「――あの、すみませんっ。催眠アプリの人ですか?」
日本のとある中枢都市。
高層ビルが立ち並ぶオフィス街の中心にある緑化公園は、お昼時になるとサラリーマンたちがコンビニ弁当を片手にやってくるので、案外にぎわっている。
公園に来たもののビジネスマンではない僕は、サラリーマンがベンチに腰掛けて白米を掻きこむ様子を眺める。
炎天下だというのにジャケット姿とは、外行きの営業マンは大変だ。
「――あの、すみませんっ」
芝生に座ってぼおっとしていたところ、唐突に声をかけられる。
顔をあげると、制服姿の女子高生が立っていた。
サラリーマンがいる中、ラフなシャツにサンダル姿の僕に声をかけるのだから、ただ事ではない。いったい何の用だろうか。
「催眠アプリの人ですか?」
開口早々とんでもないことを抜かした少女を、二度見する。
突然ライン越えのコミュニケーションを仕掛けてきたが、決して知人ではない。
女子にしては背が高いほう。メリハリのある体つきをしている。
制服の上からでもわかるほどに、胸と尻が大きい。
最近の若者の発育には驚かされる。
頭の高い位置で結わえたポニーテールに、肩から提げられた竹刀袋。
恰好から察するに、夏休みの剣道部員といったところか。
整っているがどこか幼さを残した顔立ちには、不安がにじんでいた。
当然だが、僕は催眠アプリの人などではない。
同僚から、催眠アプリを使ってきそうな見た目をしていると揶揄されることはあるが、目の前の少女とは面識がないわけで。
いよいよ、なぜ僕に声をかけてきたのかわからない。
流石に話しかけ方を間違えたと思ったのか、「いや、ちがくて……!」などあたふた弁解を始めた――。
「神格鑑定局の犬山さん、ですよね?」
少女がおずおずと、しかしはっきりと僕の所属と本名を言い当てたことで、大体の事情を理解した。
神格鑑定局。
世界中に発生する超常現象、疑似神格を調査し、鑑定報告書にまとめる国営の調査機関にして、僕の勤め先だ。
とある超常現象を調査するために公園で待ち合わせをしていたが、この女子高生が今回のペアらしい。
なお、僕のことを「催眠アプリを使ってきそうな人」と紹介した人物については、追って特定するものとする。
このまま素性を打ち明けて、仕事の話に移ってもよいのだが、共に仕事をするうえで、相手の性格は知っておきたいものだ。
僕は目の前の相手が待ち人であると確信したうえで、あえて怪訝な表情で見つめ返す。
「え、えっと……何かの勧誘ですか?」
「す、すみません! 人違いだったみたいです」
大げさな身振りで、あたふたと大慌てをする少女。
ポニーテールがブンブンと振れる。
そのまま観察していると、取り乱したまま遠ざかり、どこかへ逃げようとしている。
……待った待った。
「久島みどりさん、だよね。よろしく」
「へ? わたしのこと知って……」
目の前の女子高生――みどりは首を傾げて真剣な表情で考えこみ……。
「なんで一回嘘ついたんですか!?」
「ごめんね、みどりちゃん」
「名前呼び!?」
「僕の弟と同じ名字だから呼びづらくてね」
「なるほど、がってんしました!」
考えるまでもなくわかるような嘘を正直に信じるみどり。
あんまり自分の弟と別の名字にならないだろ。
今のやり取りだけで頭が弱めであることが確定した。
この子、本当に今回のパートナーなのだろうか?
職場体験の高校生が何かの手違いで差配された可能性もある。
念のため身分証を見せてもらうと、カードケースを漁って、免許証を差し出してきた。
神格鑑定士免許証。
神祇省が発行する神格鑑定に関して一定の能力を持つと認める国家免許。
みどりから受け取ったそれは、間違いなく本物だ。
その試験は難関として知られており、合格しようと思ったら、異能と呼ばれる超能力を所有していることがほとんど必須条件となる。
この若さで合格しているからには、よほど当たりの能力を有しているはずだ。
そのほかに、異能と同等の技術を有する人も合格できるが……。
目が合うと、不思議そうに小首を傾げるみどり。
まあ、ないだろう。
「改めまして、神無瀬第二高校一年の久島みどりです! この度鑑定士の資格に合格して、神格鑑定局で働くことになりました! ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!」
「よろしく」
「ちなみに、攻めるよりぐいぐい来られる方がタイプです!」
「知らないよ」
免許証の中の少女は、満面の笑みを浮かべている。
免許が取れてよほど嬉しかったらしい。
よかったね。
目の前の少女が難関試験に合格したことを受け入れがたく、替え玉受験の可能性を疑い、写真と本人を見比べてみる。
すると、何を考えたのか腕を顔の前にやって目元を隠してみせた。
まるでエッチなお店の宣材写真みたいに。
「なにしてんの?」
「えっ?」
「……」
みどりは、まるでこちらがおかしなことを言ったかのように聞き返してきた。
僕がおかしいのか!?
