「百花繚乱」編|第3章「心ざし潜む綾目髪の散る惜しむ間に」   作:ゆゞきノ君

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・原作「百花繚乱」編第二章終了後の独自解釈です。
・オリジナルキャラクターが主軸になります。
・政治・軍事描写が多めです。苦手な方はご注意ください。


第二話「孫子も妖狐も詭道を行く」

 世界の中心に咲く華は、いまだ衰えることを知らない。

 

 夜の中華街には無数の灯篭が絶えず火を灯し、行き交う人々の影さえも、舞い散る火の粉と見紛うほどに、烈々と赤く照り輝いていた。それは、この地に生きる者たちが誰一人として疑うことのない、確かな繁栄の証であった。

 

 ここは仙海経高級中学校――キヴォトスを構成する自治区の一つである。学園の中心を成す都市は爛熟の極みにあり、まさしく栄華はこの地に咲き乱れていた。しかし、その燦然たる光の裏側では、誰にも気づかれぬまま、一つの陰謀が静かに、しかし確実に渦を巻いていたのである。

 

  *

 

 仙海経を統治する組織・玄龍門。その門主を務める竜華キサキは、執務室の奥深くで、執行部長・近衛ミナからの報告に耳を傾けていた。

 

「京劇部はもとい、玄武商会や玄龍門の有力者を交えた合議において――百鬼夜行に対し、先制攻撃をするべきとの意見書を、後日門主様へ提出するという合意に至りました。この場を借りて、ご報告いたします」

 

 ミナの声には、感情の起伏がほとんど感じられなかった。だが、その言葉の重みだけは、部屋の空気を確かに凍りつかせるだけの力を持っていた。

 

「すまぬ、お主の言っていることが、わからぬのじゃが……」

 

 キサキは、眉間に深い皺を刻んだまま、静かに問い返す。

 

 百鬼夜行――正式には百鬼夜行連合学院。仙海経と同様、キヴォトスを構成する自治区の一つである。その学園と、今や戦争状態一歩手前にまで至っているというのだ。

 

 事の発端は、数日前に遡る。ミナによれば、玄龍門宛に匿名で武器密輸に関する通報が寄せられたのだという。その通報を端緒として、玄龍門の職員が仙海経自治区内の港を調査したところ、折しも停泊していたオデュッセイア海洋高校所属の郵便船の船倉から、大量の百鬼夜行製小銃と弾薬が発見された。

 

 事態は即座に摘発へと移行し、本格的な調査が開始された。そしてその調査の末に導き出されたのは――この武器輸出こそ、仙海経の内紛を煽り立てようとする、百鬼夜行陰陽部による陰謀に他ならない、という結論であった。かくして、先ほどミナが口にした合意が交わされたのである。

 

 キサキは、こめかみを押さえながら深く頭を垂れた。

 

 ――どうして、これほど重大な情報を、門主たる私にすぐさま伝えなかったのか。

 

 その疑念を押し殺し、まずは事態を整理することが先決だと判断したキサキは、ミナに向き直った。

 

「して、玄武商会も含めて、そこまで先制攻撃を訴えておるのは、一体なにゆえか」

 

「『暗黒森林理論』なるものは、ご存知でしょうか」

 

「知らぬのう。初めて聞く言葉じゃ」

 

「宇宙を、暗闇に満ちた森に例える――宇宙社会学における仮説の一つです」

 

 ミナの語りは、澱みなかった。森の中では、いずれの文明も、脅威となりうる者を脅威となる前に討つ。今の百鬼夜行は分校が乱立するだけの弱小連合に過ぎないが、それがひとたび束ねられたなら――と、彼女は言葉を継いでいく。

 

 その理路には、隙という隙がなかった。

 

 キサキは口を挟もうとして、幾度か唇を開き、そのたびに閉じた。反駁(はんばく)の言葉を探すのだが、探し当てるより早く、次の一手が置かれてしまう。まるで、こちらの応じ方まで、あらかじめ数えられていたかのように。

 

「――彼女たちを、このまま放置すれば」

 

 ミナの声が、静かに落ちた。

 

「いずれ、仙海経そのものが危うくなることは、自明の理です」

 

「待て」

 

 ようやく、キサキは声を絞り出した。

 

「だが、それは単に、お主の想像に過ぎぬのではないか?」

 

「僭越ながら、門主様」ミナの声には、微かな苛立ちが滲んでいた。

 

「今、我々が直面している問題を――ご存知ではありませんか」

 

「現在、仙海経の財政が、切迫していることはご承知のはずです」

 

