「百花繚乱」編|第3章「心ざし潜む綾目髪の散る惜しむ間に」 作:ゆゞきノ君
・オリジナルキャラクターが主軸になります。
・政治・軍事描写が多めです。苦手な方はご注意ください。
数日後。軍師の権限を現作戦参謀へと移譲するための公卿会議が、陰陽部本館にて開かれることとなった。
参加者には、陰陽部部長・天地ニヤ、百花繚乱副委員長・御稜ナグサ、シャーレの先生をはじめとする、七稜アヤメを除く陰陽部・百花繚乱の全メンバー、そして清原家・源家の棟梁といった顔ぶれが揃っていた。
当事者である武者小路ツツジと私、そしてシャーレの先生や、陰陽部・百花繚乱の一般部員たちは、この場に出席こそすれ、合議そのものには参加を許されなかった。
会議は、次第に紛糾していった。
継承戦を主張する清原家・源家の継承戦派と、継承戦なしに移譲を進めようとする天地ニヤ・御稜ナグサをはじめとする和約派。畳を打つ拳の音と、幾重にも重なる怒号が、広間の空気を煮立たせていく。
数分にわたる激論の末、陰陽部の一部員・和楽チセが、ふと口を開いた。
「継承戦ぐらい、してもいいと思うよ〜」
その気の抜けた一言に、陰陽部の桑神カホが同調する。それを見たナグサ先輩も、継承戦ならばと、渋々ながら認めるに至った。
珍しく天地ニヤ部長だけが最後まで反対を貫いたが、合議は多数決によって決するのが慣例である。結局――桐生キキョウと武者小路ツツジの継承戦が、執り行われることとなった。
その決定が下された瞬間。
私はふと、ツツジの顔を見た。
彼女は、口元をそっと手で覆い隠しながらも――その奥で、確かに、密かに笑っているように見えた。
*
試合の場所は、天地ニヤ部長の計らいにより、狭い室内ではなく、百鬼夜行郊外に広がる、何もない草原に設けられた。
風だけが、乾いた草の匂いを運んでくる。空は薄曇りで、太陽の輪郭さえも朧げだった。
ツツジは、その風の吹いてくる方角へ、静かに顔を向けていた。包帯に覆われたその目が、いったい何を捉えているのか――私には、まるで分からなかった。
「武者小路ツツジ」
私は、自らを奮い立たせるように、声を張った。
「たとえ目が見えなくても、容赦しないから」
その言葉に、ツツジは、僅かに口角を持ち上げた。そして姿勢を正すと、静かに、しかし確かな重みをもって宣誓する。
「挑戦者、桐生キキョウの継承戦を受託し、ここに宣言する」
「作戦参謀の最高冠位を賭けた継承戦は、『本朝一部二道』令義解のもと、陰陽部部長及びシャーレの先生を立会人として実施する」
「桐生キキョウ作戦参謀――異論はありますか?」
「いいえ」私は、真っ直ぐに彼女を見据えた。「ないわ」
先生の合図の声が、静かな草原に響き渡った。
その瞬間、私は地を蹴った。
目が見えないという、圧倒的な優位。それを活かして早々に距離を詰め、決着をつける――それが、私の立てた唯一の作戦だった。
「――守護、最上」
ツツジの声が、静かに、しかし鋭く響く。
「えっ――」
上空。
あらかじめ放たれていた鷹が咥えていた紙が、青い炎に包まれる。
次の瞬間、私の頭上に、途方もなく巨大な影が差した。
「戦艦――ッ!?」
「どっちかっていうと、重巡だね」
思考するよりも早く、体が動いた。避けなければ、圧死する。本能がそう叫んでいた。
私は咄嗟にツツジから距離を取り、落下地点から逃れる。だが、その巨躯が地面に触れる寸前――幻のように、ふっと消え失せた。
そして、次の瞬間。
「所司、三管領、斯波――」
速射砲の砲弾が、防御の間もなく私の体を捉えた。
衝撃が全身を貫く。痛みに耐えながらも、私は負けじと反撃を試みた。だが、その攻撃は、ツツジの出現させた戦車の装甲によって、あっさりと防がれてしまう。
「あの戦車は、イロハの超無敵鉄甲虎丸と同じ——」
先生がそう呟いた。
逆に、その戦車の砲弾を受けて、私はさらにダメージを負った。
それでも――私は諦めなかった。
戦車の装填にかかる、僅かな時間の隙。その一瞬を見計らい、私は地を蹴って前進する。
だが、ツツジの戦車は、すぐさま横に据えられた発煙弾発射器から煙幕を展開し、後退した。小太鼓が連打されたような音と共に視界が、瞬く間に白く塗り潰されていく。私は、その煙幕の中へと、完全に閉じ込められてしまった。
――そして、この時になって、ようやく私は気づいた。
彼女に、視界という概念は存在しない。
白く塗り潰されて困るのは、私だけなのだ。
*
戦っている間、私はずっと、奇妙な既視感に囚われていた。
足で空薬莢を蹴り出す仕草。近距離と中距離を、瞬時に切り替える戦い方。その一つ一つの動作が――どこか、アヤメ先輩に酷似していたのだ。
まるで、私が今戦っているのはツツジ先輩ではなく、アヤメ先輩本人であるかのような、そんな錯覚さえ覚えた。
だが、その動作の精度は、アヤメ先輩を数段も凌駕していた。
「所司、三管領、畠山――」
煙幕の外から、ツツジが榴弾砲を撃ち込もうとする気配を、私は感じ取った。
匂いや音には、人一倍敏感な自負がある。私は煙幕の中であってもその気配を正確に捉え、音のした方角へ向けて銃を放った。
放った弾丸は、狙い違わず所司の紙へと命中する。紙は瞬時に結晶化し、大破した二十八糎榴弾砲が、その場に姿を現した。
この一撃で、私はついに――ツツジとの間合いを、至近距離にまで詰めることができた。
