21世紀のこの国には、未だに徴兵制度がある。
いや、この国だけではない。
世界各国で、程度の差こそあれ同様の制度が敷かれている。
戦争でもしているのか、と問われれば――していない。
正確には、もはや「戦争」という土俵に立っているのかすら怪しい。人類には、共通の敵がいる。それは海の底から現れた。
――深海棲艦。
その名の通り、深海に棲む艦艇。
どこから現れたのか。
なぜ人類を襲うのか。
その生態も目的も、未だ完全には解明されていない。
ただ一つ、確かなことがある。
世界中の沿岸国家は、今日も奴らと戦っている。そして、これからは。
私も、その一員になる。
◆◆◆
その日、私は自ら志願する形で艦娘適合検査を受けた。
結果は――適合。
身体検査や適性試験を終えた私は、そのまま軍への入隊手続きを進めることになった。艦娘としての詳細なデータ収集。艤装への適合率。身体能力。そして、最も重要となる――適合艦の特定。検査官から渡された指令書を開く。
そこに記されていた名前を見て、私は思わず眉を寄せた。
『加賀型戦艦 二番艦 土佐』
「……加賀型戦艦?」
聞き慣れない名前だった。加賀という名前なら知っている。航空母艦、加賀。深海棲艦との戦いにおいても名を馳せる、歴戦の艦娘だ。
だが――
「土佐、って……」
その名前には覚えがない。
首を傾げていると、小さな人影が肩へ飛び乗ってきた。
「わっ」
驚いて振り返る。そこにいたのは、手のひらほどの小さな人型。艦娘の装備開発や整備を担う存在――妖精さん。らしい。いつの間にか、周囲にも妖精さんたちが集まっていた。
「はじめてみたー」
「ふしぎだねー」
「でもしんすいしてるもんねー」
「かいながとがただもん、つよいよー」
「そうなのか?」
話についていけない。しかし、妖精さんたちは楽しそうにしている。
「がんばろーね」
一人の妖精さんが、私の指先へ触れた。
その瞬間。
淡い光が弾けた。
「――っ」
光が身体を包み込む。あまりの眩しさに、思わず目を閉じた。身体が熱い。何かが、自分の中へ流れ込んでくる。それは痛みではなかった。むしろ――どこか懐かしい。波の音。潮の匂い。鋼鉄の感触。
巨大な何かを背負っているような感覚。
そして。
知らないはずの声。
『――土佐』
その声を聞いた瞬間、私は反射的に目を開けた。光は消えていた。妖精さんたちが、少し離れた場所で全身鏡を抱えている。
「……え?」
鏡を見る。顔は変わっていない。一重寄りのつり目。薄い唇。目の下には、うっすらと隈。幸薄そうな顔、と言われれば否定できない。
だが。
問題はそこではなかった。
身体を覆っている服。黒を基調とした第一種軍装。腰には短剣。頭には軍帽。見慣れた自分の身体なのに、まるで別人のようだった。
「……ああ」
なぜか、自然と理解した。
私は――
「『戦艦土佐』になったんだ」
なってしまった。
鏡の中の自分を見る。ブルーグレーの髪が肩へ落ち、目にかかる前髪の上から軍帽を目深に被っている。そこにいるのは、もう単なる私ではない。
加賀型戦艦二番艦。
土佐。
その名を持つ艦娘だった。
やがて案内役の軍人に連れられ、鎮守府の執務室へ向かう。廊下を歩く。すれ違う艦娘たちが、ちらちらとこちらを見ている。まあ、無理もない。今日着任したばかりなのだから。やがて執務室の前へ着いた。
扉の前で立ち止まり、三度ノックする。
「失礼します」
扉を開ける。そこに立っていたのは、サイドポニーテールの艦娘だった。秘書艦だろう。その奥にいる提督へ向き直る。
「この度、新たに着任した。加賀型戦艦二番艦、土佐だ。よろしく頼む」
「……」
提督が言葉を失った。
その隣で、秘書艦の目もわずかに見開かれる。ほんの一瞬だった。すぐに、元の静かな表情へ戻る。
「……土佐、だと?」
「?」
提督を見る。
「……いや、なんでもない」
提督はすぐに表情を戻した。
「こちらこそ、よろしく頼む」
「ふん」
鼻から、短く息が漏れた。
「今度はちゃんと戦わせてくれよな」
「……」
部屋の空気が止まった。
提督も。秘書艦も。そして何より、私自身が黙った。
「……今のは」
何だ。
私はまだ一度も深海棲艦と戦ったことがない。なのに――『今度は』?
