朝の校門前は、異様な熱気と不快な圧迫感に包まれていた。
「オールマイトはどのような指導を!?」「一言だけでいいのでコメントを!」
校門を取り囲む不躾なマスコミの群れと、無遠慮に向けられる無数のカメラレンズ。その喧騒を完全に遮断するように、冬真は視線を路面に落とし、一切の表情を変えずに群衆の隙間をすり抜けた。
(……非効率な存在だ)
体温を維持し、個性の反動から身を守るための登校ルートに発生した余計な障害物。冬真は右手の集束グローブのダイヤルを無心でいじり、不快なノイズを意識の外へと追いやる。
校舎に入ると、廊下や教室からはマスコミの異常な突撃に対する不満の声が漏れ聞こえていた。昨日の戦闘訓練の熱冷めやらぬA組の教室でも、クラスメイトたちが賑やかに言葉を交わしている。冬真は自分の席に着くと、黙々とバッグからノートと集束グローブの調整用レンチを取り出し、本日の体温管理スケジュールの記載とギアの駆動チェックを始めた。
周囲の和気あいあいとした空気に加わる気は一切ない。彼にとって学校とは、個性の精密制御と身体能力の鍛錬、そして最短・最効率で実績を作るための場に過ぎないからだ。
キンコンカンコン――。
チャイムの音と同時にガラリと扉が開き、相澤がいつもの黄色い寝袋を引きずりながら教壇に立った。一瞬で静まり返る教室を見渡すと、相澤は深く溜息を吐き出し、気だるげな声で本題を切り出した。
「ホームルームを始める。門前のマスコミどもは放置しておけ。昨日の戦闘訓練、各々の課題は見えたはずだ。復習を怠るなよ」
生徒たちが緊張感を持って背筋を伸ばしたタイミングで、相澤は寝袋を脱ぎ捨てながら言葉を続けた。
「……で、今日だが。急で悪いが学級委員長を決める」
相澤の気のない一言が発せられた瞬間、教室内の空気は一変した。
「俺やりたい! 委員長!」
「俺だろ! 俺!」
「私やってみたい!」
ヒーロー科という環境柄、誰もが己の存在感やリーダーシップをアピールしようと元気よく挙手する。切島や上鳴、果ては爆豪までもが声を荒らげる中、冬真は自身のデスクの上で静かにペンを回していた。
(……非合理的だ)
冬真にとって、学級委員長という役職は何の価値も持たない。組織の雑務を引き受け、クラス全体の取りまとめに時間を割くなど、自身の体温管理や個性の精度向上に当てるべきトレーニング時間を無駄に圧迫するだけでしかないからだ。
「静かにしろ! 級長たる仕事……! 誰でもできるものではない! 他者からの絶大な信頼を得た者がやるべき役職……! それは民主主義によって選ばれるべきだ!」
飯田の熱弁により、学級委員長決めは記名投票で行われることとなった。
配られた紙を前に、冬真は一切の躊躇なく一つの名前を書き込む。
『八百万 百』
理由はシンプルだった。推薦入試組であり、座学の知識量、判断力、そして何より育ちの良さから来る几帳面さがある。彼女が選ばれれば、雑務は最も滞りなく処理され、冬真に不必要な火の粉が降りかかることもない。
開票作業が始まり、黒板に正の字が刻まれていく。
「緑谷、3票! 八百万、2票!」
結果は緑谷がトップ、次点で八百万となった。だが、黒板の隅に書かれた票数一覧を見て、冬真は微かに眉をひそめた。
『氷叢冬真:1票』
(……誰だ、無駄な票を入れたのは)
自嘲混じりの溜息を殺しながら視線を走らせると、後方の席で常闇が静かに腕を組み、深々と深く頷いていた。戦闘訓練で見せた冬真の冷静な指示と隙のない無力化を「冷厳なるリーダーシップ」と捉えたのだろう。冬真にとっては迷惑以外の何物でもなかったが、何はともあれ自分が選ばれなかったことに深く安堵した。
*
昼休み、雄英高校の食堂はいつも以上の熱気に包まれていた。冬真は冷製スープと高タンパクな主菜をトレイに乗せ、空いている端の席で黙々と食事を進めていた。体温の調整効率を高めるため、摂取する栄養と熱量の計算は彼にとって日課の一部だった。
――ヴィ、ヴィ、ヴィ、ヴィ……!
突如、耳をつんざくような警報音が食堂内に鳴り響いた。
『侵入者あり。生徒の皆さんは速やかに屋外へ避難してください』
「警報!?」「な、なんだ!?」
一瞬の静寂の後、食堂内はパニックに陥った。数百人の生徒が一斉に狭い非常口へと押し寄せ、押し合いへし合いの惨状となる。
(……落ち着け)
押し寄せる人波の圧力を巧みにいなしながら、冬真は即座に周囲の状況を観察した。揉み合いに巻き込まれて体力を無駄に消費するのは愚の骨頂だ。冷静に窓の外へと視線を向けると、校門付近に群がる無数の人間とカメラのレンズが見えた。
(敵(ヴィラン)の襲撃ではない。朝方のマスコミどもが不法侵入しただけだ)
パニックの本質を見抜き、冬真は人波の壁から一歩引き、壁際に身を寄せて静観の構えを取った。この状況で下手に動くのはリスクでしかない。群集の圧迫による怪我や消耗を避けるため、省エネな立ち回りに徹する。
その直後だった。
「大丈夫だぁぁぁーーー!!!」
頭上からの大音量が、食堂全体を震わせた。
見上げれば、飯田天哉が非常口標識の上に見事な格好でへばりついていた。
「ただのマスコミだ! パニックになる要素は何もない! ここは雄英、最高峰の行動をもって整然と動こう!」
その一言で、押し寄せていた生徒たちの動きが一気に止まった。
飯田の声を張った必死の説教と、その滑稽なまでに真摯な姿が、生徒たちの冷静さを一瞬で取り戻させたのだった。
混乱が収まっていく様子を、冬真は壁際から冷徹な眼差しで見つめていた。
(見事な沈静化だ。声量、視覚的インパクト、場の支配力……あいつのあの熱量は、こういう場面で最も効果を発揮する)
*
午後のホームルーム。
「それじゃ、委員長決めだけど……その前に僕からいいかな」
壇上に立った緑谷が、緊張した面持ちで口を開いた。
「やっぱり、委員長は飯田くんがやるべきだと思う! あの混乱をすごくカッコよく収めてくれたし……飯田くんなら、みんなを正しく引っ張っていけると思うんだ」
緑谷の推薦とクラスメイトたちの賛同により、学級委員長は飯田天哉、副委員長は八百万百へと決定した。
「任されたからには、全力を尽くす所存だ!」
硬直した動作で意気込む飯田を見ながら、冬真は静かに思考を切り替えた。自分に面倒な雑務が回ってくるリスクは完全に排除された。組織構造としては極めて理想的だ。
「……さて、明日の訓練は校外でのレスキュー訓練だ。災害派遣の心構えをしておけ」
相澤の言葉を聞き流しながら、冬真は手元のノートにペンを走らせる。
『本日の環境評価:マスコミによる不要な人的ストレス。心拍数影響:軽微』
『帰宅後の課題:極寒環境下における心拍数維持トレーニング(30分)、および体温リカバリー用の高カロリーメニュー策定』
無駄な役割から解放された冬真の頭の中は、すでに明日の訓練と、今夜自身に課すストイックな課題の計算だけで満たされていた。
これから訪れる、本当の災厄の兆候など知る由もなく。
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