雄英高校の象徴でもある巨大な校門をくぐり、俺――氷叢冬真(ひむら とうま)は静かに歩を進めていた。
着慣れない雄英の制服。白に近い銀髪と、冷ややかな氷の色彩を映した青い瞳。道行く新入生たちがすれ違いざまに俺の姿を振り返り、その浮世離れした雰囲気に小さく息を呑む。だが、俺の視線は一直線に目的地――1年A組の教室だけを見据えていた。
(……無駄な付き合いをするつもりはない。俺がここへ来たのは、ヒーローという立場を得て、氷叢の呪縛を断ち切るためだ)
胸中で静かに冷たい決意を固める。
根津校長の養子となり、知識や戦術を叩き込まれた数年間。けれど、幼少期に叩き込まれた「一族の道具」としての冷酷な過去と、己の身体を内側から凍りつかせる「冬」という個性の記憶は、今も変わらず俺の心核に固く根を張っている。
やがて目指す教室の前へ辿り着く。無駄に巨大な扉。俺は表情一つ変えずに扉を滑らせた。
「机に足を乗せるな! 雄英の先輩方やデスクの製作者に申し訳ないと思わんのか!?」
「ああん!? 思わねえよ! テメエどこ中だ、噛ませが!」
教室の中では、すでに火花を散らすふたりの生徒がいた。生真面目に手を上下に振る眼鏡の少年――飯田天哉と、足をつきだし不機嫌そうに爆破の火花を散らす爆豪勝己。
その喧嘩腰のやり取りを横目に、俺は関心を示さずに自分の指定席へと向かう。
窓際に腰を下ろしていた轟焦凍が、俺の姿に気づき、鋭い視線を向けてきた。
俺は淡々とカバンを机の横にかけ、焦凍と視線を交わす。
「……焦凍。同じクラスか」
「ああ。……負ける気はないぞ、冬真」
「勝手に競えばいい。俺は俺の目的を果たすだけだ」
周囲と一線を引く冷淡な応答。焦凍はわずかに目を細めたが、それ以上追及はしてこなかった。
お互いの背負う血の重さを知っているからこそ、相容れない距離が存在する。
その時、教室の扉が開き、おどおどとした様子の少年――緑谷出久が入ってきた。
飯田が勢いよく挨拶に走り寄り、さらにその背後から天真爛漫な少女・麗日お茶子が話しかける。出久はガチガチに緊張しながらも、嬉しそうに二人と言葉を交わしていた。
ふと、出久が教室の窓際にいる俺へと視線を向けた。
俺と目が合うと、彼はびくっと肩を揺らし、恐る恐る近づいてきた。
「あ、あの……! はじめまして! 僕、緑谷出久っていいます。……その、すごく雰囲気に圧倒されちゃって……君も、推薦入試で入学したのかな?」
おどおどとしながらも、どこか観察するような視線。俺は冷ややかな声を返す。
「……緑谷出久。俺の名は氷叢冬真だ。他人の様子を探る暇があるなら、自分の心配をしたらどうだ。お前、さっきから身体が震えている」
「ひっ……! ご、ごめんなさい! 不躾だったよね……!」
出久は慌てて頭を下げ、逃げるように自分の席へ向かった。
(緑谷出久……気弱そうに見えて、あの瞳の奥には嫌なほど真っ直ぐな『熱』がある。関わらない方が賢明だな)
俺は窓の外を見つめ、静かに思考を遮断しようとした。他人の感情に深入りすれば、余計な摩擦が生まれるだけだ。
「ヒーローごっこがしたいなら、他所へ行け」
突然、廊下からだるそうな声が響いた。
黄色い寝袋から這い出てきたのは、ボサボサの黒髪と疲れた目を持ち、首に捕縛布を巻いた男――担任の相澤消太だった。
「担任の相澤消太だ。よろしくな」
相澤は淡々とそう言い放つと、寝袋からジャージの束を取り出し、クラス全員を見渡した。
「急だが、これ着てグラウンドに出ろ。個性把握テストをやる」
*
雄英高校の広大なグラウンド。
ジャージに着替えた1年A組の生徒21名が集結していた。
「個性把握テスト……!? 入学式やガイダンスは!?」
お茶子が驚きの声をあげるが、相澤は一切の容赦なく「雄英の自由な校風」と「合理性」について語り始める。そして、文部科学省の規定する「個性を禁止した体力測定」のナンセンスさを指摘し、全員に個性を最大限に活かした測定を命じた。
「……そして、8種目の合計成績最下位の者は『見込みなし』として除籍処分とする」
「「「ええええええっ!?」」」
グラウンドに悲鳴が上がる。
最下位は即除籍。初日から突きつけられた理不尽なルールに、出久をはじめとする多くの生徒が動揺を隠せない。特に隣に立つ出久の顔色は、尋常ではないほど白くなっていた。
(除籍……合理的な判断だ。使えない駒は切る。世の中の理屈としては間違っていない)
俺はその制裁を恐れてはいなかったが、隣で必死に呼吸を整えようとしている出久の姿が、わずかに視界に入る。
(入試の成績も振るわなかったのか? なぜあの男は、あそこまで怯えながらここに立っている……?)