「ゴールド・リザーブ――金準備を獲得する口実として、これほどの機会は二度とありますまい」

 

「この機を、逃すべきではございません」

 

「仙海経を、これから末長く繁栄させるためにも――彼女たちと、戦争を……」

 

 その言葉は、まるで甘い毒のように、キサキの胸の内へと静かに染み込んでいく。

 

 否と言わねばならない。それは分かっていた。だが、否と言うための理屈が、どうしても手元に残っていない。

 

 執務机の上で組んだ自らの指が、いつの間にか白く強張っていることに、キサキは気づいた。

 

 悪魔は、確かにそこにいた。そして、その悪魔は、キサキを戦争という名の道へと、着実に誘っていた。

 

 このままでは――玄龍門は、避けようもなくその道を進んでしまうだろう。

 

 だが、否。

 

 暗闇に閉ざされたその部屋に、一筋の光が差し込む刹那が、確かに訪れた。

 

「やっほ、キサキ! 元気にしてた?」

 

 軽やかな声とともに、扉が開け放たれる。

 

「ほぅ、先生か」

 

 キサキの表情に、僅かながら緊張の緩みが見えた。

 

「もしかして、お取り込み中だった?」

 

「別に構わん。逆に、其方の意見が聞きたかったのじゃ」

 

「其方も、いいな……?」

 

 キサキの視線が、ミナへと向けられる。ミナは一瞬の間を置いてから、静かに頷いた。

 

「……ええ」

 

「では、遠慮なく」

 

 先生とミナ――二人の視線が、静かに交差する。

 

「……」

 

 先生は、しばしミナを見つめたまま、何かを探るように口を開いた。

 

「ところでさ、キサキ。この子ミナに似てるけど、名前はなんていうの?」

 

「「――――ッ!?」」

 

 その一言に、キサキは思わず息を呑んだ。驚愕が、彼女の表情を大きく歪めていく。

 

「お主……ミナが、わからぬのか?」

 

 無理もない反応であった。キサキの記憶が正しければ、先生とミナは、少なくとも数回は顔を合わせているはずである。にもかかわらず、名前がわからないというのは、あまりにも不自然な話であった。

 

「あれ、ミナだったの」先生は、悪びれる様子もなく続けた。

 

「ヘイローの形が違ったと思ったんだけどなー」

 

「本当にごめんミナッ!」

 

「生徒のヘイローを忘れちゃうなんて――先生失格だよ」

 

「あ……あぁ」

 

 その様子を見つめながら、キサキの脳裏に一つの事実がよぎった。

 

 キヴォトス人は、一般に「ヘイロー」と呼ばれる、天使の輪のようなものを頭上に戴いている。その形状には、個々人によって様々なバリエーションが存在するのだが――その詳細な形は、他人の目には知覚されない。自分以外の者から見れば、それはただの輪としか映らないのだ。通常、その正確な形状は、当人にしか知りようがない。

 

 だが、この「先生」だけは違う。

 

 彼は、生徒全員のヘイローの形状を、正確に認識することができる。

 

 そして――そのキヴォトスにおいて唯一とも言えるはずの能力を持つ先生が、今この瞬間、明確な違和感を示している。

 

 キサキは、その事実に、直感的な戦慄を覚えた。

 

「おい」キサキは、鋭く側近を呼びつけた。

 

「例の紙は、あるか」

 

 側近が差し出した一枚の紙を受け取ると、キサキはそれを先生の前へと差し出した。

 

「以前、ミナに自らのヘイローの形を、書かせたことがあってのお」

 

「先生、此奴のヘイローの形――詳しく教えてくれぬか」

 

 その瞬間、ミナの表情に、明らかな動揺の色が走った。

 

 キサキの冷えきった眼差しが、じっとミナの瞳を射抜く。

 

 部屋の中に、重苦しい静寂が降りた。数分の間、その沈黙は微動だにしなかった。キサキはその間も、決してミナの目から視線を外すことはなかった。

 

 そして――ミナは、悔しさを噛み殺すように、静かに呟いた。

 

「くだらない」

 

「もう少し、だったのに――」

 

 その言葉と共に、ミナの体から、大量の白い煙が一気に噴き出した。

 

「これは、なんじゃ――ゴホッ、ゴホッ」

 

「キサキッ――!」

 

 椅子から落ちかけたキサキの体を、先生が咄嗟に抱き支える。同時に、彼はミナの行方を追い、真っ白に染まった煙の奥へと、鋭い視線を走らせた。

 