納得できないが、最近の若い子たちの流行がわからないため、深く追及できない……。
相手に身分証を見せてもらったからには、こちらも見せるのが礼儀だ。
短パンのポケットに手を入れる。
「っ!! 催眠アプリですか!!?」
みどりがずいっと身を乗り出した。
ちげーよ。
というか、催眠アプリだと思ったなら逃げなよ。
「ほら、僕の免許証」
受け取って、ふむふむと眺めるみどり。
免許証を返す段階になって、なにか敬語を使おうと考えたのだろうが、思いつかずに「け、結構なお手前で」と言ってきた。
僕はお茶か。
この子美人なのにしゃべると損ばかりだな。
「犬山さんって異能を持っているんですね」
「今時珍しくもないだろう。なにせ超常現象を鑑定する僕たちの仕事が、国家公認になるくらいにはありふれているんだから」
「犬山さんの異能って――ああすみません、嫌だったら大丈夫です!」
しまったとばかりに、顔色を変えるみどり。
僕としては別に聞かれても困らないのだが。
最近は配慮が進んでいて、気軽に異能を尋ねられない世の中になったのだろうか。
「僕の異能は【送り犬】だよ。聞いたことないだろうけど」
「知っていますよ! 女の人にいっぱいお酒を飲ませて帰り道に」
「それは送り狼」
「惜しいですね」
「否定できなくて悔しいんだけど、『対象を安全に目的地まで送り届ける能力』だから、覚えておいてね」
念押しすると、みどりはなぜかしょんぼりとした顔になった。
「それじゃあ、催眠アプリで送り狼で百発百中というのは嘘だったんですね……」
「それをみどりに吹き込んだ人、事務所に戻ったら教えてね」
「言えません、それだけは……!」
「なんでだよ」
「内緒にすることを条件に、犬山さんのペアにしてもらったんです」
「差配を……オーケー人事部の人間ね」
「あっ、ずるいですよ! 内緒だって約束したじゃないですか」
「してないよ……。というか、その
するとみどりは、もじもじと顔の前で指をくっつけ始めた。
「その、わたし、ぐいぐい来られる方が好きって言ったじゃないですか……」
「うん、勝手にね」
「それで、年上の方が好みだし、写真を見て相性よさそうだなって思って……」
「見た目の相性が良すぎてまずいんだよ。傍から見たらパパ活おじさんだ」
催眠アプリ使ってきそう(不本意)なおじさんと女子高生という組み合わせは、僕が損をする未来しか見えない。
女子高生とおじさんをペアにして、『ほぉら、パパ活に見えるだろう』と差配でふざけた奴の存在が確定した。
人事への報復は後に行うとして、今は仕事に専念すべきだろう。
僕はベンチから腰を上げる。
「それじゃあ、今回の目的を確認するよ。予習はしてきたかな?」
待ってましたとばかりに背筋を伸ばしたみどりは、シュバっとメモを取り出した。
「あっ、できてなかったら、体育館の控室で説教! みたいなのってあったりします?」
「ない。僕のことを、権力を笠に女生徒に卑劣な真似をする体育教師に仕立て上げるんじゃないよ」
「そうですか……。プランができたら教えてくださいね」
そういいながら、みどりはバッグから小さなメモ帳とメガネを取り出す。
黒ぶちメガネを装着して、仕事ができる秘書のような雰囲気を醸し出すと、朗々と今回の事件を説明し始める。
「神無瀬自然公園で連続発け……連続発生している行方不明事件の調査が目的です。行方不明事件の神格関与を判断し、関与が認められた場合には鑑定を行い、ここで息継ぎ、スゥー、回ひ」
「息継ぎは読まなくていいだろ」
「あうっ」
メモを取り上げる。
見てみると、紙にはびっしりと細かくきれいな字で読み上げたままの内容が書き込まれていた。
ほとんどの単語に蛍光ペンで強調がされていて、却ってわかりづらくなっているが、やる気があることだけは伝わってきた。
「それで、超常現象だとわかったら、鑑定士はどういった処置をするんだ?」
「……!」
「きりっとした表情で誤魔化さない」
覚えていないらしい。
メモにはちゃんと書いてるのだが……。
綺麗なノートを作って満足するタイプだな。
仕方ないので、内容を読み上げてやる。
「回避、協定、撃滅、封印のいずれかで対処を行う」
「カイヒ、キョウテイ、ゲキメツ、フウイン」
「よし!」
「ヨシ!」
「よしは繰り返さない!」
ちゃんと内容を理解しているのか?
オウム返ししてるだけじゃなかろうか。
「とにかく、僕たち鑑定士は神格との共存を目的として、鑑定を行い適切な接し方を模索する必要がある」
「――です!」
「ほんとにわかってる?」
――スチャ。
返答の代わりに、黒ぶちメガネを押し上げるみどり。
「おしゃれ用なら、危ないから外しておいてね」
そういうと、決め顔のままメガネを外した。
だてメガネかよ。
昼休みが明け、行方不明事件が観測された時間に差し掛かる。
サラリーマンの姿もまばらとなり、活動するにはちょうど良い。
「さて、調査を始めようか。この公園で起きている異変を探し出すよ」
「承知です!」
僕たちは公園を歩き始める。
久島みどり。
お世辞にも賢くはないタイプだが、若くして鑑定試験に合格していることから、恵まれた異能を所有している可能性が高い。
にもかかわらず、免許証の異能欄を敢えて空欄にしていた。
何かしらの事情持ちだろう。
今回の鑑定は一筋縄ではいかない、そんな気がする。
セミが眠りにつく時間までには、解決したいものだ。
◇
じりじりと熱い日差しが降り注ぐ中、僕とみどりは芝生の上を歩く。
この公園で発生している行方不明事件が、超常現象によるものであれば、必ずどこかに手掛かりがあるはずだ。
芝生、ベンチ、自動販売機と辺りに異変がないか、目を皿にして探す。
自動販売機の下に引きずりこむ神格については報告を見たことがある。
既存のものであれば鑑定書を作らずに済んで楽なのだが……。
「その……」
みどりに袖を引っ張られる。
振り返ると、おずおずと困り眉ながら、何かを伝えようとしている。
早速異常を発見したのか?
「お散歩デートするだけなら、プライベートの日にしませんか」
「おさ……は?」
思考が硬直する。
この子はいったい何を言っているんだ?
