土佐、海を往く   作:海の藻

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第12話 土佐、緩む

十二時間。

 

長かった。

 

本当に、長かった。

 

ようやく入渠を終えた頃には、すでに朝を迎えていた。

 

腕を回し、肩を動かす。脚にも力を入れてみるが、痛みも違和感もない。傷は塞がり、損傷していた艤装の修復も終わっている。

 

「よし」

 

これなら、いつも通りでいいだろう。

 

部屋へ戻って黒い第一種軍装へ着替え、腰へ短剣を差す。左腰には、いつもの日本刀。鞘の位置を確かめ、軽く柄へ触れた。

 

問題ない。

 

まずは朝食。それから、少し身体を動かして――。

 

「土佐さん」

 

部屋を出て間もなく、背後から声をかけられた。

 

「大和」

 

「おはようございます」

 

「ああ。おはよう」

 

大和は足を止めると、私の姿を上から下までゆっくりと眺めた。

 

「何だ?」

 

「いえ。どうして軍装なんですか?」

 

「いつもこれだが」

 

「今日は休養です」

 

「…………」

 

話が違う。

 

「もう治ったぞ。艤装も直っている」

 

「ええ、そうですね」

 

「なら――」

 

「今日は休養です」

 

笑顔のまま、同じ言葉を繰り返される。いつもの柔らかな笑みなのに、押し切れる気がまるでしなかった。

 

「稽古くらいなら」

 

「駄目です」

 

「まだ最後まで言ってないぞ」

 

「分かりますから」

 

そこへ廊下の向こうから、重い足音が近づいてきた。

 

「おお、土佐。もう上がったのか」

 

武蔵だった。

 

「具合はどうだ?」

 

「問題ない」

 

「そうか。それなら何よりだ」

 

武蔵は満足そうに頷いてから、私と大和を交互に見た。何かを察したらしく、その口元が楽しそうに持ち上がる。

 

「で、何を揉めている?」

 

「揉めてない」

 

「土佐さんが、今日も稽古をしようとしているんです」

 

「大和」

 

言わなくてもいい。

 

武蔵は一瞬黙り、それから声を上げて笑った。

 

「はっはっは! そうかそうか!」

 

「何がおかしい」

 

「いや、悪い悪い。諦めろ、土佐。一度こうなった姉貴には、何を言っても無駄だ」

 

「武蔵。聞こえていますよ」

 

「おっと」

 

武蔵は肩をすくめた。

 

私は大和を見る。大和は笑っている。次に武蔵を見る。武蔵も笑っている。

 

「経験者か」

 

「嫌というほどな」

 

「そうか。なら、仕方ない」

 

「分かった。今日は休む」

 

大和が目を瞬いた。

 

「あら」

 

「何だ?」

 

「思っていたより素直だったので」

 

「私だって、休めと言われれば休む」

 

「そうでしたか?」

 

少し考える。

 

以前なら、もう少し粘っていたような気もする。

 

「加賀にも言われたからな」

 

「加賀さんに?」

 

「ああ。自分を大切にしろと。傷つけば心配する人がいるのだと、昨日言われた。だから今日は休む」

 

大和は僅かに目を見開き、それから心から安心したように表情を和らげた。

 

「それなら安心しました。では、お部屋へ戻っていてください。飲み物をお持ちします」

 

「いや、自分で取りに行けるぞ」

 

「知っています。ですが、持っていきます」

 

助けを求めるように武蔵を見る。武蔵は無言で首を横に振った。

 

諦めろ。

 

そういう顔だった。

 

「分かった。ありがとう、大和。助かる」

 

一瞬、大和の表情が止まった。

 

「どうした?」

 

「何でもありません。どういたしまして、土佐さん」

 

◆◆◆

 

休む。

 

そう決めた。

 

決めたのだが。

 

「…………」

 

何をすればいい。

 

椅子に座る。少しして立ち上がる。窓の外を眺め、本を手に取る。数ページほど目を通してみたものの、内容がまるで頭に入ってこない。そのまま本を閉じた。

 

