そのまま、俺たちは巨人の後を追い続けた。
幸いなことに、あの巨体は隠密行動なんてものをするつもりがないらしい。
ズン、ズン、ズン。
木々をなぎ倒しながら進んでいくので、見失う心配はほとんどなかった。
むしろ問題なのは――。
「……これ、尾行って言えるんですかね?気づかれたりしません?」
「だから静かにしろ」
「はい」
私たちのほうだった。
巨人から十分な距離を取り、木々や岩陰に隠れながら進んでいく。
ユーキは何度も周囲を確認しながら慎重に歩いている。
一方の私はというと。
……当然、めちゃくちゃ怖い。
バイブレーションのようにガタガタ震えている。
だって、さっきから地面が揺れているのである。
あんな化け物に見つかったら、私なんて一発でミンチだ。
いや、本当に。
私はまだ異世界に来て数日だぞ?
こんな序盤からラスボスみたいな奴と戦う予定なんて聞いていない。
そんなことを考えていると、前を歩いていたユーキが立ち止まった。
「……止まれ」
「はい」
慌てて私も足を止める。
ユーキが木々の向こうを覗き込む。
私もその横から、そっと顔を出した。
すると――。
「……あ」
巨人が、山の麓にある洞窟へ入っていくところだった。
「はいっていきましたね」
「ああ」
巨人の身体がするりと洞窟の中へと消えていく。
しばらくすると、その巨体が完全に見えなくなった。
どうやら、ここがあの巨人の巣らしい。
「……どうします?」
「中へ入る」
「あっ、ですよねぇ……」
帰るという選択肢はないらしい。
ここまで来た以上、何があるのか確認しておきたいのだろう。
何より、村から消えた人たちが本当にここにいるのなら、助けなければならない。
……やっぱり怖いけど。
めちゃくちゃ怖いけど。
洞窟の入口から中を覗く。
幸い、洞窟の中はかなり広かった。
そして、ところどころに人間一人が隠れられそうな大きな岩が点在している。
「これなら、隠れながら進めそうですね」
「そうだな」
私たちは岩陰を利用しながら、ゆっくりと洞窟の奥へ進んでいった。
巨人の足音に追いつきそうになるたび、二人で岩陰に身を隠す。
ズン……。
ズン……。
再び足音が遠ざかる。
「…行きましたね」
「まだ動くな」
「はい」
……完全に忍者気分である。
創作でなら、忍者ごっこをするケモミミロリなんて微笑ましいんだけどなぁ。
そんなくだらないことを考えながら進んでいると、やがて洞窟の奥で道が分かれていた。
「分かれ道ですね」
「どっちに行くべきか…」
「…ちょっと待ってください」
私は耳を立て、周囲の音に気を配る。
静かな洞窟の中。遠くから、かすかな音が聞こえる。
――うめき声だ。
そして、何かを引きずるような音。
私は鼻を動かした。
……血の臭い。
「こっちです」
「分かるのか?」
「はい。人間の臭いと……血の臭いがします」
自分で言っておいて、少し驚いた。
この身体になってから、嗅覚も聴覚も明らかに人間の頃とは違う。
こういう時には、本当に便利だ。
「行こう」
「はい」
私たちは音のする方向へ進んだ。
そして――。
「……っ」
洞窟の奥にあった光景を見て、私は言葉を失った。
そこには、大勢の人間がいた。ざっと見ても三十人ほど。
その全員が、縄のような植物で手足を縛られている。
壁際に転がされている者。座り込んでいる者。力なく横たわっている者。
誰もが、ひどく衰弱していた。そして、少しの死臭もする。
「た、助けて…死にたくない……」
「み、水を……」
「お腹……すいた…」
我々が近づいても、大きく動く者はいない。
ただ、弱々しい声で助けを求めるだけだった。
食料や水なんて、与えられていないのだろう。
顔はやせ細り、唇も乾いている。
そして、私は別のことにも気づいた。
若い男性が、異様に少ない。逃げ出したり、抵抗したりできそうな年齢の男がほとんどいないのだ。
何人かはいた。
しかし――。
「……足が」
足が、不自然な方向に曲がっている。
どう見ても、まともに歩ける状態ではない。
おそらく、抵抗したのだろう。
そして、その結果として――折られたのだ。
「……ひどい」
思わず呟いていた。
胸の奥が、嫌な感じに締めつけられる。
怖い。今すぐここから逃げたい。
あの巨人と戦うなんて、絶対に嫌だ。
でも。
こんな状態の人たちを置いていくこともできない。
私が黙っていると、ユーキが剣に手をかけた。
「分かった。すぐに縄を切る」
鞘から剣を抜く。
キィン、と金属音が洞窟に響いた。
「――っ!」
「ひっ……!」
その瞬間、捕まっていた人々が、一斉に怯えた。
身体を縮こませ、ユーキから離れようとする。
…そうか。
この人たちは、今まで何度も「力のある存在」に傷つけられてきた。
たとえ助けるためだとしても、剣を向けられれば怖いのだ。
「ユーキさん」
「ん?」
「ちょっと、待ってください」
私はユーキを止めた。そして、自分の手を見る。
――スッ。
器用に、爪を伸ばす。
「それ、私がやります