「やっぱり国からお給料をもらっているって考えると、申し訳なく感じちゃって……」
「だから今調査を」
「あ、あはは。お互い意識しすぎちゃいましたね。お仕事に集中しないとですし、とりあえず日程だけ決めちゃいましょうか」
カレンダーアプリを開いて操作し始める。
……ちょっと待て。
こいつ調査のことデートだと思っているの?
カレーを飲み物扱いする人の派生形で、仕事をデートだと思い込んでいるタイプってこと?
異常を探していたが、自分が異変になれと伝えたつもりはないぞ。
未知の生き物に、刺激を与えないよう努めて丁寧にコンタクトをとる。
「えっと、鑑定士を一体何だと思っているのか、おじさんに教えてもらえないかな?」
「その……超常現象をペアで調査して」
「うん」
「鑑定書を作って……」
「そうだね」
「最終的に子作りするんですよね」
「それが違うねっっっ!!!」
なんつーイカれた世界観を持っているんだ!?
それじゃあ、この娘、会ったときから僕と子作りするつもりでいたってこと?
「作るのは鑑定書だけではないかもしれませんねって」
「なんだその最低な下ネタ! どこの下種な中年に吹き込まれたんだ!」
「お母さんが」
「それはごめんね!? でも僕は悪くないよね!」
人の母親を下種な中年呼ばわりしてしまったが、ともかく発言が下劣すぎる。
娘に下ネタを教え込むんじゃないよ。
「当時鑑定士だった父と母は激闘の末一級の神格の鑑定に成功。気持ちの高まりを抑えられず、そのまま異界で……。そうして私が生まれたってわけです!」
「事実ベースな下ネタだったんだ!? つまり親が鑑定士で結婚したから、自分もそうなるのかなって思ったってこと?」
「まあ、そんなところです」
釈然としない様子で頷く。
この様子だとウチに配属されるまでに、イカれた世界観を多方面でまき散らしていそうだ。
鑑定士のペアは必ずしも結婚するわけではないと事実を伝えると、肩をすくめて「照れ屋さんですね」とか言ってきた。
というかなんで僕をロックオンしているんだよ。
同じ課の若手とか、ほかにいっぱい候補はいただろう。
「もう、そろそろ調査を始めましょうよ!」
「こうして歩き回っているのが調査だよ」
「ええっ!? だったら先に言ってもらえれば……」
公園を歩いて周囲の異常を見回っていたのだが、みどりは調査だと認識していなかったらしい。
そういえば、どうやって神格を鑑定するのかを教えていなかったな。
「今やっているのが現場調査だよ。報告内容と現場から、どのような神格が関わっているかを調査するんだ」
「異常が人間に作用する際には、必ず五感に刺激が生じる。その予兆をわずかな違和感として探し当てるんだ」
「違和感ですか……。私、気づいたかもしれません」
「へぇ、言ってみて」
「とても、暑いです! 汗をかかせてシャツをスケスケにする神さまかもしれません」
「そんなのがいたら、みどりとは気が合いそうだな。だけど、今回の異常は公園の内部で起こるものだよ。公園の外だって暑いのは同じだ」
行方不明者はすべて公園に立ち入っている。
公園の横を通り過ぎた人などは条件を満たさないようだ。
ほかに思いつくことはあるかと聞いてみる。
実のところ、僕たちはすでに異変の影響下にあるのだが、みどりはまだ気づいていない。
新人教育も兼ねて、知恵を絞らせる。
「あとは――そうだ、のどが渇きました!」
「それは普通に汗をかいたから。ほら、僕の分も飲み物を買ってきて」
お札を渡して、公園の外にある自動販売機を指さす。
みどりは遠慮してお金を突き返そうとしてきたが、なにやら自分の中で納得したのか「ホ別千円ってことですね」と言ってから、自動販売機に駆けていった。
その手の冗談はマジでやめて。
ただでさえ、交番のおまわりさんと顔見知りになるくらいには職質を受けているんだから。
――タッタッタッタ。
ポニーテールを揺らして走るみどり。
すぐそこにある自販機へ向かうが、いつまで経ってもたどり着くことができない。
小さい公園だというのに、そこから抜け出すことができない。
これが異変だ。
先ほどからだらだらと話しながら歩いていたが、いつまで経っても公園から出なかった。
こうして体を動かせば、みどりも気づくだろう。
ちょうどそのとき、自販機との距離が詰まらないことに疑問を感じたのか、唐突に前傾姿勢で全力疾走を始める。
――ダダダダダダダ!!
