「百花繚乱」編|第3章「心ざし潜む綾目髪の散る惜しむ間に」   作:ゆゞきノ君

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・原作「百花繚乱」編第二章終了後の独自解釈です。
・オリジナルキャラクターが主軸になります。
・政治・軍事描写が多めです。苦手な方はご注意ください。


第六話「ウォードの箱に君を見た」

 出る杭は打たれる、とはよく言ったものだ。だが、武者小路ツツジという人は――出る杭、そのものだったのだと、私は思う。

 

 元をたどれば下戸の身分。そこから高官の地位にまで上り詰めた彼女を、妬む者は決して少なくなかった。まして当時は、『崇陰派(すいいんは)』と『排陰派(はいいんは)』――百花繚乱と陰陽部、それぞれが政治の主導権を巡って(しのぎ)を削る、暗く冷たい時代だった。ツツジ先輩は、そのどちらの派閥にも与することをよしとしなかった。だからこそ最後には、末端のエビス分校に追いやられてしまったのだ。

 

 私は、彼女を本当に馬鹿だと思っていた。だからこそ私は、そうならないよう、できる限り周囲と歩調を合わせ、決して浮かないよう努めてきた。けれど――ある日、私はそれに耐えられなくなった。自分自身が出る杭になって、ついには私も、打たれてしまった。

 

 だが、私の出る杭は爆ぜなかった。ツツジ先輩は、あえて自らを出る杭にしていたのだ。人類の歴史に連なる、無数の出る杭たちのように。

 

 時に、民衆が王の側近をプラハの窓から突き落とし、サラエヴォの一人の青年が皇太子に銃口を向けたように――。

 

 私が思うに、世界を大きく揺るがす事件というものは、必ずそうした出る杭が打たれる、その延長線上に横たわっている。そして、その過程には必ず、巨大な火薬庫がひっそりと存在しているのだ。今にして思えば――ツツジ先輩は、私をその火薬庫に打ち付けさせないために、あえて自分がその役目を引き受けたのだと思う。

 

 本当に、馬鹿な人だと思う。ツツジ先輩の優しさに、私は感謝の言葉一つ返せないまま、彼女は勝手にいなくなってしまった。だから私は、彼女のことが大嫌いだ。

 

 そして今日、また新たな出る杭が、あの巨大な火薬庫に、火を灯したらしい。

 

 遠くから、爆発音が届く。その音の底に、私はどこか――ツツジ先輩の面影を見た気がした。

 

「おい、起きろ、怠け者」

 

「『預言者クズノハが先生に宛てた手紙』とやらは、どこにあるか教えろ」

 

「……あなたは……?」

 

 私は、数週間ぶりに目を覚ました。私を叩き起こしたのは、クミホと名乗る狐の怪異だった。私は咄嗟に黄昏の力を使おうとした。だが、それは発動しなかった。

 

「どうして……」

 

「其方の黄昏は、妾が貰った」クミホは、事もなげに言い放つ。「ツツジとの取引でな。其方の体を、元に戻すよう言われておるのだ」

 

「ツツジ先輩が――いるの?」

 

 その名を聞いた瞬間、私は跳ねるように床から身を起こし、髪を整える暇も惜しんで服を着た。

 

「どこへ行く」

 

「ツツジ先輩のところ。伝えないといけないことがあるの」

 

「ああ」クミホは、興味なさげに応じる。「今はキキョウとやらと、戦っておるが」

 

「おそらく、もう……」

 

 その言葉の余韻すら、私には残されていなかった。外から、馬の駆ける蹄の音が近づき、百花繚乱の部室の前でぴたりと止まる。扉が開く。渡り廊下を、誰かがこちらへと歩み寄ってくる、その足音。

 

「そこにいるの、七稜さん」

 

 その声に振り返って――私は、何も言えなくなった。

 

 土生アザミに手を引かれ、そこに現れたのは、ツツジ先輩だった。

 

 その目は、荒く巻かれた包帯の下で、光を失っているようだった。露わになった皮膚には、火傷のような爛れが幾筋も刻まれている。まさしくそれは――びらん剤による傷跡だった。

 

 あれほど積もらせてきたはずの罵詈雑言も、ツツジ先輩のその姿を目にした瞬間、喉の奥で凍りついたまま、二度と出てこようとはしなかった。

 

 ツツジ先輩は、そんな私の様子を気にかける余裕すらないように、アザミたちへ「自分のことはいいから」とだけ告げ、調停室にあるクズノハの手紙を探すよう指示を出した。

 

「クズノハの手紙が、調停室にあるって……知っていたの?」

 

「ああ、いや」ツツジ先輩は、微かに笑った。「私はただ、七稜さんと二人っきりになりたかっただけだよ」

 

「私は――君に、これを着てほしくて、ここに来たんだ」

 