だが、ツツジは大破した榴弾砲を、迷いなく投げ捨てる。代わりに手にしたのは、着剣された三八式歩兵銃『京極』。
その銃剣が、下から掬い上げるように、私の喉元めがけて閃いた。
私は、間一髪でそれを躱す。
しかし、その一撃で、私は明確に悟った。
――このひとは、本気で私を殺しにきている。
背筋を這い上がる、冷たい恐怖。それが、この継承戦の勝敗を決定づけた。
防戦一方に追い込まれた私の目の前で、ツツジは、ティーガーⅠ『足利』の所司の紙を、静かに――しかし確実に、燃やした。
次の瞬間、私は巨大な戦車の下敷きになっていた。
幸い、履帯によって浮き上がった車体中央の隙間から、私はどうにか這い出ることができた。
だが、ツツジは既に、その出口を待ち構えていた。
私の眼前に、銃剣の切っ先が、静かに突きつけられる。
「せ、戦闘やめ――!!」
先生の叫び声が、草原に響き渡った。彼は、慌てた様子で私のもとへ駆け寄ってくる。
「大丈夫? キキョウ」
「ええ」私は、震える声で答えた。「大丈夫、ありがとう先生」
結局、この継承戦は、ツツジによる過剰攻撃と判定され――無効。天地ニヤ部長により、無期限延期が宣告された。
*
その判定が下された後。
ツツジは、その場で、風の吹いてくる遠くの山の方角へと、静かに顔を向けた。
「『それ兵の形は水に象る。水の形は高きを避けて下に赴く。兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝を制す』」
その声には、まるで詩を諳んじるような、静かな響きがあった。
「『故に敵に常勢なく、水に常形なし。よく敵に因りて変化し、勝を取る者――これを神と謂う』」
「……何が、言いたい」
私が、掠れた声でそう問いかけると、ツツジは、にこやかに――しかし、どこか慈しむような笑みを浮かべた。
「桐生さんの成長を、楽しみにしているよ」
その言葉には、確かな含みがあった。
そして彼女は、私にではなく――先生のいる方角へと、顔を向け直した。
「先生。九尾の狐が、どうやって人や物に擬態できるのか――ご存知ですか?」
「物にも擬態できるの――?」
「ええ。なんせ――」
ツツジは、静かに続けた。
「九尾の狐は、外見を擬態するのではなく、物質の記憶そのものをコピーしますから」
「たとえば、そうですね――」
その口元が、僅かに笑みの形を作る。
「以前に『預言者クズノハから先生に宛てられた手紙』なんかも、九尾の狐は擬態できます」
先生が、息を呑む音が聞こえた。
「なんで、ツツジがそれを知って――」
「土生さんから聞いちゃいました」
ツツジは少し戯けてように言った。
「九尾の狐は、物質の記憶自体をコピーしますから」
「――その手紙が、どこから宛てられたのか」
「どこを経由して、先生のもとへ送られてきたのか」
ツツジの声が、ゆっくりと言葉を置いていく。
「その手紙さえ見つければ――九尾の狐は、黄昏の寺院へ行けてしまいます」
沈黙が、草原に落ちた。
「ふふっ」
その沈黙を破って、ツツジが笑う。
「とはいえ――百花繚乱の部室には、七稜さん以外、誰も居ないようでは」
「帰って九尾の狐に強奪されていても、文句は言えませんね」
その言葉を残し、ツツジは、いつの間にか駆けてきた大夫黒へ、迷いのない所作で跨った。
そして、颯爽とその場を後にする。
「あの馬に乗っていたのは、アザミではありませんのー!?」
ユカリが、驚愕の声を上げた。
「なんだ、脱走か――?」
レンゲが、呑気にそう言う。
「違う……」
ナグサ先輩が、ハッとしたように呟いた。
「大夫黒って、百花繚乱の庭先に、硬く紐で括ってたよね……? どうして、ここにいたの……?」
先生の顔色が、瞬時に変わった。
「まさか――ッ!」
*
案の定だった。
急ぎ百花繚乱の部室へと戻ると、そこは無残に荒らされていた。
肝心の鍵棚は錠前が破壊され、中に収められていたはずの『預言者クズノハから先生に宛てられた手紙』は――跡形もなく、消え失せている。
ツツジとアザミを追おうとする私たちの目の前に。
――九尾の狐が、音もなく立ち塞がった。
「攻撃が来るよ、先生」
ナグサ先輩の警告が飛んだ、まさにその瞬間。
「今日こそ、貴様を殺してやるぞ、先生」
九尾の狐の背後に、弧を描くようにして、五振りの剣が半透明に浮かび上がった。
その禍々しい輝きを見た瞬間、私の背筋に、冷たいものが走る。
九尾の狐の操る妖術――『讃珍済興武』。それは数百年前、彼女が取り込んだ生徒たちの神秘の力を、そのまま吸収したものだと言われている。
「讃は
「武――ッ!」
その一声とともに、五振りのうち一振りが、九尾の狐の手のひらへと実体化する。それを手にした狐が、鋭い踏み込みとともに攻撃を仕掛けてきた。
怪異には、通常の弾薬は通用しない。
先生は必死に百花繚乱のメンバーへ指示を飛ばすが、九尾の狐は、まるで私たちの戦い方そのものを熟知しているかのように、的確に、そして冷酷に、攻撃を重ねてくる。
――ただ、一つだけ。
不可解なことがあった。
九尾の狐が、一番警戒すべきはずの、百蓮を持つナグサ先輩に対して。
まるで、何の警戒心も抱いていないかのような動きをしているのだ。
(――もしかして)
私の中で、一つの推論が形を成していく。
(九尾の狐は、百蓮を持つのがナグサ先輩ではなく、アヤメ先輩だと思い込んでいる……?)