「待て待て待て! 僕たちがすでに異変の影響を受けているって伝えたかったの! 全力ダッシュで異変を突破しろってことじゃないから!」
「ぜー、ぜーっ。先に言ってください、よ」
よたよたとゾンビのように戻ってきた。
汗だくで膝に手をつくみどりにハンカチを渡すと、ノータイムでシャツの中に突っこんだ。
もう少し、額とか表面的なところに使う想定で渡したんだけど。
「身をもって体験しただろう、僕たちはすでに異変の影響下にある。さっきから小さな公園を歩き続けていたのに、一向に出口にたどり着かなかっただろ?」
「そういえば。お話に夢中で気づきませんでした」
てへへと笑う。
「迷い込んだ人を出られなくする異能。既存の神格か、はたまた新たな神格か」
僕は頭の中で関連しそうな鑑定事例を思い出す。
みどりも一緒になって難しそうな顔をしているが、オウム返ししていた前例がある。ちゃんと頭を使っているのだろうか。
「既存の神格だと、なにがいると思う?」
慌てたみどりがメモ帳をめくる。
「あった! ヨモツヘグイです! ご飯を食べた人が出られなくなります」
「みどりちゃんは、公園についてから何かを口にしているかい?」
「食べてないです。待ち合わせの前に歯磨きをしてきたので!」
僕も公園で食事は行っていない。候補から外してよいだろう。
ほかの事例としては……。
「"おいてけぼり"なんてものもあるな。釣った魚を逃がすまで、池から出られなくなる異能だ」
「ほへー。頭いいんですねぇ」
「ぼうっとしない!」
「ひゃい!」
思いついた神格の名を挙げていると、みどりが呆けていた。
肩を揺さぶると、再起動した。
「既存の神格は、領域内で特徴的な行動をすることで、対象を出られなくするものだ。ヨモツヘグイだったら、食事をするといった条件だね。ここまではわかる?」
「ばっちりです」
「だけど、今回僕たちは特異な行動を行っていない。既存の傾向に当てはまらない、つまりは新しく生まれた神格だ」
「年下ってことですね」
「ツッコまないぞ。……受動的な条件で対象に加えられる、厄介な異能だ」
「はい。年上好きの私としても、厄介です」
「厄介なのはお前だよ――じゃなかった」
つい反応してしまった……気を取り直して。
「昼休みに公園にいた人たちが全員囚われている訳ではない以上、一定期間影響に曝されるなど、条件があるはずだ。おそらく五感に作用し続ける特徴的な何かが鍵だ」
「暑いの以外だと――音、とかどうでしょう。私たち、公園に入ってから、ずぅーっとセミの声を聞き続けていますよ」
みどりが人差し指を立てる。
意識すると、セミが発するノイズのような鳴き声が、空間全体にしみこむように広がっていたことを知覚する。
「みどりちゃん」
「はいっ?」
「きみ、案外センスあるかもよ」
◇
言われてみれば、今この瞬間もセミの鳴き声は頭の中まで鳴り響いている。
だというのに気が付かなかったのは、繰り返される同じ音波を脳が無意識に不要な情報として排除してしまうからだろうか。
セミ自体に何かしらの異常が生じている可能性が高い。
セミが生息しているであろう樹木に近づくが、鳴き声は大きくなる様子も見せず、均一だ。
セミが鳴き声を発しているのではなく、空間そのものに音声が焼き付けられたかのようだ。
これはいよいよ当たりだろうか。
口角が吊り上がるのを感じる。
「鳴き声からして、クマゼミだろうな」
「えっ、どうしてわかるんですか?」
「クマゼミはシャワシャワ鳴く」
「ほへー」
話を振ってきたみどりが、上の空になる。
さっきも同じようなことがあったが、いったい何なのだろう。
そう思っていると、元に戻ったみどりが不思議そうに尋ねてきた。
「私、知的な人がタイプだって伝えましたっけ?」
「知らん、聞いてない」
「だったら無自覚に?」
「そもそも口説いていない」
度々何を呆けているのかと思ったら、知性を感じるたびに頭の中でトリップしていたのか。
新人に物事を教えるたびに発情されるとか、やりづら過ぎる。
さっさと鑑定を終わらせて帰ろう。
この娘が長期のペアになると決まったわけではないからな。
これっきりの付き合いになる可能性も高い。
狭い公園のため、僕たちはすぐに木々の付近にたどり着く。
異能がその加害性を表すとすれば、その主因と対面した瞬間。
「異能の核はセミだ。ここから先は真剣にいくぞ」
竹刀袋を握りしめたみどりが神妙な顔でこくりと頷くのを見てから、僕たちは木陰に足を踏み入れる。
「あれ、なんで?」
セミがいない、一匹も。
異常だった。
同時に、背後に気配を感じる。
反射的に振り返ると、そこにはサラリーマン風の男が立っていた。
虚ろな目をしており、生気を感じない。
その口からは羽音にも似た、短く繰り返される音が漏れ出ていた。
それは、おおよそ人間には再現できない、セミの鳴き声。
木々の合間から複数の人間が姿を現す。
その全員の口からセミの鳴き声が発せられていた。
「こいつら、全員行方不明の――!」
「ひえぇ」
「――っ、しまった」
気づいたときには、僕らは、虚ろ目をした人間たちに取り囲まれていた。
じわりじわりと円が縮まる。
足元が出来損ないの粘土作品のようにぐにゃりと形を失い、渦を巻く。
今ならどうにか抜け出すことができそうだ。
そう思って隣を見ると、みどりは内股で硬直していた。
このまま新人一人が異界に飛ばされるってのは最悪だろうな。
「救援、頼んだよ」
僕はみどりの肩を突き飛ばし、円の外へ逃がそうとする。
態勢を崩したみどりは、そのまま円の外へ押し出され――――僕の手をがしっと握って復帰してきた。
円の中に。
「――なんでさ!!?」
足元の渦が広がり、世界が歪む。
僕と謎ムーブをした女子高生は、異能で作り出された世界に引きずりこまれた。
◇
世界の湾曲が収まったとき、僕たちは竹林の中にいた。
右も左も竹が生い茂っており、地面には朽ちた細長い葉が堆積している。
