十四階層の作業坑には、まだ二人が残っていた。
一人は地上との通話に返事をしている。もう一人は、その奥で動かないという。
病院に迎えの車が来てから二日が過ぎていた。今日は朝から、
「点検中に床が落ちた。残った二人のうち、片方は下で喋れる。足を傷めてるそうだ」
隣を歩く
透は壁に手を添えた。頭の中に通路と穴が広がる。正面の作業坑は、途中から床が抜けていた。下には斜めに続く古い運搬路がある。
そこに人の姿はない。何も映らない場所にも、人はいる。
「正面から下ろすより、右の旧通路を使ったほうが近いです。途中に段差がありますが、穴の真下へ出られる」
「その通路の入口は」
「今の地形だと、この先の壁の裏です。開いてるかは、見ないとわかりません」
設備員が先へライトを向けた。
配管の陰に、金網の扉があった。奥の通路には水が流れているが、床は残っている。鍵を持つ担当者を待つ間に、透は段差の先を頭の中で確かめた。
担架を水平に保ったまま曲がれる幅がある。最後の一段だけが高かった。
「持ち上げる人数が要ります。段差の上へ二人、先に回してもらえますか」
「わかった。お前は下へ着いたら、まず声をかけろ」
鍵が回った。
透は先頭で入り、足元の苔を靴底で擦った。滑る場所を後ろへ伝え、腰のロープを手すりへ回す。
曲がり角の先から、短い返事が聞こえた。
「救助です。動かなくていい。ライトを向けるぞ」
男は崩れた床材の上に座っていた。右足を引きずった跡があり、隣には落ちてきた工具袋がある。
奥へもう一人の靴が見えた。
透はそちらへ顔を向けかけ、呼びかけに答えている男の前へしゃがんだ。
「名前を教えてくれ」
男が名乗った。息は速いが、問いには答えられる。
救護担当が追いつき、足の状態を確かめ始めた。透は通路の端へ下がり、奥へ進む足場を見た。
「あっちも、お願いします」
「今、行く」
奥の男には救護担当が先に近づいた。
透は頭上へライトを向けた。作業床の残りが傾き、一本の梁へ引っかかっている。現在の形はわかるが、どれだけ重さに耐えるかは設備員に見てもらわなければならない。
その確認が終わるまで、担架は手前に置いた。
設備員が上の梁へ印をつけた。床材を動かさずに支えるため、手前の岩へ器材を据えるという。
透は男の横に残り、後続へ置き場所を伝えた。
話しかけると、男は自分が落ちたときのことを何度も説明しようとした。
「先に、あいつが。俺、つかんだけど、手袋が」
「今は足を動かさずにいてくれ。道はある。上の隊員が準備してる」
男が口を閉じた。
透は名前をもう一度呼び、水の音に負けない近さで、これからどこへ運ぶかを話した。角を一つ曲がり、段差を越えれば、昇降機へ向かう台車に載せられる。
男はその角へ目を向けた。
「見えますか、そこ」
「俺には形がわかる。仲間も、もうそこまで来てる」
上からライトが一度振られた。
男の肩が少し下がった。透は合図を返し、担架の持ち手を握った。
救護担当が足の固定を済ませ、透と二人で返事のある男を担架へ移した。
痛みで目を閉じた男が、肩を支える透の袖をつかんだ。
「落ちないですか」
「落とさない。その段は四人で上げる。今から少し揺れるぞ」
段差の上で待つ二人が加わり、四人で担架を上げた。
狭い段差では、後ろの隊員の靴が一度滑った。透は持ち手を引きつけ、壁へ肩を当てた。前の二人が止まり、四人で高さを戻す。
男の声が喉に詰まった。
「止まってる。大丈夫だ。足場を直してから動く」
透は上の隊員と目を合わせた。合図を受け、腰を落として押し上げる。枠が段の上へ載り、男の手が袖から離れた。
上から受け取る声がした。
透は担架を渡してから、水の流れる下へ戻った。
*
奥にいた男の死亡確認について、同行した救護担当から堀江へ報告があった。
堀江が地上の医療側と連絡を取り、収容に移ると告げたとき、透は担架を広げていた。
もう声をかけても、返事はなかった。
男は横向きで、片腕が胸の下へ入っていた。服の裾が落ちた金具に引っかかっている。服を引けば、金具に引っかかった身体まで引きずってしまう。
