寄り、重いカーテンを、一息に開け放った。
差し込んだ朝の光が、部屋に沈殿していた埃を、一斉に舞い上がらせる。金色の粒子が、光の帯の中でゆらめいた。
その光は、やがて窓辺に置かれた花瓶へと届く。
挿されていたのは――八重の山吹。
幾重にも重なった黄金の花弁が、光を受けて、まるで内側から燃え上がるように輝いた。
彼女は、その一輪を、そっと指先で持ち上げる。
――トン、トン、トン。
執務室の扉が、三度、控えめに叩かれた。
*
「ハーデス共和学園生徒会に対するクーデター、完了いたしました」
入室した生徒が、深く頭を垂れる。
「現在、我が汎タータロス主義に同調するシェオル学園との再統合に向け、協議が始まっております」
「また、すでに粛清した共和派の生徒会の生徒らに加え、それらに同調していた一般生徒の調査も開始しております」
だが、そこで彼女は、僅かに言い淀んだ。
「――しかし」
報告の声に、初めて慎重さが混じる。
「先の百鬼夜行での、武者小路ツツジによる反乱の影響で、連邦生徒会の警戒が強まっております」
「ペルセフォネ王立学園への軍事侵攻は――思いとどまった方が、よろしいかと」
武者小路ツツジの起こした反乱。それによって甚大な損害を被った連邦生徒会は、キヴォトスの主要な大学園と連携し、有事における指揮系統の統一化を推し進めていた。
加えて、雷帝の戦争以降、キヴォトス全体で忌避されてきた学園による軍事研究の緩和が実施され、即応性を高めるための法整備が、着実に進められている。
あの一人の少女が遺した爪痕は――キヴォトスという大陸そのものの骨格を、静かに組み替えつつあった。
「また、百鬼夜行での反乱以降、我が学園の隣に位置するアビドス高等学校からの監視の目も、厳しくなっております」
「今のところは軍事力ではなく、外交を優先すべきかと」
――だが。
彼女は、その報告に答えなかった。
山吹の花を見つめたまま、ふと、そんな一節を口ずさんだのだ。
「――くちなしに、ちしほやちほ、染めてけり」
「……閣下?」
報告の声が、戸惑いに揺れる。
やがて、彼女は静かに口を開いた。
「武者小路ツツジは、優秀な指揮官だった」
その声には、憎悪でも侮蔑でもない――ただ、乾いた敬意のようなものが滲んでいた。
「おそらくこれも、我々を陥れるための奴の策略だ」
「以前の東漸の役。ミレニアム誤電報事件。それによる
彼女は、指折り数えるようにその名を挙げていく。
「私との正面衝突を避け、周りから崩していくあたりが――実に策略家らしい」
そして、ふと。
その口元が、微かに緩んだ。
「だが――あいつがいなかったら」
「西漸事変での、第二次メイン・アスリート攻勢での巻き返しは、不可能だった」
「そして――私なき後のデウス・ウルト講和会議で、敗北ではなく休戦に持ち込めたのは、彼奴の力によるものだ」
その傍らから、志賀ナオハが静かに口を挟んだ。
「それに――ツツジの裏にいた、梔子ユメの存在も大きかった」
「梔子ユメがツツジに情報を渡さなければ、ツツジはそもそも、歴史の表舞台に出てくることはなかった」
「――もう、この話はやめだ」
彼女は、二人の会話を静かに切り上げた。首を、緩やかに振る。
「もう、ツツジは死に。ユメも、死んだ」
窓の外では、風が街の旗を鳴らしていた。
「我々を邪魔する者は、もうこの世には存在しない」
「我が神聖タータロス王立学園は――最後には、キヴォトスを統べるのだ」
そして彼女は、ゆっくりと二人へ向き直った。
「久下沼ヘイドリーヒ」
「そして――志賀ナオハ」
「これからも、頼むぞ」
「お任せください、我が雷帝閣下」
二人の生徒は、深く一礼した。
「我がタータロスによるエンドジークに向けて――邁進いたします」
ナオハがそう告げると、久下沼ヘイドリーヒとともに、静かに生徒会長室を後にした。
*
「はあ――」
扉が閉まり、再び静寂の戻った部屋で。
雷帝は、一人、息を吐いた。
「あいつなら、きっと――」
その声には、どこか懐かしむような響きすらあった。
「『これ、えも言はぬ花の色かな』と、返していたんだろうな」
朝の光が、彼女の頬を淡く照らす。
「だが――」
その視線が、ゆっくりと机上へ落ちた。