妙な言葉だ。
それでも。
なぜか、訂正する気にはなれなかった。
「……失礼した」
それ以上は何も言わなかった。
その後、提督から今後の任務や鎮守府での生活について説明を受けた。本格的な任務や訓練が始まるのは明日から。今日は自由に過ごしていいらしい。執務室を出る。
さて。
どうするか。
◆◆◆
宛がわれた部屋は、一人部屋だった。元々は二人部屋だったらしく、広く、がらんどうとした印象を受ける。簡素ながら、必要なものは一通り揃っている。ベッド。机。クローゼット。そして、海が見える窓。
「……一人か」
まあ、誰かと同じ部屋で生活することには慣れていない。ベッドに腰掛ける。
静かだった。
静かすぎる。
落ち着かない。
私は立ち上がった。
「……少し歩くか」
鎮守府の探索でもしてみよう。部屋を出て、適当に廊下を歩く。いくつかの建物を見て回っていると、一際大きな建物が目に入った。
「……道場?」
引き戸を開ける。そこには、広い板張りの道場があった。壁際には竹刀や木刀。その隣には、弓道具まで置かれている。
「……懐かしいな」
私は軍人になる前、武道を嗜んでいた。剣道。弓道。その他にも、武道と呼ばれるものには一通り触れてきた。戦うことが好きだったわけではない。型を学び、身体を鍛える。自分自身を律する。そういう時間が好きだった。
「……少しだけ」
竹刀を一本借りる。構える。正眼。背筋を伸ばす。肩の力を抜く。足を置く。呼吸を整える。
――静かだ。
頭の中まで、静かになっていく。
竹刀を振る。ヒュッ、と空気を切る音。もう一度。さらに一度。
「……」
おかしい。
軽い。
竹刀が、以前よりずっと軽く感じる。試しに、もう一度振った。
速い。
明らかに速い。
「……艦娘になったからか」
聞いていた話では、艦娘は人間離れした身体能力を発揮するらしい。ならば、この程度の変化は不思議ではない。
そう思った。
その瞬間。
――頭の奥に、光景が浮かんだ。
海。巨大な艦体。砲塔。鋼鉄。
轟音。
遠くに見える敵影。
『全艦、戦闘用意!』
「――っ!」
思わず竹刀を止める。
知らない光景。
知らない声。
なのに。
身体だけが、それを知っている。
「……何なんだ、これは」
胸元へ手を当てる。心臓が速く脈打っていた。思い出した、というのとは違う。自分が経験した記憶ではない。それでも、海も、鋼鉄も、砲声も。
ひどく懐かしかった。
そのとき。
「……あら?」
背後から声がした。振り返る。道場の入口に、一人の艦娘が立っていた。長い黒髪。落ち着いた眼差し。そして、航空母艦としての艤装。
「……あなたは」
「先ほどお会いしましたね。加賀です」
航空母艦、加賀。私でも知っている艦娘だった。
「……そうか。貴方が加賀か」
だが、それ以上は何も言わない。
「剣道を?」
「ああ。軍に入る前からやっていた」
「そう」
加賀の視線が、竹刀から私へ移る。
「弓道も?」
「……なぜ分かる?」
「姿勢を見れば、ある程度は」
「なるほど」
妙に納得した。加賀が道場の中へ入ってくる。私は竹刀を置いた。
「あなたも武道を?」
「私は弓を扱いますから」
そう言って、加賀はほんの少しだけ微笑んだ。その姿を見ていると。また、妙な感覚がした。
懐かしい。
今日初めて会ったはずなのに。どうして。そんなことを思うのだろう。
「……加賀」
「何か?」
一つ、聞きたいことがあった。
だが。
言葉にするのを躊躇った。
「あなたは……」
私は口を閉じる。加賀。航空母艦、加賀。だが、私の名前は土佐。
加賀型戦艦二番艦。
そういうことになっている。ならば。目の前にいる彼女は――私の姉なのだろうか。史実上。加賀は、本来ならば加賀型戦艦の一番艦になるはずだった。そして私は二番艦。つまり。戦艦として完成していれば、彼女は私の姉だった。
しかし、加賀は戦艦として完成することなく、航空母艦へと生まれ変わった。そして私は、戦艦として完成することすらなかった。ならば。今ここにいる私たちは、一体どういう姉妹なのだろう。
「……どうしました?」
加賀の声で我に返る。
「いや」
私は視線を逸らした。
「何でもない」
「そう」
加賀は、それ以上追及しなかった。しばらくして、道場を出ようとしたとき。
「土佐」
「ん?」
「明日から、肩慣らし程度ですが……出撃でしょう?」
「ああ」
「無理はしないように」
「……善処する」
「それと」
加賀が振り返る。
「困ったことがあれば、私を頼ってください」
「……」
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
姉。
そう呼びたい。
けれど。