 そう言うと、彼女は手探りで私の手を探し当て、その手のひらに、一つの紙袋をそっと押しつけた。

 

「百花繚乱の、制服……?」

 

「うん。私が着てた制服だよ」ツツジ先輩は頷いた。「きっと、黄昏で今の制服は汚染されてるだろうと思って、持ってきたんだ」

 

「本当は、真新しいのを渡したかったんだけどね」彼女は、少し困ったように眉を下げた。「七稜さんの身丈に合うのが、これしかなくてね」

 

 そう言って、ツツジ先輩は、見えないはずの目で私の輪郭を確かめるように、制服を着せかけてくれた。私は、それを黙って受け取った。

 

 そして最後に、彼女は私の首元へ、一枚の白い襷をかけようとした。『百鬼』と刺繍された、代々の百花繚乱委員長だけが身につけることを許される、あの襷を。

 

 私は、その手を――そっと掴んだ。

 

「ここまでしてもらったツツジ先輩には、本当に悪いけど……それは、受け取れないよ」

 

「どうして」

 

「だって、私には」私は、俯いたまま続けた。「百花繚乱の委員長になる資格なんて、初めから無かったの」

 

「だから、それは――百蓮を使えるナグサに、渡してほしい」

 

 ツツジ先輩は、私のその言葉に、何一つ反応を返さなかった。

 

 代わりに彼女は、私をわざわざ縁側に座らせ、櫛を手に取ると、静かに私の髪を梳き始めた。

 

「七稜さん」ツツジ先輩の声は、どこか懐かしむような響きを帯びていた。「あそこに、昔――菖蒲(あやめ)が咲いていたよね」

 

「ツツジ先輩」私は、思わず口を挟んでしまう。「あれは、杜若(かきつばた)だよ」

 

 彼女が指差した池の畔には、確かに花が咲いていた。だから私は、間を置くこともなく、そう訂正してしまったのだ。きっと、彼女なりの優しさだったのだろう。だが、それを慮る余裕すら、その時の私にはなかった。

 

「そっか」ツツジ先輩は、静かに呟いた。「あれは、杜若か……」

 

 その声色に滲んだ、微かな寂しさ――それに気づいた瞬間、私の胸の奥に、言いようのない申し訳なさが広がっていった。

 

「その、菖蒲の花……探してみる?」私は、慌てて言葉を継いだ。

 

「百花繚乱の庭、無駄に広いじゃん。探せば、きっとあるはずだよ」

 

 私たちは、互いに裸足のまま庭へと降り、菖蒲の花を探し始めた。すると、ツツジ先輩が池の方角を指差した。私は、その指の先へと歩み寄る。彼女が示していたのは――池の、水面そのものだった。

 

「ははっ、ツツジ先輩」私は思わず笑ってしまった。

 

「流石に、池の中に菖蒲の花は咲かないよ……」

 

「って――ぇ、何――っ!!」

 

 ツツジ先輩は、ふふっと微かに笑うと、突然、私の胴を両手で持ち上げた。水面に、くっきりと自分の顔が映り込む。その瞬間になって、ようやく私は、彼女の意図を悟った。

 

「確かに、杜若かもね」私は、水面に映る自分の頬を見つめながら呟いた。

 

「だって、真っ赤っかだもん」

 

「見えてないでしょ……」

 

「ふふっ」ツツジ先輩は、静かに笑った。

 

 私は、ゆっくりと地面へ降ろされた。ツツジ先輩の飼う磐手という名の鷹が、脱げていた私の下駄を咥えて運んできてくれる。私はそれを履き直しながら、ずっと聞きたかったことを口にした。

 

「ねぇ、ツツジ先輩」

 

「どうして、あなたは昔から――私の仮面を、見破れるの?」

 

 だがツツジ先輩は、静かに首を振るだけだった。

 

「七稜さんの付けてる仮面なんか、私には分からないよ」

 

「ただ、私はね」彼女は、遠くを見るように眼帯の中で目を細めた。「君の『仮面』と呼ぶその姿の中に――ヴェルレーヌの、傷つき痛む幼い子のような心と、萩原朔太郎の、色情と憂愁を通して生を見つめる眼差しと、千家元麿の、悲しいほどに無垢な瞳と、イェーツの、幻想が織りなす造形――そういったものから学んだ、感じ方や表現の仕方が、うっすらと透けて見えていただけなんだ」

 

「えぇっと……それはつまり?」

 

「要は、私が分かるのは七稜さんが、杜若か菖蒲かだ――」

 

 その言葉は、最後まで紡がれることはなかった。

 

 ツツジ先輩は、不意にその場へ四つん這いに崩れ落ち、口から大量の血を吐いた。白い枯山水の砂利が、みるみるうちに赤く染まっていく。

 

「ツツジ先輩――ッ!?」

 

