私の住処である洞穴へと戻る。
その後ろを、先ほどの男――ユーキが歩いている。
「……」
「……」
会話がない。
いや、正確には私が何を話せばいいのか分からない。
つい先ほど、自己紹介という万能会話デッキを消化してしまったのだ。
しかもそれも、
「私はリンといいます」
「そうか、俺はユーキという」
これだけ。きまず。
そもそも、この世界に来てからまともに人と会話するのは初めてなのだ。
しかも相手は、さっき目の前で魔物を三匹まとめて斬り殺した男。
ぶっちゃけ怖い。
めちゃくちゃ怖い。
ちらりと後ろを見る。
ユーキは無言で歩いている。
腰には、先ほど魔物を斬った剣。なんだかこれだけでも絵になりそう。
でも服はところどころ汚れていて、少し疲れているようにも見える。
……やっぱり怖い。
だが洞穴まで来てもらう以上、何か話さないとさらに気まずい。
私は意を決して口を開いた。
「あ、あの……」
「なんだ」
「さっきの魔法は、なんだったのですか?」
「ああ」
ユーキは少しだけ考えるようにしてから答えた。
「あれは翻訳魔法だ」
「翻訳魔法?」
「そうだ。異なる言語を理解するための魔法だな。子供でも魔力があれば扱える、基礎魔法の一つだ」
「へぇ~」
なるほど。
つまり、私が最初に聞いたときの、
『■■、■■?』
みたいな謎の言葉が、今はちゃんと日本語として聞こえているのは、この魔法のおかげらしい。
便利だな、魔法。異世界に来て初めて、
「魔法ってすげぇ」
と素直に思った。
「ほかにも基礎的な魔法はいくつかある。身体を綺麗にする『クリーン』とか、少量だが水を出すものとか、簡単な火を起こすものとか」
「クリーン……!」
思わず食いついてしまった。
「それ、覚えたいです!」
「そうか」
「はい!」
『クリーン』。
なんて素晴らしい響きだろう。
この世界に来てから、まともに風呂にも入っていない。だが元々、毎日忙しくても風呂にはいる生粋の日本人である。
最初の頃は自分でも獣臭さが気になっていたのだが、最近はすっかり鼻が慣れてしまった。
しかし。
私は今、オオカミの耳と尻尾を持つ獣人である。水浴びはしたが、拭いきれない匂いだってあるだろう。
ということは、もしかすると。
「……私、とんでもなくケモノくさいのでは?」
「……」
ユーキがこちらを見る。
「な、なんですか」
「いや」
「なんでもないなら、なんで見るんですか」
「別に」
うん。たぶん臭いんだろう。いつか絶対にクリーンを覚えよう。
そう心に決めた。
そんなことを考えながら歩いていると、ようやく洞穴が見えてきた。
「ここが私の住処です」
「……洞穴か」
「はい。ちょっと狭いですけど」
警戒しているようなので、私が先に中に入る。
ここ数日、私が必死に生き延びてきた場所だ。
決して快適とは言えない。床は硬いし、寝具もない。
それでも、雨風をしのげるだけマシだ。
「どうぞ。ゆっくり休んでください」
「ああ」
ユーキは洞穴の奥へ進み、壁にもたれかかるように座った。
そして――
「そういえば、私も魔法が使えるんですよ」
「……は?おいやめ」
私はちょっとだけ得意げになった。
「それっ」
手のひらに意識を集中させる。
以前、一度だけ成功した魔法。
小さな光の球が、ぽうっと浮かび上がった。
「どうです?」
……しょぼい。
改めて見ると、やっぱりしょぼい。
豆電球くらいの明るさしかない。
しかし。
ユーキはなぜか剣に手をかけていたが、少しだけ目を見開いた。
「……珍しいな」
「え?」
「獣人が回復魔法を扱えるのか」
「回復魔法?」
「違うのか?」
「えーっと……」
私は光の球を見る。
回復魔法。
そう言われても、私自身はそんなつもりで使ったわけではない。
ただ、体の中にある何かを外へ出したら、こうなっただけだ。
「よく分からないです」
「そうか」
ユーキは光の球をしばらく眺めていた。
「獣人は身体強化系か、攻撃系の魔法を使うことが多い。回復魔法を使える者はとても珍しい」
「へぇ、そうなんですか」
「特に、子供が扱えると分かれば、教会が保護することもある」
「保護?」
保護かぁ。私も保護してもらえるのならしてほしいな。
「聞こえは良いが、回復魔法を使える人間は少ないからな。教会は回復魔法を独占している」
「……独占?」
「そうだ。回復魔法を使える子供を見つければ、教会へ連れていく。そこで魔法を学ばせ、治療を行わせる。そして、一般には回復魔法を制限させているんだ」
「なるほど」
つまり。
レアスキル持ちの子供を囲い込む、と。
なんだかゲームのレアキャラみたいだ。
「ただ教会は貴族様方と大層仲が良いみたいでな。平民には高い金で治療を受けさせ、その金を貴族に献上しているからだ」
「そして、国によっては獣人は奴隷のように扱われることもあるそうだ」
……いや待て。
私は獣人の子供で、しかも一人。
そして回復魔法持ち。
これは。
「……私、教会には行かないほうがいいですかね?」
「そうだな」
即答だった。
「絶対に行かないほうがいい」
「ですよねぇ~」
ちょっと笑ってしまう。
この世界、思っていた以上に世知辛い。
「お前は若いが、見た目も、良いし、な…」
「ちょっと、もしかして口説かれてます?」
そんな話をしているうちに、ふと気づいた。
「……あれ?」
ユーキの返事がない。
「ユーキさん?」
見ると。
壁にもたれかかったまま、目を閉じている。
寝ているようだ。
どうやら話している途中で眠ってしまったらしい。
「寝ちゃった」
よほど疲れていたのだろう。
考えてみれば、各地を一人で旅しながら魔物を討伐しているのだ。
さっきの戦いだって、私が見ただけでもかなりのものだった。
その前にも何か戦っていたのかもしれない。服も汚れていたしな。
「……そっとしておこう」
私は小さく呟いた。
それから、ふと。ユーキの腰に目をやる。
「剣だ」
大きな鞘に収まった剣。
先ほど、あの魔物を一撃で斬り伏せたものだ。
「……めっちゃかっこいい」
ちょっとだけ。
本当にちょっとだけ触ってみたい。
所有者であるユーキは寝ている。
今ならバレないのでは?