勝手にそう呼んでいいのだろうか。私の姉は、戦艦加賀だった。目の前にいるのは、航空母艦加賀。
同じ名前。
同じ艦から生まれた存在。
けれど、同じなのかは分からない。
「……ありがとう」
結局、それだけを返した。加賀は静かに頷き、道場を後にした。一人になった道場。私はしばらく、その場に立ち尽くしていた。
「……姉さん、か」
誰もいない場所で、小さく呟く。口にした瞬間。胸の奥が、不思議なほど温かくなった。まるで。ずっと昔から、その人をそう呼んでいたような。
そんな気がした。
◆◆◆
夕方、鎮守府の食堂へ向かう。
扉を開けた瞬間、何人かの艦娘がこちらを見た。当然だ。今日着任したばかりなのだから。
空いている席を探していると、その中の一人が軽く手を上げた。
「ねえ、そこの新人さん。こっち空いてるよ」
声をかけてきたのは、長い黒髪を後ろで束ねた艦娘だった。
私は短く礼を言い、向かいの席へ腰を下ろす。
「今日着任したの?」
「ああ。土佐だ」
「土佐……?」
彼女が首を傾げる。
「聞いたことのない名前ね」
「私も今日、初めて知った」
「なにそれ」
彼女が目を丸くしたあと、楽しそうに笑った。
「私は川内、よろしくね」
「ああ。よろしく頼む」
「でも、戦艦なんでしょう?」
「そうらしい」
「らしいって……自分のことでしょ?」
また笑われた。
しばらくして、食事が運ばれてきた。箸を手に取り、一口食べる。
「……美味い」
「でしょう?」
川内がどこか誇らしげに笑う。
「ここの食事、結構評判いいんだよ」
「そうなのか」
箸を進める。妙に食が進んだ。艦娘になった身体が、必要なものを求めているような感覚だった。
向かいでは、川内が時折こちらを見ていた。遠慮なく観察しているようでいて、その視線に嫌なものはない。
食事を半分ほど終えた頃、川内が頬杖をついた。
「ねえ、土佐」
「なんだ?」
「艦娘になる前は何してたの?」
「……武道を」
「武道?」
「剣道や弓道を中心に。他にも一通りは」
川内の目が、わずかに見開かれる。それから私の背筋や箸を持つ手に視線を走らせ、納得したように頷いた。
「へえ。だから姿勢がいいんだ」
「そうか?」
「うん。それに、なんか動きに無駄がないっていうか」
まじまじと見られ、私は箸を止めた。
「なんだ?」
「いや。もっとこう……戦艦らしく、軍人一筋なのかと思ってた」
「私も今日までは普通の人間だったからな」
「それもそうね」
川内は笑い、それから何かを思いついたように身を乗り出した。
「うちの妹と話が合いそう」
「妹?」
「神通。あの子も真面目だし、武道とか鍛錬とか好きだから」
神通。まだ会ったことのない名前を、頭の中で繰り返す。
「そうか」
「今度紹介するよ。たぶん神通も喜ぶと思う」
川内の言葉には迷いがなかった。もう紹介することを決めているらしく、楽しそうに頷いている。
「そのときは、よろしく頼む」
「うん。任せて」
食事を終えた頃には、少しだけ身体の緊張も解れていた。
川内は初対面の私を珍しがりながらも、必要以上に踏み込んではこなかった。ただ時折こちらへ視線を向け、何か面白いものを見つけたように口元を緩めている。
「土佐って、思ってたより話しやすいね」
「会う前から何か思っていたのか?」
「今日、新しい戦艦が来るって噂になってたから」
「……早いな」
「こういう話が広まるのは早いよ。特に、この鎮守府はね」
川内が声を立てて笑う。
私もつられて、少しだけ笑った。今日、初めて自然に笑えた気がした。
食堂の窓から、夕焼けに染まる海を見る。穏やかな海だった。
明日、私は初めて戦う。
深海棲艦と。
そして、そのときにはきっと分かる。
なぜ自分が、あんなにも戦うことを望んでいるのか。なぜ土佐という名前を与えられた瞬間から、自分の中に知らないはずの感覚があるのか。
そして、なぜ――航空母艦となった「加賀」を見たとき、あんなにも懐かしいと思ったのか。
「……明日、か」
呟く。
川内が私の視線を追い、同じように窓の向こうへ目を向けた。
「初出撃?」
「ああ」
「そっか」
先ほどまでの明るい声が、わずかに静かになる。
それでも川内は不安を煽るようなことは言わなかった。頬杖を解き、穏やかな海を見つめている。
「気をつけてね」
「ああ」
怖くないと言えば、嘘になる。それでも、不思議と逃げたいとは思わなかった。
むしろ海を見ていると、胸の奥が静かに騒ぐ。
――ようやく。
そんな言葉が、ふと浮かんだ。
「……ようやく?」
「ん?」
「いや。何でもない」
何が、ようやくなのか。自分でも分からない。
ただ、明日の海を思うと、身体の奥がひどく落ち着いた。
まるで、ずっとその日を待っていたかのように。