 その霧の向こうから、静かな、しかし確かな悪意を孕んだ声が響く。

 

「特異な存在――私が、望まぬ大人」

 

「ひひっ……其方の姿、この目にしかと焼き付けたぞ」

 

「先生とやら、百鬼夜行で――また会おう」

 

「その都度、存分に楽しませてもらうとしよう」

 

「ま、待て――ッ!」

 

 先生の制止も虚しく、その声の主は、そう言い残すが早いか、煙とともにその姿を掻き消した。ただ、その去り際――煙の切れ間に、確かに大きな尻尾が揺れるのを、先生は見た。

 

「あれは、一体……」

 

 誰へともなく漏らされたその呟きは、燻る煙の残り香とともに、静かに部屋の中へと溶けていった。

 

  *

 

 ――やがて。

 

 先生の腕の中で、キサキが小さく身じろぎをした。

 

 彼女の視線は、煙の消えたその一点へと、まだ縫い止められたままだった。

 

「まさか、彼奴は……九尾の狐――?」

 

 その声は、驚くほどに細かった。

 

 門主として幾多の修羅場を潜り抜けてきたはずの少女が、今この瞬間だけは、ただの怯えた一人の生徒に見えた。

 

「九尾の狐――?」

 

 聞き慣れぬその言葉を、先生は思わず問い返す。

 

 だが、キサキは答えなかった。

 

 いや――答えられなかったのだ。

 

 その唇は微かに震え、まるで口に出すこと自体が禁忌であるかのように、固く結ばれていた。

 

  *

 

 その後の顛末は、あまりにも呆気ないものだった。

 

 本物の近衛ミナは、仙海経の映画館で発見された。

 

 薄暗い座席の片隅、膝の上には半分ほどに減ったポップコーンの紙箱。スクリーンの光を浴びたその横顔は、玄龍門の執行部長のそれというよりも、休日を持て余した一人の少女のものだった。

 

 聞けば、見知らぬ少女から映画のチケットを何枚も譲り受けたのだという。しかもそのすべてが、彼女の偏愛してやまないハードボイルド映画だった。

 

 先生はその足で、京劇部を、そして玄武商会を訪ねて回った。

 

 例の合議。百鬼夜行への先制攻撃を求める、あの意見書。

 

 だが――返ってきた答えは、どこも同じだった。

 

 そんな話は、聞いたことがない。

 

 誰も知らなかった。誰も、集まってなどいなかった。

 

 あの夜、執務室に満ちていたはずの重苦しい緊張も、戦争の一歩手前だという切迫も――その全てが、初めからどこにも存在していなかったのだ。

 

 ただ一人の少女が、一日だけ映画館に座っていた。

 

 それだけで、一つの自治区は、戦争へと踏み出す寸前まで追い込まれていた。

 

「もしかして――」

 

 先生の脳裏に、一つの考えがよぎる。

 

 それは、確信と呼ぶにはあまりにも頼りなく、しかし打ち消すにはあまりにも像を結びすぎていた。

 

 「新たな百物語(かいだん)が、始まっているのか……?」

 

 百物語。

 

 怪書を操り、人々を惑わす魑魅魍魎(ちみもうりょう)——彼女たちは、新たな百物語を生み出して風流を成そうとしている。

 

 シュロ、コクリコ、アザミ——誰かが、たった一人を欺くことで、いくつもの学園を巻き込む物語を紡ごうとしていた。

 

 ならば、この一夜は序章に過ぎない。

 

 先生は、静かに窓の外へと目をやった。

 

 灯篭の火はなお赤々と燃え、中華街は昨日と変わらぬ繁栄を謳っている。誰も、自分たちがどれほど危うい淵を覗いていたのかを知らない。

 

「ひとまずは、なんとかなったけど」

 

 その光を見つめながら、先生は呟いた。

 

「……このまま、九尾の狐を放置するわけにはいかない」

 

 あの霧の向こうで、確かに揺れていた大きな尾。

 

 そして、去り際に残された、ただ一つの手がかり。

 

 ――先生とやら、百鬼夜行で、また会おう。

 

 先生は、百鬼夜行へと向かうことを、静かに決めた。




【暗黒森林理論】
劉慈欣のSF『三体』シリーズで示される仮説。宇宙を暗い森に喩え、他の文明を発見した者は先に撃つのが合理的である、という考え方です。

【ゴールド・リザーブ】
金準備。通貨の裏付けとして国が保有する金のこと。

【題名について】
孫子・計篇の「兵者詭道也(戦争とは騙し合いである)」から。
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