「百花繚乱」編|第3章「心ざし潜む綾目髪の散る惜しむ間に」   作:ゆゞきノ君

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・原作「百花繚乱」編第二章終了後の独自解釈です。
・オリジナルキャラクターが主軸になります。
・政治・軍事描写が多めです。苦手な方はご注意ください。


第三話「さそり座の沈黙」

 百鬼夜行に足を踏み入れた先生は、その足で陰陽部の部室を訪れ、部長・天地ニヤに九尾の狐についての情報を求めた。

 

 ニヤは、無言のまま席を立つと、部室の最奥、埃を被った書棚の陰から、古びた一冊の本を取り出した。表題には『百紀(ひゃっき)國邑紀(こくゆうき)とある。その名の示す通り――百鬼夜行という学園の成り立ちそのものを、丹念に辿った歴史書であった。

 

 ニヤは、慣れた手つきで頁を繰り、あるページを開いて先生の前に差し出す。

 

「九尾の狐――それは、山海経の怪書『封神演義(ほうしんえぎ)』から発生したとされる大妖怪です」

 

「山海経の怪書?」先生は、思わず身を乗り出した。「やはり花鳥風月部の百怪書(かいだん)と、何か縁がありそうだね」

 

「ええ」ニヤは、静かに頷いた。「この怪書は、花鳥風月部の所有する百怪書が編纂される数百年も前から存在していたものらしく――言うなれば、百怪書の先駆けとも呼べる存在です」

 

「しかし、この九尾の狐はあまりにも強大な力を持っていたがために――自らを生み出した『封神演義』そのものをも吸収し、完全に一体化してしまったそうです」

 

 ニヤの声は、淡々としていながらも、どこか警戒の色を帯びていた。

 

「基本的には、学園の中心を担う人物を巧みに欺き、その学園そのものを内側から崩壊させることに、この上ない喜びを見出す妖怪だと言われています」

 

「かつて山海経が甚大な被害を被ったことを契機に、百鬼夜行でも、この九尾の狐に対抗するための組織として――陰陽部が創設されました」

 

 そして、と彼女は続けた。

 

「今回、シャーレの先生が山海経で目にした――百鬼夜行への侵攻を煽る九尾の狐の手口。実は、これと酷似した手段が、数百年前にも用いられていたのです」

 

 その当時、山海経は実際に百鬼夜行自治区への侵攻を実行に移した。だが、あらかじめ事態を察知していた預言者クズノハが、筑紫(つくし)学園、狗奴(くな)学院をはじめとする諸学園を『百花繚乱』の名のもとに束ね上げ、その侵攻を水際で食い止めたのだという。

 

 この結末に不満を抱いた九尾の狐は、花鳥風月部の部員やクズノハの側近を欺き、そして最後にはクズノハ本人の暗殺を企てようとした。しかし、その企ては失敗に終わり、逆に返り討ちに遭った。花鳥風月部の協力のもと、九尾の狐は――人里から遠く離れた雪山の奥、一つの岩の中へと封じられた。

 

「なぜ九尾の狐は」先生は、静かに問いを挟んだ。「当時の花鳥風月部と、協力しようとはしなかったの?」

 

 その疑問は、彼の中でずっと引っかかっていたものだった。

 

「花鳥風月部の百怪書とは少し違うとはいえ、系統は同じだ。九尾の狐が花鳥風月部と手を組んでも、おかしくはなかったはずでしょ」

 

「むしろ、協力していたほうが――九尾の狐にとっては、都合が良かったんじゃないの?」

 

 ニヤは、しばし目を伏せてから答えた。

 

「九尾の狐は、黄昏の寺院の――その向こう側にあるとされる、本来の意味での『百鬼夜行』の世界を繋げようとしているのだと言われています」

 

「百物語を生み出し、風流を成そうとする花鳥風月部とは――そもそも、根本から相容れなかったのかもしれません」

 

 そして彼女は、僅かに視線を上げた。

 

「むしろ、この対立があったからこそ――今の連合学院としての百鬼夜行が、あるのかもしれません」

 

「まあ」ニヤは、微かに苦笑を浮かべた。「あくまで伝承ですから、真偽のほどは、私にも分かりかねますが」

 

 その口ぶりには、九尾の狐という存在そのものが果たして本当に実在するのか――彼女自身、半信半疑であることが滲み出ていた。

 

  *

 

 先生はニヤに礼を述べ、部室を辞そうとする。だが、扉に手をかけたその時、ニヤが声を上げて引き止めた。

 

「風の噂で聞いた話ではありますが……」

 

「枕返しを施した者が、どうやら息を吹き返したようで」

 

「というと……?」先生は、振り返って問い返す。

 

 ニヤは、静かに語り始めた。

 