「……お前が?」
「はい。任せてください」
私は一人のところへ近づいた。
なるべく怖がらせないように、ゆっくりと、優しく笑顔で。
「大丈夫ですよ」
そう声をかけながら、植物の縄に爪を当てる。
スッ。
意外と簡単に切れた。結構硬そうに見えたのに。
それか、私の爪がそれほど鋭利なのか。
「……助かったよ!あ、ありがとう!」
手が自由になった老婆が、驚いたように自分の手を見つめる。
「もう、大丈夫です」
私は一人ずつ縄を切っていった。
手。足。また手の縄。
同じ作業を繰り返す。
最初は怯えていた人たちも、次第に私が助けようとしていることを理解したのか、抵抗しなくなってくれた。
「ありがとうございます……」
「お嬢さん、ありがとうねぇ…」
「助かった……」
弱々しい声が、次々と聞こえてくる。
それだけで、少しだけ胸が軽くなった。
全員を解放し終えるころには、洞窟の中にいた人たちは壁に寄りかかったり、互いに支え合ったりしていた。
「…これで全員か?」
「たぶん……」
私は耳を澄ませる。この他に、人の気配はなさそうだ。
「この奥には、人はいないと思います」
「そうか、よくやった」
ユーキが周囲を確認しつつ、乱雑に私の頭をなでる。
完全に子供扱いだが、不思議と悪い気はしなかった。今は自然と、尻尾が揺れた。
そして、私たちはこれからどうするかを話し合った。
「まず、ここから出ましょう」
「そうだな」
「みんなを守りながら、洞窟の外まで逃げるんです」
私はそう提案した。
「巨人が戻ってくる前に、できるだけ遠くへ逃げれば…」
「無理だ」
「……え?」
即答だった。
「見てみろ」
ユーキが、衰弱した人々を見る。
「この状態ではまともに歩ける者のほうが少ない」
「……あ」
「怪我をしている者もいる。背負って移動する必要もあるだろう」
「……はい」
「ここから外へ出るまでにも時間がかかる。その間に巨人に見つかったら、守りながら逃げるのは難しい」
「でも……」
「それに、あいつはこの洞窟を自分の巣にしている」
ユーキは静かに言った。
「俺たちが逃げれば、追ってくる可能性が高い」
「……そ、そうですね」
「なら、先に倒したほうがいい」
とんでもなく正論だった。
あまりにも正論すぎて、何も言い返せない。
私は黙り込んだ。
確かにそうだ。私が考えたのは、「みんなを連れて逃げる」ということだけ。
でも、その途中で巨人に追いつかれたら?
怪我人を抱えながら逃げられるのか?
そもそも、こんな人数を守りながら、あの巨人から逃げ切れるのか?
…絶対に無理だ。
たぶん、ユーキの言う通りだ。
「……分かりました」
私が小さく答えると、ユーキは少しだけ私を見る。
「お前は、ここに残れ」
「え?」
「村人たちを守っていろ」
「…でも」
「お前がいても、戦いでは足手まといになる」
「うっ」
ぐさっ。
思ったより、普通に傷ついた。
いや、まあ否定できないんだけど。
私、五歳くらいのオオカミ少女だし。
爪以外に武器もないし、攻撃魔法も使えない。
あの巨人と戦えと言われても、できることなんてほとんどない。
「……はい」
渋々、頷いた。
ユーキが腰の剣に手をやる。
「ここで待っていろ。巨人は俺が倒す」
「本当に、大丈夫なんですか?」
「ああ」
即答。相変わらず、この人は迷いがない。
私は少しだけ俯いた。
……彼と離れて待っているのも、怖い。
でも、もっと怖いことがある。
もしユーキが戻ってこなかったら。
私はまた一人になる。
この世界で初めて会った人間。
私を助けてくれた人。
そして、「この人についていけば何とかなるかもしれない」と思えた人。
そんな人が、死んでしまったら。そんな恐怖が、何度振り払っても離れない。
「……ユーキさん」
「なんだ?」
「…頑張ってください」
「…ああ」
「ケガ、しないでくださいね。私の回復魔法、きっと万能じゃありませんよ」
「分かっている」
「無理もしないでください」
「……」
ユーキが少しだけ黙った。
そして、こちらを見る。
「お前は……」
「はい?」
「随分と心配するんだな」
「……そりゃ、しますよ」
私は苦笑した。
「だって……」
その先の言葉が、少しだけ出てこなかった。
打算だ。
きっと、これは打算。
ユーキがいなくなったら、私はまた一人になる。
人間の街にも行けなくなるかもしれない。
だから心配しているだけなんだ。
「……戻ってきてくださいね」
結局、それだけを伝えた。
ユーキはしばらく私を見つめていたが――。
「ああ」
そう短く答えた。
そして、違う道の、洞窟のさらに奥へと歩き出す。
おそらく巨人のいる方向へ。
私はその背中を見送った。
「……頑張って」
小さく呟く。
やがて、その姿が暗闇の向こうへ消えていった。
私は残された人々を見る。
そして、拳を握った。
……よし。
私は私にできることをやろう。
ユーキが帰ってくるまで、この人たちを守る。
それが、今の私にできる唯一のことだった。