俺の冷ややかな横顔を、少し離れた位置から観察している視線があった。
黒髪を気品高く結い上げた少女――八百万百。
推薦入試の実技で圧倒的な領域支配を見せていた俺の姿を、彼女ははっきりと記憶していた。
(氷叢冬真さん……推薦首位の力、このテストでどう示されるのかしら)
「それじゃ、実技に入ろう。まずは50m走だ」
*
【第1種目:50m走】
コースに立ったのは、飯田天哉と蛙吹梅雨。
飯田はふくらはぎのエンジンを爆発させ、3秒04という圧倒的なタイムを叩き出す。個性を活かした動きの鮮やかさに、クラスメイトから歓声が上がった。
続いて俺の番が巡ってくる。対戦相手は、両肘にテープ射出器官を持つセロハン顔の少年・瀬呂範太。
「よろしくな! ……って、なんかめちゃくちゃ寒気するんだけど!?」
瀬呂が身震いする。俺がスタートラインに立った瞬間、周囲の空気が一気に張り詰め、気温が数度下がったからだ。
「……始めるぞ」
俺は低く呟き、深く息を吐き出した。
体内の熱を殺し、意識を絶対零度の領域へと引きずり落とす。
「位置について……スタート!」
パンッ、とスタートの信号が鳴った瞬間。
**カツン!!**
俺の足元から、薄く透明で美しい「氷のレーン」が50m先のゴールまで一瞬で走り抜けた。
摩擦係数を極限までゼロに近づけた完璧な滑走路。俺は脚力ではなく、背後から放った微小な冷気の噴射圧力を利用し、氷の上を滑るように爆発的な速度で駆け抜けた。
『3秒12』
ロボットのアナウンスが響く。
「うおっ!? 早っ! ってか足元滑って走れねええ!?」
瀬呂が慌ててテープを天井へ飛ばして追うが、俺はすでにゴール線の上で静かに佇んでいた。
「す、凄いわ……! 単に氷を作るだけでなく、摩擦を殺して移動手段に昇華させているなんて」
八百万が感嘆の声を漏らす。
【第2種目:握力】
握力計を握り潰さんばかりの勢いで数値を叩き出したのは、6本の腕を持つ障子目蔵。540kgという破格の数値がモニターに表示される。
「うおおっ、540kg!? すっげえタコ!」
「……タコって……なんかエロいよね……」
峰田実が涎を垂らしながら不埒な呟きを漏らし、周りの女子たちが引きつった顔で距離を取る。
俺は握力計に手をかけ、器械の内部機構を凍結させることで金属を収縮させ、適切な負荷をかけることで「個性を併用した数値」として180kgを記録した。過度なアピールはせず、淡々と上位をキープしていく。
【第3種目:立ち幅跳び】
爆豪は爆風の推進力で砂場を飛び越え、空中を飛び跳ねて見せた。
俺は踏み切りと同時に足元に氷の跳躍台を生成し、空中にも即席の足場を作って軽々と砂場をオーバーランした。
【第4種目:反復横跳び】
峰田が頭のモギモギを地面に敷き詰め、驚異的なバウンドで反復横跳びをこなす。変態的な言動とは裏腹な個性の応用に、周囲は引きつつも感心していた。
俺は左右の地面を交互に極小凍結させ、滑る力を利用して体力の消費を最小限に減らしながらハイスコアを記録。
どの種目においても、俺の動きに無駄はなかった。正確、迅速、そして冷徹。
だが、クラスメイトとハイタッチを交わすこともない。
そんな俺の様子を、出久が出番を待ちながらじっと見つめていた。