暇だ。

 

普段なら稽古へ行く。弓を引き、刀を振り、艤装の調整をする。誰かと演習することもできる。

 

だが今日は、休めと言われた。

 

机の上には、大和が持ってきてくれた飲み物が置かれている。ありがたい。ありがたいのだが。

 

「休むって、難しいな」

 

刀を納めるよりは簡単だと思っていた。そうでもないらしい。

 

そのとき、扉が控えめに叩かれた。

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

扉が開く。

 

「神通」

 

「はい。お邪魔してもよろしいでしょうか」

 

「ああ」

 

神通が部屋へ入る。その視線が一度、私の身体へ向いた。

 

「もう、お身体は大丈夫ですか?」

 

「ああ。問題ない」

 

「本当に?」

 

「本当だ」

 

神通はしばらく私を見つめ、やがて表情を緩めた。

 

「お元気そうで安心しました」

 

その視線が、今度は軍装と腰の刀へ向かう。

 

「今日は、もうお出かけになるんですか?」

 

「いや。休めと言われた」

 

「それがいいと思います。昨日、大破したばかりですから」

 

「みんな同じことを言うな」

 

「それだけ皆さんが心配されたのだと思います」

 

まただ。

 

昨日から何度も聞いている。心配した、と。

 

「そうらしいな」

 

「はい。でしたら、今日は私とお話ししませんか?」

 

「今日?」

 

「昨日はできませんでしたから」

 

出撃前、帰ったらゆっくり話そうと約束していた。

 

「ああ。覚えてる。約束してたな」

 

神通の表情が柔らかくなる。

 

「分かった。座ってくれ」

 

「よろしいんですか?」

 

「もちろん。それに、私も神通とは話してみたかった」

 

神通の動きが止まった。

 

「神通?」

 

「土佐さんは、思っていたより……率直な方なんですね」

 

「そうか?」

 

「はい」

 

僅かに視線を逸らした神通の耳が、少しだけ赤くなっている。

 

「茶でも飲むか。玄米茶でいいか?」

 

「……玄米茶。好きです」

 

棚を開け、茶葉と菓子の箱を取り出す。

 

「甘いものは?」

 

「好きです」

 

「和菓子は?」

 

「……好きです」

 

僅かに声が弾んだ。

 

「なら、最中がある。食べるか?」

 

箱を見た神通の目が、ほんの少しだけ輝いた。

 

「いただいても?」

 

「ああ」

 

二人分の茶を淹れ、最中を皿へ載せる。湯を注ぐと、香ばしい玄米茶の匂いが部屋に広がった。

 

神通は最中を一口かじり、静かに目を細めた。

 

「美味しいです」

 

「そうだろ。ここの最中は気に入ってる」

 

私も最中を口へ運ぶ。餡の甘みと柔らかな餅。それを玄米茶の香ばしさが受け止める。

 

「……やっぱり、餅入り最中には玄米茶だな」

 

「こだわりがあるんですね」

 

「ああ。譲れない」

 

神通が小さく笑った。

 

それから、川内や那珂のこと、普段の訓練、私がしていた剣道や弓道について話した。

 

「やはり、武道の経験があったんですね」

 

「ああ」

 

「構え方を見ていて、そうではないかと思っていました。私も身体の使い方はよく見ますから」

 

実際に話してみると、思っていた以上に話が合った。時折会話が途切れても、気まずくはない。ただ静かに茶を飲み、最中を食べる時間が流れていく。

 

「神通。川内が言ってた」

 

「姉さんが?」

 

「ああ。最初の出撃で一緒になって、その後も演習をした。そのときに――うちの妹と話が合いそうだと」

 

「姉さんが、そんなことを」

 

「でも、合ってたみたいだな」

 

神通がまた止まった。

 

「神通?」

 

「土佐さんは、やはり率直な方ですね」

 

「さっきも言っていたな」

 

「はい。きっと、そういうところを姉さんも気に入ったのだと思います」

 

「そうなのか?」

 

「私も、少し分かるような気がします」

 

