「百花繚乱」編|第3章「心ざし潜む綾目髪の散る惜しむ間に」 作:ゆゞきノ君
・オリジナルキャラクターが主軸になります。
・政治・軍事描写が多めです。苦手な方はご注意ください。
やがてツツジ先輩は、私たちのもとを去っていった。
私は、その背中に憧れて――百花繚乱を目指すことになる。
ツツジ先輩は、基本的に寡黙な人だった。ナグサには内緒で百花繚乱へ遊びに行くと、決まって書斎で本を読んでいる。大伴コガネから作戦参謀の御曹司を賜った日、お祝いの一言を伝えに行った時ですら、彼女は書斎にいた。
正直に言えば、私はあの書斎があまり好きではなかった。薄暗くて、億劫で、埃臭い。
ツツジ先輩は、そんな私の内心を察していたのだろう。誰もいない夕暮れ時を見計らっては、百花繚乱の射撃場で、様々な技を教えてくれた。
先輩の技は、寒冷地出身ゆえか、独特なものが多かった。ガンオイルを塗らないから、足で荒々しくボルトアクションを操作したり。あるいは、銃ではなく弓で標的を射抜いてみせたり――。
もっとも、弓については先輩自身、こう言っていた。
「目眩しとか、脅す時にしか使わないよ」
その全てを吸収できたとは、とても言えない。それでも――ツツジ先輩から受け取ったものは、確かに大きかった。
この時、私はまだ中等部三年生だった。それでも、私の戦闘力は、同年代の誰よりも抜きん出ていたと思う。
*
そしてとうとう、私とナグサは、百花繚乱の門を潜ることとなった。
本来ならば、新人研修は百花繚乱の委員長が執り行うはずだった。
だが、この時期――陰陽部部長の大伴コガネ、百花繚乱委員長の物部シシカをはじめ、両組織の数多くの部員が忽然と姿を消すという、いわゆる神隠しが起きていた。
陰陽部も百花繚乱も、その対応に追われていた。ツツジ先輩もまた、原因究明のため、ヴァルキューレ警察学校や連邦生徒会との調整に、日夜奔走していた。
結果、新人研修は、失踪した前任者に代わって副委員長に就任した――
*
その日は、小銃を用いた研修だった。
雨之宮イルカが、私の名を呼ぶ。
同期たちの、私を羨むような小さな歓声。それを背に受けながら、私は所定の射撃位置の手前で、
――その時だった。
挿弾子の爪から、次々と薬莢が剥がれ落ちていく。
バラバラッ、と。
先ほどまで聞こえていた歓声が、すっと消え去る。気まずい静寂が、その場を支配した。
顔が、眼球が、燃えるように熱くなる。視界が、水滴の乱反射に歪んでいく。
――その時。
仮面が、外れた。
あれほど時間をかけて塗り固めてきた「完璧な七稜アヤメ」が、薬莢と一緒に、砂利の上へ転がり落ちていく。
私の顔を見ないで。
心の中で、私はただそう願った。
その、矢先だった。
百花繚乱の部室の方から、私を呼ぶ声が響いた。
「七稜さーん!!」
イルカ副委員長も、同期たちも、一斉にその声の方を振り返る。
渡り廊下から――靴も履かずに、裸足のまま駆けてくるツツジ先輩の姿があった。
「ツツジか――貴様、何用だ?」
イルカ副委員長が、冷ややかに問う。
「雨之宮さん、研修中、申し訳ありません」
ツツジ先輩は、息を切らせながら、はきはきと告げた。
「実は私、七稜アヤメさんの弾薬盒と、自前の弾薬盒を取り違えておりまして――七稜さんが今使っている弾薬盒、それは私のものです」
私は、その言葉に息を呑んだ。
――違う。
この弾薬盒は、間違いなく私自身のものだ。そして今、先輩が手にしているそれもまた、間違いなく先輩自身のものだ。
取り違えなど、初めから、どこにも存在しなかった。
ツツジ先輩が、私のもとへと歩み寄ってくる。
――だが。
「おい待て、貴様――」
「なんでしょう?」
「なぜ、私のことを副委員長とは呼ばないのだ?」
イルカ副委員長の声が、露骨に低くなる。
「貴様、舐めてるのか? シシカの私奴婢めが――ッ!」
ツツジ先輩は、答えなかった。
ただ――静かに、冷え切った視線を、副委員長へと向けただけだった。
「なんだ、その目は。そんな態度を続けていると、蘇我オンマ部長に言って、貴様の役職を――」
その時、イルカ副委員長の視線が、ツツジ先輩の目線の先を追った。
そこには――新たに委員長へと就任した物部ミコシが、こちらを鋭く睨みつけて立っていた。
「七稜さんに、弾薬盒を渡しても?」
「――ッ、勝手にしろ」
*
ツツジ先輩は、私の前へ来ると、自分の袖を手元へ伸ばし――私の視界を遮っていた水滴を、そっと吸い取った。
埃と、乾いた紙と、微かな硝煙の匂いがした。書斎と射撃場の匂いだ。
そして先輩は、矢継ぎ早に弾薬盒を交換すると、そのまま何事もなかったかのように立ち去っていった。
*
その日の夕刻。私は、あの書斎へと足を運んだ。
薄暗い廊下の突き当たり。扉の隙間から、細く橙色の光が漏れている。
私は、意を決してその扉を叩いた。
「どうぞー」
扉を開けると、そこには、机に向かうツツジ先輩の背中があった。
彼女は、私の弾薬盒のほつれた糸を、一針一針、丁寧に縫い直していた。そして中から取り出した挿弾子の爪に熱を当て、開いてしまったその金属を、布を当てた金槌で――傷つけぬよう、慎重に、静かに叩き閉じていく。
カン、カン、と。