(氷叢くんの個性……氷を出すだけじゃなくて、温度の変化で物理法則そのものを自分の有利に作り変えている……! すごい、凄すぎるよ……でも、どうしてあんなに寂しそうな目をしてるんだろう……)
出久の視線に気づいた俺は、そっけなく目をそらした。
【第5種目:ソフトボール投げ】
麗日お茶子が個性を使い、まさかの測定不能『∞(無限)』を叩き出してグラウンドが歓声に包まれた後、相澤の視線が俺へと向けられた。
「次、氷叢」
俺は静かに円の中へと入る。ボールを手に取り、その重みを感じ取る。
「お前は推薦実技でも圧倒的だったな。……だが、ここは雄英だ。お前のその『冷たさ』が、どこまで届くか見せてもらおう」
相澤の言葉には、俺の個性「冬」の真価と、俺が抱える精神的な危うさを見抜いているかのような響きがあった。
俺は何も答えず、目を閉じた。
(……見せる必要すらない。俺の『冬』は、ただ目の前の課題を圧倒して潰すためにある)
深く、大きく息を吸い込む。
胸の奥で、氷叢の血が嫌な音を立てて冷たく疼く。「一族の道具」として叩き込まれた苛烈な個性の使い方が、意識の底から湧き上がる。
俺が目を開いた瞬間――グラウンドの空気があからさまに牙を剥いた。
**ゴーッ!!**
夏の暖かい風が吹き飛ぶ。俺を中心に、半径数十メートルのグラウンドが一瞬で凍りつき、白い冷気が竜巻のように巻き上がった。
青空を背景に、俺の周囲だけが吹雪の舞う「冬の領域」へと変貌する。
「うわっ!? さむっ!! なんだこれ!?」
「急に冬になったみたいだぞ!?」
クラスメイトたちが腕を抱えて凍える。爆豪も轟も、その圧倒的な個性の圧に眉をひそめた。
俺は右腕を後方へと引き絞る。ボールの周囲に幾重もの高密度な氷の結晶を生成し、弾頭のような形状へと固定する。
(氷結圧縮、熱量強奪――放て)
**ドゴォンッ!!**
ボールが俺の手を離れた瞬間、空気の熱が一気に奪われ、激しい衝撃波とともに氷の尾を引いたボールが空へと打ち上げられた。
音速を超えた風切り音が響き、ボールは雲を穿つ勢いで彼方へと飛んでいく。
『890m』
手元のモニターを見た相澤が、静かに数値を提示した。
圧倒的な記録。だが、俺の横顔に誇らしげな色は一切なかった。
「……くっ」
俺は右腕を押さえ、小さく膝を折りかけた。
個性の過剰使用による代償。身体の深部体温が急激に奪われ、指先の感覚が消失している。唇は紫に染まり、呼吸をするたびに肺が凍りつくような痛みが走っていた。
(……これだ。強大な力を出せば、己の身を蝕む。……俺は、この欠陥を一人でねじ伏せなければならない)
誰にも弱みを見せまいと、俺は荒い息を殺して立ち上がろうとする。
その時。
「冬真さん……! お顔色が非常によろしくありませんわ!」
ハッとして見上げると、そこには八百万百が駆け寄ってきていた。
彼女の手には、自身の個性「創造」で急遽作り出された、熱を逃がさない保温シートと、小さなカイロが握られていた。
「これを使ってくださいまし! 個性の反動で体温が下がっていらっしゃるのでしょう!? 早く暖めないと危険ですわ!」
真摯な、心からの心配が込められた瞳。八百万は迷うことなく俺の肩に保温シートをかけ、カイロを俺の白く凍えた手に押し当てた。
「……余計な真似をしないでくれ、八百万さん」
俺は反射的に冷たい声で拒絶し、シートを払い落とそうとした。