神通は最中をもう一口食べた。俯いたその口元には、微かな笑みが浮かんでいた。

 

◆◆◆

 

神通が帰ったあと、椅子へ深く腰を下ろした。

 

稽古はしていない。艤装にも触っていない。刀も抜いていない。

 

それなのに、退屈ではなかった。

 

「こういうのも、休むって言うのか」

 

今日はもう外へ出る予定もない。

 

軍装を脱ぎ、刀と短剣、軍帽を机の脇へ置いた。代わりに黒いVネックの長袖と、灰色のスウェットを身につける。

 

鏡を見る。

 

随分と軽い。

 

まあ、今日はこれでいい。

 

本を手に取り、ベッドへ腰掛けた。

 

◆◆◆

 

午後。

 

再び扉が叩かれた。

 

「どうぞ」

 

「入るわよ」

 

陸奥だった。

 

「ちゃんと休んで――」

 

陸奥の言葉が止まった。

 

「ん?」

 

「姉さん」

 

「…………」

 

「どうした?」

 

「いえ。ちゃんと休んでいるわね」

 

「ああ。見れば分かるだろ」

 

陸奥は何故か、まだこちらを見ている。

 

「何だ?」

 

「何でもないわ。稽古は?」

 

「してない」

 

「艤装は?」

 

「触ってない」

 

「刀は?」

 

「抜いてない」

 

「……偉いじゃない」

 

「休んでるだけだぞ?」

 

「あなたの場合、それが偉いのよ」

 

陸奥の手が伸び、髪へ触れる。

 

止めなかった。

 

手のひらが髪の上をゆっくりと往復する。

 

以前なら少し落ち着かなかった。けれど今は不思議と嫌ではない。

 

むしろ、少し落ち着く。

 

目を細めると、肩から自然に力が抜けていった。

 

◆◆◆

 

side 陸奥

 

手を動かしながら、土佐の顔を見る。

 

いつもより目元が柔らかい。

 

普段の土佐は、黙っているだけでどこか鋭く見える。だが今は、飾り気のない部屋着でベッドに腰掛け、私の手を当たり前のように受け入れている。

 

可愛い。

 

そう思った。

 

いつものことだ。

 

土佐は真面目で、不器用で、何でも自分でやろうとする。最近になって、ようやく少しずつ人を頼ることを覚えた。

 

妹のような子。

 

だから、可愛いと思うことなど何もおかしくない。

 

なのに、胸の奥が僅かに跳ねた。

 

もう一度、髪を撫でる。

 

土佐の目元が、ほんの少しだけさらに緩んだ。

 

今度は、はっきり分かった。

 

胸の奥がきゅっと締めつけられる。

 

「土佐」

 

「ん?」

 

土佐が顔を上げる。

 

「姉さん?」

 

「っ」

 

思わず手を止めてしまった。

 

「どうした?」

 

「何でもないわ」

 

平静を装い、もう一度頭を撫でる。

 

土佐は何も疑わず、また少しだけ目を細めた。

 

困った。

 

これは少し、困るかもしれない。

 

◆◆◆

 

side 土佐

 

夕方。

 

休んでいるだけでも腹は減るらしい。

 

食堂へ行こうと立ち上がる。

 

黒い長袖に灰色のスウェット。生活区画から出るわけでもない。

 

「まあ、いいか」

 

そのまま部屋を出た。

 

◆◆◆

 

食堂へ入ると、妙に視線を感じた。

 

自分の身体を見るが、特におかしなところはない。

 

「あっ! 土佐さん!」

 

夕立が表情を明るくし、とてとてと駆け寄ってくる。

 

「土佐さん、雰囲気が違うっぽい!」

 

「そうか?」

 

「いつもより、ふわっとしてるっぽい!」

 

「服が違うからじゃないか?」

 

「それもあるっぽい! 今日は怖くないっぽい!」

 

「夕立」

 

後ろから時雨の声がした。

 

「それは、普段の土佐が怖いみたいに聞こえるよ」

 

「違うっぽい! 土佐さんは、いつもかっこいいっぽい! 今日はゆるいっぽい!」

 