布越しの、くぐもった音が、埃っぽい書斎に響いていた。
「とりあえず、七稜さんの弾薬盒の挿弾子、応急措置は済んだけど」
先輩は、顔も上げずにそう言った。
「できれば、買い換えたほうがいいよ」
「でも……これなら、全然使えそうだけど」
「挿弾子っていうのは、消耗品の類なんだ」
ツツジ先輩は、ようやく顔を上げ、その小さな金具を私に見せた。
「同じものを使い続ければ、薄い金属でできた両端の爪が、外側へと開いてしまう。そうすると、こうして薬莢が脱落してしまうの」
「ツツジ先輩、なんで私に、ここまで――」
言いかけて、私は言葉を切った。そして、もう一度、息を吸い直す。
「ツツジ先輩。私、あなたに言わないといけないことが――」
――その時だった。
書斎の扉が開き、志賀ナオハ先輩が顔を覗かせた。
「ツツジ。アビドス高校の梔子ユメっていう生徒がツツジのこと呼んでるよ」
「梔子ユメってアビドスの生徒会長が私に? 分かった、今すぐ行くよ」
ツツジ先輩は、そう応じて立ち上がった。
「じゃあ、七稜さん――これを」
差し出された弾薬盒は、まるで新品のようだった。
ほつれは一つもなく、金具は静かな光を放っている。
*
渡り廊下を、先輩が渡っていく。
私はその背中を、ただ見つめていた。
――いつか、必ず。
感謝を伝えなくてはならない、と。
私は、心にそう誓った。
*
その日の夜ことだった。
ツツジ先輩があの後、急遽
不審に思った私は、部室を出て、本館へと向かうことにした。
河川敷の細道は、月明かりだけが頼りだった。水面が、鈍い銀色に揺れている。
――やがて、前方から蹄の音が聞こえてきた。
馬上にまたがっていたのは、確かにツツジ先輩だった。
けれど、その目は。
どこまでも虚ろで――光が、まるでなかった。
「ツツジ先輩――!」
何度も名を呼んで、ようやく先輩は、私の存在に気づいたようだった。
「ああ……七稜さんか」
その声は、驚くほど平坦だった。
「こんな夜中まで、外にいると危ないよ」
「ツツジ先輩こそ、どうしてこんな夜中まで」
「公卿会議は、どうだったの?」
だが、先輩はその問いに答えなかった。
代わりに――虚ろな口が、静かに動き始めた。
「よい兵士というのは、よく敵兵を殺す者です」
夜風が、川面を波立たせる。
「よく敵兵を殺す者とは、躊躇なく相手の命を奪う者です」
「ただ――それは強さではありません。ただ彼は、敵を人間として認めようとしないだけなのです」
「彼が敵兵を人間と認めてしまった時。彼は、敵兵を殺すことができなくなります」
「しかし、この連鎖が結果的に平和に繋がるわけではない」
先輩の指先が、微かに震えていた。
「彼は――同じ敵兵の銃によって、撃たれるのです」
「ツツジ先輩。あなたが、何を言っているのか――」
ツツジ先輩から、一冊の調査資料が落ち、それを私は反射的に拾ってしまった。
月明かりの下、そこに記されていた文字を、私は読んでしまった。
――『蘇我オンマが物部シシカを殺害』
――『物部ミコシが報復に大伴コガネを毒殺』
――『排陰派、崇陰派の要人が互いに報復を』
「……どういう、こと」
その時だった。
夜の街灯に照らされた道を、一人の生徒が全速力で駆け抜けてくる。
「ばかっ、こんなもん見せるなッ!」
その手が、私の持っていた資料を力ずくで奪い取った。
「中臣さん。私を追いかけてきていたんですか」
中臣ヒイナ。陰陽部の副部長である。
だが――私が息を呑んだのは、そのことではなかった。
彼女の制服に、僅かに。
乾きかけた、赤黒いシミが、点々と付着していたのだ。
「先に言ったように、この子を頼みますよ」
「この子が……七稜アヤメ」
ツツジ先輩は、その問いに静かに頷いた。そして、そのまま前へと向き直る。
「では私は、よい兵士として――エビス分校に出立します」
「ツツジ先輩は、いつエビス分校から帰ってくるの」
先輩は、その問いにも答えなかった。
ただ静かに、馬を進めた。
月光に照らされたその背中が、少しずつ、夜の闇へと溶けていく。
「ツツジは、私たちがうまくやれば、明日にでも帰ってくる」
中臣ヒイナが、そう言った。
「だから――私に、協力してほしい」
*
私は、ヒイナの話を聞いた。
そしてその後、彼女の言うままに動いた。蘇我オンマの後を継いだ中臣ヒイナを継承戦の仲介役として立て、新たに百花繚乱委員長へと就任した雨之宮イルカに継承戦を挑んだ。同じく副委員長に就いた蘇我エミコに対しては、御陵ナグサを説得し、その役職を剥奪させた。
全ては、上手くいった。
――けれど。
ツツジ先輩は、いつまで経っても帰ってこなかった。
ヒイナに問い詰めても、分からない、とはぐらかされるばかり。
私は、夢だった百花繚乱の委員長になった。
なったはずなのに――その心が、満たされることは、ついに一度もなかった。
*
百花繚乱の庭の、菖蒲の花はいつの間にか枯れていた。
そしてそこには、いつの間にか、ずっと杜若の花が咲くようになってしまっていた。
【挿弾子の爪】
挿弾子は消耗品で、繰り返し使うと両端の爪が開き、薬莢を保持できなくなります。作中でアヤメの身に起きたのは、まさにこの劣化でした。