直感だった。けれど、それは決して当てずっぽうではない。
数え切れないほどの怪異と対峙してきたからこそ分かる。あの動きには、明確な「警戒の欠落」がある。狐は、ナグサ先輩の持つ百蓮を、脅威として計算に入れていない。
――だが。
もし今、この考えを先生に伝えれば、どうなるか。
先生の指揮は、一時的に麻痺する。この推論の根拠は、突き詰めれば私の経験則でしかなく、確たる証拠など、どこにもないのだから。
剣風が空気を切り裂くたび、地面が抉れ、砂塵が舞い上がった。悲鳴じみた金属音。着弾の衝撃。そして――巻き添えを喰らった街の人々の、呻き声。
絶望的な音の渦が、私たちを容赦なく包み込んでいく。
絶体絶命――そう思われた、その時だった。
空高くから、鷹の鳴き声が聞こえてくる。
同時に、ツツジ先輩が身につけていたはずの、『軍師』と刺繍された襷が、ひらひらと舞い落ちてきた。
それを目にした瞬間、私の脳裏に、先ほどの言葉が甦る。
「――兵形、象水の如し……」
私に、迷いはなかった。
私は、先生ではなく――ナグサ先輩へと、素早く耳打ちした。
「私が、九尾の狐の注意を引くから。ナグサ先輩は、確実に百蓮を命中させて」
ナグサ先輩は、一瞬、戸惑うような表情を見せた。だが、すぐに固く頷いてくれた。
私は、意を決して前へと踏み出す。
「こっちよ――ッ!」
声を張り上げ、九尾の狐の注意を、自分一人に引きつける。狐はその挑発に乗り、私めがけて猛然と踏み込んできた。
剣が唸る。私はそれを紙一重で躱し、また躱し――ぎりぎりの間合いで、狐を自分の周りに縫い止め続けた。
そして、狐の刃が、私の喉元を掻き切ろうとした――まさにその刹那。
ナグサ先輩の放った百蓮の光が、九尾の狐の体を、正確に貫いた。
「百蓮は、アヤメが持っているんじゃなかったのか――ッ!」
狐は悶え苦しみながら、その場から一目散に逃げ去っていった。
*
息を切らした先生が、私のもとへと駆け寄り、何をしたのかと問いかけてきた。
私は荒い呼吸のまま、先ほどの推論を、静かに述べた。
九尾の狐が、ナグサ先輩を警戒していなかったこと。その理由が、百蓮の所在についての思い込みにあったこと。
先生は、私の判断を惜しみなく讃えてくれた。
だが、私は、静かに首を振った。
「いいや。私は――あのひと押しがなかったら、実行できてなかった」
空を見上げる。
あの鷹の姿も、『軍師』と書かれた襷も、既にどこにもなかった。
「武者小路ツツジ――いや、ツツジ先輩」
まだ私の中には、彼女に対する恨みが確かにあった。
けれど同時に――どこかで彼女を尊敬するような気持ちも、確かに芽生えていた。
だからこそ、私は遠くの空へ向かって、静かに、しかし強く誓う。
「いつか必ず――貴方から、軍師大権を奪ってみせる」
「今度は武力ではなく、作戦参謀としての力で――」
【兵形象水】
孫子・虚実篇の一節。水が高きを避けて低きに流れるように、軍もまた敵の実を避けて虚を撃つ。定まった形を持たず変化する者を「神」と呼ぶ、と説きます。キキョウが継承戦の後に見出すのは、この教えの実践でした。
【二十八糎榴弾砲・ティーガーI】
前者は日露戦争の旅順攻囲戦で使用された要塞砲。後者は第二次大戦期のドイツ重戦車です。