氷の系譜、春を抱く   作:メガネ閣下

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これで、USJ襲撃編は終わりです!


絶対零度と急襲 その終

 

山岳エリアを包み込む絶対的な凍熱の喪失。

 

砕け散った超高密度の氷塊が、白銀の粉じんとなって断崖絶壁の岩肌を白く染め上げていた。その中心で、膝から崩れ落ちた氷叢冬真の身体は、まるで生命活動を完全に停止した氷像のように冷たく動かなくなっていた。

 

「氷叢さん……! お願いですわ、目を開けてくださいませ……! 氷叢さんッ!!」

 

八百万百は、己のコスチュームの隙間から連続して肉体脂質を削り出し、大量の緊急用レスキューシートと化学発熱体を急速生成していた。彼女の手は激しく震え、その綺麗な瞳には涙が溢れていたが、ヒーロー候補生としての必死の使命感が彼女を突き動かしていた。

 

「上鳴さん、耳郎さん! レスキューシートを冬真さんの身体全体に巻きつけますわ! 直接的な急熱加温は厳禁です! 末梢の血管が一気に拡張し、冷やされた血液が心臓へ逆流して『アフタードロップ現象』を引き起こします……! それは即座に致死性の心室細動を招きますの! じわじわと、体温の放散を防ぎながら保温するのです!」

 

「わ、わかった! ブランケットを重ねるぞ!」

上鳴電気が青ざめた顔でシートを広げ、冬真の肩から足先までを何重にも包み込む。

 

「嘘でしょ……皮膚がカチコチに凍りついて……っ!」

耳郎響香が冬真の首筋と手首に指を押し当て、必死に脈拍を探る。だが、伝わってくるのは死人のような冷たさだけだった。

 

「脈がない……!? いや、ちがう……短縮しすぎて、聞こえないくらい弱いの……! 脈拍、一分間に十五以下……! 呼吸も止まりかけてるわ!」

 

「深部体温の低下が著しいですわ……! 瞳孔が完全散大を起こしかけています! このままでは心停止に至ります……!」

 

八百万の叫び声が、冷気漂う山岳エリアに悲痛に響き渡る。

 

冬真の身体は、安全領域を遥かに下回る極度の低体温――心停止と死の境界線にまで叩き落とされていた。全身の震えすら止まり、心臓の鼓動は消え入りそうなほど途切れ途切れ。体内の細胞ひとつひとつが凍結寸前の絶望的な冷気に蝕まれていた。

 

(……暗い……冷たい……)

 

意識の途絶えかけた暗闇の中で、冬真の感覚は麻痺し、全身の皮膚を無数の針で刺されるような強烈な痛みが襲っていた。

 

身体が動かない。息を吸うことすら叶わない。

己の命が、物理的に削り取られて消えていく感覚。

 

(……代償が大きすぎたか……。空間から熱を根こそぎ奪い去る代償……自分自身の生命限界を超えていた……)

 

死への恐怖すら凍りつくような冷気の中で、冬真は覚悟を噛み締めていた。

 

(……だが、後悔はない……。あの状況で『万物凍冬』を使わなければ……全員殺されていた……。これが……俺の選んだ結果だ……)

 

その時、凍りついた冬真の神経の奥底に、かすかな「温もり」と「声」が届いた。

 

「氷叢さん……死なないで……っ!」

「頼むから耐えてくれよ……っ!」

 

必死に己を抱きかかえ、シートを巻きつけ、熱を分け与えようとするクラスメイトたちの体温。

 

(……八百万の判断……耳郎と上鳴の必死の救護……。俺の……不完全な立ち回りを……あいつらが命懸けで補おうとしている……)

 

冬真の途切れかけた意識は、そのかすかな温もりに繋ぎ止められながら、深く静かな闇へと沈み込んでいった。

 

*

 

一方その頃――USJ中央広場。

 

死柄木吊の顔に浮かんでいた歪んだ笑みが、ほんのわずかに不快感へと陰りを見せていた。

 

「……? なんだ……?」

 

死柄木は首筋をボリボリと爪で掻きむしりながら、チラリと山岳エリアの方角を見上げた。

 

「おい、黒霧。山岳エリアの温度……妙に下がってないか? ここまで冷気が伝わってくるぞ」

 

黒霧の靄で覆われた顔面の黄色い光が、怪しく明滅する。

 

「……死柄木様。山岳エリアに配置した試作脳無との通信応答が……途絶いたしました」

 

「ハ……? 途絶? 何言ってるんだよ黒霧。あいつはあの氷のガキの『絶対零度』を完全に無力化するために、冷気耐性と硬化と豪腕を積んだ特化型だぞ? ガキ一人に負けるわけないだろ。通信の不具合じゃないのか?」

 

「いいえ……山岳エリア全体から、異常なまでの高密度な冷気反応が検出されています。……恐らく、目標の生徒が個性の限界値を大幅に超えた広域放出を行ったものと推察されます」

 