そーっと近づく。
一歩。
また一歩。
そして。
そーっと手を伸ばす。
「…………」
鞘に触れる、直前。
私はぴたりと手を止めた。
いや待て。
こういう異世界ものでは、ありがちなことがある。
「所有者以外が触ったら爆発する魔法とか……」
ありそう。
めちゃくちゃありそう。盗難対策魔法的なやつ。
というか、もし本当に爆発したら?
この人、寝てるんだぞ?
私まで巻き込まれて死ぬ。
「やめとこ」
私は素直に手を引っ込めた。
もちろん興味はある。めちゃくちゃある。
でも、命には代えられない。
それに。
「……人のものだし」
そう呟いて、少しだけ離れる。
自分でも意外だった。
もっと「バレなければいい」と考えると思っていた。
前世の私は、他人の物を勝手に触るような人間ではなかった。
でも、今の私は生きるためなら何でもする必要がある。
実際、あの家からローブと火打ち石は奪っている。
それでも。
触ってはいけないものには、触らない。少なくとも、これは一応恩人の所有物だ。
……まあ、爆発するのが怖いだけかもしれないけど。
「それより」
私は洞穴の中を見回す。
少し寒い。耳と尻尾も、なんだかすこし元気がない。
外よりはマシだが、地面は冷たい。
このまま寝たら、ユーキも寒いだろう。
「……火、つけとこう」
私は以前拾った火打ち石を取り出した。
薪を集めて、適当に組む。
そして。
カチッ。
カチッ。
火はつかない。
カチッ。
カチッ。
「なんでだよぉ……」
火花は出る。
だが、燃えない。ここ数日は頑張ってできたのに。
「もっとこう……ファイヤ!とか言ったら出てくれないかな」
回復魔法が使えるのなら、炎魔法だって使えても良いはずだ。
ものは試し。再び言ってみる。
「ファイヤ!」
当然、何も起きない。
「はぁ。ですよねぇ」
再び火打ち石を打つ。
カチッ。
カチッ。
少しずつ火花が木屑に移っていく。
「おっ……?」
小さな煙が上がる。
「おお……!」
息を吹きかける。
「ふーっ……ふーっ……」
すると
ぼっ。
ようやく小さな炎が生まれた。
「やった!」
思わず尻尾がぶんぶん振れる。
「火だ!」
当たり前のことなのに、嬉しい。
オオカミの本能か、火は少し怖いけど。
火を少しずつ大きくしていく。
ぱちぱち、と薪が鳴る。火の粉が飛び、炎はどんどん大きくなる。
「やばっ、ちょっと尻尾燃えた!」
洞穴の中が少しずつ暖かくなっていく。
「はっ……あっ!あーつぃ!あーつ!あーつぇ!あつぅい!」
地面に転がって火を消す。見ると、尻尾の毛先がチリチリになっていた。ちょっとだけヒリヒリする。
しかも絶妙に痛い。尻尾にも痛覚はあるらしい。
「あっ、そ、そうだ!『ヒール』!『キュア』!『ベホマ』!」
再び、何かがごっそり無くなる感覚。同時に、ほんのり優しい光が漏れる。
光に包まれた尻尾は、なんと無事に元の様子に戻っていた。
「あれ、前は1回で疲れたのに、今日は2回も…」
そこでふと、ユーキのほうを振り返った。
完全に忘れていた。今は一人ではない。
休んでいる彼がいるのだ。うるさくしすぎた。
「……」
寝ている。
……と思った。
けれど、ほんの一瞬。
ユーキの目が、薄く開いていた。
私が火を起こしている様子を、じっと見ている。
目が合った気がした。
私は気づかないフリをし、また薪をいじる。
「こ、これで、少しは暖かいかなぁ!」
そうわざとらしく呟く。
ユーキは目を閉じた。
そして、
「……ふん」
小さく、鼻を鳴らす。
それだけだった。
けれど、その声には、さっきまでのような警戒心はなかった。
少なくとも――
少しだけ。
ほんの少しだけ。
私を信用してもいい。
そう思ってくれたのかもしれない。