「ゆるい」

 

初めて言われた。

 

時雨も私を眺め、少しだけ笑った。

 

「本当に雰囲気が違うね。昨日とは特に」

 

昨日、時雨は帰投するまでずっと隣にいてくれた。

 

「昨日は助かった」

 

「もう聞いたよ」

 

「何度言ってもいいだろ」

 

「まあね。今日はちゃんと休んだ?」

 

「ああ。大和にも、神通にも、陸奥にも確認された」

 

「それなら安心かな」

 

「みんな、私を信用してないな」

 

「土佐だからね」

 

「どういう意味だ?」

 

「そのままの意味だよ」

 

「土佐さん! 夕立も髪に触っていいっぽい?」

 

「髪?」

 

「今日はふわふわしてるっぽい!」

 

時雨が夕立の肩を掴んだ。

 

「土佐は休養中だから、そっとしておこうね」

 

「夕立はそっと触るっぽい!」

 

「帰ろうか」

 

「ぽい!?」

 

夕立はずるずると引かれていく。

 

「土佐さーん! 今度、触らせてほしいっぽーい!」

 

「別に構わないぞ」

 

「ほんとっぽ――」

 

「はいはい」

 

「時雨ー!」

 

「…………」

 

何だったんだ。

 

「ふふ」

 

近くから小さな笑い声が聞こえた。

 

「鳳翔さん」

 

「こんばんは、土佐さん。随分、人気ですね」

 

「そうなのか?」

 

「ええ。でも、夕立さんの言いたいことも少し分かります」

 

鳳翔さんの視線が私の顔から髪へ移り、すぐに戻った。

 

「鳳翔さんも撫でたいのか?」

 

「え?」

 

珍しい。

 

鳳翔さんが固まった。

 

「あ、いえ。それは、そういう意味ではなかったのですが」

 

「そうか。すまない」

 

それで終わりだと思った。

 

だが、鳳翔さんの視線が再び私の髪へ向けられた。

 

今度は、すぐには戻らなかった。

 

「……やっぱり、撫でたいのか?」

 

「え?」

 

少しだけ頭を下げ、鳳翔さんの方へ差し出す。

 

「別に構わないぞ」

 

「…………」

 

「嫌ならいいが」

 

「い、嫌ではありません」

 

返事が少しだけ早かった。

 

「そうか。なら、どうぞ」

 

鳳翔さんの手がゆっくりと上がる。

 

少し迷うように宙で止まったあと、指先が私の髪へ触れた。

 

柔らかく撫でられる。

 

陸奥とは少し違う。

 

ゆっくりと、確かめるような手つきだった。

 

「本当に柔らかいんですね」

 

「そうなのか?」

 

自分ではよく分からない。

 

だが、嫌ではなかった。

 

目を細めると、肩から少し力が抜けた。

 

鳳翔さんの手が止まる。

 

周囲の視線に気づいたらしく、その頬が僅かに赤くなっていた。

 

「鳳翔さん?」

 

「あ、すみません」

 

離れかけた指先が、もう一度私の髪へ触れる。

 

それでも、すぐには手を引かなかった。

 

「何が?」

 

「何でもありません」

 

今日は、それをよく言われる。

 

◆◆◆

 

side 陸奥

 

箸が止まった。

 

少し離れた席で、鳳翔さんが土佐の頭を撫でている。

 

そして土佐は、さっき私が撫でたときと同じ顔をしていた。

 

「陸奥? お箸、止まっていますよ」

 

隣の大和に言われ、手元を見る。

 

「何でもないわ」

 

箸を動かしながら、もう一度だけ視線を向ける。

 

別に、おかしなことではない。

 

土佐が誰に頭を撫でられようと、私には関係ない。

 

そう。

 

関係ない。

 

なのに、何故だろう。

 

少しだけ、面白くない。

 

◆◆◆

 

side 土佐

 

「きゃー!」

 

夕立の声が響き、鳳翔さんの手が離れた。

 

夕立の隣には時雨。少し離れたところには、川内、那珂、神通もいる。

 