死柄木の手が、ピタリと止まった。

 

「……は? 限界を超えた……? 冗談だろ。あいつの個性は自分の体温を奪う自傷系のはずだ。そんな真似をしたら、自分が真っ先に凍死する……」

 

「相澤先生……! 見てください、山岳エリアが……!」

 

水難エリアの物陰に潜んでいた緑谷出久が、驚愕の声を上げて山岳エリアを指差していた。

中央広場から見上げる山岳エリアの崖上が、うっすらと白い氷の霧に覆われ、周囲の大気温度があからさまに急降下している。

 

「……氷叢か」

 

血まみれの相澤消太が、かすれた声で呟いた。

肘の肉を削られ、満身創痍でありながらも、その鋭い瞳には教え子への確かな信頼が宿っていた。

 

「あいつは合理主義者だ。無駄な死を選ぶような真似はしない。……己の計算で、敵を完封して生き残ったんだよ」

 

「そんな……! 氷叢くんの冷気は、轟くんの氷結とは違ってエネルギーの直接奪取型だ……! あれだけの広範囲を凍らせるなんて、どれだけの熱量を己の身体に背負ったんだ……! 心臓が止まっちゃうよ……!」

 

緑谷の手帳を握る手が強く震える。

 

(氷叢くん……! 君はそこまでして……命を削って……みんなを守ったんだね……!)

 

「チッ……クソが……!」

死柄木が激しく首筋を掻きむしり、皮膚から血が滲み出る。

 

「予定が狂うな……ゲームの駒が勝手にルールを破るなよ……! なんだよ『命懸け』って! ヒーロー気取りのガキが、一番ウザいんだよ……!」

 

死柄木の苛立ちがピークに達した、その瞬間だった。

 

――ズドォォォォンッ!!!!

 

USJの頑丈な入口の扉が、凄まじい衝撃波とともに内側へと吹き飛んだ。

 

激しい粉じんが舞い散る中、巨大なシルエットが仁王立ちとなって立ち塞がる。

 

「――もう大丈夫!」

 

怒りと威厳に満ちた、圧倒的な『平和の象徴』の声がドーム内に轟いた。

 

「私が、来た!!」

 

オールマイトの到着。

 

その圧倒的な存在感と怒気を目にし、緑谷の目からポロポロと涙が溢れ出た。相澤もまた、安堵の息を漏らして膝を突く。

 

「……遅いんだよ、バカ野郎……」

 

オールマイトの視線が、瞬時に惨状を捉える。

傷ついた相澤、怯える生徒たち、そして遠く山岳エリアから立ち上る、命を削った白い冷気。

 

「相澤君……生徒たちを守ってくれてありがとう」

 

オールマイトの顔から笑顔が消え、真の怒りがその全身から立ち上る。

 

「君たちが……この子供たちの未来を奪おうとしたヴィランか」

 

「……来たね、オールマイト。コンティニューの効かない、ゲームのラストボスがさあ」

 

死柄木が不気味に笑い、中央広場の巨大な「本命の脳無」を前へと踏み出させた。

 

USJの命運を賭けた最終決戦が、ついに火蓋を切った。

 

「衝撃吸収」と「超再生」を持つ怪人・脳無の巨体が、オールマイトに向かって地鳴りのような踏み込みを見せた。

 

「オオオオオオオッ!!」

 

轟音とともに繰り出される豪腕の拳打。だが、オールマイトは退かない。

その身一つで正面から拳を交え、ドーム全体を揺らすほどの衝撃波が何度も山岳エリアの崖にまで伝わってきていた。

 

「すっげぇ……! なんだよアレ、拳と拳がぶつかっただけで空気が弾けてんぞ……!?」

レスキューシートの上から冬真を抱きかかえていた上鳴が、遠く広場の激闘を目にして目を丸くする。

 

「見とれている場合ではありませんわ! オールマイトが敵を引きつけてくださっている間に、私たちは氷叢さんの生命を繋ぎ止めなければ……!」

 

八百万の額から脂汗が流れ落ちる。

自らの体内脂質を削り出し続けて生成した特殊な化学発熱体は、すでに数十枚に達していた。それを冬真の腋下、頸部、鼠径部といった大動脈が通る部位に直接触れさせないよう、布を一枚挟んで慎重に配置していく。

 

「頼むから……死なないでよ、氷叢……!」

耳郎が冬真の凍りついた手首を両手で包み込み、己の体温を分け与えるように必死に擦り続けていた。

 

その必死の救護活動と、微弱な化学熱の緩やかな伝導によって――冬真の冷え切っていた肉体にほんのわずかな熱が戻り始めていた。

 

(……あたたかい……)

 

途切れかけていた冬真の意識に、身体の端々からじわじわと伝わる微かな熱が染み渡っていく。

 

刺すような激痛が和らぎ、絶望的だった心臓の途切れがちな鼓動が、ゆっくりと、しかし確実な力強さを取り戻し始める。

 