透はすぐ脇へ膝をつき、金具の先がどちらへ曲がっているかに集中した。
腕を伸ばせば届く距離だった。
頭の中に、曲がった金具が浮かんだ。
その隣に、肩があった。
透は手を止めた。
服の布だけではない。首から肩へ、肩から腕へ続く形が、岩や床材と一緒にわかった。
目を開けても、そこにはさっきと同じ男がいる。
ミカの録音機を見つけたときには、箱の角がわかった。今は、人の身体の形がわかった。
「どうした」
堀江が低い声で聞いた。
「……金具を外します。身体を支えてもらえますか」
先に作業をした。
金具に引っかかった裾を緩め、道具で金具を開く。救護担当が身体を支え、もう一人が下へ搬送用の布を差し入れた。
その間、透は能力へ集中しなかった。
顔を布で覆う直前に、救護担当が短く名前を呼んだ。透も一度、頭を下げた。
帰りの段差には、滑り止めの板が置かれていた。
透は下側の持ち手へ回った。生きている男を運んだときと同じ四人で、同じ合図を使った。
重さが腕へかかる。
今度も、持ち手を離さずに上まで運んだ。
*
地上の洗い場で、透は手袋についた泥を落としていた。
堀江が隣の蛇口を開ける。
「さっき、何があった」
透は蛇口を閉めた。
「あの人の身体が、わかったんです。金具の形を見ようとしたら、一緒に」
「能力でか」
「はい。布とか装備じゃなくて、身体の形が。今まで、人は出なかった」
堀江はすぐには返事をしなかった。
透の濡れた手袋へ目を落としてから、聞いた。
「最初に運んだ人は」
「担架の形はわかりました。身体はわからないです」
「距離は」
「すぐ横です。金具を外そうとしてました」
遠くから人を探せたわけではない。奥の男を先に見つけたのはライトで、状態を確かめたのは救護担当だった。
透が見たのは、その後のことだ。
「記録に残せ。だが次から、出なかったから生きてるとか、そういう判断には使うなよ」
「わかってます。遠い物も、集中してないときも、出ませんから」
堀江が蛇口を止めた。
「今日は、二人とも地上へ連れて帰った。それは間違いない」
透はうなずいた。
救えた一人と、救えなかった一人。その二人を同じ通路から運んだ腕が、今になって重かった。
手袋を絞ると、泥水が指の間を流れた。
*
夕方、
透のタオルと自分のタオルを分け、椅子へ重ねている。玄関の音に振り返った彼女へ、透はただいまと言った。
「おかえりなさい」
「手を洗ってくるね」
洗面台で爪の間まで洗った。
戻ると、食卓に水の入ったコップが置かれていた。
透は椅子へ座った。今日のことを話すか迷ったが、能力については、葵にも先に知っていてほしかった。
「仕事の話、少ししてもいい?」
葵がうなずいた。
人の名前や詳しい怪我の話は避け、近くの金具を調べたとき、亡くなった人の身体まで形としてわかったことを伝えた。
葵は畳んでいたタオルを膝へ置いた。
「生きている人は、わからないんですよね」
「うん。今日、先に運んだ人もそうだった。眠ってる人も、起きてる人も、今まで身体は出なかった」
「遠くにいても、亡くなっていたら」
葵は途中で言葉を止めた。
透は首を振った。
「そこまではわからない。近くで、形を見るために集中したときだけだった。前に調べた奥の空間にも、人がいるかはわからないままだよ」
彼女が誰のことを考えたのか、聞かなくても想像がついた。
能力で人の姿が浮かばなかったことを、
「わかる範囲が増えたら、それも教えてください」
「そうする」
葵はタオルを重ね直した。
透の分を置こうとして、手を止める。
「今日は、持っていきます。水瀬さんは、座っててください」
洗面台の棚へ向かう背中を、透は見送った。
いつもなら自分でやると言ったかもしれない。今日はコップを両手で持ち、冷たい水を飲んだ。
戻ってきた葵が、隣の椅子に腰を下ろした。
少しの間、洗濯物の乾いた匂いがしていた。
話しをちょっと見直しているので、次の投稿まで1.2周間かかるかもしれないです。
ミカで心がえぐられた。