 かつてエビス分校で、押領使(おうりょうし)小舎人童(こどねりわらわ)として清原家に仕えていた一人の少女。時を経て、百花繚乱委員長・物部シシカに見出され、その小荷駄(こにだ)となり――そして中等教育課程を修了する四年前の春、ついに百花繚乱への入部を果たした。

 

 彼女の名は、武者小路(むしゃのこうじ)ツツジ。

 

「こどねりわらわ?」先生が、聞き慣れぬ言葉に首を傾げる。

 

「貴族などに仕える子供のことです」ニヤは端的に答えた。「まあ、それを揶揄してか――しばしば『私奴婢(しぬい)』などと呼ばれていたそうですが……」

 

「しぬひ?」

 

 ツクシ分校で起きた反乱の鎮圧を主導し、その首謀者である伊牟田(いむた)スゞランを自ら捕縛したツツジは、その功績を讃えられ、当時の陰陽部部長・大伴コガネより、百花繚乱のとある御曹司(おんぞうし)――位を賜った。

 

 今日では『作戦参謀』と呼ばれるその役職は、かつては個人の肩書きではなく、百花繚乱を統括する中央参謀本部そのものを指す言葉であった。ゲヘナ学園の参謀本部を範に取り、百鬼夜行各地の奉行所(ぶぎょうしょ)や押領使の指揮権を、百花繚乱のもとに一元化することを目的として開設されたものだった。だが――そのわずか数ヶ月のうちに、その試みは潰えることとなる。

 

「一体、何があったの」

 

「それは……」

 

 ニヤの表情に、明らかな影が差した。何か、後ろめたいものを抱えているような、そんな翳りだった。

 

 彼女の視線が、ふと、部室の壁の一点へと逸れる。

 

 ――そこには、擦っても落ちなかったのであろう、赤黒い染みが、うっすらと残っていた。

 

 ニヤは、何かを追憶するように、じっとそれを見つめていた。そしてしばしの沈黙の後、ただ「時が来たら、お話しします」とだけ告げ、代わりに一つの警告を口にした。

 

 武者小路ツツジには、くれぐれも注意されたし――と。

 

 九尾の狐の能力は、先述の通り、人へと擬態する力である。今、その狐が武者小路ツツジの姿を騙り、百鬼夜行の街を闊歩している可能性が高いのだと、ニヤは言った。

 

 そして最後に、彼女はツツジの特徴を先生へと伝えた。

 

 痩せ型の体躯。身長百七十八・六センチメートル、体重六十一・六キログラム。かつては薄めの前髪をセンターパートに分け、顎の高さで切り揃えたサイドヘア。後ろ髪は、七稜アヤメのそれによく似た三つ編みに結われているという。ニヤによれば、胸の肉づきはほとんどなく、実に機敏に動きそうな体型であったとのことだった。

 

 武者小路ツツジが在籍していたのが二年前だとすれば――現在高等部三年生の御陵ナグサや、七稜アヤメであれば、彼女と直接の面識があるはずだった。

 

 あらかたの情報を聞き終えた先生は、陰陽部の他の部員たちに軽く会釈をすると、百花繚乱の部室へと足を向けた。

 

  *

 

 陰陽部の部室を後にした先生が、百花繚乱への道を歩んでいた、その途中――不意に、ヒヒーンと甲高く嘶く声が耳に届いた。

 

「馬?」

 

 百鬼夜行はおろか、キヴォトス全土においても馬を目にしたことのなかった先生は、その物珍しさに誘われるまま、声のした方向へと足を進めた。

 

 辿り着いたのは、人気の少ない河川敷の細道だった。人が通れる程度には整備されているものの、その先は、幅広く枝を垂らしたタレヤナギの葉によって、視界が遮られている。先生は、この道が続いていることを信じ、生い茂る葉を掻き分けながら奥へと進んだ。

 

 その先には、こぢんまりとした馬小屋があった。年老いた薄墨のような青毛の馬の傍らに、見覚えのあるヘイローを戴いた、見知らぬ少女の後ろ姿がある。葉を分ける音に気づいたのか、その少女は、ゆっくりとこちらへ顔を振り向けた。

 

「おやおや」

 

 その口元に浮かんだのは、酷薄な笑みだった。

 

「その顔は――我が友、李徴子ではござらぬか」

 

「九尾の――狐」

 

 先生の声に、緊張が滲む。

 

「実は、ここでお主と相対する予定はなかったのじゃが……」少女は、愉しげに目を細めた。「まあ、ちょうどいい」

 

「お主は、いずれ殺さねばならなかったからな」

 

 その言葉が空気を裂いた、まさにその瞬間――

 

「ケッ、ケッ、ケッ、ケッ!!」

 

 鋭い鷹の鳴き声が、頭上から轟いた。

 

「鷹――?」

 

 先生が、思わず視線を上へ向けた、その刹那。

 

 一本の矢が、唸りを上げて先生の耳元を掠め抜けた。矢は横向きに大きく弧を描き、九尾の狐の眼前で――炸裂した。

 