見上げるほどに高い竹が、日光を遮っているせいか、公園の酷暑とは打って変わって、うっすらと肌寒さすら感じるほどだ。
「それで、どうして着いてきたんだ」
「私のこと、逃がそうとしましたよね」
「ちょうどいい位置にいたからな」
「私だって、鑑定士です。守られるだけの民間人じゃありません」
むっとした表情で、こぶしを握る。
新人だからこそ、気持ちは人一倍鑑定士ってわけか。
「だったら、なおさら残って救助を呼んでほしかったね」
「ぬぬぬ……」
口をへの字に曲げたみどりが、学校指定のバッグから通信端末を取り出し操作を行う。
鑑定局の局員に配布される、特別製だが、結果は芳しくないようだ。
「力の強い神格が作った世界――異界の中にいるんだ。通信ができるなら、被害者だって痕跡を残しただろう」
僕の異能なら、異界であろうと出口があれば脱出できる。
試してみるか。
「……すこしだけ、手を握ってもいいかな」
「ふ、二人っきりだと積極的なんですね……」
みどりは何を勘違いしたのか、顔を赤くしながら右手を差し出してきた。
上手くいくなら、説明する必要もないか。
構わずその手を握る。
「んっ」
「……少しも脈がないな」
「ええっ、そんなに相性が悪いんですか!?」
「送り犬の異能を試したんだよ。この世界から元の公園まで久島みどりを安全に送り届けることができるかどうか」
「脈がないって……」
「まともな出口はないってことだ。つまり、無理矢理打ち破る以外の方法で脱出することはできない」
「打ち破る……」
自らの手のひらをじっと見つめるみどり。
「あの、わたし……」
そのとき、雑木林から、がさりと物音が鳴った。
茂みを掻き分け、複数の人型の何かが姿を現す。
「うわー、夢に出そう」
「これは、イカれているな」
現れたのは、人間大のクマゼミだった。
図鑑に載っている姿を無理やり二足歩行にしたセミの化け物は、袴を着流し、一丁前に日本刀を携えている。
「セミごときが武士気取りか」
僕の声に反応したのか、セミたちは堂に入った所作で鯉口をきると、刀を正眼に構える。
みどりもすでに竹刀袋から刀を取り出し、真剣な面持ちでこちらを見ていた。
怖気づいてもおかしくないが、みどりはやる気のようだ。
それなら……。
「下がっていろ、とは言わない。局員として務めを果たせ」
「はいっ!」
先に動いたのはセミだった。
堆積した竹の葉の上を、すり足で素早く移動し、勢いそのままに斬りかかってきた。
「ジィィィィィ――!」
洗練された、セミ侍の斬撃。
その脇に飛び込むようにして前転で避ける。
素早く身を起こすと、セミは油断なく切っ先をこちらに向けていた。
セミの癖に、明らかに有段者っぽい立ち振る舞いだ。
対してこちらといえば……。
みどりが竹刀袋から取り出した日本刀を、鞘をつけたまま振り回している。
遠心力を存分に活かした大振りは、剣士というより蛮族。
「でやぁ!」
「ジジッ」
力任せに放たれた叩きつけを、セミ侍は刀を水平に持ち、両腕で受け止める。
「でやぁ!」「でやぁ!」「でやぁ!」
防御姿勢に入ったセミ侍に、お構いなしの振り下ろしが何度も叩き込まれる。
「ジ、ジ」
二本の腕で刀身を支えて耐えていたが、力任せの連撃に、反撃の余裕もなく、次第に押し込まれていく。
そして、ついには受けが崩れたセミ侍は、刀ごと脳天から圧し潰された。
「シャシャワァ……」
セミ侍は無念そうな断末魔をあげる。
ひどい絵面だ。
セミと人類の戦いで、人間のほうがフィジカルを押しつける展開って、あまりないだろ。
「犬山さんっ! 戦いは私に任せてください」
鞘についたセミの体液を払ったみどりが、振り返る。
なるほど、戦闘に自信があるらしい。
思えば当然か。
おつむのできがイマイチで、戦いまで苦手だったら、うちに採用されるはずがないからな。
「僕の異能が戦闘向きではないと思っているんだね。だが、余計な心配だよ」
そう言って、僕はポケットから拳銃を取り出す。
途端に走る動揺。
セミたちは焦った様子でバチバチと羽音を立てて飛び退く。
なんだよ。銃を使ったら悪いのかよ。
自分が刀を使っているから、相手が銃を持ち出さないとでも思ったのか。
たまたま、みどりの武器も日本刀だっただけで、相手の世界観に合わせて戦うつもりなど微塵もない。
「ジィィィィ――!!」
リボルバー式の拳銃を構え、とびかかってくるセミへ銃口を向ける。
焦ることなく親指でハンマーを起こし、トリガーを引く。
弾道を予測したセミが、羽を広げて空中で方向転換を図るが、それに追従するように、打ち出された弾丸は不自然な軌道を描いて、セミの眉間を正確に打ち抜く。
送り犬の異能は汎用性が高い。
弾丸を安全にセミ侍の脳髄にまで送り届ける、というバグ技みたいな使い方だって可能だ。
残りのセミたちへ向けて、辺りもつけずに立て続けに発砲する。
異能が効力を発揮し、弾丸は寸分の狂いもなくセミの額に穴をあける。
「すごい……」
戦闘向きではない異能だと断定していたのだろう。みどりが嘆息する。
「人は見かけによらないだろ?」
「催眠アプリで戦うんだろうなぁとか思ってすみませんでした」
「それは本当に謝れ」
一匹残された、最後のセミ侍。
仲間の亡骸からそっと刀を拾い上げ、せめて一太刀と言わんばかりに、二刀流でみどりに向き直る。
「戦い、任せていいんだよな?」
「はいっ、見ていてください!」
みどりが鞘がついたままの日本刀をセミ侍に向けた。
対して、抜刀した相手の刀身が、竹を反射し、ぬらりと風景に溶ける。
一瞬の静寂。
「シャシャッ」
刀を広角に構えたセミが、左右から日本刀を横なぎに振るう。
間合いに近寄らせないことで、打ち下ろしをけん制しているようだ。
みどりがこれを突破するためには、身を切られるリスクを受け入れなければならない。
鑑定局の戦力として、どのように対応するのか。
いざとなれば介入できるように構えつつも、僕はみどりの判断を観察する。
するとみどりは、セミ侍に背を向け、竹藪の奥へと走り去った。
……えっ、逃げた?