 私は、咄嗟に彼女の肩を支えた。

 

「早く、病院にっ――!」

 

 だが、ツツジ先輩は、震える手で私を押し留めた。

 

「もう、私も――梔子さんのように、私に残された時間は長くないんだ」

 

 そう言って、彼女は私の髪を、三つ編みに結び始めた。指先は震えていたが、その動きだけは、驚くほど確かだった。

 

「七稜さん」ツツジ先輩は、髪を編みながら静かに問うた。「躑躅の花と、菖蒲の花って――いつまで咲くか、知ってる?」

 

「躑躅の花は、四月から五月ぐらいだったかな」私は、震える声で答えた。「菖蒲の花は、五月から六月ぐらいだね」

 

「じゃあ」彼女は続けた。「ワスレナグサの花の、開花時期は知ってる?」

 

「ええっと……躑躅の花と、同じ四月から五月ぐらいかな」

 

「なんで、こんなこと聞くの?」

 

「それはね……」

 

 物部シシカ――かつて百花繚乱の委員長を務め、ツツジ先輩を軍師に据えた、あの人。物部シシカは、委員長を引退する際、ツツジ先輩に、あの襷を託したのだという。ツツジ先輩がその理由を尋ねたとき、シシカ先輩はこう言い残したそうだ。

 

「『私はこの先の未来が見えない。だから私はこれを君に託す。もしお前も未来が見えなくなったら、君が別の者に、未来を託してくれ』――それが、彼女の最後の言葉だった」

 

「そして、この三つ編みは」ツツジ先輩は、私の髪を結い終え、静かに手を離した。「その約束を忘れないようにと、かつてシシカ先輩が、私にしてくれたものなんだ」

 

「ただ、私は――君に、未来を託したかったんだ……」

 

 私が、何かを言おうと口を開きかけた、その瞬間だった。

 

 遠くから、他の百花繚乱のメンバーたちの声が響いてくる。

 

「ははっ、そろそろ行かなくっちゃね」

 

「土生さん、もう行けますか」

 

「ああ、鍵を壊して例の手紙を手に入れた。いつでも行ける」

 

「クミホさん、時間稼ぎってできたりできますか」

 

「先生ごとき、簡単に殺してやる」

 

「では任せました」

 

「って言うことで、七稜さん」

 

 ツツジ先輩は、静かに立ち上がった。

 

「私たちは、ここでお暇させてもらうよ」

 

 そう言うと、彼女は土生アザミに手を引かれ、百花繚乱の部室の門へと向かって歩き出した。その途中、ツツジ先輩は振り返ることもなく、私の名を呼んだ。

 

「七稜さん」

 

「もし――どうしてもあなたが、百花繚乱の委員長の資格がないと思うのなら」

 

「黄昏の寺院へ、来なさい」

 

「あなたがそこへ来た時――私も、そこにいるから……」

 

 それだけを言い残し、ツツジ先輩は颯爽と、その場を後にした。

 

 私は、弾かれるように外の道まで駆け出した。

 

 その瞬間だった。小粒の水滴が、音もなく空から降り始める。つい先ほどまで晴れ渡っていたはずの空は、瞬く間に厚い雲に覆われ、やがて土砂降りへと変わっていった。降りしきる雨は、私の頬を伝う涙を、跡形もなく洗い流していく。

 

 片や躑躅の花は、五月に枯れゆく花。片や菖蒲の花は、五月に咲き初める花。この二輪の花は――初夏の、ほんの短い間しか、共に在ることができない。

 

 そして今、私はようやく、その意味を理解した。

 

 季節は、初夏の陽気から――長く続く、梅雨の季節へと、静かに移り変わろうとしていた。




【ウォードの箱】
19世紀、ナサニエル・ウォードが考案したガラス張りの植物運搬容器。テラリウムの原型で、閉じた容器の中で植物が生き続けます。アヤメが「仮面」の中で生きてきたことの比喩です。

【いずれ菖蒲か杜若】
どちらも優れていて選び難いことを言う成句。作中では、よく似た二つの花を見分けられるかどうかが、そのまま人を見抜けるかどうかに重ねられています。

【花の暦】
躑躅は四月から五月、菖蒲は五月から六月、ワスレナグサは四月から五月。躑躅が枯れる頃に菖蒲が咲き初めるため、二つの花が共に在る期間はごく短いものです。

【プラハ窓外投擲事件/サラエヴォ事件】
前者は1618年、使者が窓から投げ落とされ三十年戦争の発端となった事件。後者は1914年、オーストリア皇太子暗殺により第一次大戦が始まった事件。どちらも「一つの出来事が世界を動かした」例です。

【ヴェルレーヌ/萩原朔太郎/千家元麿/イェイツ】
いずれも詩人。ツツジがアヤメの中に見ていたのは、彼女が読んできたものの影でした。
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