「だって、鳳翔さんが土佐さんを撫でてるっぽい!」

 

「見れば分かるよ」

 

「土佐さん、気持ちよさそうっぽい!」

 

那珂が驚いたように私を見る。

 

「土佐さんって、そんな感じだったの?」

 

「どんな感じだ?」

 

答えに困った那珂の隣で、川内が笑った。

 

「随分、気を許してるってことじゃない?」

 

「そうなのか?」

 

神通を見る。

 

「どう思う?」

 

「私に聞くんですか?」

 

「ああ」

 

神通は湯呑みへ視線を落とした。

 

「いいと思います」

 

「そうか。なら、問題ないな」

 

別の方向から笑い声が聞こえた。

 

赤城さんだった。

 

その隣には加賀もいる。

 

「土佐さん。今日は随分と甘え上手ですね」

 

「甘えてるつもりはないぞ」

 

「そうなんですか?」

 

頭を撫でられるのは嫌ではなかった。むしろ落ち着いた。

 

これを甘えるというのだろうか。

 

「赤城さんも撫でるか?」

 

今度は赤城さんが止まった。

 

その隣で、加賀の箸も止まる。

 

「今日は……遠慮しておきます」

 

「そうか。撫でたくなったら言ってくれ」

 

赤城さんの笑顔が、ほんの少しだけ固まったように見えた。

 

「土佐。食事をするのでしょう」

 

加賀に呼ばれ、ようやく本来の目的を思い出す。

 

「鳳翔さん。一緒に食べるか?」

 

「ええ。ご一緒させてください」

 

鳳翔さんと並んで席へ向かう。

 

その途中、妙にいくつもの視線を感じた。

 

今日は、よく見られる日だ。

 

◆◆◆

 

食事を終え、部屋へ戻った。

 

結局、今日は何もしなかった。

 

朝、大和に止められた。

 

神通と話し、最中を食べ、玄米茶を飲んだ。

 

部屋着に着替え、姉さんに頭を撫でられた。

 

食堂では夕立と時雨に会い、鳳翔さんにも撫でられ、みんなで食事をした。

 

それだけだ。

 

けれど、不思議と身体が軽い。

 

頭の中も、昨日よりずっと静かだった。

 

机の脇に置かれた刀を見る。

 

今日は一度も抜かなかった。

 

それでいい。

 

明日になれば、また振ることができる。

 

艤装にも触らなかった。

 

それでいい。

 

必要になれば、また海へ出る。

 

なら今日は。

 

「休むか」

 

誰に言うでもなく呟き、ベッドへ横になる。

 

柔らかな寝具へ身体を沈めると、すぐに力が抜けていった。

 

悪くない。

 

明日になれば、また動ける。

 

なら、今日はこれでいい。

 

そう思って、私は静かに目を閉じた。

 

◆◆◆

 

side 赤城

 

自室へ戻り、扉を閉める。

 

部屋は静かだった。

 

今日の食堂で見た光景を思い出す。

 

いつもとは違う部屋着姿の土佐さん。

 

駆け寄っていった夕立さん。

 

その髪へ触れた鳳翔さん。

 

そして。

 

――赤城さんも撫でるか?

 

思わず、自分の手を見る。

 

あの場では断った。

 

それでよかったはずだ。

 

いつものように、少しからかっただけだった。

 

加賀さんも。陸奥さんも。鳳翔さんも。

 

分かりやすい。

 

そう思っていた。

 

なのに。

 

――撫でたくなったら言ってくれ。

 

土佐さんは、あまりにも自然にそう言った。

 

もし、あの場で手を伸ばしていたら。

 

土佐さんは、どんな顔をしたのだろう。

 

鳳翔さんに撫でられていたときのように、目元から力を抜いてくれただろうか。

 

そんなことを考えてしまった自分に気づき、赤城はゆっくりと指を握った。

 

「……困りましたね」

 

誰もいない部屋で、小さく呟く。

 

何が困るのか。

 

もう、まったく分からないわけではなかった。

 

 

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