場に残されたセミ侍と、思わず顔を見合わせる。
それからしばらくすると、ズズズという何かを引きずりながら、みどりが戻ってきた。
その両手でつかんでいるのは、竹だった。
根元からへし折られた竹は、成長しきったみごとなもので、長さも相当だ。
「よい、しょっと」
その竹を抱きかかえて、周りの竹と同じように立てる。
屹立した竹の影が、セミ侍の体にかかる。
「何をする、つもりだ……?」
「リーチが足りないなら、伸ばせばいいんです!」
日本刀では長さが足りないからといって、アホほど長い竹で殴打するつもりらしい。
「ジ、ジジッ!」
「いきますよ――でやぁぁぁぁぁ――――!!」
掛け声と一緒に、思いっきり振り下ろす。
剣術というよりか、建築現場の事故事例のような衝撃が、セミ侍を襲う。
二刀流を頭の上でクロスさせて受けるが、一刀流よりも力が入らないらしい。
一瞬抵抗をしたものの、仲間の無念を晴らすことなく倒壊する竹に巻き込まれ、ほかのセミ同様にひっくり返る結果となった。
「ほらっ、役に立ちましたよ!」
大きく手を振り、こちらにアピールをするみどり。
敵を倒したことで、汚名返上とでも言いたいのだろう。
傍に転がるセミ侍の骸。
ほとんどの個体の足が閉じている中、最後の一匹だけは足が開いていることに気が付いた。
――まだ生きている。
油断しているみどりの背後で、ゆっくりと立ち上がったセミ侍が音もなく斬りかかる。
だが、僕の方が早かった。
拳銃のダイヤルが回転し、銃弾が装てんされる。
雷管を撃鉄が叩き、バレルから煙が噴き出す。
額に拳大の穴をあけたセミ侍が、力を失い崩れ落ちる。
――遅れて銃声が竹藪に木霊した。
「油断するなよ。足が開いたセミは生きている」
「――――キュン」
「キュン、じゃない」
知識を伝えるたびに発情する後輩とか、やりづらいったらありゃしない。
◇
比較的原型が残ったセミ侍の死骸をひっくり返して鑑定する。
刀に銘が刻印されているが、どれも文字の形がでたらめだ。
独自の文明を築き上げるタイプのやばい存在ではなく、人間の模倣をするだけの知性を持たない神格だ。
とはいえ……。
「人間と共存できないタイプだな」
「問答無用で襲ってきましたもんね」
こうなると、鑑定士としての本業を果たすことは難しい。
鑑定書を作って異能を制限しようとも、神格の目的が人間の殺傷である以上、共存することはできないからだ。
「一定時間セミの鳴き声を聞いた人間を、異界に連れ込み殺す異能。意思疎通はできず、対話による解決は困難。そんな神格相手に、鑑定士ができることは何があると思う?」
「ええと、ゲキメツです」
みどりはメモを開くことなく、正解を答えた。
ちゃんと覚えているじゃないか。
撃滅。神格鑑定士が用いる最終手段。
人間と共存できない神格を力で滅ぼし、その存在をこの世から抹消することだ。
「そうすれば、ここから出られるんですか?」
「ああ。大元の神格を倒せば、異界は維持できなくなり。自然と崩壊する」
その大元だが、幸いなことに、どこにいるかを探す必要はないようだ。
「というわけで……倒すよ、アレ」
僕は山の中腹に見える、神社を指さす。
その境内には、遠くからでもはっきりとわかるほどに巨大な、セミの親玉が鎮座していた。
「あ、あれを……倒すんですか?」
みどりは引きつった笑みを浮かべる。
存在に気づいていたが、見て見ぬふりをしていたらしい。
「それ以外に脱出する方法がないからな……どうやって倒したものか」
「異能を使えば……」
「残念ながら、僕の異能は巨大な敵を相手にするのには不向きだよ。それに、すでに銃弾は使い切ってしまった」
「ええっ!?」
空になった拳銃のダイヤルを回して見せる。
つまり、目の前にいるのはコンビニ帰りみたく、シャツにサンダル姿のおっさんってことだ。
この状況で、どうやって巨大な敵を撃ち倒すのか。
敢えてアイデアは出さない。
みどりに経験を積ませておきたい。
しばらくしてから、困惑していたみどりが唇を微かに動かした。
「……手段なら、あります」
――私の異能を使えば、倒せると思います。
柄にもなく小さな声で、振り絞るようにそう言った。
俯いたみどりの表情は髪に隠されて窺い知れない。
「居合切り。それが私の異能です……」
それはきっと、みどりにとって触れられたくない部分。
だけど、その心に土足で踏み込むのが、僕の役割なのだろう。
「能力と条件を、聞かせてほしい」
「……抜刀すると、刀は物理的に干渉ができなくなり、何にでも透過するようになります。そして納刀時に、刃が通った対象と空間を切断する……そんな異能です」
「強力な異能だな。高校生で局員に採用されたのも納得がいく」
防御無効、タイミング自在の斬撃。
攻撃的で、なおかつ強力な異能だ。
そのような異能をどうして戦闘の際に使わなかったのか。
「でも、うまく使うことができるかわかりません。最後に使ったのは小学生の頃なので」
「その時に、なにかあったのか?」
「初めて異能が発現した日なんです。図工の時間にカッターナイフを持ち歩いたせいで、友達に……怪我をさせてしまいました」
「それから、異能は?」
「……一度も使っていません。使ったと言えるのは神格鑑定士の資格を取るために、書類に書いたくらいです」
友達を怪我させた、ね。
どうりで頑なに異能を使わないわけだ。
だが、鑑定局員として仕事を続けるつもりなら、異能と向き合う必要がある。
信念を曲げても、死ぬよりは幾分かマシだろうから。
「そうか――それはもったいないな」
「――っ! ひ、人の気持ちも知らずに!」
髪を振り乱した、みどりと視線がぶつかった。
僕を睨みつける、その瞳の端には涙が浮かんでいた。
「僕だったら、その異能を完璧に制御できるようになるまで訓練するけどね」
「でも、これは危険な……」
「だったらさ、その友達が神格に襲われているときに、みどりちゃんは異能を使わずに、鞘つきの刀を振り回して追い払うのかい?」
「……それ、は」
「結局は頼るんだろう? 今回だって、異界から抜け出すために、能力の存在を僕に明かしたじゃないか」
「……犬山さんって、性格悪いって言われません?」
「今さらだね。むしろ光栄だよ、発情したねちっこい視線よりかは、軽蔑の眼差しを向けられる方が慣れているから」
嫌われてしまったようだが、むしろ都合が良い。
周囲を気にして異能が使えないというのなら、僕のことを気にも留めないほどに好感度を下げればいい。
所詮はこの場限りのペアだ。
今日限りで関係が破綻したとしても、異能を使えるようになったほうがみどりの人生にとってプラスだ。
「神格鑑定士を名乗りたいなら、そのお粗末な異能を見せてくれよ。生憎人気のない山奥だ。暴発しても僕が腹を抱えて笑うくらいさ」
美人の睨みつけは迫力があるな。
普段の抜けた表情より、こっちのほうが素材の味を活かせているんじゃないか?