 視界一面を、白煙が瞬時に埋め尽くす。先生の視界もまた、瞬く間にその白に呑み込まれた。何も見えない。だが、確かに――誰かの手が、自分の体を掬い上げ、運んでいく感触だけが伝わってくる。

 

 煙幕を抜けたと悟った時には、先生は既に、先ほどの薄い青毛の馬の背に乗せられていた。

 

磐手(いわて)!! 北東の本瓦葺を目指せ!!」

 

 鋭い声が、耳元で響く。

 

大夫黒(たいふこく)!! 此奴を乗せ、磐手を追え!!」

 

「君!! 向こうに着いたら、百花繚乱の委員長らを連れて来てくれ!! いいなっ!!」

 

 その号令とともに、先生を乗せた馬は、彼女とは正反対の方角へと駆け出した。取り残された少女は、静かに向き直り、九尾の狐と対峙する。

 

 その少女が纏う羽織に、先生は強い既視感を覚えた。しかし――その顔立ちは、天地ニヤが語っていた武者小路ツツジの人相とは、微妙に異なっていた。首元は、火傷のような醜い傷痕に覆われ、両の目には、幾重にも包帯が巻かれている。

 

 だが、それでも。

 

 先生の目に映ったものは、間違いなく――百花繚乱の羽織だった。

 

 彼女は、スカートの内側からたすき掛けの紐を取り出すと、流れるような所作で、素早くそれを結んでいく。

 

「待って、君は――ッ!」

 

 先生が叫んだ時には、既にその声は、彼女の耳へ届く距離を越えていた。

 

  *

 

 ツツジは、ポケットから一枚の紙を取り出す。指先が、そこに三文字を書きつけた。

 

 ――所司(しょし) 四職(ししょく) 京極(きょうごく)

 

 その瞬間、紙は青い炎に包まれ、瞬時に燃え尽きる。同時に、彼女の手元に――一挺の銃が、確かな重みを伴って顕現した。

 

 腰の鞘から抜き放った銃剣を、三八式歩兵銃の着剣フラッグへと、迷いのない手つきで着剣する。金属同士が噛み合う、乾いた音が響いた。

 

「この妾と、サシでやり合おうっていうのかい?」

 

 九尾の狐が、嘲るように首を傾げる。

 

「お主は分かっておるのだろう。その銃では、妾を殺せないと――」

 

 その声には、隠しきれない愉悦が滲んでいた。

 

「ええ。その通りです」

 

 ツツジは、あっさりと認めた。

 

「あなたを倒すことができるのは、百蓮を継承する七稜アヤメ――たった一人です」

 

「ですが――」

 

 彼女は、静かに構えを取った。包帯の下で、その意識が研ぎ澄まされていくのが分かる。

 

「天使とダンスするのが一番楽しいんですよ」

 

「アザミから聞くに――其方の神秘の名は『(じゅう)』というらしいな?」

 

「どれ」少女の唇が、三日月のように吊り上がる。「その能力とやらを、遺憾なく妾に見せてみろ」

 

 言葉が終わるより早く、九尾の狐の体が、瞬時に踏み込んだ。

 

 辺りには、けたたましい銃声、地を揺るがす砲声、そして、何かが崩れ落ちる轟音が、次々と重なり合っていく。まるで、この一角だけが、戦場そのものと化したかのように。

 

 ――しかし、その音は。

 

 先生を乗せた馬が、ようやく百花繚乱の部室へと辿り着いた頃には、既に、ぴたりと止んでいた。

 

  *

 

 部室に到着した瞬間、馬は激しく身を震わせ、先生をその背から振り落とした。地面へ思い切り体を打ちつけながらも、先生はすぐさま身を起こし、百花繚乱の面々を大声で呼び集めた。

 

 全員を外へ出し、事の次第を手短に説明する。いざ出立しようとした――その時だった。

 

 キキョウが、静かに先生の袖を引いた。

 

 その指先が、震えていた。

 

「先生、見て……」

 

 先生は、キキョウの指し示す方角へ、ゆっくりと視線を向けた。

 

 そこには、一筋の川が流れていた。流れていく包帯。

 

 その水面は――ほのかに、赤く染まっていた。




【李徴子】
中島敦『山月記』の主人公・李徴。詩人になりきれず虎に変じた男で、旧友・袁傪と再会します。九尾の狐が先生をこう呼ぶのは、彼女なりの皮肉です。

【封神演義】
明代の神怪小説。妲己に化けた九尾の狐が殷を傾ける物語で、本作の九尾の狐の出自にあたります。

【小舎人童・私奴婢・押領使】
小舎人童(こどねりわらわ)は貴人に仕える少年少女。私奴婢(しぬひ)は古代日本の賤民身分。押領使(おうりょうし)は地方の治安維持を担った令外の官職です。

【大夫黒】
源平の時代に名を残した名馬の名から。
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