「俺は一人で処理できる。誰の助けも要らない」
「要らないわけがありませんわ!」
八百万の強い声が、俺の言葉を遮った。
普段の穏やかな名家のお嬢様とは思えない、芯の通った強い瞳が俺をまっすぐに見つめる。
「どのような優れた個性であっても、肉体の限界を超えれば倒れてしまいます! 仲間が手を差し伸べるのを拒むことが、貴方の仰る『一人で処理する』ということなのですか!?」
「……っ」
俺は息を呑んだ。
八百万の言葉は、俺が今まで生きてきた「道具としての価値観」を正面から否定するものだった。
カイロから伝わってくる、じわりとした温もり。
勝手に向き合ってきた、彼女の「熱」のような視線。
俺は嫌悪感ではなく、困惑に似た動揺を覚えた。どう言葉を返していいのか分からず、ただ固く唇を結ぶことしかできない。
「……余計なお世話ですわ、と言われても引き下がりませんから」
八百万は少し頬を緩め、俺の手をそっとカイロ越しに包み込んだ。
「私たちは、共にヒーローを目指すクラスメイトなのですから」
*
そして、最後にボール投げの円に入ったのは、緑谷出久だった。
ここまで最下位続きで後がない出久。彼は震える手でボールを握り締め、投げ込もうとするが――相澤の個性「抹消」によって個性を消され、説教を受ける。
「今の力でおまえがヒーローになれるとは言えないよ」
相澤の冷酷な宣告。周囲が見守る中、出久は諦めなかった。
再び円に立ち、自身を鼓舞するように息を吐く。
俺が出久の背中に視線を開けていた、その時。
**カッ!!**
人差し指一本に全身の力を集約させ、爆音とともにボールを打ち上げた出久。
『705.3m』
指を真っ赤に腫れ上がらせ、激痛に耐えながら、出久は相澤に向かって言い放った。
「先生……まだ、動けます!」
その姿に、グラウンド全体が静まり返る。
爆豪が「どういうことだデク!!」と狂乱して突っ込もうとし、相澤の捕縛布に制圧される騒ぎが起きる中――俺は、ただ真っ直ぐに出久の手と瞳を見つめていた。
(一本の指を壊してまで、力を発揮した……? 自分の身体を犠牲にしてでも、ヒーローであろうとするのか……)
俺の「自分を壊す氷」とは違う。
彼の内側から溢れ出る熱気と狂気的なまでの執念。それは、俺がこれまでに出会った誰とも違う「真のヒーロー」の芽生えに見えた。
「……ふん、バカな奴だ」
俺は呟きながらも、出久の泥臭い姿勢から目を離すことができなかった。
順位発表。
1位:八百万百
2位:轟焦凍
3位:氷叢冬真
・
・
21位:緑谷出久
相澤による「除籍は嘘」という種明かしの後、安堵の表情を浮かべる生徒たちの中で、出久が保健室へ運ばれていく。
すれ違いざま、出久が俺に視線を向け、弱々しく微笑んだ。
「氷叢くん……僕、なんとか残れたよ……」
「……勝手にしろ。指を折って喜ぶような奴の気が知れん」
吐き捨てるように言ったものの、俺の手元には八百万から受け取ったカイロの温もりが残り、目の前には出久が残した泥臭い情熱の余韻があった。
(俺の氷壁に、余計な熱を持ち込むな……)
そう心の中で毒づきながらも、俺は確実に1年A組という「熱」の中に巻き込まれつつあることを感じていた。
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