などと思っていたら、みどりの表情が考え込むようなものに変わり、それからキョトンとした顔になる。
「――は? は?? つまり、私のことを心配して、練習に付き合ってくれるってこと!?」
「素直に肯定しづらいことを言うね……」
あっているけど、面と向かってそんな押しつけがましいこと言えないだろ。
「え。やばい。不器用な優しさってやつですか」
「あー、この空間に斬って困るようなものはないし、異能に巻き込まれるようなマヌケもいないから、思う存分訓練しなよ」
「――!! いっぱい、しゅき!」
がしっと抱き着いてくるみどりのおでこを手で押さえ、ホールドを回避する。
……危うく事案だぞ。
ともかく、なんかやる気になったらしいみどりを引き連れて、山の中腹にある神社にたどり着く。
鳥居の向こうには、巨大なセミがこちらを待ち構えるように鎮座していた。
「こっちまで、襲いに来ないですね」
「異界そのものが、ヤツの腹の中みたいなものだから。わざわざ手間をかける真似はしないんだよ」
相手が動かないため、じっくりと鑑定を行うことができる。
セミ侍と同様に、セミに無理やり人間の姿勢を模倣させたような体つき。
しかし、そのサイズが異様だ。
奥に見える神社に収まらないのではないかというほどに、体躯が大きい。
聖職者を気取っているのか、その身に法衣を纏っており、体から生える無数の手には、それぞれ武器が握られていた。
間違いない、新種の神格だ。
「名づけるなら、セミ手観音ってところか」
「えっ?」
「……」
真顔で聞き返されたので、一旦黙る。
そんなにまずいこと言ったか?
セミ手観音、もとい観音を今から撃滅するわけだが、本来神格を消滅させるのはやむを得ない場合だけだ。
新人にはそれを伝えておかないとな。
「僕たち鑑定士は、神格を鑑定し、異能を制限することで人間と共生できる妥協点を探ることが職務だが、異界に連れ込み人を殺すような相手では難しい――よって、今からこの神格を撃滅する」
「はい、ぶっ倒します!」
建前をわかっていなそうなみどりと共に、鳥居をくぐる。
あぐらをかいていた観音が立ち上がり、こちらを睥睨する。
無数の手に握られた様々な武器。
そのすべてを僕たちに向かって突きつける。
「……抜刀します。これから先、私より前には出ないでください」
僕の前に立つみどりが大きく息をはいてから、刀を水平に構えて慎重に鞘をすべらせる。
姿を現した鏡面仕上げの刀身に異能が、作用した。
――刀が揺らぐ。
まるで水底に沈んでいるかのように、屈折し、絶えず湾曲する。
刀が物理的な質量を持たないからだろう。
左手に鞘を握り、攻守を兼ね備えた双剣スタイルで構える。
「……空間に溶けているみたいだ」
「この刀身が触れた空間はすべて切り刻まれるので、本当に気を付けてくださいね」
観音が上体を反らして一本の腕を大きく引く。
突きの予備動作だ。
そう思ったときには、柱ほどもある錫杖が、みどりに向かって高速で打ち出された。
錫杖による突きをサイドステップで躱す。
一瞬前までみどりがいたところに、錫杖が深々と突き刺さる。
引き抜こうとしている隙を逃さず、みどりは手首のスナップだけで、刀を数度振るう。
陽炎にも似た刀が、一切の抵抗なく観音の腕をすり抜ける。
斬られた部分に変化は見られないが、納刀時に効果が発揮されるのだろう。
その後も突きや薙ぎ払いを捌きながら、隙を見つけては武器や腕に刃を通す。
刀身が質量を持たないから、プラスチックの刀のように軽々と取りまわすことができるらしい。
刀でガードをすることができないという欠点は左手の鞘で補っている。
「ジジジッ」
羽虫のような人間をつぶすことができず業を煮やしたのか、観音が胸板を振動させると、体の至る所から、通常サイズのクマゼミが無数に現れ、こちらへ向かって飛翔する。
「うわっ、きもい!」
みどりは左手の鞘を振るって撃ち落とそうとするが、相当な数だ。
すべてに対処することは難しい。
「ちょっとだけテコ入れするよ」
僕は境内の砂利を握ると、空に放り投げる。
異能を使い、対象を安全に目的地まで届ける。
「セミの脳まで無事に届きますように、ってね」
空中で広がった礫は不自然に軌道を変え、飛び回るセミを追尾して、その頭部を的確に破壊する。
「追撃だ」
力を失ったセミたちが垂直に落下する中、反対の手に握っていた砂利を観音へ向けてばら撒く。
異能の効果が発揮され、変哲のない石礫が、観音の固い外骨格を貫通し、体に無数の穴をあける。
体液をまき散らし、大きく仰け反る観音。
あんぐりと口を開け、こちらを見ているみどり。
「銃弾が切れたとは言ったけど、戦えないとは言っていないよ」
「まるで散弾じゃないですか!」
「……油断するなよ。まだ異界が解かれていない」
――シャワ。
そのとき、地面に転がるクマゼミの胸板が痙攣した。
――シャワシャワシャワシャワ!!!