視界を覆っていた真っ白なモヤが薄れ、耳の奥で途切れていた周囲の励ましの声が、はっきりと胸に響き始める。

 

(……八百万の判断……耳郎と上鳴の保温……。あいつらの温もりが……俺の命を繋ぎ止めたのか……)

 

冬真の指先が、わずかに、本当に微かに動いた。

 

*

 

その頃、中央広場では歴史に残る激闘が最終局面を迎えていた。

 

「『衝撃吸収』……! ならば、吸収しきれなくなるまで叩き込むのみ!!」

 

100%を超えるオールマイトの怒涛の連撃。三百発を超える超高圧の拳が脳無の体躯を穿ち、最後の一撃――『プルス・ウルトラ』の叫びとともに、巨体はUSJの強化ガラスの天井を突き破り、遥か彼方の空へと吹き飛んでいった。

 

「嘘だろ……脳無が……吹っ飛ばされた……!?」

死柄木が己の頭を激しく掻きむしり、狂気の悲鳴をあげる。

 

「チッ……コンティニューだ……! 今日は引くぞ、黒霧!」

 

プロヒーローたちの応援(雄英教員陣)が突入してきたこともあり、黒霧のワープゾーンが死柄木を呑み込み、敵連合は捨て台詞を残して姿を消した。

 

こうして、USJ襲撃事件は幕を閉じた。

 

*

 

数時間後――総合病院・ICU(集中治療室)。

 

ピッ……ピッ……ピッ……

 

規則的な心電図の電子音が、静かな病室内を満たしていた。

 

点滴チューブと保温用の特殊ドレーンを装着されたベッドの上で、冬真の長い睫毛がかすかに揺れた。

 

「……あ……」

 

口元に装着された酸素マスクの内側が、わずかに白く曇る。

冬真がゆっくりと目を開けると、視界に飛び込んできたのは白い天井と、無機質な点滴台だった。

 

全身の痺れはすでに引き、感覚がしっかりと戻っている。リカバリーガールによる治癒補助と、ICUでの精密加温処置が功を奏した証拠だった。冬真は力が入らない手をゆっくりと持ち上げ、己の指先を見つめた。皮膚の紫黒い変色は消え、本来の淡い肌色に戻っている。

 

カチャリ、と病室のドアが開く。

 

「……なんだ、もう目が覚めたのか。とんでもない生命力だな、氷叢」

 

入ってきたのは、疲労の色を隠せない相澤消太だった。両腕を包帯でガチガチに固められた痛々しい姿だが、その目はいつもの冷徹さを取り戻している。

 

「相澤先生……」

冬真は酸素マスクを少しずらし、かすれた声で呟いた。

 

「動くな。まだ体内の熱代謝が不安定だ。……山岳エリアでの戦況、八百万たちから報告を受けたぞ。お前一人で特化型の脳無と数十人のヴィランを鎮圧したそうだな」

 

「……活躍などではありません」

冬真は天井を見つめたまま、淡々と、しかし冷静に口を開いた。

 

「俺の計算ミスです。敵がこちらの個性のメタ性能を有している可能性の予測漏れ。それによる過剰熱奪取の強制起動……。結果として自分自身を致死レベルの低体温症に陥らせ、クラスメイトに救護の負担を掛けさせた。……戦術的には不合格です」

 

相澤は溜め息をひとつ吐き、ベッド脇のパイプ椅子に腰掛けた。

 

「相変わらず反省の方向がズレてるな、お前は。……いいか氷叢、俺が言いたいのは『自分を犠牲にして仲間を救うな』ということだ。死んで勝つなんてものは、合理主義でもヒーローでもない。……だが、あの絶望的な状況で己の限界まで足掻き、生きて仲間のもとへ戻り、あいつらに救護を委ねたこと。それ自体は決して間違いじゃない」

 

「……」

 

「フン……まあいい。お前のその『絶対零度』、今回は無理を通して身体を壊しかけた。……今後の課題は明確だな」

 

相澤が立ち上がり、冬真を見下ろす。

 

「過剰熱奪取時の『自己排熱・体温保持機構』の再設計と、個性のさらなる出力制御。……次の『雄英体育祭』までに、その課題をクリアしておけ」

 

「……体育祭……」

 

「そうだ。世間はお前たちの戦いを見ている。次はお前が、生きて勝つ力を証明する番だ」

 

相澤が静かに病室を去っていく。

 

一人残された冬真は、静まり返った病室でゆっくりと拳を握りしめた。

指先に伝わる、確かな己の体温。

 

(熱を奪い……零度へ至る。……だが、俺自身が冷え切って停止しては意味がない)

 

冬真の冷たい瞳に、静かな決意の光が宿る。

 

(試作脳無……敵連合……そして、己の個性の限界。……次は完全に制御し、誰の手も借りずに完封してみせる)

 

窓の外には、夕暮れの街並みが広がっていた。

絶望の急襲を乗り越えた少女と少年たちの物語は、次なるステージ――雄英高校体育祭へと続いていく。

 




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