そこには、二本の小さなシリンダーが置かれている。『嘔吐剤』、そして『びらん剤』――そう記された、無機質なラベル。
光の当たらぬその一角だけが、まるで別の時間に取り残されたように、冷え冷えと沈んでいた。
「七重八重、花は咲けども山吹の、実の一つだに、なきぞ悲しき」
雷帝は、手にした八重の山吹を、ゆっくりと目の高さまで持ち上げた。
黄金の花弁が、朝日を透かして、血管のような葉脈を浮かび上がらせる。
「所詮ツツジも――この八重の山吹の花のように」
「その末に実を成すことのできない、ただの花だった」
「梔子ユメと、武者小路ツツジ。二人は、互いに異なる実を実らせようとした」
彼女の指が、花弁を一枚、静かに撫でる。
「ユメは『思い出』を。ツツジは『記憶』を――」
「彼女たちは、それで私を抑えようとしたが……」
そして、その指に力が籠もった。
ぐしゃり、と。
黄金の花が、掌の中で、ちりぢりに砕けていく。
「所詮は、徒花だ。簡単に、捻り潰してくれる」
握り潰された花弁が、乾いた音を立てて、床へと散っていった。
朝日の中で、それはまるで、燃え尽きた火の粉のようだった。
「ふふっ……君たちは今頃、ヴァルハラで一喜一憂しているのだろうな」
彼女は、掌に残った花の滓を、ゆっくりと払い落とす。
「よくぞ私の野望を押さえ込んだ、とでも――」
「だが――」
その声が、低く沈んだ。
「今も昔も。君たちは全て、私の手のひらの上で踊っていたに過ぎない」
*
雷帝は、執務室の隅へと歩み寄った。
古びたレコードプレイヤーの蓋を開け、一枚の盤を、慎重に、丁重に、ターンテーブルへと載せる。
針が、静かに降ろされた。
――プツ、プツ、と。
埃を拾う微かな雑音。それは、先ほど受信機から流れていたノイズと、奇妙なほどよく似ていた。
そして。
弦楽が、部屋の空気を切り裂くようにして鳴り響く。
三拍子。華やかで、甘美で、それでいて――どこまでも不穏な旋律。
「さあ諸君――」
雷帝は、両腕を大きく広げた。
「私の手のひらで、ワルツを奏でよ」
「憂愁を帯びた旋律とともに――仮面舞踏会が、開かれる」
旋律が、部屋を、廊下を、そして開け放たれた窓の外へと溢れ出していく。
「ハチャトゥリアン――」
彼女の唇が、三日月を描いた。
「ここからは、私の戯曲を奏でようじゃないか」
雷帝の背後――今しがた開け放たれたカーテンの向こう。
流れ出したクラシックの調べに合わせるようにして、旗が翻っていた。
神聖タータロス王立学園の、旗が。
「君の言う、ウルブス・デイ――」
その声に、静かな狂気が滲む。
「かつて『生きる地獄』と呼ばれた学園こそ――キヴォトスにただ一つ許された、ウルブス・デイなのだ!」
「私が――この雷帝が再び、かの学園を再興し」
「キヴォトスに蔓延る、
その哄笑が、ワルツの旋律を突き破り、遠く、ハーデスの空へと響き渡っていく。
*
――
どこからともなく、声が響いた。
――
誰かが、それに応える。
雷帝は、笑みを消した。
レコードの旋律だけが、なおも部屋を満たし続けている。
そして、ゆっくりと。
窓の外――遥か彼方、ゲヘナ学園の在る方角へと。
その指を、静かに、突きつけた。
嵐が、吹き始めていた。
*
「雷帝」復活編|第1章「朕はくびきを負わず聖句はウグラの彼方にて灰燼と化す」 *始*
【八重の山吹】
「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」の古歌で知られる花。八重咲きの山吹は実を結びません。太田道灌が蓑を借りようとして山吹の枝を差し出された逸話が有名です。
【くちなしに、ちしほやちほ、染めてけり】
山吹色は梔子(くちなし)の実で染めます。その「くちなし」に「口無し」を掛け、何も言わない花に問いかける――という古歌以来の趣向。雷帝の「あいつなら、こう返しただろう」という呟きは、この掛詞の応酬を指しています。この梔子は梔子ユメを比喩しています。
【ハチャトゥリアン『仮面舞踏会』】
アラム・ハチャトゥリアン作曲、レールモントフの戯曲のための劇音楽。第一曲のワルツは、華やかさの底に不穏さを湛えた旋律として知られます。
【大風吹/吹什麼】
中国語圏の子どもの遊び。「大風が吹く」「何を吹き飛ばす?」と問答し、条件に当てはまった者が席を移動します。