無数のセミたちが、頭部を失っているにもかかわらず、鳴く。
鳴き声による強制転移。
視界が暗転し、気づけば青空の中に投げ出されていた。
隣には同様に飛ばされたみどりの姿もある。
目が合った、と思ったら重力に引かれて僕たちは落下する。
「ほわぁぁぁぁぁ――――!!」
雲を突き破り、下方に見える、豆粒ほどの建造物がどんどんと大きくなっていく。
「あれは神社か。真上に転移させられたようだね」
「わああ! わああ!」
恐怖のあまりしがみついてくるみどりだが、プロレスのスクリュードライバーのような体制になっている。
殺す気か?
地面が目前に迫ってきた、千手観音がすべての腕を振り上げているのが目に入った。
墜落と同時に滅多打ちにして、完膚なきまでに叩き潰すつもりらしい。
回避不能な全方位攻撃にみどりのしがみつきが、一層強くなる。
「――っ!」
轟音と金属音。
土埃が晴れたとき、粉々になった石畳の上で、僕たちは無傷で立っていた。
事態を理解することができず、呆然としているみどり。
種明かしと言うほどでもないが、送り犬の異能を使ったのだ。
「十センチ先まで、『無事に送り届けた』」
「天才しゅぎっっ!!」
抱きついてくるみどりを
「斬撃は十分だろう。異能、使えるか?」
「――、うん」
「怯えるなよ。誇れ、だれかを守るための力だ」
自らの胸の前に刀と鞘を並べ、刃先を差し込む。
鞘と刃先が触れ合い、小刻みな金属音を立てる。
危機を悟った観音が鋭く尖った口吻を突き付けてくるが、僕の異能は使わない。
トラウマに対して何もできない僕だが、せめて隣で信じてやろう。
両肩を手で支える。
「これでもペアだからな。もしもの時は一緒に背負ってやる」
震えが、止まった。
――キン。
鍔が鞘を打ち鳴らし、久島みどりの異能が成立する。
抜刀した始点から納刀した終点までの軌道を小さな閃光が駆け巡り――世界がずれる。
生じた裂け目から絵具をまき散らしたかのような、極彩色の空間が垣間見える。
空間の亀裂に巻き込まれた、観音の腕が、腹が、錫杖が。
強度や質量といった概念を無視して、すべてが等価に分断される。
「ズァアアア―― ――!!!」
断末魔をあげ、パーツ単位でばらばらに切り刻まれる観音。
異界すらもその姿を保つことができない。
亀裂から神社の風景がめくれあがり、疑似神格が消滅しきっていないにもかかわらず、公園の芝生が姿を現し始める。
「なんて威力だよ。異界ごと斬り裂いたのか」
「……斬っちゃいました」
みどりの全身から、汗が滝のように滴る。
その様子は尋常ではない。
強大な能力だけに、負荷が大きいのだろうか……。
異界が姿を保つことができなくなり、足元が芝生に戻る。
日が傾いた公園には、鑑定局の局員が集まっていた。
異界に引きずり込まれて、連絡が途絶えたため、危険度が上がったのだろう。
公園を取り囲むように、立ち入り禁止のテープが巻かれていた。
「初仕事にしては、頑張ったんじゃないか?」
「……」
みどりの返事がない。
押し黙ったまま、代わりに地面を指さす。
指の先を辿ると、公園の芝生に巨大な亀裂が入っていた。
「う、嘘だろ。世界を超えて切断って……」
「え、えへへ。その、前よりよく切れるようになってるみたいです」
ようやくみどりが青ざめている理由がわかった。
異界で振るった斬撃が、すべて現実世界にまで影響していると一足先に理解したのだ。
上へ下へと刀を振り回したので、その影響範囲は相当なものだ。
それが現実世界にまで反映されるとなれば……。
芝生の亀裂から噴水のように水が噴き出す。
下に水道管が埋設されていたらしい。
この様子では通信線をはじめとした他のインフラもやられていそうだ。
そして、神格鑑定局は、対処不可能な神格に対して封印という措置を取ることがある。
その際には貴重な神器を用いて結界を張るのだが、もし壊れていた日には……。
「お、おぎゃあぁぁぁぁぁ!! ウチの一億円もする勾玉があああ!!」
見知った女が絶叫していた。
あいつ、うちの封印担当だ。
最悪だった。
公園に張られた結界を縦横無尽に斬り飛ばしたらしい。
反動で粉々になった神器は、素人目にも修復できそうには見えない。
冷や汗をダラダラ垂らした少女が、こちらに向き直ると、やがて。震えながらニコッと笑みを作った。
「い、いっしょに背負ってくれる、ですもんね?」
その目からハイライトは消えていた。
一日限りのペアだと思っていたのだが、しばらくは一緒に活動することになりそうだ。
今回の被害額を弁済できるほどの働きが上に認められるまでの間くらいには。